22 / 53
本編
20
しおりを挟む
くどいようだけれど本当に病気じゃないと訴えているのに、和成さんは全く私の話を聞いてくれなかった。有無を言わさず家の中に押し込めると、すぐに寝室のベッドに寝かされてしまう。真子先輩達のことや通路に散らかった婚姻届の欠片が気になると伝えれば、そんなものは自分が全て一掃しますと一括。
「希さんの身に何かあったら、俺は一生主任を許しません」
言葉通りに渋る主任さんを撃退し、真子先輩と島津さんには丁重にお礼を伝えて一旦帰ってもらい、通路のごみもさっさと片付けて、あっという間に私の傍らで一息つく。和成さんが有能なのは分かるのですが、こんな中途半端な状態で皆さんにお引き取り頂いて大丈夫だったんでしょうか。
「俺に話がありますよね、希さん」
半ばむくれているような様子で和成さんが切り出す。寒くもなく暑くもなく程よく空調を利かせた寝室で、タオルケットをお腹にかけたまま頷く私。
「あの離婚届と婚姻届は一体何だったのでしょう?」
「またもやそっちですか」
もはや肩を落とすこともなく和成さんは苦笑した。
「離婚届は希さんから預かった物です」
署名捺印入りの離婚届は、和成さんの内に燻る主任さんへの想いを確認した日、私が彼に委ねた用紙なのだという。和成さんは自分が離婚届を書くことで主任さんが満足するなら、いくらでも同じものを書くと告げて突き返したのだそうだ。おそらくそれを私に再び送り付けるだろうことまで踏んで。
「今日は必要のない残業の指示が出たので、島津と真子さんに希さんの様子を見に行ってくれるよう頼んだんです。よもや主任が直で接触するとは思いませんでしたが」
私の額の髪を払って和成さんは目を細める。
「俺はね、希さん。あなたならあの離婚届を目にしても、きっと額面通り受け取らないだろうと信じていました。だから署名したんです」
例え主任が二人に別れを選ばせようとも、それなら自分は何度でも婚姻届を書いて、大切な人に結婚を申し込み続ける。そのつもりで離婚届と婚姻届の両方にサインしたのだと。
「あの、和成さん?」
和成さんの言葉の意味が理解できなくて、私は横たわっているのにも関わらず首を傾げた。
「和成さんは後悔していたのではないのですか?」
主任さんに不幸な結婚をさせてしまったこと、自分の手で幸せにできなかったこと。だからこれからの人生を主任さんと共に生きていくこと。でも今の話の流れだと和成さんの指す大切な人が、私にすり替わっているような気がするのですが。
「そんな解釈をしていたのですか」
私の素朴な疑問に和成さんは今度こそ項垂れた。
「大事なことが抜けていたんですね。主任と二人で食事をした日、やり直すつもりはないとその場ではっきり断りました」
驚いて目を瞬いていると、心外とでも言いたげにやおら顔を上げる。
「俺が希さん以外の人とどうにかなるわけないでしょう。いい加減自覚して下さい。主任に対しては過去の自分の不甲斐なさを申し訳ないとは思いますが、結婚しなかったことを後悔してはいません。現在俺が主任にできることはありませんし、する気ももちろんありません」
「じゃあこれまでと何も変わらないんですか?」
「当たり前です」
少しだけきっとこちらを睨んだものの、和成さんはすぐに悲しそうな表情を浮かべた。
「黙っていたのはそのせいですか?」
俺と主任がもう一度やり直すための枷にならないように。そういううことですか。蚊の鳴くような震える声が痛い。謝るつもりで頭を浮かせると、それを制して和成さんは私のお腹の上におずおずと手を置いた。
「そういえば、私を幸せにしたいんですか、なんて酷いことも訊いていましたね」
「ごめんなさい」
二重の意味でお詫びを口にする私。疑っているわけではないけれど、私の中では和成さんにとっての一番は主任さんなので、同じように幸せにしたいと願う存在は主任さんだけなのだと思っていた。だから主任さんからの二度目の告白を和成さんが断るなんて考えもしなかった。
「私には幸せにしたいなんて、一度も言ってくれたことがなかったのに、主任さんのことは幸せにしたかったと、そう言っているように聞こえてしまいました」
情けないけれど正直な気持ちを打ち明けた。
「ごめんなさい、焼きもちです」
しょんぼりと和成さんを見上げる。叱られるだろうかと身を竦めていたら、何故か和成さんの目は文字通り点になった。しばらく黙り込んだ後に、ちゃんと伝えた筈だ、いやあれは島津にだったかと急にぶつぶつ唱え出し、あぁでも嬉しいと一人で悶絶しまくっている。
