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番外編 出会った頃の
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俺はそれから自然に希さんの動向を気にかけるようになった。総務に用事があれば窓口が希さんの担当ではなくても、わざわざデスクまで近づいて話しかけたり、食堂等で姿を見かけたら挨拶を交わしたり。実は今更ながら知ったのだが、希さんは意外と男性社員に人気がある。
競うように出張土産を持参して、顔を売り込む男の多いこと。希さん本人が無頓着、はっきり言えば鈍いので、たぶん食べ物しか記憶に残っていないことと、彼女を可愛がっている総務の女性陣が、防波堤になっていることによって、上手いこと守られているらしい。
その合間を縫って現れた俺というダークホースに、希さんを狙っている男達が色めき立ったのは言うまでもない。当然だ。会社どころか俺は休日も希さんと会っている。映画を観に行ったり散歩したり、時には希さんお手製のお弁当を食べたり、自分でも驚くほど希さん一色に染まっている。そしてあえてそれを隠していない。
「私の顔なんて見たくないんじゃないですか?」
俺がまだ別れた恋人のことを引きずっていると疑わない希さんが、一度そんなふうに訊ねてきたことがある。現場に居合わせたわけではなくても、別れの直後に関わった人物だからだ。自分といると俺が余計なことを思い出して、辛くなってしまうのではないかと考えているのだ。
確かに本来ならそうなのかもしれない。でも俺は希さんに会うと元気になれた。むしろ彼女のちょっとずれた思考に触れるのも面白かった。一緒にいると苦しかった筈の出来事も遠くなり、呼吸も食べることも楽にできるようになった。やけ食いの助太刀を頼む日も近いような気さえした。
もう希さんがいない毎日なんて考えられない。友情でも愛情でもないこの気持ちは一体何なのだろう。それは同期の島津が彼女を食事に誘ったことで、はっきりと自覚するところとなった。俺は決して島津とは不仲ではない。むしろ他人に話していない諸々の心情を吐露しあうくらいには、同僚で唯一信頼できる男だ。
その島津が希さんの隣に寄り添い、手を取って、二人きりで食事に行くという。それだけで一気に腸が煮えくり返った。希さんに触るな、離れろ、名前を呼ぶなと叫びそうになるのを必死で押さえた。
ーー希さんは俺のものだ。誰にも渡さない。
言葉にできない迸る本音に気づいたとき、同時にまた希さんを愛しく想う自分を認めた。でもどうしてそれを彼女に告げられよう。希さんは俺が他の人との結婚を願っていた事実を知っている。現在もまだその人を忘れらずに大切に想っていると信じている。
実際俺は別れた上司を完全に吹っ切れていなかった。未練はこれっぽっちもなかったが、捨てきれていない婚約指輪と共に、自分の身の内に燻っている何かがあるのは確かだ。そんな状態で好きだと口にしても希さんに軽蔑されるだけだ。
「じゃあいつだったらいいんだよ?」
煮え切らない俺に島津が呆れてぼやく。
「悪いが俺はマジでびびったからな。お前に人を威嚇できるとは思わなかった。主任のときは彼女が誰といようが、嫉妬のしの字も見られなかったのに。あの子のどこがそんなに良かったんだ?」
分からない。いや希さんの良さは言葉にするのが難しい。ただ。
「傍にいるだけで満たされるんだ。あの人の隣にいる権利を、誰にも譲りたくないんだ。例え相手がお前でも」
「げっ! 今度は惚気かよ。そんな台詞吐く奴じゃなかったのに。一体どうしちゃったんだ佐伯」
だから自分でも分からない。でも希さんが欲しくて欲しくて堪らない。この腕に抱きたくて仕方ない。
「なぁ、島津。俺ってただの浮気性なのかな…」
主任のことが冷めやらぬうちに、希さんのことも好きだなんて。俺はこんな愛情を巻き散らかすいい加減な男だったのか。
「希ちゃんへの想いが浮気に該当するなら、世の中の大部分の男の好意は、すべからく浮気になってしまうだろうが。ったく」
項垂れる俺を島津が叱りつける。
「正直にぶつかってこい。あの子はいい意味で変わってるから、案外お前の気持ちを真正面から受け止めてくれるかもしれないぞ?」
そうして島津に背中を押されて俺は希さんにプロポーズした。恋や愛で繋がった二人ではないけれど、あなたがいてくれるだけで充分なのだから。
