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本編
島津の独り言 1
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同期の佐伯の嫁の希ちゃんは変わっている。というか大分ずれた感覚の持ち主だ。先日も佐伯に好きな人がいると勘違いして勝手に離婚を企てるわ、夫婦の営みの際に「漏らさず避妊している」とえぐい表現をするわで話題に事欠かない。佐伯はそんな希ちゃんが可愛くて仕方がないらしく、真綿に包むように大切にしている。本人にそれが伝わってなさそうなのが気の毒ではあるが。
そもそも二人の出会いは佐伯が振られたことから始まる。佐伯は当時主任ーーその頃は同僚で三歳年上の女性ーーとつきあっていた。仕事も周囲への気配りもパーフェクトなその人は、佐伯の新人時代の指導者でもあったため、彼は尊敬と憧れの念を抱いていたのだと思う。
だから相手に心酔するあまり恋人ではなく下僕…は言い過ぎだが、まぁよく懐いている従順な犬のように俺には見えた。佐伯は満足でもそんな一方的なつきあいで、仮にも女の主任が平気なわけがない。彼女の転勤をきっかけにプロポーズしようとした佐伯は、運悪くそこで他の男と結婚する旨を告げられてしまう。
そのときの落ち込みようは酷かった。主任の心変わりは薄々察していたらしいが、信頼していた恋人と同僚をいっぺんに失くしたのはさすがにきつかったようで、日々の業務はきちんとこなしていたものの、しばらくはまともに食事を取ることも眠ることも叶わないほどだった。
元々気性の激しい方ではなかったが、それでも少しずつ感情を顕にするようになったのは、主任と別れて一ヶ月を過ぎた頃だったろうか。仕事をするために最低限取っていた食事も、自ら食べたい物を口にするようになり、顔色が良くなるのと同時に笑顔も戻っていった。
「指輪はどうしたんだ?」
落ち着いたのを見計らって遠慮がちに訊ねた俺に、佐伯は何故か穏やかに目を細めて訳の分からないことを言った。
「家にある。分別できなくて返ってきた」
ごみじゃないんだからと内心訝りつつ、手元に置いたら逆に吹っ切れなくて辛いんじゃないのかと問えば、
「大丈夫。やけ食いする予定だから」
ますます意味不明な台詞を吐いた。
傷が癒えるまでまだ時間が必要なのだろうと納得していたが、たまにゆっくりできる昼休みはどこかに消えるし、帰りが早い日も休日もつきあいが悪い。一人になりたいというほど、人を拒絶している雰囲気でもない。むしろその表情はどんどん柔らかくなってきている。
「佐伯が総務の女の子とつきあっている」
理由がはっきりしたのは、他部署に配属されている同期が聞きつけた噂からだった。希ちゃんと愛称で呼ばれているその子は、特に美人でも不細工でもない四歳下の普通の女の子だった。どうも食べることが趣味(?)らしく、彼女を気に入っている男どもがこぞって餌付けをしているのに、本人はこれっぽっちも察していない無頓着ぶり。
仕事も例え雑用でもきちんとこなすが、主任のような優秀な人材とはほど遠く、しかも佐伯の存在を「ご飯のお供」だとおかしな説明しているあたり、何が彼の心の琴線に触れたのかがさっぱり理解できない。
「つきあっているわけじゃないよ」
佐伯に確かめたらこちらも呑気に否定していたが、そのくせ噂を鎮める気は全く無いのが明らかで、揃って出歩いている姿がしょっちゅう目撃されている。
俺のタイプではなかったが、結構もてるくせに主任一筋だった佐伯が、振られた後とはいえ唯一関心を示した女に興味が湧いた。だからある日の仕事帰りに誘いをかけてみた。彼女の好きなご飯をダシに。
「すみませんが私は予定があるので」
予想に反してあっさり断られた。そのうえ佐伯と同じくらいには顔が知られている筈の俺を認識していない。さすがにプライドが傷ついて、このまま引き下がれないと纏わりついていたら、営業先から帰社してきた佐伯に偶然遭遇した。
「これから二人で食事なんだ」
悪戯心でついた嘘だった。しかし心底驚いたような表情で俺達を見比べていた佐伯は、すぐに仕事を取ってくるときのような大胆不敵な笑みを浮かべた。
「悪いな、島津。この人は俺のご飯のお供だから。他の奴には貸さないよ」
独占欲丸出しの牽制。入社以来のつきあいだがこんな佐伯は初めて見た。主任に恋していたレベルなんかじゃない。こいつはもしかして自分で分かっていないのか?
「ありがとうございます、佐伯さん。明日のお弁当はこれで決まりですよ。それからそこの煩い方、急に人前に出るのは危ないです」
当の本人は言いたいことだけ言うと、身を翻してさっさと駆けてゆく。呆然とする俺を余所に、佐伯は気をつけてと優しく微笑んでいた。
それにしてもいい男二人を放って、スーパーの特売を優先するなんて、あの子はどれだけ食欲の塊なんだ。この俺がとりももんが、もとい鶏もも肉2パックに負けるとは。おまけに煩い方って。
「希さんの卵焼きと鶏もものから揚げは絶品だよ」
うるせーよ。この色ボケが。つーかお前は餌付けした側じゃなくてされた側なのか。ようし見てろよ。しっかり協力してやろうじゃないか。
というわけで俺はその翌日から希ちゃんの周囲に頻繁に出没する。佐伯を煽るために。もっとも希ちゃんはそんな俺のことを「暇で徘徊している」とぼやいていたとか何とか。本当に色男形無し。
そもそも二人の出会いは佐伯が振られたことから始まる。佐伯は当時主任ーーその頃は同僚で三歳年上の女性ーーとつきあっていた。仕事も周囲への気配りもパーフェクトなその人は、佐伯の新人時代の指導者でもあったため、彼は尊敬と憧れの念を抱いていたのだと思う。
だから相手に心酔するあまり恋人ではなく下僕…は言い過ぎだが、まぁよく懐いている従順な犬のように俺には見えた。佐伯は満足でもそんな一方的なつきあいで、仮にも女の主任が平気なわけがない。彼女の転勤をきっかけにプロポーズしようとした佐伯は、運悪くそこで他の男と結婚する旨を告げられてしまう。
そのときの落ち込みようは酷かった。主任の心変わりは薄々察していたらしいが、信頼していた恋人と同僚をいっぺんに失くしたのはさすがにきつかったようで、日々の業務はきちんとこなしていたものの、しばらくはまともに食事を取ることも眠ることも叶わないほどだった。
元々気性の激しい方ではなかったが、それでも少しずつ感情を顕にするようになったのは、主任と別れて一ヶ月を過ぎた頃だったろうか。仕事をするために最低限取っていた食事も、自ら食べたい物を口にするようになり、顔色が良くなるのと同時に笑顔も戻っていった。
「指輪はどうしたんだ?」
落ち着いたのを見計らって遠慮がちに訊ねた俺に、佐伯は何故か穏やかに目を細めて訳の分からないことを言った。
「家にある。分別できなくて返ってきた」
ごみじゃないんだからと内心訝りつつ、手元に置いたら逆に吹っ切れなくて辛いんじゃないのかと問えば、
「大丈夫。やけ食いする予定だから」
ますます意味不明な台詞を吐いた。
傷が癒えるまでまだ時間が必要なのだろうと納得していたが、たまにゆっくりできる昼休みはどこかに消えるし、帰りが早い日も休日もつきあいが悪い。一人になりたいというほど、人を拒絶している雰囲気でもない。むしろその表情はどんどん柔らかくなってきている。
「佐伯が総務の女の子とつきあっている」
理由がはっきりしたのは、他部署に配属されている同期が聞きつけた噂からだった。希ちゃんと愛称で呼ばれているその子は、特に美人でも不細工でもない四歳下の普通の女の子だった。どうも食べることが趣味(?)らしく、彼女を気に入っている男どもがこぞって餌付けをしているのに、本人はこれっぽっちも察していない無頓着ぶり。
仕事も例え雑用でもきちんとこなすが、主任のような優秀な人材とはほど遠く、しかも佐伯の存在を「ご飯のお供」だとおかしな説明しているあたり、何が彼の心の琴線に触れたのかがさっぱり理解できない。
「つきあっているわけじゃないよ」
佐伯に確かめたらこちらも呑気に否定していたが、そのくせ噂を鎮める気は全く無いのが明らかで、揃って出歩いている姿がしょっちゅう目撃されている。
俺のタイプではなかったが、結構もてるくせに主任一筋だった佐伯が、振られた後とはいえ唯一関心を示した女に興味が湧いた。だからある日の仕事帰りに誘いをかけてみた。彼女の好きなご飯をダシに。
「すみませんが私は予定があるので」
予想に反してあっさり断られた。そのうえ佐伯と同じくらいには顔が知られている筈の俺を認識していない。さすがにプライドが傷ついて、このまま引き下がれないと纏わりついていたら、営業先から帰社してきた佐伯に偶然遭遇した。
「これから二人で食事なんだ」
悪戯心でついた嘘だった。しかし心底驚いたような表情で俺達を見比べていた佐伯は、すぐに仕事を取ってくるときのような大胆不敵な笑みを浮かべた。
「悪いな、島津。この人は俺のご飯のお供だから。他の奴には貸さないよ」
独占欲丸出しの牽制。入社以来のつきあいだがこんな佐伯は初めて見た。主任に恋していたレベルなんかじゃない。こいつはもしかして自分で分かっていないのか?
「ありがとうございます、佐伯さん。明日のお弁当はこれで決まりですよ。それからそこの煩い方、急に人前に出るのは危ないです」
当の本人は言いたいことだけ言うと、身を翻してさっさと駆けてゆく。呆然とする俺を余所に、佐伯は気をつけてと優しく微笑んでいた。
それにしてもいい男二人を放って、スーパーの特売を優先するなんて、あの子はどれだけ食欲の塊なんだ。この俺がとりももんが、もとい鶏もも肉2パックに負けるとは。おまけに煩い方って。
「希さんの卵焼きと鶏もものから揚げは絶品だよ」
うるせーよ。この色ボケが。つーかお前は餌付けした側じゃなくてされた側なのか。ようし見てろよ。しっかり協力してやろうじゃないか。
というわけで俺はその翌日から希ちゃんの周囲に頻繁に出没する。佐伯を煽るために。もっとも希ちゃんはそんな俺のことを「暇で徘徊している」とぼやいていたとか何とか。本当に色男形無し。
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