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本編
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異変があったのは昼食後だった。食欲不振や立ち眩みも確かにあったけれど、何と食べたばかりのお昼ご飯をすっかり戻してしまったのである。食べることが大好きなこの私が。突然むかむかと喉元に何か込み上げてきたと思っていたら、予告もなくいきなりおえー。その後もすっきりするどころか気持ちが悪いままだったので、和成さんの助言通り病院に行ったらおめでただったというわけだ。
「その、今、どのくらいなんですか?」
蕩けそうな表情で訊ねる和成さんに、私は病院で貰ったエコーの写真を渡した。まだ人の形になっていない、でも確かに私のお腹の中に宿った命。
「二カ月だそうですよ」
和成さんは心から嬉しさを噛み締めていて、写真を手にしたまま言葉も出ない様子。何だか私も胸がいっぱいになってしまう。赤ちゃん、あなたのパパはあなたがこの世に生を受けたことを誰よりも喜んでいますよ。
「希さんが俺の子供を産んでくれるなんて、夢みたいです」
そんな大げさな。夫婦だったら当たり前のこと。でも苦笑する私に和成さんはゆっくり首を振った。
「さっき焼きもちを焼いてくれたって。その一言でどんなに俺が舞い上がっていることか」
私の枕元に赤ちゃんの写真をそっと置いて、和成さんはぎゅっと私の両手を包む。そして私が和成さんにとっての一番が主任さんだと思っていたように、彼も自分が私にとっての一番だとはずっと思っていなかったと零す。結婚指輪を外したくないくらいには嫌いじゃない、そう告げたことはあったけれど、好きだと言葉にしたことが一度もなかったから。
「希さんはいつも楽しそうでしたが、俺が半ば強引に結婚に持ち込んでしまったようなものだし、そのせいで主任に嫌がらせまで…」
「和成さん」
唇を噛んで俯く和成さんを窘める。あなたの口から主任さんの悪口は言わせたくない。一度はあなたが好意を寄せた、ずっと尊敬していたいと願う人だから。夫を慕う相手をそんなふうに思えるくらい、あなたが私を大切にしてくれるから。
「希さん。でも今俺は!」
「私も和成さんが大好きですから」
ぽんと飛び出した私の台詞に和成さんは呆気に取られたように目を見開く。やがて泣き笑いの顔で、お腹を庇うように優しく肩に腕を回した。
「もう本当に、あなたって人は。どうしたらいいんですか、俺」
耳元で震える声が溢れる想いを紡ぐ。
「好きで好きで好きで…きっとどう言っても分かってもらえない。本当にあなただけなんです、希さん」
この先どんなことがあってもそれだけは一生忘れないで下さい。私は遠慮がちに強まる腕を撫でながら、「はい」と和成さんの深い想いに頷いていた。
「何ヶ月なの?」
真子先輩がまるで自分のことのように嬉しそうに身を乗り出す。
「二ヶ月だそうです」
似たような会話をしたばかりだなと笑いつつ、私はリビングのソファに移動して深く腰を落ち着けてから答えた。
夫婦で話す時間が必要だろうと(そうしないと和成さんが切れるからと断言したのは島津さん)、一旦近くのファミリーレストランで夕食がてら時間を潰した真子先輩と島津さんは、絶妙なタイミングで我が家を再訪した。
「せっかく希さんといい雰囲気だったのに」
和成さんは迷惑だという態度を全く隠さなかったものの、島津さんは慣れているのかけろっとしたもので、
「お前がこんな状態の希ちゃんを押し倒さないよう来てやったんだ。感謝しろよ」
涼しい顔でそんな台詞を吐いては和成さんに小突かれていた。
「でも希がママなんてねぇ」
「まだ実感がないです」
さっき和成さんがしてくれたようにそっとお腹を撫でる。昨日までと見た目は少しも違わないのに、ここに赤ちゃんがいるなんて不思議だ。大人のくせにと笑われてしまうかもしれないけれど、人って本当に命を作ることができるんだなと今更ながら感心する。
「俺はむしろ微妙な気分だ。当然と言えば当然だが、佐伯と希ちゃんがそういうことをしているというのが、どうも信じられん」
私の隣に座る和成さんが向かいの島津さんを睨んだ。
「それは私も分かる気がするわ」
苦笑しながら真子先輩も同意する。そういうことというのは要するに仲よしのことだろうか。
「なぁ、希ちゃん。いつの時の子かな?」
露骨な質問にさすがの私もちょっと頬を赤らめた。それでも馬鹿正直にいつだろうと振り返っていたら、和成さんが血の底から響くような声で思考を遮った。
「希さんに変なことを吹き込むな、汚れる」
揶揄っていただけであろう同僚に釘を刺し、今度は拗ねたような表情で私に向き直る。
「あなたも俺以外の男にそんな顔しては駄目です。いいですね?」
そんな顔ってどんな顔だと訝しんでいると、向かいの二人からもの凄く冷めた目でみつめられた。
「出た。恐怖の独占欲」
「超甘々! 希しか眼中にない」
これで浮気を疑えというのが無理な話だと、二人は声を潜めて会話を続ける。
「本当に今の佐伯さんを見てもらえば、あの主任もいい加減諦めてくれるんじゃないの?」
「どうかな。逆に欲しくなる可能性も。佐伯のデレは貴重だぞ」
今日のところはすんなり(?)帰ってくれた主任さん。納得するまで今後も離婚届を持って現れるのだろうか。まぁ赤ちゃんと一緒に今後の展望を考えるのも悪くないかもしれない。ところで和成さんの「デレ」とは初耳だけれど何を指しているのだろう。それを口にしたら真子先輩と島津さんはぴきっと固まった。
