空っぽの薬指

文月 青

文字の大きさ
34 / 53
本編

30

しおりを挟む
三条さんは和成さんの嘘偽りない気持ちを確認したかった。主任さんの言うように、結婚しても彼女を秘かに想っていたのか、それとも妄想に過ぎないのか。受け入れるわけでもなく、かといって拒否するでもない、中途半端な態度に釈然としないものを感じたそうだ。

それから私。どのくらいの被害を受けて、現在どんな状態にあるのか。部下の女性の件もあり、また身重でもあるため、かなり心を痛めていたとのこと。細心の注意を払っても巻き込まないのは無理なので、どうしてもこの目で確かめたかったらしい。

もちろん主任さんのための離婚や、私への求婚も本心ではなく、

「どんな事情があるにせよ、本気でお二人を離婚させようなどとは致しません。ただ結果としてそうなってしまった場合、一番の被害者である奥さんのお力になろうとは思いましたが」

最悪の状況を想定しての対策だった。もっともいざ対面してみたら、当の私が精神的に参るどころか、あまりにも危機感が薄い呑気者だったので、相当面食らったみたいだけれど。

ちなみに三条さんの部下の女性は、現在も郵便受けに白い封筒が入っていると、例えちゃんと文字の書かれたダイレクトメールだったとしても、手に取るのが怖いそうだ。

「私が妻以外の女性を選ぶことはありません」

三条さんの疑問を解決すべく、和成さんはきっぱり答えた。その一方で、主任さんが以前つきあっていた頃と様子が違うことも感じていたと言い、

「感情の起伏もあれほど激しくはなく、少なくとも仕事中に個人的な事情を優先する方ではありませんでした」

そのことも補足すると、三条さんは苦い表情で頷いた。

「おそらく佐伯さんに執着することで、自分を保っていたのでしょう」

そして主任さんに己の言動を戒めても、正当化して改めることは難しいので、とにかく私への嫌がらせを止めさせるのが先決。現実ーー和成さんの気持ちが自分にないことを認識させるため、今日の計画に協力してほしいと頼まれたということだった。

だから和成さんは狼狽えていたけれど、三条さんが主任さんを誘導して、ここに現れるよう仕向けたことは、もちろんとっくに了承済み。



「驚いていませんね」

自分から白状しておきながら、和成さんは不信感も顕に私を眺めた。ちゃんと話を聞く態勢を整えていたつもりの身としては、何か拙い部分があるのだろうかとつい周囲を探ってしまうが、和成さんは違いますよと嘆息する。

「驚いてますよ」

いかにも初対面というふうだった和成さんと三条さんが、一緒にきな臭い計画を立てるほどの仲になっていたことには、短期間でもありその迅速さに本当にびっくりしている。

「ただ違和感があったんです」

自分でも上手く言えないけれど、そもそも和成さんが主任さんを家に招いたこと、主任さんが私に物申しても全く止めに入らなかったこと。何より。

「指輪を外されても我慢してましたよね?」

私が首を傾けて顔を覗くと、和成さんは降参と言わんばかりに両手を上げた。

「本音を引き出すためにも、できるだけ主任の味方のように振る舞って欲しいと頼まれました。希さんへの暴言や悪態にも限界まで耐えて、と」

「では最後に怒ったのは演出だったんですか」

「あれは堪えられなくなって、本気で切れました」

思い出して苛々を募らせたのか、奥歯を軋ませる和成さん。

「まさかあそこまで酷いことを言われていたなんて…。知らなかったじゃ済まされません」

どこかで主任はそんな人じゃない、否定したい自分がいましたと和成さんは目を伏せる。

婚約指輪を処分したところで、二人が過ごした幸せな時間は消えない。恋愛感情はなくなっても、和成さんにとって主任さんは、初めて人生を共にしたいと願った特別な人。現在の和成さんを形作った、彼の一部なのだから、嫌いになるなんてどだい無理だったのだ。