「えーっ! 交際を申し込むんじゃなかったのかよ? いきなりプロポーズって正気かお前? 一途な男は恐ろしい」
後で結婚する旨を報告した島津からは、今世紀最大のどっきりだと仰天されてしまったが。
競うように出張土産を持参して、顔を売り込む男の多いこと。希さん本人が無頓着、はっきり言えば鈍いので、たぶん食べ物しか記憶に残っていないことと、彼女を可愛がっている総務の女性陣が、防波堤になっていることによって、上手いこと守られているらしい。
その合間を縫って現れた俺というダークホースに、希さんを狙っている男達が色めき立ったのは言うまでもない。当然だ。会社どころか俺は休日も希さんと会っている。映画を観に行ったり散歩したり、時には希さんお手製のお弁当を食べたり、自分でも驚くほど希さん一色に染まっている。そしてあえてそれを隠していない。
「私の顔なんて見たくないんじゃないですか?」
俺がまだ別れた恋人のことを引きずっていると疑わない希さんが、一度そんなふうに訊ねてきたことがある。現場に居合わせたわけではなくても、別れの直後に関わった人物だからだ。自分といると俺が余計なことを思い出して、辛くなってしまうのではないかと考えているのだ。
確かに本来ならそうなのかもしれない。でも俺は希さんに会うと元気になれた。むしろ彼女のちょっとずれた思考に触れるのも面白かった。一緒にいると苦しかった筈の出来事も遠くなり、呼吸も食べることも楽にできるようになった。やけ食いの助太刀を頼む日も近いような気さえした。
もう希さんがいない毎日なんて考えられない。友情でも愛情でもないこの気持ちは一体何なのだろう。それは同期の島津が彼女を食事に誘ったことで、はっきりと自覚するところとなった。俺は決して島津とは不仲ではない。むしろ他人に話していない諸々の心情を吐露しあうくらいには、同僚で唯一信頼できる男だ。
その島津が希さんの隣に寄り添い、手を取って、二人きりで食事に行くという。それだけで一気に腸が煮えくり返った。希さんに触るな、離れろ、名前を呼ぶなと叫びそうになるのを必死で押さえた。
ーー希さんは俺のものだ。誰にも渡さない。
言葉にできない迸る本音に気づいたとき、同時にまた希さんを愛しく想う自分を認めた。でもどうしてそれを彼女に告げられよう。希さんは俺が他の人との結婚を願っていた事実を知っている。現在もまだその人を忘れらずに大切に想っていると信じている。
実際俺は別れた上司を完全に吹っ切れていなかった。未練はこれっぽっちもなかったが、捨てきれていない婚約指輪と共に、自分の身の内に燻っている何かがあるのは確かだ。そんな状態で好きだと口にしても希さんに軽蔑されるだけだ。
「じゃあいつだったらいいんだよ?」
煮え切らない俺に島津が呆れてぼやく。
「悪いが俺はマジでびびったからな。お前に人を威嚇できるとは思わなかった。主任のときは彼女が誰といようが、嫉妬のしの字も見られなかったのに。あの子のどこがそんなに良かったんだ?」
分からない。いや希さんの良さは言葉にするのが難しい。ただ。
「傍にいるだけで満たされるんだ。あの人の隣にいる権利を、誰にも譲りたくないんだ。例え相手がお前でも」
「げっ! 今度は惚気かよ。そんな台詞吐く奴じゃなかったのに。一体どうしちゃったんだ佐伯」
だから自分でも分からない。でも希さんが欲しくて欲しくて堪らない。この腕に抱きたくて仕方ない。
「なぁ、島津。俺ってただの浮気性なのかな…」
主任のことが冷めやらぬうちに、希さんのことも好きだなんて。俺はこんな愛情を巻き散らかすいい加減な男だったのか。
「希ちゃんへの想いが浮気に該当するなら、世の中の大部分の男の好意は、すべからく浮気になってしまうだろうが。ったく」
項垂れる俺を島津が叱りつける。
「正直にぶつかってこい。あの子はいい意味で変わってるから、案外お前の気持ちを真正面から受け止めてくれるかもしれないぞ?」
そうして島津に背中を押されて俺は希さんにプロポーズした。恋や愛で繋がった二人ではないけれど、あなたがいてくれるだけで充分なのだから。
「えーっ! 交際を申し込むんじゃなかったのかよ? いきなりプロポーズって正気かお前? 一途な男は恐ろしい」
後で結婚する旨を報告した島津からは、今世紀最大のどっきりだと仰天されてしまったが。
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