空っぽの薬指

文月 青

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番外編 いつかウェディング

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島んちょが総務に顔を出さなくなって一週間が経った。以前は用がなくても立ち寄ったり、出張のときですら不必要に連絡を入れてきたので、親しくなってからこんなに無沙汰なのは初めてだ。

四月は人事異動やら何やらで、年末とは違った忙しさがあるけれど、落ち着きを取り戻してからもチャラ男はメール一つ送ってこない。そろそろ本命を射止めたのか、私の将来を案じて遊び相手から外してくれたのか。

「あんたとうとう振られたの? 島津さんの扱い雑だったもんね」

同僚にそう呆れられたものの、最初からつきあっていないし、それらしいことすら匂わされていないのに、何故セットにするのか甚だ疑問だ。

「真子さん」

平和だけれど少しだけ物足りなく感じていたある日、珍しく社食で佐伯さんから声をかけられた。

「少しだけ時間を貰ってもいいですか?」

大事そうに抱えているのは、希お手製のお弁当。そういえば島んちょが、佐伯さんは希に餌付けされたと言ってたっけ。

「いいですよ」

今この時も女性社員の視線を集めている営業のできる男が、あの希に餌付けされる姿を想像し、私は必死で笑いを噛み殺した。

「島津のことなんですが」

目立たないよう窓際の隅に座り、定番のランチを食べ始めた私に、佐伯さんは徐に口を開いた。彼が私に持ちかける話など、希か島んちょのこと以外にない。

「一昨日から仕事を休んで、実家に帰っています。お母さんが倒れて入院したそうです」

私は驚いてスプーンを持つ手を止めた。

「やはり聞いていませんでしたか」

肩で息をついて、佐伯さんはお弁当の包みを解き始めた。蓋を開けてほんのり口元を綻ばせる。会社だから抑えているにしても、周囲の綺麗どころの皆様が色めき立つには充分だ。

「希成分がだだ漏れですよ」

苦笑しながら釘をさすと、しまったと言いたげな様子で頭をかく佐伯さん。

「結婚して二年が過ぎたのに、ベタ惚れのままですね」

「揶揄わないで下さい」

こほんと咳払いをしてから、改めて話の続きを始める。

「それで島津ですが」

でもおかずを口に運ぶ度に、表情を崩すのはやめて下さい。お嬢さん方が私にビームを放ってくるので。

「お母さんは先月から体調が悪かったそうです。忙しくて病院に行きそびれていたようで」

先月という単語を聞いたとき、ふと佐伯家を訪ねた帰りのやり取りが脳裏に浮かんだ。結婚の話題ではあったけれど、もしかしたらお母さんのことや、家族のことを考えていたのだろうか。

「島津のお母さんは一人暮らしなんです」

「一人?」

「はい。お父さんが三年前に亡くなったので」

そんなこと全然知らなかった。島んちょがするのはいつもどうでもいい話ばかりで、この前兄弟云々について聞かれたときも、お母さんの具合にもお父さんがいないことにも一切触れなかった。

「幸いお母さんの容態は落ち着いていて、早めに退院できるそうですが、現段階で面倒を見る人がいません。なので島津はしばらく戻れないと思います」

「戻れない? 島んちょの実家って」

退院後はともかく、入院中なら仕事しながら病院に通うこともできるのでは。

「新幹線を使って二時間だとか」

私の考えを読んだ佐伯さんが申し訳なさそうに洩らす。一体どこなんだそれは。

「あれ、でも確か、お兄さんがいたんじゃ」

一瞬おやというように佐伯さんが首を傾げた。どこで何をしている人なのかは分からないし、女手がないと不便かもしれないが、島んちょが一人で背負うには無理がある。せめてお兄さんと二人で交代するなど、協力体制を敷いてはどうだろう。

「五歳上のお兄さんがいて、既に結婚して子供もいます。ただ転勤族なんですよ。いずれ実家を継ぐ予定ですが、今帰ってくるのは無理でしょう」

次の言葉が出なかった。お母さんが無事なことには安堵しただろうけれど、現況を聞く限りとても良かったとは言えない。再び食事をしようとスプーンを動かすものの、この前甘ったれの末っ子なんて台詞を吐いてしまった自分が悔やまれ、もはや食べる気になれない。

第一どうしてそんな大事なことは教えてくれないんだ、あのチャラ男は! そんなときこそ連絡して来いっつーの!

「島津が誰かに家族の話をするのは珍しいです」

内心で悶々とする私を、佐伯さんはさも楽しそうに眺めている。頼むから卵焼き食べながら砂吐きモードに浸らないで下さい。

「お兄さんのことですか? でも他のことは全部初耳ですよ」

「たぶん噂ならありでも、本人から伝えられた女性は社内にはいませんよ」

「まさか。あの部屋に引っ張り込んでる女がわんさかいるじゃないですか」

そこで今度は佐伯さんが箸を止めた。意外そうに何度も瞬きを繰り返している。

「島津の部屋に、入ったんですか?」

「一度だけですけど」

憮然として答える私に何故かもの凄く嬉しそうに微笑む。だから私の身が危険に晒されるからやめて。さっきから殺気が半端ないんです。希はよくこの人とつきあえていたと、本当に今更ながら感心するよ。ところがその希の夫は笑顔で嘘を投下した。

「あの部屋に入った女性は、後にも先にも真子さんだけですよ」




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