責任なのか恋愛感情なのか判別はつかないけれど、どんなことがあっても見離さず、主任さんを真っ先に思いやる三条さんのように。

「そうですね。今回は私もちょっとだけ凹みました」

つい洩らしてしまったら、意味を取り違えたらしい和成さんが頭を下げた。

「すみませんでした」

「主任さんの言葉じゃないですよ? 和成さんと主任さんの繋がりに、です」

笑って訂正したものの、更に表情を険しくする和成さん。この表現は失敗だった。きっと私が良からぬことを考えていると捉えている。

「別れるとか、身を引くとか、今更思いませんよ? あれだけ熱烈な告白をされたら、和成さんの気持ちを疑う余地はありませんから」

図星だったのだろう。忙しなく視線を動かしながら、和成さんは照れ臭そうに頬をかく。でもごめんなさい。一旦奈落の底に突き落とします。

「たぶんどこまでいっても、和成さんの中から主任さんを消すことはできない、ということに気づいたんです。主任さんあっての和成さんだって」

「俺が愛しているのは…」

「はい。分かっています。だからね? それなら主任さんのことも含めて、和成さんに連なる様々なものーー良いことも悪いことも引っくるめて、この先ずっと一緒にいられたらいいなと思うんですが。迷惑ですか?」

和成さんは切なげに目を瞠った。怒っただろうか。私しかいらないと言ってくれた人に、こんな答えは酷すぎただろうか。

「逆の立場だったら到底耐えられません。なのにあなたはどうしてそんなこと」

「気づいたことがもう一つ。諸々のことを差し引いても、結局和成さんといると幸せなんです、私。だから仕方がないでしょう?」

困っちゃいますよねぇと笑ったら、和成さんが再び私を抱き寄せた。むきになって俺はもっと幸せですなんて力説するものだから、ますます笑いが止まらなくなってしまう。

でも和成さん。どさくさに紛れてさっき凄いこと言ってませんでした?



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』

鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、 仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。 厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議―― 最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。 だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、 結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。 そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、 次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。 同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。 数々の試練が二人を襲うが―― 蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、 結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。 そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、 秘書と社長の関係を静かに越えていく。 「これからの人生も、そばで支えてほしい。」 それは、彼が初めて見せた弱さであり、 結衣だけに向けた真剣な想いだった。 秘書として。 一人の女性として。 結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。 仕事も恋も全力で駆け抜ける、 “冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。

今さらやり直しは出来ません

mock
恋愛
3年付き合った斉藤翔平からプロポーズを受けれるかもと心弾ませた小泉彩だったが、当日仕事でどうしても行けないと断りのメールが入り意気消沈してしまう。 落胆しつつ帰る道中、送り主である彼が見知らぬ女性と歩く姿を目撃し、いてもたってもいられず後を追うと二人はさっきまで自身が待っていたホテルへと入っていく。 そんなある日、夢に出てきた高木健人との再会を果たした彩の運命は少しずつ変わっていき……

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

いちばん好きな人…

麻実
恋愛
夫の裏切りを知った妻は 自分もまた・・・。

旦那様の愛が重い

おきょう
恋愛
マリーナの旦那様は愛情表現がはげしい。 毎朝毎晩「愛してる」と耳元でささやき、隣にいれば腰を抱き寄せてくる。 他人は大切にされていて羨ましいと言うけれど、マリーナには怖いばかり。 甘いばかりの言葉も、優しい視線も、どうにも嘘くさいと思ってしまう。 本心の分からない人の心を、一体どうやって信じればいいのだろう。

二度目の初恋は、穏やかな伯爵と

柴田はつみ
恋愛
交通事故に遭い、気がつけば18歳のアランと出会う前の自分に戻っていた伯爵令嬢リーシャン。 冷酷で傲慢な伯爵アランとの不和な結婚生活を経験した彼女は、今度こそ彼とは関わらないと固く誓う。しかし運命のいたずらか、リーシャンは再びアランと出会ってしまう。

裏切りの先にあるもの

マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。 結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。

不倫の味

麻実
恋愛
夫に裏切られた妻。彼女は家族を大事にしていて見失っていたものに気付く・・・。

処理中です...