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橋本編 鬼畜の片想い
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俺と奈央のやり取りをどこから見ていたのか分からないが、藪は特に詮索もしなければ揶揄いもせず、迷惑をかけたねと謝りながら傘を閉じた。仕事で郵便局に行った帰りに母親から電話をもらい、ついでに店でくだを巻いているであろう姉を、回収に立ち寄ったのだという。
「出ていったりしないよね? 親分」
不安そうに訊ねる奈央に、藪は肯定とも否定とも取れる笑みを浮かべた。
「栄五郎さんに訊いたのかい? 済まないね、心配かけて」
愛おしそうに奈央の頭を撫でる。形こそ違えど、やり直すつもりで同時期にこの地に居を移した者同士。特に引っ越してきたばかりの奈央は、家に閉じこもり気味だったというから、藪が妹にも近い彼女に心を砕いていたことは想像に難くない。
「営業妨害になるからね。ひとまずあれは連れ帰るよ」
こそっと人差し指を向けて藪は店内に入っていった。
「お世話様でした」
律儀に挨拶をして奈央も仕事に戻ってゆく。何となく藪がわざと明確な発言を避けたような気がした。次の配達先に行くべくトラックに乗り込むと、ウインドウ越しに藪が姉の腕を引っ張って立たせているのが見えた。老け顔の影響もあるのだろうが、姉妹の年齢が明らかに逆転している。
奈央と一緒にいる俺を見て藪はどう思っただろう。
ふいに胸に浮かんだ疑問に自分でも驚きながら、俺はゆっくりトラックを走らせた。再び落ちてきた雨がフロントガラスを叩き、規則的な動きでワイパーが雫を掃いていった。
その日の仕事帰り、久し振りに清水家の夕食にお邪魔した。あやめさんには遠慮しないでと言われたが、実際は藪やガキどもとサッカーに夢中になって、足を運ぶ機会を逸していただけだった。
「親分はどうした?」
店長があやめさんに確かめる。六人掛けのダイニングテーブルを囲んでいるのは五人。いつも存在感ありありの俺の向かいの席には、今日は誰も座っていなかった。
「お姉さん…朱美ちゃんのご家族が来てるんですって」
あやめさんの答えに食卓が一気に沈んだ。茂木がちらっと右隣の俺を一瞥してから、左隣で黙り込む店長に声をかける。
「藪さんのお姉さん達はどこに住んでいるんですか?」
「市内だよ。車で三十分とかからない」
それを聞いて俺は箸を止めた。
「じゃあ藪が帰ってくる必要はなかったんじゃ」
姉夫婦が遠方に住んでいるがために、手を借りることができないから、まだ独身の藪が呼び戻されたのだと勝手に想像していた。
「旦那の親が近所にいるし、小学生の子供二人の子育てでいっぱいだと、二、三週に一度くらいしか顔を出さなかったんだよ」
近所の人もできる範囲で手伝ったりはしたが、介護や看病というのはそんなに甘いものではないのだろう。藪の母親も体調を崩してダウンしたのを機に、親戚が彼女に親を助けるよう進言したのだそうだ。
「なのに旦那がリストラされたら同居すると?」
「あくまで候補で、まだリストラされたわけじゃない。何も決まっていないのに、朱美ちゃんが一人で騒いでるんだよ」
あまりの話に馬鹿馬鹿しくて怒る気にもなれなかった。
「藪を追い出した挙句、やっぱりリストラされませんでしたって、結局親を放置しそうな気もしますが」
「悪いが俺も同感だ」
店長が苦笑した。
「諦めなくてもよかった結婚を諦めて帰ってきたのに、今度は家を出て行って欲しいなんて、親分を何だと思ってるんだか」
俺達のやり取りに耳を傾けていた奈央が、箸でおかずを摘まんだまま大仰にため息をつく。
「あぁ、そこについては訂正を入れとくぞ」
味噌汁に咽そうになりながらも俺は口を挟んだ。
「藪は自分の意思で結婚を止めたんだ。諦めるって表現をあいつは喜ばない。絶対言うなよ」
「どうして橋本さんがそんな事情を?」
今度はワンコが目を瞬いた。振り返った先にいる店長とあやめさんが、何故か訳知り顔で頷いているのが癪に障る。
「たまたまな」
「やだな。鬼畜なんかと親分が親しくなってる」
斜め向かいから奈央の嫉妬の視線が飛んでくる。昼間結婚しろとか何とかほざいていたのは一体誰だ。
「ワンコとつるめば妬く、藪と話せば妬く。ったく面倒くせーな、お前は」
「腐れ鬼畜!」
奈央が叫ぶと同時に食卓には笑いが咲いた。嬉しさを隠さない隣の茂木からは、今すぐにでも奈央に纏わりつきそうな雰囲気が溢れていて、彼女も赤くなりつつも目元を細めている。うん。やっぱりこんな茂木と奈央を見ているのが俺には一番いい。
