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奈央編
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気づいたら茂木さんのアパートだという、質素なワンルームの中央に私は座っていた。お店の前に順を置き去りにしたまま、裏手の駐車場に停めてあった茂木さんの車に乗せられ、あれよあれよという間にここに連れてこられてしまったのだ。
キッチンでお茶の用意をしてくれているらしい茂木さんは、私に何も訊ねず、自分も何も言わず、ずっと黙ったきりだ。なので私も口を開くことは躊躇われ、案内されるままこうして佇んでいる。
茂木さんの部屋は黒とグレーで纏められていた。といっても私の部屋同様大きな家具は殆どなく、生活するのに最低限の必需品しか揃えていない印象だった。もっとこうきらきらした、いかにも男の子といった賑やかな感じを想像していた私は、若いのに堅実な茂木さんが意外だった。
やがてマグカップを二つ持って戻ってきた茂木さんは、私と自分の前に静かにカップを置くと、がばっといきなり土下座した。
「ごめんなさい奈央さん!」
突然の行動に驚いて二の句が継げずにいると、床に頭を擦りつけんばかりの勢いで伏せっている。
「返事を貰う前に手を出してしまいました! ちゃんと奈央さんの心の準備が整うまで待っているつもりだったのに」
どうやら先程のキスのことを指しているらしい。いや、まぁ確かにびっくりはしたけれど、別に初めてじゃないし、外国では挨拶代わりだし、それに。
「嫌じゃ、なかった、です」
蚊の鳴くような声で答えると、ちゃんと聞こえていたらしい茂木さんが恐る恐る顔を上げる。途端にばちっと目が合ってどちらともなく赤くなる。うわぁ恥ずかしい。穴があったら入りたい。24の男と26の女の所業じゃない。
「本当に?」
「繰り返し訊かないで下さい」
唇を噛んで向かいに座る茂木さんを見上げれば、彼はうっと言葉に詰まってしまった。
「自分の部屋に連れてきたのは失敗だったかもしれない」
やがてため息をついて項垂れる。
「やっぱり、そうですよね」
既に順との関係は明るみに出た。いかにも訳ありの私達を前にして、茂木さんが以前と同じ気持ちでいる保証はないのだ。ここに茂木さんと一緒にいていいのは私じゃない。
「早とちりしないで下さい」
つられたように肩を落とした私に茂木さんが慌てて身を乗り出した。
「奈央さんの家だとあやめさんはともかく、店長が睨みを利かせてますから、暴走したくてもできないので安心なんです。ここでは自分を止められるのは自分しかいないので」
バツが悪そうにごにょごにょ呟く茂木さん。私の体温は40度を超える勢いで急上昇した。茂木さんが私に対してこんなことを言ったのは初めてだ。
「こんなんでも一応男なんで、好きな人が傍にいたら、まぁそういう? 気持ちにはなるわけですよ。がっかりさせてすみません」
片膝を立てて肘をつく茂木さんは、何だかこれまで見たことがないくらい男っぽくて、もしかしたら私の前ではあえて子犬成分を排出してくれていたのかもしれないと思った。
「前の彼女とはそういう? ことはしていたんですもんね」
熱を冷ますためにわざと前の彼女の話題に触れた。
「今ここでそれを持ち出します? 否定したくてもできないじゃないですか」
茂木さんはくしゃくしゃと髪を掻きむしっている。
「この部屋でも?」
「うわぁ突っ込まないで下さい。引っ越ししたから大丈夫です。って、何が大丈夫なんだ」
動揺しまくりの茂木さんに私は小さく笑って見せた。
「責めているんじゃないんです。大事なことですから」
すーっと息を吸い込んでから真っすぐに茂木さんをみつめる。
「何か勘づいていますよね?」
私に対して男の部分を抑えていたこと、順に会っても微塵も態度を変えなかったこと、そして私の心の準備が整うまで待っているつもりだったという一言。全容はともかくある程度は見当をつけているのだろう。
「ヒントは橋本さんがくれたんです」
もとより自分の部屋に私を招いた時点で、隠す気はさらさらなかったのか、茂木さんはすんなり話し出した。
「怒らないで下さいね? 正直俺も迷ってました。奈央さんに男性経験があるのかどうか、一緒にいても判断がつかなくて」
警戒心が強いわけでもないのに、男を遠ざけているようで。でも全然慣れていないかというとそうでもなくて。けれど推し量ろうにも原因が全く分からない。
「だから無理強いだけはすまいと」
そこで茂木さんはマグカップに手を伸ばす。私もゆっくりコーヒー口に運んだ。
「先日、奈央さんに例のメールが届いた日、橋本さんが奈央さんの電話を勝手に触りましたよね? あのとき奈央さんの名前のずっと下の方に、更にメッセージが書かれていたそうです」
マグカップを置いてポケットから電話を取り出す。確かにあの日橋本さんは私の電話をスクロールしていた。そして現れた久しぶり、奈央に次ぐ文言。
「できたか」
私は天井を仰いだ。このときにはもう順は狙いを定めていたのだ。
「諸々を総合して、きっとそういうこと絡みなのではないかと」
「茂木さん」
全て話そう。例えこの人に嫌われるのが分かっていたとしても、避けては通れないことなのだから。
「私ね、順とできなかったんです」
力なく微笑む。
「合体」
キッチンでお茶の用意をしてくれているらしい茂木さんは、私に何も訊ねず、自分も何も言わず、ずっと黙ったきりだ。なので私も口を開くことは躊躇われ、案内されるままこうして佇んでいる。
茂木さんの部屋は黒とグレーで纏められていた。といっても私の部屋同様大きな家具は殆どなく、生活するのに最低限の必需品しか揃えていない印象だった。もっとこうきらきらした、いかにも男の子といった賑やかな感じを想像していた私は、若いのに堅実な茂木さんが意外だった。
やがてマグカップを二つ持って戻ってきた茂木さんは、私と自分の前に静かにカップを置くと、がばっといきなり土下座した。
「ごめんなさい奈央さん!」
突然の行動に驚いて二の句が継げずにいると、床に頭を擦りつけんばかりの勢いで伏せっている。
「返事を貰う前に手を出してしまいました! ちゃんと奈央さんの心の準備が整うまで待っているつもりだったのに」
どうやら先程のキスのことを指しているらしい。いや、まぁ確かにびっくりはしたけれど、別に初めてじゃないし、外国では挨拶代わりだし、それに。
「嫌じゃ、なかった、です」
蚊の鳴くような声で答えると、ちゃんと聞こえていたらしい茂木さんが恐る恐る顔を上げる。途端にばちっと目が合ってどちらともなく赤くなる。うわぁ恥ずかしい。穴があったら入りたい。24の男と26の女の所業じゃない。
「本当に?」
「繰り返し訊かないで下さい」
唇を噛んで向かいに座る茂木さんを見上げれば、彼はうっと言葉に詰まってしまった。
「自分の部屋に連れてきたのは失敗だったかもしれない」
やがてため息をついて項垂れる。
「やっぱり、そうですよね」
既に順との関係は明るみに出た。いかにも訳ありの私達を前にして、茂木さんが以前と同じ気持ちでいる保証はないのだ。ここに茂木さんと一緒にいていいのは私じゃない。
「早とちりしないで下さい」
つられたように肩を落とした私に茂木さんが慌てて身を乗り出した。
「奈央さんの家だとあやめさんはともかく、店長が睨みを利かせてますから、暴走したくてもできないので安心なんです。ここでは自分を止められるのは自分しかいないので」
バツが悪そうにごにょごにょ呟く茂木さん。私の体温は40度を超える勢いで急上昇した。茂木さんが私に対してこんなことを言ったのは初めてだ。
「こんなんでも一応男なんで、好きな人が傍にいたら、まぁそういう? 気持ちにはなるわけですよ。がっかりさせてすみません」
片膝を立てて肘をつく茂木さんは、何だかこれまで見たことがないくらい男っぽくて、もしかしたら私の前ではあえて子犬成分を排出してくれていたのかもしれないと思った。
「前の彼女とはそういう? ことはしていたんですもんね」
熱を冷ますためにわざと前の彼女の話題に触れた。
「今ここでそれを持ち出します? 否定したくてもできないじゃないですか」
茂木さんはくしゃくしゃと髪を掻きむしっている。
「この部屋でも?」
「うわぁ突っ込まないで下さい。引っ越ししたから大丈夫です。って、何が大丈夫なんだ」
動揺しまくりの茂木さんに私は小さく笑って見せた。
「責めているんじゃないんです。大事なことですから」
すーっと息を吸い込んでから真っすぐに茂木さんをみつめる。
「何か勘づいていますよね?」
私に対して男の部分を抑えていたこと、順に会っても微塵も態度を変えなかったこと、そして私の心の準備が整うまで待っているつもりだったという一言。全容はともかくある程度は見当をつけているのだろう。
「ヒントは橋本さんがくれたんです」
もとより自分の部屋に私を招いた時点で、隠す気はさらさらなかったのか、茂木さんはすんなり話し出した。
「怒らないで下さいね? 正直俺も迷ってました。奈央さんに男性経験があるのかどうか、一緒にいても判断がつかなくて」
警戒心が強いわけでもないのに、男を遠ざけているようで。でも全然慣れていないかというとそうでもなくて。けれど推し量ろうにも原因が全く分からない。
「だから無理強いだけはすまいと」
そこで茂木さんはマグカップに手を伸ばす。私もゆっくりコーヒー口に運んだ。
「先日、奈央さんに例のメールが届いた日、橋本さんが奈央さんの電話を勝手に触りましたよね? あのとき奈央さんの名前のずっと下の方に、更にメッセージが書かれていたそうです」
マグカップを置いてポケットから電話を取り出す。確かにあの日橋本さんは私の電話をスクロールしていた。そして現れた久しぶり、奈央に次ぐ文言。
「できたか」
私は天井を仰いだ。このときにはもう順は狙いを定めていたのだ。
「諸々を総合して、きっとそういうこと絡みなのではないかと」
「茂木さん」
全て話そう。例えこの人に嫌われるのが分かっていたとしても、避けては通れないことなのだから。
「私ね、順とできなかったんです」
力なく微笑む。
「合体」
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