バツイチの恋

文月 青

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香さんが第二子を妊娠したとの知らせが入ったのは、十一月も半ばを過ぎた頃だった。お見合い写真騒動での離婚の危機を乗り越え、夫婦の絆を深めていた矢先の朗報に、双方の家族が喜びに沸いているらしい。幸い悪阻も軽く、穏やかな妊婦生活を送っているのだそうだ。

「一ノ瀬さん、ちょっといい?」

一ヶ月ぶりに出勤した富沢くんと一緒に、忙しく従業員の通用口を出たところで、まるで待っていたかのように主任に呼び止められた。今日はこれからお祝いを兼ねて香さんの家を訪ねることになっている。駐車場では既に修司さんと咲さんがスタンバイ中だ。

「はい」

とりあえず富沢くんに先に行ってもらい、私はその場に残って主任に向き合った。

「この間の話、考えてくれた?」

「お断りしましたが…」

私の返事などはなから分かっているだろうに、何故か主任はにっこりと目尻を下げる。

パートリーダーにならないかと打診されたのは、やはり三日前の勤務終了後だった。ようやく人員が三人増員されたものの、主任が一人で新人教育を施すのは時間的に難しく、自分の補佐をしつつパートを纏める人物が欲しいというのだ。

もちろん補佐に着けばその分の手当ては出る。でも勤務時間も長くなるし責任も重くなる。パートさんに対して様々な指示を出さなければならないし、苦言も呈さなければならない。人の顔色を窺ってばかりいた私に、そんなことできよう筈がない。まして新人の指導なんて到底無理。

「いずれシフト作成や資材発注等も一ノ瀬さんに任せて、俺はフォローに回る形を目指したいんだよね」

「お気持ちは有り難いのですが…」

「一ノ瀬さんの仕事ぶりを評価してのこと。自信をもって」

自慢ではないが私は時間に融通が利くだけの、有能さとは程遠いところにいる人間だ。その自信を持ってという台詞の根拠は一体どこにあるのだろう。

「単に手が空いているのが私なだけでは」

「もちろんそれもあるけど、今の一ノ瀬さんなら大丈夫だと踏んだんだよ。前にも言ったけど、もう少しこちらを信用してくれない?」

その言葉に反論ができなくなった。主任のみならず、修司さんにも信用無かったのかと呟かれたことがあったからだ。私は自分が信用できない、信用に耐えうる人間ではないから、自身に対しての良い評価はすんなり受け入れられない。でもそれは相手を信用していないことにも繋がってしまうのだろうか。

「頼むからもう一度考えて?」

そこまで説得されてはもう不満を口にはできない。私は仕方なく頷いて踵を返した。




「ちょうど三ヶ月に入ったばかりなの」

私達にコーヒー、自分にミルクを用意した香さんは、まだ変わらないすらりとした体形だが、とても柔らかな表情をしていた。こうして顔を合わせたのはまだ二度目だけれど、お腹の中に命を宿したからだろうか。幸せに満ち溢れている感じがする。

雰囲気のいいリビングでそっと隣を窺うと、修司さんが全身から嬉しさを醸し出している。ちなみにご主人とお子さんは、地域の行事に参加して留守だ。

「最初の子のときは、正直複雑なものがあったんだけどさ」

恥ずかしそうに頬を掻きながら教えてくれた修司さん。

「夫婦だから当然なんだけど、そういうことをしていると思いたくなかったんだろうな。でも今回はすんなりおめでとうという言葉が出た」

だから香さんを心から祝福している修司さんの姿に、私も二重に嬉しさを噛み締める。

「一ノ瀬さんも年齢的にそろそろ子供が欲しいんじゃない?」

にやにやしながら富沢くんが言った。台詞は私に向けたものなのに、視線は修司さんを捕らえている。

「パートさん達が騒いでたよ。主任は一ノ瀬さんを気に入っているって」

寝耳に水の話に私は飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになった。どこからそんな根も葉もない噂が出てきたんだろう。

「その主任っていくつなの?」

咲さんが続ければ香さんも身を乗り出す。

「格好いいの? なぎさちゃんを大事にしてくれそう?」

二人にわざとらしさを感じるのは気のせいだろうか。

「そういえばあの主任、ここんとこ必ず帰りにあんたを呼び止めるよな?」

顎に手を当てて修司さんまでが詰問してくる。確かに今日を含めて三回程、修司さんが迎えに来ている日だけ呼び止められているのは事実。しかもさして急ぎでもない用件で。

「仕事の話をしているだけです。ちなみに主任は三十歳。私と同い年です」

誤解されたくなくて私は慌てて言い募った。

「あんた二十九じゃなかったっけ?」

「先月…」

途中で口ごもる。あえて伏せていたのにみんなの前で暴露することになるとは。

「何で黙ってたんだよ」

途端に不機嫌を顕にした修司さんに凄まれる。

修司さんとの関係は以前のまま、進展もしなければ後退もしない状態で続いていた。日曜日に修司さんが桜屋に迎えに来てくれた日は、富沢くんがいようといまいと一緒に外出する。来なければ仕事や用事があるということで、お互いそれぞれのペースで過ごす。

今日のように予め予定がない限り、そんな暗黙の了解が成り立っているので、特に連絡を取り合うこともない。そもそも誕生日を祝う間柄でもないのに、殊更そこだけアピールするのもおかしい。

「主任にはプレゼント貰ったの?」

それは楽し気に修司さん以外の三人が訊ねる。

「お花を」

「聞いてねーぞ」

答えかけたところで頭上から降る低い声に遮られた。

「何上司に花貰って喜んでんのあんた」

唐突に漂う冷気に狼狽える私を余所に、富沢くんと咲さんは我慢できないというふうに爆笑し、香さんは本当に修司がキレているとうけまくっていた。これ胎教にどうなんだろう。



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