空っぽの薬指

文月 青

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番外編 いつかウェディング

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希と佐伯さんに可愛いベビーが誕生した。喜び勇んで病院に駆けつけると、難産だったにも関わらず希はほわっと笑っていて、そのあまりの変わりなさに逆に安心してしまった。もしもいきなり母親の顔になっていたらどうしようかと思ったのだ。

「おめでとう。よく頑張ったね、希」

疲れてベッドに横たわる希の頭をそっと撫でる。

「ありがとうございます、真子先輩」

心から安堵している様子に頷きながら、おでこに張り付いた髪を払っていると、
いかにも無理して歩いていますといった足音が二つ。

「希さん!」

ドアをノックするのと同時に、愛しい妻の名を呼んだのは、我が社の営業部でクールと評される佐伯さん。

「希ちゃん、おめでとう」

そしてその佐伯さんと人気を二分する、チャラ男島津さん。独身というだけで、最近は彼の方に軍配が上がっているようだが。

「ありがとう、希さん。お疲れ様」

あーあー出たよ。クールさの欠片もない希ラブの甘い視線。  

「元気な男の子ですよ。見てくれました?」

「これから。まずは希さんの顔を見たくて」

愛おしそうに希の両手に自分のそれを重ねる佐伯さん。仕事で出産に立ち会えなかったから、心配だったのは理解できるけれど、ここで事に及びかねないこの雰囲気、誰かどうにかして欲しい。

「ごりまこ、帰ろうぜ。もう俺達は目に入ってねぇわ」

私同様呆れている島津さん、いや島んちょにこっそり促されて、私は仕方なく病室を後にした。もう少し希の傍にいたかったけれど、彼女は一世一代の大仕事を終えて体力を消耗しているし、やはり夫婦の邪魔はできない。

こんなときはやはりちょっとだけ淋しい。あーん、私の希が!

「今日は俺が慰めてやるから、ほれ、赤ん坊のいる部屋まで案内せいや」

島んちょが苦笑しながら私の肩を叩く。どうせ佐伯さんに妬いていることを察して、馬鹿にしているに違いない。

「あんたじゃ希の代わりにはなんないわよ」

悪態をつきつつも、新生児室まで案内すると、一番手前の小さなかごのようなベッドで、手をぎゅっと握ってすやすや眠る赤ちゃん。

「これがあのエヴァンゲリオンか。佐伯に似ているような気がするから不思議だな」

感慨深そうだが、喋っている内容が場にそぐわないので、私は島んちょの足を容赦なく踏みつけた。

「いってぇ。自分だってスティッチとか言ってたくせによ」

煩い。私は過去は振り返らないの。でも本当に希の赤ちゃんは佐伯さんの面影を宿していて、命の神秘を感じずにはいられない。

よかったね、希。



慰めるという名目で、病院の近くのレストランで長々と愚痴りながら、島んちょに食事をご馳走になった後、彼は私を自分が一人で住む部屋に誘った。

「少し飲もうぜ」

明日も仕事があるので、ちょっとだけうちで祝杯をあげよう。島んちょは相変わらずそんな軽さだった。

「遠慮する」

いつぞやの再現のように、お互いが別れ別れになる駅の前で私は即断った。

「考える振りもしないのか」

嘆息する島んちょに苛立ちが湧く。

「当たり前でしょ。あんたの遊び相手に数えられるのなんて、真っ平ごめんです」

全て行動に移しているかどうかは知らないけれど、あらゆる部署で適当に女性社員に声をかけまくっているのは、社内でも有名な話だ。

そうでなくても、一晩一緒に過ごしても何もなかった間柄。それが安心なのか問題なのか。自分でも判断がつかないが、ただ島んちょが平気で複数の女を部屋に入れているのは、そのときの一件で分かったので、周囲から誤解を受ける真似は避けたい。

「手なんか出さねーぞ?」

「知ってる。だからよ」

「え?」

何故か妙に期待に満ちた目で訊き返される。

「出していいのか?」

節操のない男だ。どれだけこんな成り行きで女を食っちゃってるんだか。

「違うわよ」

肩を竦めて訂正する。

「あんたの遊びにつきあっている暇はないの」

「遊びって…」

絶句する島んちょには申し訳ないけれど、そこは修正しないわよ。

「あんたの遊び相手にカウントされると、フリーの独身女枠から除外されそうな気がするのよ」

総務部では既にその傾向がある。希がキューピッドになって、私と島んちょが結婚秒読みなんてデマも、なまじしょっちゅうつるんでいるから、信憑性が増すらしく、

「そういえば島津さん、しばらく真子以外の子にちょっかい出してないわよね。とうとう年貢を納めたか」

同期に高笑いされたときは、背中に悪寒が走った。

島んちょはいい。年齢としを取っても出会いも嫁の来てもあるだろう。男だから。では女の私は?

「お前、結婚願望あったか?」

どちらかというと希ちゃん一筋だろ、と島んちょが口を尖らせる。えぇ全くその通り。

「なかったんだけどね。希を見てたら、あんなふうに唯一の人扱いされるのも悪くないかなって」

私だとて一応適齢期の二十八歳。佐伯さん程のデレはご遠慮願いたいが、穏やかな生活には憧れがある。ただ自慢じゃないが、ここ数年は出会いさえも求めていなかったので、一から始めたらどのくらい時間を要するのか見当がつかない。

「何だ。だったら俺が」

「結構です」

あんたも三十歳なんだし、いい加減落ち着きなさいよね。

「ひでぇ」

子供みたいに口をへの字に曲げた島んちょに、私は明日ねと笑顔で踵を返した。



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