らしくないのは分かっている。でもそれを唯一分かってくれる筈の人がいた、空いたままの向かいの席が無性に淋しくてならなかった。
「出ていったりしないよね? 親分」
不安そうに訊ねる奈央に、藪は肯定とも否定とも取れる笑みを浮かべた。
「栄五郎さんに訊いたのかい? 済まないね、心配かけて」
愛おしそうに奈央の頭を撫でる。形こそ違えど、やり直すつもりで同時期にこの地に居を移した者同士。特に引っ越してきたばかりの奈央は、家に閉じこもり気味だったというから、藪が妹にも近い彼女に心を砕いていたことは想像に難くない。
「営業妨害になるからね。ひとまずあれは連れ帰るよ」
こそっと人差し指を向けて藪は店内に入っていった。
「お世話様でした」
律儀に挨拶をして奈央も仕事に戻ってゆく。何となく藪がわざと明確な発言を避けたような気がした。次の配達先に行くべくトラックに乗り込むと、ウインドウ越しに藪が姉の腕を引っ張って立たせているのが見えた。老け顔の影響もあるのだろうが、姉妹の年齢が明らかに逆転している。
奈央と一緒にいる俺を見て藪はどう思っただろう。
ふいに胸に浮かんだ疑問に自分でも驚きながら、俺はゆっくりトラックを走らせた。再び落ちてきた雨がフロントガラスを叩き、規則的な動きでワイパーが雫を掃いていった。
その日の仕事帰り、久し振りに清水家の夕食にお邪魔した。あやめさんには遠慮しないでと言われたが、実際は藪やガキどもとサッカーに夢中になって、足を運ぶ機会を逸していただけだった。
「親分はどうした?」
店長があやめさんに確かめる。六人掛けのダイニングテーブルを囲んでいるのは五人。いつも存在感ありありの俺の向かいの席には、今日は誰も座っていなかった。
「お姉さん…朱美ちゃんのご家族が来てるんですって」
あやめさんの答えに食卓が一気に沈んだ。茂木がちらっと右隣の俺を一瞥してから、左隣で黙り込む店長に声をかける。
「藪さんのお姉さん達はどこに住んでいるんですか?」
「市内だよ。車で三十分とかからない」
それを聞いて俺は箸を止めた。
「じゃあ藪が帰ってくる必要はなかったんじゃ」
姉夫婦が遠方に住んでいるがために、手を借りることができないから、まだ独身の藪が呼び戻されたのだと勝手に想像していた。
「旦那の親が近所にいるし、小学生の子供二人の子育てでいっぱいだと、二、三週に一度くらいしか顔を出さなかったんだよ」
近所の人もできる範囲で手伝ったりはしたが、介護や看病というのはそんなに甘いものではないのだろう。藪の母親も体調を崩してダウンしたのを機に、親戚が彼女に親を助けるよう進言したのだそうだ。
「なのに旦那がリストラされたら同居すると?」
「あくまで候補で、まだリストラされたわけじゃない。何も決まっていないのに、朱美ちゃんが一人で騒いでるんだよ」
あまりの話に馬鹿馬鹿しくて怒る気にもなれなかった。
「藪を追い出した挙句、やっぱりリストラされませんでしたって、結局親を放置しそうな気もしますが」
「悪いが俺も同感だ」
店長が苦笑した。
「諦めなくてもよかった結婚を諦めて帰ってきたのに、今度は家を出て行って欲しいなんて、親分を何だと思ってるんだか」
俺達のやり取りに耳を傾けていた奈央が、箸でおかずを摘まんだまま大仰にため息をつく。
「あぁ、そこについては訂正を入れとくぞ」
味噌汁に咽そうになりながらも俺は口を挟んだ。
「藪は自分の意思で結婚を止めたんだ。諦めるって表現をあいつは喜ばない。絶対言うなよ」
「どうして橋本さんがそんな事情を?」
今度はワンコが目を瞬いた。振り返った先にいる店長とあやめさんが、何故か訳知り顔で頷いているのが癪に障る。
「たまたまな」
「やだな。鬼畜なんかと親分が親しくなってる」
斜め向かいから奈央の嫉妬の視線が飛んでくる。昼間結婚しろとか何とかほざいていたのは一体誰だ。
「ワンコとつるめば妬く、藪と話せば妬く。ったく面倒くせーな、お前は」
「腐れ鬼畜!」
奈央が叫ぶと同時に食卓には笑いが咲いた。嬉しさを隠さない隣の茂木からは、今すぐにでも奈央に纏わりつきそうな雰囲気が溢れていて、彼女も赤くなりつつも目元を細めている。うん。やっぱりこんな茂木と奈央を見ているのが俺には一番いい。
らしくないのは分かっている。でもそれを唯一分かってくれる筈の人がいた、空いたままの向かいの席が無性に淋しくてならなかった。
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