「希さんを幸せにしたくて仕方がないのに、その方法が分からないのが本当に悔しいんです」
やがて落ち着きを取り戻した和成さんは、慈しむような笑みを口元に湛える。
「もっともっとこれでもかっていうくらい幸せにしたい。どうやったらこの気持ちが伝わるんでしょうか」
愛し気に私のお腹を撫でる和成さん。
「ここにいるのは、俺とあなたの子供なんですね」
「希さんの身に何かあったら、俺は一生主任を許しません」
言葉通りに渋る主任さんを撃退し、真子先輩と島津さんには丁重にお礼を伝えて一旦帰ってもらい、通路のごみもさっさと片付けて、あっという間に私の傍らで一息つく。和成さんが有能なのは分かるのですが、こんな中途半端な状態で皆さんにお引き取り頂いて大丈夫だったんでしょうか。
「俺に話がありますよね、希さん」
半ばむくれているような様子で和成さんが切り出す。寒くもなく暑くもなく程よく空調を利かせた寝室で、タオルケットをお腹にかけたまま頷く私。
「あの離婚届と婚姻届は一体何だったのでしょう?」
「またもやそっちですか」
もはや肩を落とすこともなく和成さんは苦笑した。
「離婚届は希さんから預かった物です」
署名捺印入りの離婚届は、和成さんの内に燻る主任さんへの想いを確認した日、私が彼に委ねた用紙なのだという。和成さんは自分が離婚届を書くことで主任さんが満足するなら、いくらでも同じものを書くと告げて突き返したのだそうだ。おそらくそれを私に再び送り付けるだろうことまで踏んで。
「今日は必要のない残業の指示が出たので、島津と真子さんに希さんの様子を見に行ってくれるよう頼んだんです。よもや主任が直で接触するとは思いませんでしたが」
私の額の髪を払って和成さんは目を細める。
「俺はね、希さん。あなたならあの離婚届を目にしても、きっと額面通り受け取らないだろうと信じていました。だから署名したんです」
例え主任が二人に別れを選ばせようとも、それなら自分は何度でも婚姻届を書いて、大切な人に結婚を申し込み続ける。そのつもりで離婚届と婚姻届の両方にサインしたのだと。
「あの、和成さん?」
和成さんの言葉の意味が理解できなくて、私は横たわっているのにも関わらず首を傾げた。
「和成さんは後悔していたのではないのですか?」
主任さんに不幸な結婚をさせてしまったこと、自分の手で幸せにできなかったこと。だからこれからの人生を主任さんと共に生きていくこと。でも今の話の流れだと和成さんの指す大切な人が、私にすり替わっているような気がするのですが。
「そんな解釈をしていたのですか」
私の素朴な疑問に和成さんは今度こそ項垂れた。
「大事なことが抜けていたんですね。主任と二人で食事をした日、やり直すつもりはないとその場ではっきり断りました」
驚いて目を瞬いていると、心外とでも言いたげにやおら顔を上げる。
「俺が希さん以外の人とどうにかなるわけないでしょう。いい加減自覚して下さい。主任に対しては過去の自分の不甲斐なさを申し訳ないとは思いますが、結婚しなかったことを後悔してはいません。現在俺が主任にできることはありませんし、する気ももちろんありません」
「じゃあこれまでと何も変わらないんですか?」
「当たり前です」
少しだけきっとこちらを睨んだものの、和成さんはすぐに悲しそうな表情を浮かべた。
「黙っていたのはそのせいですか?」
俺と主任がもう一度やり直すための枷にならないように。そういううことですか。蚊の鳴くような震える声が痛い。謝るつもりで頭を浮かせると、それを制して和成さんは私のお腹の上におずおずと手を置いた。
「そういえば、私を幸せにしたいんですか、なんて酷いことも訊いていましたね」
「ごめんなさい」
二重の意味でお詫びを口にする私。疑っているわけではないけれど、私の中では和成さんにとっての一番は主任さんなので、同じように幸せにしたいと願う存在は主任さんだけなのだと思っていた。だから主任さんからの二度目の告白を和成さんが断るなんて考えもしなかった。
「私には幸せにしたいなんて、一度も言ってくれたことがなかったのに、主任さんのことは幸せにしたかったと、そう言っているように聞こえてしまいました」
情けないけれど正直な気持ちを打ち明けた。
「ごめんなさい、焼きもちです」
しょんぼりと和成さんを見上げる。叱られるだろうかと身を竦めていたら、何故か和成さんの目は文字通り点になった。しばらく黙り込んだ後に、ちゃんと伝えた筈だ、いやあれは島津にだったかと急にぶつぶつ唱え出し、あぁでも嬉しいと一人で悶絶しまくっている。
