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番外編
この熱は風邪のせい 前
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十一月も半ばを過ぎた。今年の天候不順は夏だけに限らなかったようで、今月に入ってから寒暖差が激しく、前日との温度差が十度近い日も珍しくない。ぬくぬくした翌日には雪の予報が出るのだから、生き物は皆調子が狂っていることだろう。
そんなある休日。俺は水島と二人でご贔屓のプロ野球チームのファン感謝祭に出かけた。これは名前の通り日頃応援してくれているファンのために、球団が感謝を込めて様々な企画を催してくれるイベント。普段は立ち入ることができないフィールドや、移動の際に使っているバスを開放したり、トークショーやハイタッチなどで生身の選手と触れ合えたりと、通常の試合とは違った楽しみが満載だ。
ちなみに場内のイベントに参加するには入場券が必要になる。もちろん格安価格で販売されるが、競争率が激しくて席を押さえるのはなかなか大変だ。
「近くで見ると野球選手の方ってもの凄く大きいんですね」
テレビで試合を観戦する際には感じない、スポーツ選手ならではの鍛えた体を目の当たりにして、水島は感嘆の声を上げた。
「皆大きいからテレビじゃ分かり辛いよな」
場内の自由席で選手プロデュースの弁当を食べながら相槌を打つ。俺も初めて間近で選手を見たときは驚いたものだ。
「ところでこのルーキーパフォーマンスって何ですか?」
同じように隣りで弁当をぱくつきながら、水島が膝に置いたイベントガイドの一カ所を指差した。
「それか」
俺はつい苦笑してしまう。このチームの新人選手は毎年感謝祭で女装を披露するのが恒例となっている。初々しさとはまた別の微妙な感じがある意味親しみを呼び、実はファンにはかなり好評の企画らしい。朝のうちにちらついていた小雨も完全に止んだので、大いに盛り上がることだろう。
「面白そうですね」
嬉しそうに笑う水島。俺は何となく先週のやり取りを思い起こす。
高校野球の秋季大会が終わった後、水島には野球少年から時々連絡が入っていた。代表を逃したのでしばらくは大きな大会はないが、近場の練習試合だけでなく日曜日の通常練習にも誘われているらしい。今日の感謝祭も午前中は練習があるから、午後だけでも一緒に行けないかと打診されたという。
「俺は構わないぞ。野球少年と行けばいい」
野球少年が水島のことを好きだと前に和泉に教えられた。二人がそうしたいというならもとより俺は他の友人と行くつもりだ。
「脇坂と行くんじゃないんですか?」
水島の部屋で宿題の答え合わせをしていたら、彼女は不思議そうに首を傾げた。俺はそんな水島に眉を顰める。
「お前、野球少年に何か言われてないのか?」
「何かって、何ですか?」
質問に質問で返されて俺はうーんと唸った。どうやらまだ惚れた腫れたの展開にはなっていないらしい。でも少年が結構積極的にアプローチをかけているのは、そういった面倒臭いものとは縁を作りたくない俺でも薄々分かる。こいつはたぶんそんな俺より鈍いのだ。
「別にいい。とにかく二人で行ってこい」
教科書の頁を捲りつつ俺は手でしっしっと水島を追い払う真似をした。
「何故ですか? 私は脇坂と行くんでしょう?」
珍しく水島が食い下がる。
「約束なんかしてないだろ」
今度は反対側に首を傾げて呟いた。
「そういえばそうですね。でもそんなのいつものことです。そうでしょう?」
そうばかり三連発してから俺に伺いを立てる。勝手に入場券を二枚購入済みの自分には答えられない。何故なら俺も確認なんか一度もしていないのに、水島と連れ立っていくものだと無意識のうちに思っていたからだ。野球少年の話を聞くまでは。
「いいのか?」
野球少年とじゃなくても。続く台詞を飲み込む。水島は珍しくはっきり分かるくらい破顔した。
「決定事項でしょう」
その一言に訳もなく心臓がことりと小さな音を鳴らし、俺は落ち着かない気分で水島に諾の意味を込めて頷いた。それだけで通じた水島はやっぱり笑顔のままで、見てはいけないものを見てしまった俺は目のやり場に困った。
「楽しかったですね」
球場からほど近い在来線の駅まで歩いている最中、ボールペンやクリアファイル、今年の名場面が特集されているメモリアルブックを買い込んだ水島が、荷物の入った袋を手に満足そうに洩らした。
例のルーキーパフォーマンスや新入団選手の紹介、退団する選手のセレモニーなどイベントの全日程が終了し、俺達は並んで帰路に着いている。残念ながら球場隣接の駐車場の利用券は買えなかったので今日は電車だ。球団のロゴやマスコットキャラクターをあしらった歩道は、同じ目的の大勢の人で溢れている。
「そうだな」
「来年も来ましょうね」
