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本編
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喫茶店に到着した頃ちょうど雨が上がった。やはり空は曇ったままで一筋の光も射さない。これでは夜に星が見えないかもしれない。せっかくの七夕なのに。
「結婚式を延期したんだって?」
休憩時間になるなり飛んできてくれた真子先輩は、私が予め注文しておいたハンバーグセットを口に運びつつ訊ねた。これからお客さんが来るのか店内は空いていて、マスターがカウンターの中で何やらせっせと手を動かしている。
「はい」
同じものを頬張りながら私は頷く。口に含んだときのジューシーさが堪らず、ついうーんと感嘆の声を上げてしまう。
二人だけで結婚式を挙げようと、こっそり企画を練っていた和成さん。わざわざ六月にチャペルの予約を入れてくれていたのに、私宛ての白い手紙が元で断る羽目になってしまった。私はさほど危険を感じてはいないけれど、和成さんと島津さんは口には出さねどもの凄く警戒している。
「ラブレターはまだ届いているの?」
付け合わせのサラダのドレッシングが美味しいですね、と呑気に味わう私を真子先輩がぴしゃりと遮った。最近私に対して皆さんこんな態度なのは気のせいでしょうか?
「毎週欠かさず」
ラブレターとは上手い表現をする。でも私に懸想する人なんて、物好きな和成さんの他にいるとは思えない。というか今日届いたあの用紙の存在から考えると、むしろ相手に懸想されているのは和成さんなのでは。
「実はこれがさっき」
あらかた食事を終えたところで、私はバッグの中から届いたばかりの手紙を取り出した。デザートのアイスクリームを嬉々として口に運んでいた真子先輩が、これまで目にしたことがないほどの渋面を作る。
「住所が書いてないわね」
スプーンを置いてすぐに手紙を確認する。
「アイスが溶けちゃいますよ」
せっかくだから美味しいうちに食べちゃった方が、そこまで言う前に再びだまらっしゃいと遮られた。余談だが島津さんは離婚騒動以来、先輩のことを「ごりまこ」と呼んでいる。ゴリラとかごり押しとか強いイメージの意味合いらしいが、当然女性の先輩はお冠。
「私は真子です!」
いつも口を酸っぱくして怒っているので、私も自然と名前を呼ぶ機会が増えた。
「何なのよ、これ」
躊躇なく同封されていた用紙をテーブルに広げ、質が悪いと不信感も顕にこちらを見る。
「離婚届ですね」
「分かってるわよ。どうしてこんな物が希宛てに送られてくるのか、心当たりはないかと訊いているんです」
苛々を隠そうともせずに丁寧に説明する真子先輩。婚姻届にすら触ったことがないのに、いきなり離婚届を突きつけられるとはと、妙な部分で憤慨しているのがおかしい。
「また関係ないことを」
きっと睨まれたので私は慌ててふるふると首を振った。
「これは別れろという脅しよ」
真子先輩がとんとんと指先で離婚の文字のあたりを叩く。
「しかも希が家に一人でいる時間に、直接持ってきたってことよね? いつでも危害を加えられると言ってるようなもんじゃないの」
話がますます物騒になってきている。単純に和成さんに懸想している人の嫉妬絡みの嫌がらせではないのだろうか。何故に結婚して一年も経ってからこんな真似を始めたのかは理解できないが。
「例の営業の主任じゃないの?」
先輩が苦々しく吐き出す。
「でたらめとはいえ、佐伯さんとできてるって噂はまだ消えていないし、相変わらずべったりくっついているわよ、あの二人」
佐伯さんは絶対女の趣味が悪いわねと断定した先輩に問いたい。そこに私は含まれているんでしょうか? そのとき奥の席に行こうとした男性と女性の二人連れが、私達のテーブルに何気なく視線を落としてぎょっとしていたので、私は一旦離婚届ごとその白い封筒をバッグにしまい込んだ。
そろそろ店内が混み合ってきたので伝票を持って立ち上がる。お会計をして外に出るともわっと生温い空気に包まれた。そのまま目の前に建つ会社を眺める。
「まぁ一度は愛しあった二人ですからねぇ」
一人ごちると真子先輩は呆れたように肩を竦めた。
「自分の旦那と他の女のことをよくそんなふうに言えるわね」
だって事実なのだから仕方がない。そもそも主任さんが和成さんのプロポーズを受けていたら、私は彼と口をきくことさえなかったのだ。それよりも真子先輩と島津さんの話を全くしていなかったことが悔やまれる。近いうちにまた時間を作ってもらおう。
そう思っていたらすっと右側に誰かが立った。ゆっくり振り仰げばそこには切り揃えられた髪を肩で揺らす、夏物の白いブラウスが涼し気な背の高い綺麗な女性。
「あなた、確か」
隣の真子先輩の顔が思いっきり引きつっている。つまりこの方はへのへのもへじさんであり、和成さんの上司の主任さんであり、彼の好きだった人。
「初めまして」
一方的にその姿を眺めたことはあっても、直接顔を合わせたことはなかったので、私は和成さんのお辞儀を脳裏に浮かべながら頭を下げた。主人がお世話になっております、佐伯の家内です。続けて挨拶の言葉を述べようとした瞬間、主任さんは私に向かってとても幸せそうに微笑んだ。
「和成がいつもお世話になっております」
「結婚式を延期したんだって?」
休憩時間になるなり飛んできてくれた真子先輩は、私が予め注文しておいたハンバーグセットを口に運びつつ訊ねた。これからお客さんが来るのか店内は空いていて、マスターがカウンターの中で何やらせっせと手を動かしている。
「はい」
同じものを頬張りながら私は頷く。口に含んだときのジューシーさが堪らず、ついうーんと感嘆の声を上げてしまう。
二人だけで結婚式を挙げようと、こっそり企画を練っていた和成さん。わざわざ六月にチャペルの予約を入れてくれていたのに、私宛ての白い手紙が元で断る羽目になってしまった。私はさほど危険を感じてはいないけれど、和成さんと島津さんは口には出さねどもの凄く警戒している。
「ラブレターはまだ届いているの?」
付け合わせのサラダのドレッシングが美味しいですね、と呑気に味わう私を真子先輩がぴしゃりと遮った。最近私に対して皆さんこんな態度なのは気のせいでしょうか?
