空っぽの薬指

文月 青

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本編

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私と三条さんが会った翌日。勤務中の和成さん宛てに三条さんから電話が入ったのだそうだ。主任さんのことで話がしたい、と。私の通院先に押しかけたことや、送り付けられてきた婚姻届の件も含め、和成さんの方でも問い質したいことが多数あったため、その日のうちに二人は顔を合わせたらしい。

「早苗が奥様にした数々のこと、そしてご主人がいらっしゃる方に夫を騙って近づいたこと、申し訳ございませんでした」

三条さんはまず主任さんの常軌を逸した言動と、勝手に身重の私の病院に現れたことを謝罪した。そのうえでどうしても和成さんに確認したいこと、場合によっては協力を要請したいことがあり、関わりを持つ手段として私に接触したのだと言ったそうだ。

婚姻届は和成さんとコンタクトを取るための小道具として使ったが、同時に主任さんが私に離婚届を送っていたことを知っているという意味合いも込めた。

「では無言電話や白紙の手紙のことも?」

和成さんは訊ねた。取引先である以上別れてもつきあいはあるだろうが、主任さんの個人的な動きを把握していることに驚いたのだ。

「知っています。そして今回が初めてではありません」

二の句が継げずにいる和成さんに、三条さんは重々しく口を開いた。

「私の会社の部下に同様の行為を行っていました」

二人が離婚に踏み切る半年ほど前から、お互い仕事が急激に忙しくなったのだそうだ。三条さんは新規の顧客の開拓、主任さんは落ち込んだ数字の底上げと、職務に邁進するあまりすれ違う生活が当たり前になり、いつしかろくに顔も見ない日が増えていった。

主任さんが三条さんの浮気を疑うようになったのは、それから間もなくのことだった。商談中であろうと接待中であろうと構わずに、電話やメールが日に何度も来るようになった。正直迷惑に思わないわけではなかったが、夫としての務めを果たしていないのは承知していたので、三条さんは主任さんの不安を取り除く努力を惜しまなかった。

そうしているうちにある日ぱたっと着信音が鳴らなくなった。しつこいくらい届いていたメールも、「今日は遅い?」「ご飯どうする?」といったごく普通のものに変わった。ようやく信じてくれたのだと安堵していた矢先、今度は何故か渋い表情の上司に呼ばれた。

「これは…?」

会議室のテーブルに並べられた白い封筒と、折り目の付いた何も記されていない白い便箋の束。

「君の奥方の仕業らしい」

三条さんは愕然とした。落ち着くどころか妄想に囚われるようになった主任さんは、当時三条さんが指導をしていた女性社員を浮気相手と思い込み、どこで調べたのか女性宅に白紙の手紙を毎日送り付けていたのだ。確証はないがおそらく無言電話も。

精神的に参ってしまった女性社員の申告でそれを知った上司は、主任さんが取引先の社員ということもあり、騒ぎになって周囲の耳に入る前に、和成さんの会社の担当はもちろん、関わりを断つ目的で三条さんを一線から引かせた。それでも女性社員への嫌がらせは止まず、離婚という手段を取るしか方法がなかったのだそうだ。

「佐伯さんの奥さんには、早苗の希望に添うために離婚したと言いましたが、本当の理由はこちらです。ただ早苗を追い詰めたのは間違いなく自分ですし、助けるどころか放り出す結果になってしまったので、離婚してからも様子はずっと見守っていました」

憎みあっての離婚ではないし、一人にするのも心配だったので、仕事の相談等も兼ねてこまめに連絡を取り合うようにしていたのだそうだ。しばらく安定していた主任さんが、やけに和成さんの名前を連呼するようになったのは昇進して元の部署に戻ってすぐだった。

「新人時代から私が育てたの。いい仕事をするようになったわ」

最初のうちは部下の成長を誇らしげに語っている上司の姿だった。

「つきあっているときは控えめで、物足りなく感じたこともあったけれど、今は大胆さも備わって頼りがいがあるのよ」

結婚前につきあっていた男性だとは知っていたが、そちらも既に結婚して新しい生活を送っていると聞いていたので、三条さんも自分の部下にしたことを繰り返しはしないだろうと思っていた。

「和成の奥さんはとんでもない馬鹿で、足を引っ張ってばかりなの。会社でも有名よ。あれじゃ和成が可哀想」

そのうち部下を褒めるのと反比例するように、配偶者に対する不満が増えていった。しかも偶然その配偶者に会ったこともあり、あんな挨拶一つまともにできない女から、自分が部下を守ってやらなければ、とも。さすがに個人の領域に踏み込み過ぎている、いや恋人だった部下に執着し過ぎていると感じた。

「和成はまだ私を想い続けている。私を忘れられずにいたのに、馬鹿な奥さんに絆されて結婚してしまったの。今度こそ私の手で幸せにしてあげなくては」

ほくそ笑んでポストに郵便を投函する主任さんを見かけた。同僚からその報告を受けたときには、主任さんは既に同じ過ちに手を染めた後だった。





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