43 / 48
橋本編 鬼畜の片想い
5
しおりを挟む
もしかして態度を変えられるのではないかと思っていたが、藪はその後も拍子抜けするくらいいつも通りだった。相変わらず口煩くて、がらが悪くて、老けていて、まるで何もなかったようなその様子は、俺を無性に安心させた。下手な詮索と安い同情だけはご免だったのだ。
「で、あんたはまた何をやってんだよ」
仕事帰りに足を向けた緑地公園で、小学生と走り回る大人を再び見かけた俺は、諦めのため息を洩らした。
「サッカー」
「そんなこたぁ分かってる」
訊いた俺が馬鹿だった。保護者に該当する年齢の藪は、先日のメンバーとサッカーに夢中になっている。子供達に負けず劣らず楽しそうだ。今日はパンツスーツのせいか動きも軽快。
「ほら橋本、加勢しな」
「ったく、人使いの荒い」
舌打ちをして仕方なく藪の隣に並ぶ。
「絵にならんツートップだな」
文句を吐きつつボールを蹴り出せば、あっという間に砂埃が舞った。小学生と一緒に俺を取り巻く藪の髪が、まるで馬の尻尾のように跳ねておかしくなる。
「全く元気なおばさんだ」
クリーニング行きであろう、汚れたスーツに呆れる俺の目には、生き生きと笑う藪の姿が映っていた。
「やべぇ、久々に本気でやっちまった」
ガキどもにせがまれて、あれこれ教えているうちに、またしても貴重な癒しの時間は失われ、夕闇の中俺はごろんと芝に転がっていた。じめっとした湿気と草の匂いに高校時代を懐かしむ。
「私も疲れた。これは明後日あたりにくるな」
「明後日?」
同じように仰向けに寝転ぶ藪に、顔だけを動かして訊ねる。
「筋肉痛だよ。最近次の日には出なくてさ」
「あぁ、それうちの親がよくぼやいてた。年を取ると痛みが数日後に出るから、何が原因か分からなくなるって」
やっぱりばばあじゃんと笑ってやると、藪は俺の額をぺちっと叩いた。
「そこまで年は取っとらん」
よほど疲れたのか手に力が入っていない。でも黒ずんでゆく空に浮かぶ、赤く染まった雲を気持ちよさそうに見上げている。
「それにしてもいいのか、スーツ」
払っても汚れの落ちなかった通勤服を指す。こんな格好でサッカーをする大人なぞ早々お目にかかれない。
「セール品だから。元々こういう服、堅苦しくて好きじゃないし」
店長宅で一緒に飯をご馳走になるときや、休日に偶然出くわしたときの藪は、確かにラフなシャツやジーンズを身に着けている。可愛らしい服が似合わないと自覚している故かと思ったが、単純に好みの問題だったわけだ。
「どのくらいの頻度で混ざってんだよ。服の数が持たんぞ」
「週に一、二のペースだよ。残業があったら無理だしさ」
「充分だろ」
少なくともうちの営業所の女性陣が、仕事帰りに子供とサッカーに明け暮れているなんて話は、ついぞ聞いたことがない。こいつはお淑やかという言葉を知らんのか。
「いいじゃん。余計なもんが全部吹っ飛んでくから、明日も頑張ろうって気になるんだよ」
ほんの少し声のトーンが落ちた。夜の帳が降り始めて藪の表情は分からないが、彼女の目は遠くに光を宿す星を捕らえているようだった。
「あんたもちったぁ煩悩が振り払えただろ」
「俺には煩悩なんざねーよ」
「そういや百戦錬磨とか言ってたもんなぁ」
相変わらずじーさん笑いをする藪。ワンコの野郎、ろくでもない噂を広めやがって。明日しばいてやる。
「まぁでも」
咳ばらいをしたついでに闇の力を借りる。
「気の毒そうな振る舞いをしなかった点については感謝する」
何の話か見当がついたのだろう。藪はすぐに笑いを引っ込めた。
「それは私も同じだ」
二人の間の空気が動き、藪がこちらを向いた。
「可哀想なんて言われたくはないからな」
結婚を止めたことを言っているのだろう。悪いが結婚願望がない俺にとっては、可哀想でも何でもないだけなんだが。
「自分で好きでやったことなのに、一方的に同情されても困らないか? 橋本は今の状況に不満はないんだろう?」
不満なんてない。奈央に自分を好きになって欲しいとか、茂木と別れて欲しいとか、全くもって微塵も思っていない。そんなことされたら逆に迷惑だ。断言する。
「だからあんたを気の毒がる理由が、私にはない」
きっぱりした藪の口調に俺はふっと目を細めた。
「で、あんたはまた何をやってんだよ」
仕事帰りに足を向けた緑地公園で、小学生と走り回る大人を再び見かけた俺は、諦めのため息を洩らした。
「サッカー」
「そんなこたぁ分かってる」
訊いた俺が馬鹿だった。保護者に該当する年齢の藪は、先日のメンバーとサッカーに夢中になっている。子供達に負けず劣らず楽しそうだ。今日はパンツスーツのせいか動きも軽快。
「ほら橋本、加勢しな」
「ったく、人使いの荒い」
舌打ちをして仕方なく藪の隣に並ぶ。
「絵にならんツートップだな」
文句を吐きつつボールを蹴り出せば、あっという間に砂埃が舞った。小学生と一緒に俺を取り巻く藪の髪が、まるで馬の尻尾のように跳ねておかしくなる。
「全く元気なおばさんだ」
