空っぽの薬指

文月 青

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番外編 いつかウェディング

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島んちょの噂を聞いたときは、部署移動の話以外は寝耳に水だったので、正直自分でも意外なくらい動揺してしまった。けれど彼が実家に帰っている間、ずっと連絡を取っていた私からすると、辻褄が合わないような気がした。

いくらあいつがチャラ男でも、私と接触しながら、私に気取られることなく、同時進行で他の女性と関係を結んだり、それを隠したりするとは思えなかったのだ。

何にせよぐだぐだするのは性に合わないので、事の真偽について直接彼にぶつけてみることにした。たぶん私が堪えたのは、結婚云々よりもそれを知らされていなかったことの方が大きかったからだ。

第一島んちょは私と一緒に、希と佐伯さんの結婚式の立ち会い人を引き受けている。余程のことがなければ、その約束を違える筈はない。

「立ち直りが早いわね」

同僚は呆れていたけれど、 

「悩むのは事実確認の後でも遅くないと思ったのよ」

そう言ったら、あんたらしいわと苦笑した。

「島んちょ、結婚するの?」

なのでその日の仕事帰りに誘ったファミレスで、私は注文を済ますなり単刀直入に切り出した。

「は?」

疲れたからとココアを飲んでいた島んちょは、いきなりげほげほと咽せた。しかし外見からは甘いものなんて飲みそうにないのに。

「相手は誰? 地元に帰るの?」

返事を待たずに畳みかける。そこそこ混んでいる店内を意識して、声を幾分低くする。

「部署移動するの? それとも会社辞めるの?」

「ち、ちょっと待て!  ごりまこストップ!」

まるで犬に命令でもするように、島んちょは両手で私を制した。その様子に疚しさはなく、むしろ戸惑っているようにしか見えない。

「突然何だ?」

やはり身に覚えはないらしい。

「そういう噂が流れてるのよ」

運ばれてきたドリアにスプーンを突っ込み、後輩がトイレで仕入れてきた情報を加工せずに伝える。

「勘弁してくれよ」

島んちょも自分の一口ステーキにフォークを刺し、額を押さえてため息をついた。

「まさかそれ信じたんじゃねーだろうな」

「信じた」

「おまっ」

「二時間程」

にっと口の端を上げた私を、島んちょは悔しそうに睨んだ。

「全部デマだ。有給は帰省していた分を申請しただけだ」

どうやら完全に事実無根の噂だったようだ。気を良くしてドリアを食べ始めた私に、今度は島んちょが意地悪な笑みを浮かべる。

「どんなことだろうと、真っ先にお前に話すに決まってるだろう?」

「うん。だから訊いてみた」

満足して頷く私。でも島んちょはフォークを皿に置いてがっくりとうな垂れた。

「お前といい希ちゃんといい、どうしてそう規格外なんだ。俺も佐伯もぬか喜びの連続だぞ」

「何の話よ?」

「何でもねーよ」

いつぞやの逆パターンで返された後、私達は一旦食事に集中した。例の噂がデマだと分かって安心したけれど、それにしても噂の出所はどこだろう。

「おそらく重要なのは噂の内容じゃなくて、聞かせる相手を絞ったことだな」

食事を終えて再びココアを飲みながら、島んちょは不機嫌も顕に口を開いた。美味しそうなので、つられて私もココアを飲む。

「総務の人間のいる所でわざと喋ったんだろ。お前の耳に入るように」

「私? 何でまたそんなまどろっこしい」

首を傾げる私に、島んちょは困ったようにぼやく。

「お前本当に気づいてねーの?」

ふるふると頭を振れば、照れ臭そうに頬っぺたをかいた。

「俺が他の女にちょっかいを出さずに、ごりまこにかかりっきりだからだよ」

「百歩譲ってそうだとして…デマを流す理由にはならないんじゃない?」

百歩も譲るなと変な突っ込みを入れてから、島んちょは無駄に格好良くココアを煽る。

「拗らせたかったんだろ、俺達の仲を」

私と島んちょがつきあっているなら、確かに別れさせる結果に繋がったかもしれない。でも友人の二人にこんなことを仕掛けても、徒労に終わるだけなのでは。

「佐伯と結婚した希ちゃんが、いまだに難癖つけられてるんだろ? ありえないことじゃない」

そうだ。希は退職して久しいのに、木村主任が知る程度には、根も葉もない噂をばら撒かれていた。嫉妬がなせる技とはいえ、げに恐ろしきは女心。

「なまじあんたや佐伯さんの近くにいるから、営業女子としては厄介者は追っ払いたいのね。無駄に色男なのも考えものだわ」

「お前、俺のことも少しは色男だって思ってんの?」

不思議そうに零す島んちょ。

「中身はともかく外見はね」

即答したら口を尖らせた。その子供みたいな仕種は、色男とは呼べないけれどね。

「で、どうする? 俺からがつんと締めとくか?」

表情を引き締め、きつく目を細めた島んちょが問う。私は驚いてぽかんと口を開けた。女の子に愛想を振りまいてばかりの彼が、よもやそんな心境に至るとは想像もしていなかった。

「馬鹿なの、ごりまこ。今回はお前の機転で事なきを得たけど、失敗したと分かったら、また悪さしてくるぞ。俺の知らないところで、お前に何かされるなんざ冗談じゃ」

怒り心頭で吐き捨てている最中、島んちょはハッとしたように言葉を止めた。しまったと言わんばかりに視線が泳いでいる。この間から島んちょはどうしちゃったんだ。

「赤くなるな、あほ」

正面で黙ったままの私に、ぶっきらぼうに呟く。無理言うな。顔で体温が計れる程に熱くて仕方がないのに。恐る恐る島んちょを窺えば、表情こそは涼しいものの耳が真っ赤。

「自分だって」

指摘されたのが恥ずかしいのか、無言で暗い窓の外に視線を移した。いい大人が二人揃ってこの状況。中学生じゃないんだからと、内心では悶えつつも、私はとりあえずこの一言だけは伝えることにした。

「ありがと」

声が小さ過ぎて届かなかったかもしれない。でもそっぽを向く島んちょの耳が、更に赤さを増したように見えた。


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