空っぽの薬指

文月 青

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本編

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後日三条さんは我が家にお詫びに訪れた。まだ現実を認めようとしない主任さんの分も含め、こちらがもういいですからと言っても長いこと頭を垂れていた。やがてようやく面を上げたときには、一つ山を越えたような穏やかな表情をしていた。

「おそらく早苗は、評価されていないと不安になって、自分を見失ってしまうのだと思います」

ゆっくり主任さんの根になっていることについて語り出す。

主任さんは子供の頃から秀でていたのだそうだ。勉強や運動、ピアノに書道等、あらゆる方面でその力を発揮し、両親や学校の先生に褒められ続けてきた。知識を得るのは楽しかったので、努力をすることも苦痛ではなかったが、ある日ふと気づいた。

自分が褒められるのは他人より「できる部分」だけ。性格や評価に値しないことは特に触れられもしない。でも兄弟や友人は例え勉強や習い事の成績が人並みでも、少し頑張っただけで褒められるし、努力を怠らなかった人となりも愛でられる。

では自分に評価できるものがなくなったら…?

「たぶん周囲の期待に応えられない自分には、存在価値がないと考えてしまったんでしょう」

だからいつも必死だった。勉強も仕事もとにかく上を目指さねば意味がないと、自分を追い立てるように努力を重ねてきた。幸い結果はついてきたけれど、代わりに不安が尽きることもなかった

「ところが私との結婚で早苗の不安の種が増えてしまった。今度は妻としての評価です」

主任さんの仕事ぶりは知っているし、そのことで多少家事が疎かになっても三条さんに責める気持ちはなかったが、周囲から何か吹き込まれたらしい。本人が夫を支えられない「妻失格」の烙印を押してしまった。今のままで充分だといくら伝えても睡眠時間を削っては仕事も家事もこなし、そうしているうちにどこかバランスを崩したのだろう。有りもしない浮気騒動へと発展した。

「仕事とは違い、自分の努力では追い越せない人がいることを認められなかったのでしょう。だから私の部下や奥さんを嫌がらせという形で遠ざけようとした。理由はどうあれ、起こした事実は許されることではありませんが」

三条さんはそこで再び頭を下げた。

「でも奥さんが早苗に屈しない方で良かったです」

「私ですか?」

不思議に思って問い返すと、三条さんはふっと目を細めた。

「はい。そのおかげで早苗の荒療治にご協力頂けました。最初は驚きましたが、あなたの懐は実に大きいです。佐伯さんがあなたを独占したい気持ち、何となく分かります」

それを言ったら三条さんにこそ適わない。あの主任さんをただ一人、子供に返してあげられる人なのだから。

「もし仕事をしたくなったら、ぜひ連絡して下さいね」

たぶんわざと揶揄ったのだろう。それまで神妙にしていた和成さんに聞こえよがしに囁く。もちろん彼が猫よろしく毛を逆立てていたのは言うまでもないけれど。



主任さんが抱えていた苦しみを知って、和成さんは少し塞いでいたものの、三条さんが傍にいるなら心配はないだろうという点では、私の意見とも一致している。そして訳が分からぬまま絶縁宣言をされてすっ飛んできた方が一人。

「どうしていきなり親子の縁が切られるの? 嫁いびりって何のこと?」

和成さんに電話で一方的に告げられた翌日、泡を吹かんばかりの勢いで我が家に現れたお義母さん。

「ちゃんと説明してよ…希ちゃんに言っても無駄か」

うっかり本音を洩らして和成さんに睨まれている。とりあえず主任さんとの電話の件だけ耳打ちしたら、今度はいきなりぼやき出す。

「別に嘘は言ってないわよ? 名前を聞く限り、あの人は和成の昔の恋人じゃないの。会ったことはないけど」

鋭くなっている眼光に気づいているのだろうか。

「それに希ちゃんがぼけっとしているのも、あの人がしっかりしているのも本当のことでしょ。どうせ嫁に貰うなら後者の方が」

そこで和成さんが怒鳴った。

「二度と顔を見せるな」

お義母さんは面白くなさそうに眉根を寄せる。その仕種は和成さんにそっくりだ。

「だから何を怒っているのよ? ねぇ希ちゃん、和成は一体どうしちゃったの?」

実はお義母さん、全く悪気のない人なのである。正直なのでお腹の中にあることを隠しておけないだけで。だから当然嫁いびりや意地悪をしているわけじゃなく、本当に思ったままを思ったときに口にしているに過ぎないのだ。

「結婚するときは歓迎していたじゃないか。希さんのどこが気に入らないんだ」

まだ怒りをその表情に滲ませた和成さんが、忌々しそうにお義母さんを詰る。

「あら気に入っているわよ? 希ちゃんは表裏のない子だもの」

「じゃあ何故いびるんだ?」

「だからいびってないわよ。本当のことを言ってるだけ。頼りなくて子供みたいだけど、和成とはずっと一緒にいて欲しいし、うちの孫も産んで欲しいし。あ、そうだ。悪阻は大丈夫なの? 希ちゃん」

絶句する和成さんを尻目に、お義母さんは愛おしそうに私のお腹を撫でては、男かな女かなと孫の誕生が楽しみで仕方がない様子。

「俺の周りって何故こんな人ばっかり」

疲れたように大仰に息を吐き出し、恨めしそうにこちらを眺める和成さん。もしかしてそれって私も入ってます? 訊ねる前に答えが即返ってきた。

「あなたが一番謎ですよ」




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