クリーニング行きであろう、汚れたスーツに呆れる俺の目には、生き生きと笑う藪の姿が映っていた。
「やべぇ、久々に本気でやっちまった」
ガキどもにせがまれて、あれこれ教えているうちに、またしても貴重な癒しの時間は失われ、夕闇の中俺はごろんと芝に転がっていた。じめっとした湿気と草の匂いに高校時代を懐かしむ。
「私も疲れた。これは明後日あたりにくるな」
「明後日?」
同じように仰向けに寝転ぶ藪に、顔だけを動かして訊ねる。
「筋肉痛だよ。最近次の日には出なくてさ」
「あぁ、それうちの親がよくぼやいてた。年を取ると痛みが数日後に出るから、何が原因か分からなくなるって」
やっぱりばばあじゃんと笑ってやると、藪は俺の額をぺちっと叩いた。
「そこまで年は取っとらん」
よほど疲れたのか手に力が入っていない。でも黒ずんでゆく空に浮かぶ、赤く染まった雲を気持ちよさそうに見上げている。
「それにしてもいいのか、スーツ」
払っても汚れの落ちなかった通勤服を指す。こんな格好でサッカーをする大人なぞ早々お目にかかれない。
「セール品だから。元々こういう服、堅苦しくて好きじゃないし」
店長宅で一緒に飯をご馳走になるときや、休日に偶然出くわしたときの藪は、確かにラフなシャツやジーンズを身に着けている。可愛らしい服が似合わないと自覚している故かと思ったが、単純に好みの問題だったわけだ。
「どのくらいの頻度で混ざってんだよ。服の数が持たんぞ」
「週に一、二のペースだよ。残業があったら無理だしさ」
「充分だろ」
少なくともうちの営業所の女性陣が、仕事帰りに子供とサッカーに明け暮れているなんて話は、ついぞ聞いたことがない。こいつはお淑やかという言葉を知らんのか。
「いいじゃん。余計なもんが全部吹っ飛んでくから、明日も頑張ろうって気になるんだよ」
ほんの少し声のトーンが落ちた。夜の帳が降り始めて藪の表情は分からないが、彼女の目は遠くに光を宿す星を捕らえているようだった。
「あんたもちったぁ煩悩が振り払えただろ」
「俺には煩悩なんざねーよ」
「そういや百戦錬磨とか言ってたもんなぁ」
相変わらずじーさん笑いをする藪。ワンコの野郎、ろくでもない噂を広めやがって。明日しばいてやる。
「まぁでも」
咳ばらいをしたついでに闇の力を借りる。
「気の毒そうな振る舞いをしなかった点については感謝する」
何の話か見当がついたのだろう。藪はすぐに笑いを引っ込めた。
「それは私も同じだ」
二人の間の空気が動き、藪がこちらを向いた。
「可哀想なんて言われたくはないからな」
結婚を止めたことを言っているのだろう。悪いが結婚願望がない俺にとっては、可哀想でも何でもないだけなんだが。
「自分で好きでやったことなのに、一方的に同情されても困らないか? 橋本は今の状況に不満はないんだろう?」
不満なんてない。奈央に自分を好きになって欲しいとか、茂木と別れて欲しいとか、全くもって微塵も思っていない。そんなことされたら逆に迷惑だ。断言する。
「だからあんたを気の毒がる理由が、私にはない」
きっぱりした藪の口調に俺はふっと目を細めた。
0
あなたにおすすめの小説
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
二十年以上無視してきた夫が、今さら文通を申し込んできました
小豆缶
恋愛
「お願いです。文通から始めてもらえませんか?」
二十年以上会話もなかった夫――この国の王が、ある日突然そう言ってきた。
第一王妃マリアは、公爵家出身の正妃。だが夫はかつて、寵愛する第三王妃の話のみを信じ、彼女を殴ったことがある。その事件が原因で、マリアは男性恐怖症が悪化して、夫と二人きりでは会話すらできなくなっていた。
それから二十年。
第三王妃はとある事故で亡くなり、夫は反省したらしい。だからといって――今さら夫婦関係をやり直したいと言われても遅すぎる。
なのに王は諦めない。毎日の手紙。花を一輪。夜食の差し入れ。
不器用すぎる求愛に振り回されるうち、マリアの中で止まっていた感情が少しずつ動き始める。
これは、冷えきった政略夫婦が「文通」からやり直す恋の話。
※本作は「存在されていないことにされていた管理ギフトの少女王宮で真の家族に出会う」のスピンオフですが、単体で読めます。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
妹の身代わりだった私に「本命は君だ」――王宮前で王子に抱き潰され、溺愛がバレました。~私が虐げられるきっかけになった少年が、私と王子を結び付
唯崎りいち
恋愛
妹の身代わりとして王子とデートすることになった私。でも王子の本命は最初から私で――。長年虐げられ、地味でみすぼらしい私が、王子の愛と溺愛に包まれ、ついに幸せを掴む甘々ラブファンタジー。妹や家族との誤解、影武者の存在も絡み、ハラハラと胸キュンが止まらない物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる