空っぽの薬指

文月 青

文字の大きさ
52 / 53
番外編 出会った頃の

2

しおりを挟む
俺はそれから自然に希さんの動向を気にかけるようになった。総務に用事があれば窓口が希さんの担当ではなくても、わざわざデスクまで近づいて話しかけたり、食堂等で姿を見かけたら挨拶を交わしたり。実は今更ながら知ったのだが、希さんは意外と男性社員に人気がある。

競うように出張土産を持参して、顔を売り込む男の多いこと。希さん本人が無頓着、はっきり言えば鈍いので、たぶん食べ物しか記憶に残っていないことと、彼女を可愛がっている総務の女性陣が、防波堤になっていることによって、上手いこと守られているらしい。

その合間を縫って現れた俺というダークホースに、希さんを狙っている男達が色めき立ったのは言うまでもない。当然だ。会社どころか俺は休日も希さんと会っている。映画を観に行ったり散歩したり、時には希さんお手製のお弁当を食べたり、自分でも驚くほど希さん一色に染まっている。そしてあえてそれを隠していない。

「私の顔なんて見たくないんじゃないですか?」

俺がまだ別れた恋人のことを引きずっていると疑わない希さんが、一度そんなふうに訊ねてきたことがある。現場に居合わせたわけではなくても、別れの直後に関わった人物だからだ。自分といると俺が余計なことを思い出して、辛くなってしまうのではないかと考えているのだ。

確かに本来ならそうなのかもしれない。でも俺は希さんに会うと元気になれた。むしろ彼女のちょっとずれた思考に触れるのも面白かった。一緒にいると苦しかった筈の出来事も遠くなり、呼吸も食べることも楽にできるようになった。やけ食いの助太刀を頼む日も近いような気さえした。

もう希さんがいない毎日なんて考えられない。友情でも愛情でもないこの気持ちは一体何なのだろう。それは同期の島津が彼女を食事に誘ったことで、はっきりと自覚するところとなった。俺は決して島津とは不仲ではない。むしろ他人に話していない諸々の心情を吐露しあうくらいには、同僚で唯一信頼できる男だ。

その島津が希さんの隣に寄り添い、手を取って、二人きりで食事に行くという。それだけで一気に腸が煮えくり返った。希さんに触るな、離れろ、名前を呼ぶなと叫びそうになるのを必死で押さえた。

ーー希さんは俺のものだ。誰にも渡さない。

言葉にできない迸る本音に気づいたとき、同時にまた希さんを愛しく想う自分を認めた。でもどうしてそれを彼女に告げられよう。希さんは俺が他の人との結婚を願っていた事実を知っている。現在もまだその人を忘れらずに大切に想っていると信じている。

実際俺は別れた上司を完全に吹っ切れていなかった。未練はこれっぽっちもなかったが、捨てきれていない婚約指輪と共に、自分の身の内に燻っている何かがあるのは確かだ。そんな状態で好きだと口にしても希さんに軽蔑されるだけだ。

「じゃあいつだったらいいんだよ?」

煮え切らない俺に島津が呆れてぼやく。

「悪いが俺はマジでびびったからな。お前に人を威嚇できるとは思わなかった。主任のときは彼女が誰といようが、嫉妬のしの字も見られなかったのに。あの子のどこがそんなに良かったんだ?」

分からない。いや希さんの良さは言葉にするのが難しい。ただ。

「傍にいるだけで満たされるんだ。あの人の隣にいる権利を、誰にも譲りたくないんだ。例え相手がお前でも」

「げっ! 今度は惚気かよ。そんな台詞吐く奴じゃなかったのに。一体どうしちゃったんだ佐伯」

だから自分でも分からない。でも希さんが欲しくて欲しくて堪らない。この腕に抱きたくて仕方ない。

「なぁ、島津。俺ってただの浮気性なのかな…」

主任のことが冷めやらぬうちに、希さんのことも好きだなんて。俺はこんな愛情を巻き散らかすいい加減な男だったのか。

「希ちゃんへの想いが浮気に該当するなら、世の中の大部分の男の好意は、すべからく浮気になってしまうだろうが。ったく」

項垂れる俺を島津が叱りつける。

「正直にぶつかってこい。あの子はいい意味で変わってるから、案外お前の気持ちを真正面から受け止めてくれるかもしれないぞ?」

そうして島津に背中を押されて俺は希さんにプロポーズした。恋や愛で繋がった二人ではないけれど、あなたがいてくれるだけで充分なのだから。

「えーっ! 交際を申し込むんじゃなかったのかよ? いきなりプロポーズって正気かお前? 一途な男は恐ろしい」

後で結婚する旨を報告した島津からは、今世紀最大のどっきりだと仰天されてしまったが。





しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

【完結】仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

彼女にも愛する人がいた

まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。 「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」 そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。 餓死だと? この王宮で?  彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。 俺の背中を嫌な汗が流れた。 では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…? そんな馬鹿な…。信じられなかった。 だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。 「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。 彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。 俺はその報告に愕然とした。

【完結】愛したあなたは本当に愛する人と幸せになって下さい

高瀬船
恋愛
伯爵家のティアーリア・クランディアは公爵家嫡男、クライヴ・ディー・アウサンドラと婚約秒読みの段階であった。 だが、ティアーリアはある日クライヴと彼の従者二人が話している所に出くわし、聞いてしまう。 クライヴが本当に婚約したかったのはティアーリアの妹のラティリナであったと。 ショックを受けるティアーリアだったが、愛する彼の為自分は身を引く事を決意した。 【誤字脱字のご報告ありがとうございます!小っ恥ずかしい誤字のご報告ありがとうございます!個別にご返信出来ておらず申し訳ございません( •́ •̀ )】

失った真実の愛を息子にバカにされて口車に乗せられた

しゃーりん
恋愛
20数年前、婚約者ではない令嬢を愛し、結婚した現国王。 すぐに産まれた王太子は2年前に結婚したが、まだ子供がいなかった。 早く後継者を望まれる王族として、王太子に側妃を娶る案が出る。 この案に王太子の返事は?   王太子である息子が国王である父を口車に乗せて側妃を娶らせるお話です。

【完結】生贄になった婚約者と間に合わなかった王子

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
フィーは第二王子レイフの婚約者である。 しかし、仲が良かったのも今は昔。 レイフはフィーとのお茶会をすっぽかすようになり、夜会にエスコートしてくれたのはデビューの時だけだった。 いつしか、レイフはフィーに嫌われていると噂がながれるようになった。 それでも、フィーは信じていた。 レイフは魔法の研究に熱心なだけだと。 しかし、ある夜会で研究室の同僚をエスコートしている姿を見てこころが折れてしまう。 そして、フィーは国守樹の乙女になることを決意する。 国守樹の乙女、それは樹に喰らわれる生贄だった。

私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです

こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。 まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。 幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。 「子供が欲しいの」 「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」 それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。

処理中です...