張り切る水島が面白い。こいつは最近表情も動きも分りやすくなった。そのうち野球少年じゃなくても寄ってくる男がきっと出てくる。
「あぁ」
何だか頭がぼんやりする。風邪をひいたのかもしれない。だからだ。水島は来年の今頃、果たして俺の隣にいるのだろうかなんて妙な考えが浮かんだのは。
そんなある休日。俺は水島と二人でご贔屓のプロ野球チームのファン感謝祭に出かけた。これは名前の通り日頃応援してくれているファンのために、球団が感謝を込めて様々な企画を催してくれるイベント。普段は立ち入ることができないフィールドや、移動の際に使っているバスを開放したり、トークショーやハイタッチなどで生身の選手と触れ合えたりと、通常の試合とは違った楽しみが満載だ。
ちなみに場内のイベントに参加するには入場券が必要になる。もちろん格安価格で販売されるが、競争率が激しくて席を押さえるのはなかなか大変だ。
「近くで見ると野球選手の方ってもの凄く大きいんですね」
テレビで試合を観戦する際には感じない、スポーツ選手ならではの鍛えた体を目の当たりにして、水島は感嘆の声を上げた。
「皆大きいからテレビじゃ分かり辛いよな」
場内の自由席で選手プロデュースの弁当を食べながら相槌を打つ。俺も初めて間近で選手を見たときは驚いたものだ。
「ところでこのルーキーパフォーマンスって何ですか?」
同じように隣りで弁当をぱくつきながら、水島が膝に置いたイベントガイドの一カ所を指差した。
「それか」
俺はつい苦笑してしまう。このチームの新人選手は毎年感謝祭で女装を披露するのが恒例となっている。初々しさとはまた別の微妙な感じがある意味親しみを呼び、実はファンにはかなり好評の企画らしい。朝のうちにちらついていた小雨も完全に止んだので、大いに盛り上がることだろう。
「面白そうですね」
嬉しそうに笑う水島。俺は何となく先週のやり取りを思い起こす。
高校野球の秋季大会が終わった後、水島には野球少年から時々連絡が入っていた。代表を逃したのでしばらくは大きな大会はないが、近場の練習試合だけでなく日曜日の通常練習にも誘われているらしい。今日の感謝祭も午前中は練習があるから、午後だけでも一緒に行けないかと打診されたという。
「俺は構わないぞ。野球少年と行けばいい」
野球少年が水島のことを好きだと前に和泉に教えられた。二人がそうしたいというならもとより俺は他の友人と行くつもりだ。
「脇坂と行くんじゃないんですか?」
水島の部屋で宿題の答え合わせをしていたら、彼女は不思議そうに首を傾げた。俺はそんな水島に眉を顰める。
「お前、野球少年に何か言われてないのか?」
「何かって、何ですか?」
質問に質問で返されて俺はうーんと唸った。どうやらまだ惚れた腫れたの展開にはなっていないらしい。でも少年が結構積極的にアプローチをかけているのは、そういった面倒臭いものとは縁を作りたくない俺でも薄々分かる。こいつはたぶんそんな俺より鈍いのだ。
「別にいい。とにかく二人で行ってこい」
教科書の頁を捲りつつ俺は手でしっしっと水島を追い払う真似をした。
「何故ですか? 私は脇坂と行くんでしょう?」
珍しく水島が食い下がる。
「約束なんかしてないだろ」
今度は反対側に首を傾げて呟いた。
「そういえばそうですね。でもそんなのいつものことです。そうでしょう?」
そうばかり三連発してから俺に伺いを立てる。勝手に入場券を二枚購入済みの自分には答えられない。何故なら俺も確認なんか一度もしていないのに、水島と連れ立っていくものだと無意識のうちに思っていたからだ。野球少年の話を聞くまでは。
「いいのか?」
野球少年とじゃなくても。続く台詞を飲み込む。水島は珍しくはっきり分かるくらい破顔した。
「決定事項でしょう」
その一言に訳もなく心臓がことりと小さな音を鳴らし、俺は落ち着かない気分で水島に諾の意味を込めて頷いた。それだけで通じた水島はやっぱり笑顔のままで、見てはいけないものを見てしまった俺は目のやり場に困った。
「楽しかったですね」
球場からほど近い在来線の駅まで歩いている最中、ボールペンやクリアファイル、今年の名場面が特集されているメモリアルブックを買い込んだ水島が、荷物の入った袋を手に満足そうに洩らした。
例のルーキーパフォーマンスや新入団選手の紹介、退団する選手のセレモニーなどイベントの全日程が終了し、俺達は並んで帰路に着いている。残念ながら球場隣接の駐車場の利用券は買えなかったので今日は電車だ。球団のロゴやマスコットキャラクターをあしらった歩道は、同じ目的の大勢の人で溢れている。
「そうだな」
「来年も来ましょうね」
張り切る水島が面白い。こいつは最近表情も動きも分りやすくなった。そのうち野球少年じゃなくても寄ってくる男がきっと出てくる。
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