「毎週欠かさず」
ラブレターとは上手い表現をする。でも私に懸想する人なんて、物好きな和成さんの他にいるとは思えない。というか今日届いたあの用紙の存在から考えると、むしろ相手に懸想されているのは和成さんなのでは。
「実はこれがさっき」
あらかた食事を終えたところで、私はバッグの中から届いたばかりの手紙を取り出した。デザートのアイスクリームを嬉々として口に運んでいた真子先輩が、これまで目にしたことがないほどの渋面を作る。
「住所が書いてないわね」
スプーンを置いてすぐに手紙を確認する。
「アイスが溶けちゃいますよ」
せっかくだから美味しいうちに食べちゃった方が、そこまで言う前に再びだまらっしゃいと遮られた。余談だが島津さんは離婚騒動以来、先輩のことを「ごりまこ」と呼んでいる。ゴリラとかごり押しとか強いイメージの意味合いらしいが、当然女性の先輩はお冠。
「私は真子です!」
いつも口を酸っぱくして怒っているので、私も自然と名前を呼ぶ機会が増えた。
「何なのよ、これ」
躊躇なく同封されていた用紙をテーブルに広げ、質が悪いと不信感も顕にこちらを見る。
「離婚届ですね」
「分かってるわよ。どうしてこんな物が希宛てに送られてくるのか、心当たりはないかと訊いているんです」
苛々を隠そうともせずに丁寧に説明する真子先輩。婚姻届にすら触ったことがないのに、いきなり離婚届を突きつけられるとはと、妙な部分で憤慨しているのがおかしい。
「また関係ないことを」
きっと睨まれたので私は慌ててふるふると首を振った。
「これは別れろという脅しよ」
真子先輩がとんとんと指先で離婚の文字のあたりを叩く。
「しかも希が家に一人でいる時間に、直接持ってきたってことよね? いつでも危害を加えられると言ってるようなもんじゃないの」
話がますます物騒になってきている。単純に和成さんに懸想している人の嫉妬絡みの嫌がらせではないのだろうか。何故に結婚して一年も経ってからこんな真似を始めたのかは理解できないが。
「例の営業の主任じゃないの?」
先輩が苦々しく吐き出す。
「でたらめとはいえ、佐伯さんとできてるって噂はまだ消えていないし、相変わらずべったりくっついているわよ、あの二人」
佐伯さんは絶対女の趣味が悪いわねと断定した先輩に問いたい。そこに私は含まれているんでしょうか? そのとき奥の席に行こうとした男性と女性の二人連れが、私達のテーブルに何気なく視線を落としてぎょっとしていたので、私は一旦離婚届ごとその白い封筒をバッグにしまい込んだ。
そろそろ店内が混み合ってきたので伝票を持って立ち上がる。お会計をして外に出るともわっと生温い空気に包まれた。そのまま目の前に建つ会社を眺める。
「まぁ一度は愛しあった二人ですからねぇ」
一人ごちると真子先輩は呆れたように肩を竦めた。
「自分の旦那と他の女のことをよくそんなふうに言えるわね」
だって事実なのだから仕方がない。そもそも主任さんが和成さんのプロポーズを受けていたら、私は彼と口をきくことさえなかったのだ。それよりも真子先輩と島津さんの話を全くしていなかったことが悔やまれる。近いうちにまた時間を作ってもらおう。
そう思っていたらすっと右側に誰かが立った。ゆっくり振り仰げばそこには切り揃えられた髪を肩で揺らす、夏物の白いブラウスが涼し気な背の高い綺麗な女性。
「あなた、確か」
隣の真子先輩の顔が思いっきり引きつっている。つまりこの方はへのへのもへじさんであり、和成さんの上司の主任さんであり、彼の好きだった人。
「初めまして」
一方的にその姿を眺めたことはあっても、直接顔を合わせたことはなかったので、私は和成さんのお辞儀を脳裏に浮かべながら頭を下げた。主人がお世話になっております、佐伯の家内です。続けて挨拶の言葉を述べようとした瞬間、主任さんは私に向かってとても幸せそうに微笑んだ。
「和成がいつもお世話になっております」
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