空っぽの薬指

文月 青

文字の大きさ
18 / 53
本編

16

しおりを挟む
この場合私は何と答えるべきなのだろう。どういたしましてや恐れ入りますでは、わざわざお世話をしてあげている感が満載だし、ありがとうございますではちぐはぐだ。

「こちらこそ、お世話になっておりま…す?」

しばし黙り込んでいたら、主任さんの眉間に皺が寄り始めたので、私はとりあえず考えついたことを口走ったのだけれど。やはり場にそぐわなかったらしい。主任さんはふっと唇の端を釣り上げた。

「聞きしに勝るお馬鹿さんね」

そんなに私は馬鹿として世間に認知されているのだろうか。彼女は首を傾げる私に、わざとらしく肩をすくめて見せる。

「これじゃ和成が気の毒だわ」

「私も和成さんは自分には勿体ない人だと思います」

本当にそう思っているからこそ、素直に頷いたのに、真子先輩はいきなり私の頭を小突いた。痛いですと呟けば、すかさず睨み返される。

「自覚はあるのね」

主任さんはふんと鼻を鳴らした。

「私が手取り足取り育てた和成は、お世辞じゃなく優秀な人材よ。くれぐれも足を引っ張らないよう気をつけて、新庄さん」

それから、と今にも噛みつきそうだった真子先輩に向き直る。

「そろそろ午後の勤務が始まる時間よ。さっさと持ち場に戻りなさい。総務はそれほど暇なの?」

直属の部下でもない先輩にいきなり厳しく言いつけると、身を翻して社屋に入っていった。さすが仕事のできる女。相手に口を挟む隙を与えない。

「性悪。何が手取り足取りよ。一体どこの足なんだか」

真子先輩は憎々しげに吐き、今度は私の額を指で突いた。

「あんたも貶されているのに、同意するんじゃないの」

「でも嘘じゃありませんしね」

お馬鹿という指摘はさておき、和成さんが私には過ぎた人で、仕事も優秀で、そう導いたのが主任さんなのは、紛れもない事実。張り合っても仕方がないし、張り合う理由もない。

「呑気なんだから。それにしても、佐伯さんはつくづく女の趣味が悪いわね」

遅れたらあの女の思うつぼだからと、先輩は業務開始に間に合うよう急ぎ足で去ってゆく。

だから真子先輩、その女の中に私は含まれるんてすか?

肝心の答えを貰えないまま、私は雨雲を避けるように家路に着いた。



その日和成さんはずいぶん遅くに帰宅した。夕食の支度に取りかかろうとしたとき、営業の人達で飲むことになったとメールがあったので、遅いのは問題ないのだけれど。

ネクタイを緩めながらお風呂に向かう和成さん。その疲れた背中を見ながら、二時間ほど前の島津さんとのやり取りを思い出す。

真子先輩から昼間の主任さんとの絡みを知らされた島津さんは、和成さんにすぐ電話をしたらしいのだが、打ち合わせ中なのかずっと連絡が取れず、メールの返信もない。そこで心配して私に確認の電話をくれたのだ。

「俺は何も聞いてない」

しかも飲み会の話も寝耳に水で、島津さんも残業していた数人も、そんな誘いは全く受けていない、と。

「主任の態度も問題だが…。ごりまこが怒ってたけど、離婚届が直接投函されたって?」

深刻な場面で申し訳ないけれど、私は「ごりまこ」の一言がツボに入り、うっかり笑ってしまった。

「希ちゃん! ふざけてどうするの!」

「ごめんなさい」

島津さんにきつく注意されて、しょんぼり謝る私。

「佐伯には?」

「まだ何も伝えていません」

しばし無言を貫いた後、島津さんは改まって私に問う。

「今回の件、希ちゃんは本当はどう解釈してる?」

「いろいろごちゃごちゃしてますが」

前置きをしてからきっぱり告げる。

「できれば和成さんが好きだった人のことを、悪く言いたくないだけなんです」

綺麗で仕事ができて和成さんの信頼も厚い。そんな人が私に某かの感情を抱き、通常では考えられないような言動を取っているなんて、彼が一番信じたくない筈だ。

「やっぱり勘づいてたか」

分かっていて、気づいていない振りをしていたんだな。深いため息と共に洩らす島津さん。

いえいえ。私がぽやっとしているのは周知の事実。たださすがに初めて言葉を交わした人から、

「新庄さん」

旧姓で呼ばれたらさすがにおかしいと疑う。それに左手の薬指が空っぽだったのは、私だけじゃない。あの人の薬指も和成さんからの指輪をきっと待っている。

「参ったね。離婚騒動のときも思ったけど、希ちゃんは強いよね」

電話の向こうで、島津さんが悟ったようにしみじみと語る。

「か弱い乙女のつもりなんですけどねぇ」

最後にちょっとだけ苦笑いする私達。島津さんはとにかく和成さんと連絡を取り続けると言って電話を切った。その後どうなったのかは分からない。

「希さん」

お風呂から上がった和成さんが、キッチンでぼけっと突っ立っている私に声をかけた。何とも例えようもない複雑な表情をしている。

「遅い時間ですが、話をしてもいいですか?」

私はいつものようににっこりと頷いた。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

【完結】仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

彼女にも愛する人がいた

まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。 「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」 そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。 餓死だと? この王宮で?  彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。 俺の背中を嫌な汗が流れた。 では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…? そんな馬鹿な…。信じられなかった。 だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。 「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。 彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。 俺はその報告に愕然とした。

【完結】愛したあなたは本当に愛する人と幸せになって下さい

高瀬船
恋愛
伯爵家のティアーリア・クランディアは公爵家嫡男、クライヴ・ディー・アウサンドラと婚約秒読みの段階であった。 だが、ティアーリアはある日クライヴと彼の従者二人が話している所に出くわし、聞いてしまう。 クライヴが本当に婚約したかったのはティアーリアの妹のラティリナであったと。 ショックを受けるティアーリアだったが、愛する彼の為自分は身を引く事を決意した。 【誤字脱字のご報告ありがとうございます!小っ恥ずかしい誤字のご報告ありがとうございます!個別にご返信出来ておらず申し訳ございません( •́ •̀ )】

失った真実の愛を息子にバカにされて口車に乗せられた

しゃーりん
恋愛
20数年前、婚約者ではない令嬢を愛し、結婚した現国王。 すぐに産まれた王太子は2年前に結婚したが、まだ子供がいなかった。 早く後継者を望まれる王族として、王太子に側妃を娶る案が出る。 この案に王太子の返事は?   王太子である息子が国王である父を口車に乗せて側妃を娶らせるお話です。

【完結】生贄になった婚約者と間に合わなかった王子

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
フィーは第二王子レイフの婚約者である。 しかし、仲が良かったのも今は昔。 レイフはフィーとのお茶会をすっぽかすようになり、夜会にエスコートしてくれたのはデビューの時だけだった。 いつしか、レイフはフィーに嫌われていると噂がながれるようになった。 それでも、フィーは信じていた。 レイフは魔法の研究に熱心なだけだと。 しかし、ある夜会で研究室の同僚をエスコートしている姿を見てこころが折れてしまう。 そして、フィーは国守樹の乙女になることを決意する。 国守樹の乙女、それは樹に喰らわれる生贄だった。

私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです

こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。 まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。 幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。 「子供が欲しいの」 「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」 それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。

処理中です...