空っぽの薬指

文月 青

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番外編 いつかウェディング

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島んちょからの連絡がないまま、更に一週間が過ぎた。希の話では島んちょのお母さんは今週末に退院が決まったそうだ。その後数日はお兄さんの奥さんが付き添ってくれる予定なので、島んちょは一旦こちらに戻ってくるらしい。

「島津さんからは何の話もないんですか?」

佐伯さん経由で島んちょの様子を教えてくれた希が、電話の向こうで首を傾げている姿が目に浮かぶ。

「ないわ。もともとプライベートに踏み込んだ関係じゃないし」

「真子先輩からは電話をしないんですか?」

最初に社食で事情を説明されたときは、すぐにでも文句の一つも吐いてやろうと思った。でもできなくなっちゃったのよ、あんたの旦那のせいで!

「あの部屋に入った女性は、後にも先にも真子さんだけですよ」

佐伯さんがそんなことを言うから、嘘だと分かっていても変に意識してしまって、電話片手に自分の部屋の中をうろうろすること一週間。いまだに島んちょの声を聞けずにいる。

「島んちょがどうしようと、口を挟める立場じゃないの、私は」

希に悟られないように、こっそりため息をつく。

実は今更ながらその事実に気づいたことが一番大きい。お互いの友人を通して仲良くなっただけの、所詮同僚に毛が生えた程度の知り合いだ。困ったときに助けを求めたり、求められたりする間柄じゃない。まして連絡を寄越さないことに腹を立てるなんて、お門違いもいいとこ。

「そういえば結婚前に、和成さんも似たようなことを言ってましたねぇ」

ふいに希がふふっと微かな笑いを洩らした。

「きっかけは島津さんだったそうですが」

それなら何かのついでに聞いた憶えがある。二人がつきあう前、主任に振られた佐伯さんと希が親しくなった頃。冗談で希を食事に誘った島んちょを、佐伯さんが無自覚に威嚇してきた話だ。

「そのときに私が他の男の人と会うのを止める権利が、自分にはなかったと気づいたそうです」

まんま今の自分の気持ちに重なるできごとに、何故か心臓がどくんと跳ねる。

「でも私が他の人の隣りでご飯を食べるのは見たくない、と」

「それで?」

「プロポーズに至りました」

うわぁ。思わず叫びそうになって、慌てて口元を押さえる。ストレートだよ、クール佐伯。大方遠回しでは希に伝わらなかったんだろうが、めっちゃ格好いいじゃん。その後のごたごたは頂けないけれど。

「なので真子先輩も遠慮しなくていいんじゃないですか?」

分かっているのかいないのか、希は私の心中を見透かしたように言って電話を切った。

島んちょが私じゃない、他の誰かに例えば苦しみを吐露する姿。

佐伯さんの言葉に自身を当てはめて、私はあまりの不快感に顔を歪めた。



「よっ、ごりまこ」

お母さんが退院して間もなく、島んちょはいつもの調子で総務に現れた。ちょうど壁際でコピーを取っていた私の横に、部外者のくせに当然のように並ぶ。

「元気にしてたか?」

それはこっちの台詞だ。久しぶりに会った島んちょは心なしかやつれて見える。

「煩いのがいなくて清々してたわよ」

習慣で憎まれ口を叩けば、ひでぇとお馴染みの嘆きが返ってきた。

「あら島津さんだ」

お母さんのことを訊ねてみようか。しばし逡巡していると、島んちょに気づいた同僚が歩み寄ってきた。

「最近お見限りね。とうとう真子を振ったのかと噂していたところよ」

「逆ならいざ知らず、俺がごりまこを振るなんてあるわけないっしょ」

呑気に笑う島んちょ。佐伯さんといい、嘘もこうすらすらと出てくると、本当のような錯覚に陥りそうだ。

「それなら安心。真子のことは虫がつかないように見張っててあげるわね」

同僚は私の肩を意味ありげに叩いて去っていった。島んちょもよろしくと手を振っている。虫なんか頼んでも寄って来ないっつーの。

私は肩を落として右手を差し出した。

「何?」

島んちょが目を瞬く。

「何って、書類を持ってきたんでしょ?」

私の背後ではみんなが通常業務に勤しんでいる。とてつもなく忙しいわけではないが、決して暇でもないのだ。仕事があるならさっさと提出して欲しい。

「ちげーよ」

辛辣な私の物言いに、島んちょは困ったように苦笑した。周囲に聞かれては拙いのか、耳元に小声で囁く。

「ごりまこの顔を見に来ただけなんだけど」

突然のことにコピーを取る手が止まった。

「少しだけでいいから、追い出さないでくれ」

耳にかかる息のくすぐったさで我に返る。私は頬が火照ってくるのを感じた。これでは振り向きたくても振り向けない。

「れ、連絡一つしてこなかったくせに」

「ごりまこの方こそ。会えない間、俺は毎日鳴らない電話を見てはがっかりしてたよ」

またどの口がそんな歯の浮くような台詞を吐くんだ。

「婚活の邪魔しちゃ悪いと思いつつ待ってた。お前に怒鳴られたくて」

「怒鳴られって、あんたね」

余計な一言にうっかり島んちょを振り仰ぐ。そこには佐伯さんも真っ青の、蕩けるような甘い双眸があった。

「ごりまこ」

しかしその後がいけない。だから私はごりじゃないんだよ。

「真子です。油売ってないでとっとと仕事しなさい!」

急に態勢を立て直した私に、島んちょは呆気に取られたものの、

「やっぱり怒られた」

ぼやきながらも満足そうに戻っていった。恐るべしチャラ男。油断は禁物。鼻息荒く追い返したけれど、元気でよかったと胸を撫で下ろしたことは内緒だ。




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