空っぽの薬指

文月 青

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番外編 いつかウェディング

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だいぶ春らしくなってきた三月終わりの日曜日。佐伯家からの帰り道を私はぐったりしながら歩いていた。隣りの島んちょも喋る元気を奪われて、疲れたように無言を貫いている。

希からベビーと一緒に退院したと連絡があったので、すぐにお邪魔しては大変だろうと、床上げとやらをする頃に島んちょと訪ねてみたのだが。

これがとんでもなかった。確かに赤ちゃんはお腹が空いたらその都度泣くし、おしっこやウンチの回数も多くて、ママはゆっくり休む暇もなさそうだけれど、佐伯さんがまめに手伝ってくれているので、そこはまぁいい。

びっくりしたのはその佐伯さんのお母さん。噂には聞いていたものの、希のぽやっと加減が普通に思えるくらい、強烈にぶっ飛んだ人だった。

「やっぱり子供が子供を育ててる感じよねぇ。たぶんあの主任さんの方がしっかり面倒見られるわよ?」

挨拶もそこそこに希と木村主任を比べる発言を笑顔でかまし、改めて島んちょと二人でお祝いを差し出せば、

「希ちゃんがぽけっとしているから、周りにいる人達はみんな気配りができるのね」

リビングにお茶を運んできた希の肩を、ばしばし叩いている。

「希さんを貶めるようなことをすると、今すぐ出入り禁止だから」

佐伯さんが冷気を放って希を庇っているのが救いだが、お母さんは何故か当の嫁に息子の仕打ちを訴えている。

「和成ったら酷いと思わない? 本当のことを言っただけなのに」

慣れているのか性分故か希は全く意に介さずに、そうですねぇなどと笑っているが、私は怒りを通り越して魂が抜けてしまいそうだった。

「すげーな、佐伯のお袋さん」

さすがのチャラ男も太刀打ちできないらしい。いつもの軽薄さがどこにも見当たらない。

「佐伯がクールたる所以が分かった気がする」

それには私も納得だ。絶対あのお母さん反面教師だもの。

「お母さんは正直なだけなんです」

姑のフォローをする希がいじらしい。そういえば木村主任に嫌がらせを受けても、佐伯さんに彼女の悪口は言わせたくないと、一人で耐えていたんだもんなぁ。

「さすが希ちゃん。分かってるわぁ」

なのにフォローの対象がこの人って…。どうして佐伯さんの周囲には微妙なタイプが集まるんだろう。何にせよこの状況で通常運転の希は偉い。

「あぁ、赤ちゃん抱っこさせてもらうのを忘れてた!」

突然立ち止まって喚いた私に、島んちょもようやく口を開いた。

「それどころじゃなかったもんな。マジで謎の物体だわ、あれ」

「希を尊敬する、本当に。私なら毎日切れる」

「うん。いろんな意味で、佐伯は希ちゃんなしでは生きられねーよな」

そうしてどちらともなくため息をつく。

「ちょっと寄り道しねぇ?」

駅までの道程の途中にある公園を、島んちょはすっと指差した。ここは希と佐伯さんが時々散歩する、遊具よりは自然が多めの公園。まだお昼を過ぎたばかりだし、私も気分を切り替えたくて素直に頷いた。

「結婚は当人同士だけの問題じゃなかったんだな」

蕾をつけた桜の木の下にあるベンチに腰を下ろし、島んちょが珍しく物憂げに呟いた。周囲には並んで歩く老夫婦と思しき二人連れや、ベビーカーを押しながら笑いあう若いパパとママ。どちらもゆったり穏やかな雰囲気で、さっきまでの剣幕が嘘のように癒される。

「分かっているつもりだったけど、お互いの家族も密接に関わるんだよな」

「どうしたの? 急に」

全く考えていないわけじゃないだろうけれど、島んちょから結婚観について話を聞かされたことは一度もない。というか結婚するイメージが湧かない。

「いや、自分の親はどうなんだろうと」

どこか考え込んでいる表情の島んちょ。どうも佐伯家を辞してから様子が変だ。

「佐伯さんのお母さんみたいな人は稀よ。陰湿さがないのは助かるけど」

何が引っかかっているのかは知らないけれど、私の視線に気づくとすぐにおどけたように口の端を上げ、やおら訊ねてきた。

「ごりまこは何人兄弟?」

「三人。兄と妹がいる」

そういう感じがする。きっと両方の尻を叩いているんだろうと、まるで見てきたようなことを言い始める。当たらずとも遠からずではあるが。

「あんたはどうなのよ?」

「二人。兄貴がいる」

「あぁ、それっぽいわ。甘ったれの末っ子」

いかにもな事実にぽろっと零したら、島んちょはくっくっと喉の奥を鳴らした。

「お前くらいだ、俺にそこまで辛辣なのは」

私も他の人にはここまで毒を吐かない。島んちょは打たれ強いというか、頼りないくせに無駄に元気なうちの兄貴みたいで、自然に素の自分が引っ張り出されてしまう。ある意味厄介な人だ。

「そういえば結婚相手は見つかったのか?」

「そんな簡単に現れるなら苦労はないわよ」

肩を落とす私の視線の先には、ベビーカーを覗いてはあれこれ楽しそうなパパとママ。いずれ希と佐伯さんもあんなふうに子供と三人で散歩に来るのだろう。私にはそんな未来はあるのだろうか。

「お前はさ、例えば相手が凄く条件が悪い人でも結婚できるの?」

好きになったのなら。調子はいつも通り軽いのに、その台詞はとても重々しく聞こえた。実感がこもっているとでも言おうか。

「正直まだぴんとこない。これまで一度も結婚を考えた人いないし」

だから私は恥を忍んで本音で答えた。

「そうか」

言葉は短かったけれど、島んちょが少しだけ嬉しそうだったのは気のせいだろうか。そういえば彼の方こそ、結婚を考えた女性は一人もいなかったのだろうか。何故かふとそんなことを思った。





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