「希さんを幸せにしたくて仕方がないのに、その方法が分からないのが本当に悔しいんです」
やがて落ち着きを取り戻した和成さんは、慈しむような笑みを口元に湛える。
「もっともっとこれでもかっていうくらい幸せにしたい。どうやったらこの気持ちが伝わるんでしょうか」
愛し気に私のお腹を撫でる和成さん。
「ここにいるのは、俺とあなたの子供なんですね」
0
あなたにおすすめの小説
『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』
鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、
仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。
厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議――
最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。
だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、
結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。
そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、
次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。
同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。
数々の試練が二人を襲うが――
蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、
結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。
そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、
秘書と社長の関係を静かに越えていく。
「これからの人生も、そばで支えてほしい。」
それは、彼が初めて見せた弱さであり、
結衣だけに向けた真剣な想いだった。
秘書として。
一人の女性として。
結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。
仕事も恋も全力で駆け抜ける、
“冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。
今さらやり直しは出来ません
mock
恋愛
3年付き合った斉藤翔平からプロポーズを受けれるかもと心弾ませた小泉彩だったが、当日仕事でどうしても行けないと断りのメールが入り意気消沈してしまう。
落胆しつつ帰る道中、送り主である彼が見知らぬ女性と歩く姿を目撃し、いてもたってもいられず後を追うと二人はさっきまで自身が待っていたホテルへと入っていく。
そんなある日、夢に出てきた高木健人との再会を果たした彩の運命は少しずつ変わっていき……
旦那様の愛が重い
おきょう
恋愛
マリーナの旦那様は愛情表現がはげしい。
毎朝毎晩「愛してる」と耳元でささやき、隣にいれば腰を抱き寄せてくる。
他人は大切にされていて羨ましいと言うけれど、マリーナには怖いばかり。
甘いばかりの言葉も、優しい視線も、どうにも嘘くさいと思ってしまう。
本心の分からない人の心を、一体どうやって信じればいいのだろう。
裏切りの先にあるもの
マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。
結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。
彼女が望むなら
mios
恋愛
公爵令嬢と王太子殿下の婚約は円満に解消された。揉めるかと思っていた男爵令嬢リリスは、拍子抜けした。男爵令嬢という身分でも、王妃になれるなんて、予定とは違うが高位貴族は皆好意的だし、王太子殿下の元婚約者も応援してくれている。
リリスは王太子妃教育を受ける為、王妃と会い、そこで常に身につけるようにと、ある首飾りを渡される。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる