空っぽの薬指

文月 青

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番外編 いつかウェディング

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希と佐伯さんから結婚式の立ち会い人を頼まれたのは、ゴールデンウィークが明けてすぐのことだった。昨年佐伯さんが企画していたものの、白紙の手紙事件のせいで延期になっていた、二人きりでの結婚式。それを六月にするので、私と島んちょに見届けて欲しいそうだ。

「そういうことなら喜んで」

佐伯家のリビングで、私は一も二もなく頷いた。離婚騒動後に結婚指輪は薬指で光るようになったけれど、やはり希のウェディングドレス姿が見たかった。

「俺も」

恐る恐るベビーを抱っこしながら、同様に了承する隣りの島んちょ。首が座っていない赤ちゃんは甥っ子以来で、細心の注意を払っている。

ちなみに子供の名前は臣成おみなり。表に出ずとも人を支えられる子になるよう願いを込めたとか。何となくこの二人らしくて笑みが零れてしまう。

「ありがとうございます」

食後のコーヒーとチーズケーキを運んできた希が、それぞれの前に配りながら、嬉しそうにお礼を口にする。

「助かります」
 
佐伯さんも笑顔で頭を下げた。

「こちらこそ、ご馳走様でした」

仕事帰りに寄らせてもらったので、今日は久しぶりに希の手料理を夕食に頂いたのだ。もちろんメインは、以前島んちょが冗談で取引に使ったから揚げ。

却って手間をかけたのではと心配していたら、

「子守をしてくれる人がたくさんいるので、料理に集中できて楽しいです」

自分の時間が持てたと、希はむしろ喜んでいた。まだまだ寝不足も続いているだろうに、つくづく母親は大変だ。

「ごりまこ、頼む」

お手製のチーズケーキを味わっていると、島んちょが助けを求めてきた。眠っていた臣くんが泣きそうになって慌てたようだ。

「全く叔父さんのくせに危なっかしい」

差し出した腕の中に感じる重みと柔らかなぬくもり、赤ちゃん特有のお乳の匂いに、思わず頬ずりしたくなる。

「慣れたもんだな」

感心したように島んちょが目を瞬く。

「友達でママになってる人が多いのよ。兄妹は独身なのに、既におばさん状態よ。ねぇ、臣くん」

赤ちゃんてどうして無条件に可愛いんだろう。それが希の子なら更に愛おしい。

「俺の扱いとは段違い」

「当たり前でしょ。あんたのどこに可愛いなんて要素があるのよ」

ふにゃふにゃ言ってる臣くんの背中をとんとんしながら、不満げな島んちょを小声でどやしつける。

途端に佐伯夫妻がくすくす笑い出した。

「格好いいです、真子先輩」

「どっちが年上なのか分からないぞ、島津」

ふふんと気持ち肩をそびやかす私を横目に、島んちょはへそを曲げたのか、いきなりチーズケーキにかぶりついた。



連休後の緩んだ気も張り直し、溜まった仕事をこなしていると、トイレに行っていた後輩が私の机の横にしゃがみ込んだ。

「真子先輩、妙な噂が流れています」

「その前に業務につきなさいよ」

悪い子ではないが話好きなので、うっかり相手をすると、こちらの作業まで疎かになりかねない。

「島津さんのことですよ」

あっさり遮られても何のその、後輩は鼻息も荒く食らいついた。

「島津さんがどうしたの?」

知った名前を耳にして、隣りの同僚も身を寄せてくる。だから仕事しようよ君達。

「部署移動するかもしれないそうです」

帰省前にちらっと聞いた話だ。あのときはまだ漠然と捉えている感じだったけれど、やはりこれまで通り勤務するのは難しいのだろうか。体調が落ち着いたとはいえ、しばらくは誰かが交代でお母さんの様子を見に行くとは言っていたけれど。

「驚かないのね」

同僚が意味ありげに目尻を下げた。

「別に私には関係ないし」

肩をすくめてパソコンに向き直り、手元のキーボードを叩く。

「澄ましてる場合ですか。噂は一つじゃないんですよ」

こちらの方が肝心ですと後輩は続ける。

「島津さんが会社を辞めるかもしれないと、営業の女子が大騒ぎしているそうです」

一瞬止まりそうになった手を、無理やり動かした。パソコンには何を意味しているのか分からない、めちゃくちゃな文字の羅列。

「辞めるってどうして?」

眉を顰めながら同僚が問う。

「理由ははっきりしていないみたいですが、地元に帰って結婚するという説が有力だそうです」

「結婚?  まさか」

ありえないというふうに、同僚は頭を振って私に視線を固定した。私は動揺を悟られぬよう、ひたすら文字を打ち込む。

「本当です。結婚準備の為に、有給を申請していたという証言も出ています」

島んちょ一人に、まるで何か事件でも発生したかのような騒ぎだ。以前佐伯さんは、島んちょの実家はお兄さんが継ぐ予定だと言っていたけれど、状況が変わったのだろうか。

それとも実家に帰っている間に、誰かいい人でも見つかって、向こうで骨を埋める気になったのだろうか。幼馴染や同級生もいることだし。

「分かったから、とりあえず席に戻った方がいいわよ。課長が睨んでる」

上司の方をこっそり指して囁くと、後輩はあたふたとこの場を離れていった。

「冷静ぶってる場合じゃないわよ、真子。あんたいいの?」

「いいも悪いも、知り合い程度の私にどうこうする権利はないでしょ」 

当然の返答をしたまでなのに、同僚は一気に顔色を失くしていた。だって私は島んちょから結婚の報告なんて受けていない。少なくとも重要事項を伝える程の存在ではないということだ。

「でも、ちょっと堪えるね」

キーボードから手を外してため息をつく。パソコンを確認した同僚は、黙って私の肩に手を置いた。



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