「ここまで自覚がなかったなんて」
信じられないと言わんばかりの二人を余所に、和成さんが希さんは俺だけ見ていてくれればいいんですと囁くと、
向かいから砂吐きそうというぼやきがはっきり洩れた。
「その、今、どのくらいなんですか?」
蕩けそうな表情で訊ねる和成さんに、私は病院で貰ったエコーの写真を渡した。まだ人の形になっていない、でも確かに私のお腹の中に宿った命。
「二カ月だそうですよ」
和成さんは心から嬉しさを噛み締めていて、写真を手にしたまま言葉も出ない様子。何だか私も胸がいっぱいになってしまう。赤ちゃん、あなたのパパはあなたがこの世に生を受けたことを誰よりも喜んでいますよ。
「希さんが俺の子供を産んでくれるなんて、夢みたいです」
そんな大げさな。夫婦だったら当たり前のこと。でも苦笑する私に和成さんはゆっくり首を振った。
「さっき焼きもちを焼いてくれたって。その一言でどんなに俺が舞い上がっていることか」
私の枕元に赤ちゃんの写真をそっと置いて、和成さんはぎゅっと私の両手を包む。そして私が和成さんにとっての一番が主任さんだと思っていたように、彼も自分が私にとっての一番だとはずっと思っていなかったと零す。結婚指輪を外したくないくらいには嫌いじゃない、そう告げたことはあったけれど、好きだと言葉にしたことが一度もなかったから。
「希さんはいつも楽しそうでしたが、俺が半ば強引に結婚に持ち込んでしまったようなものだし、そのせいで主任に嫌がらせまで…」
「和成さん」
唇を噛んで俯く和成さんを窘める。あなたの口から主任さんの悪口は言わせたくない。一度はあなたが好意を寄せた、ずっと尊敬していたいと願う人だから。夫を慕う相手をそんなふうに思えるくらい、あなたが私を大切にしてくれるから。
「希さん。でも今俺は!」
「私も和成さんが大好きですから」
ぽんと飛び出した私の台詞に和成さんは呆気に取られたように目を見開く。やがて泣き笑いの顔で、お腹を庇うように優しく肩に腕を回した。
「もう本当に、あなたって人は。どうしたらいいんですか、俺」
耳元で震える声が溢れる想いを紡ぐ。
「好きで好きで好きで…きっとどう言っても分かってもらえない。本当にあなただけなんです、希さん」
この先どんなことがあってもそれだけは一生忘れないで下さい。私は遠慮がちに強まる腕を撫でながら、「はい」と和成さんの深い想いに頷いていた。
「何ヶ月なの?」
真子先輩がまるで自分のことのように嬉しそうに身を乗り出す。
「二ヶ月だそうです」
似たような会話をしたばかりだなと笑いつつ、私はリビングのソファに移動して深く腰を落ち着けてから答えた。
夫婦で話す時間が必要だろうと(そうしないと和成さんが切れるからと断言したのは島津さん)、一旦近くのファミリーレストランで夕食がてら時間を潰した真子先輩と島津さんは、絶妙なタイミングで我が家を再訪した。
「せっかく希さんといい雰囲気だったのに」
和成さんは迷惑だという態度を全く隠さなかったものの、島津さんは慣れているのかけろっとしたもので、
「お前がこんな状態の希ちゃんを押し倒さないよう来てやったんだ。感謝しろよ」
涼しい顔でそんな台詞を吐いては和成さんに小突かれていた。
「でも希がママなんてねぇ」
「まだ実感がないです」
さっき和成さんがしてくれたようにそっとお腹を撫でる。昨日までと見た目は少しも違わないのに、ここに赤ちゃんがいるなんて不思議だ。大人のくせにと笑われてしまうかもしれないけれど、人って本当に命を作ることができるんだなと今更ながら感心する。
「俺はむしろ微妙な気分だ。当然と言えば当然だが、佐伯と希ちゃんがそういうことをしているというのが、どうも信じられん」
私の隣に座る和成さんが向かいの島津さんを睨んだ。
「それは私も分かる気がするわ」
苦笑しながら真子先輩も同意する。そういうことというのは要するに仲よしのことだろうか。
「なぁ、希ちゃん。いつの時の子かな?」
露骨な質問にさすがの私もちょっと頬を赤らめた。それでも馬鹿正直にいつだろうと振り返っていたら、和成さんが血の底から響くような声で思考を遮った。
「希さんに変なことを吹き込むな、汚れる」
揶揄っていただけであろう同僚に釘を刺し、今度は拗ねたような表情で私に向き直る。
「あなたも俺以外の男にそんな顔しては駄目です。いいですね?」
そんな顔ってどんな顔だと訝しんでいると、向かいの二人からもの凄く冷めた目でみつめられた。
「出た。恐怖の独占欲」
「超甘々! 希しか眼中にない」
これで浮気を疑えというのが無理な話だと、二人は声を潜めて会話を続ける。
「本当に今の佐伯さんを見てもらえば、あの主任もいい加減諦めてくれるんじゃないの?」
「どうかな。逆に欲しくなる可能性も。佐伯のデレは貴重だぞ」
今日のところはすんなり(?)帰ってくれた主任さん。納得するまで今後も離婚届を持って現れるのだろうか。まぁ赤ちゃんと一緒に今後の展望を考えるのも悪くないかもしれない。ところで和成さんの「デレ」とは初耳だけれど何を指しているのだろう。それを口にしたら真子先輩と島津さんはぴきっと固まった。
「ここまで自覚がなかったなんて」
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