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番外編
この熱は風邪のせい 後
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不可解だ、不可解だ、不可解だ! 自分は一体何をしようとしたのか。その行動の原因が全く把握できなくて、脳内が眩いほど真っ白になる。
だってこいつは女だぞ? 限りなく変で一緒にいてもそうは感じないが紛れもなく女だぞ?
動揺する自分を宥めるように深呼吸を繰り返す。苦しい。熱がまたぶり返しているのかもしれない。
水曜日の学校帰りに俺の部屋に現れて以来、水島は毎日顔を出すようになった。しかも昨日の土曜日と今日の日曜日は朝からだ。もう大丈夫だから来るなといくら説得してもきかない。そんな暇があったら野球少年のところに行け。心の中では言うくせに何故か声にしない俺。
本当はありがたいと思っている。埃っぽかった室内は空気が入れ替えられ、着替えの度にどたばたはするものの、シーツやパジャマ代わりのシャツは洗濯して綺麗になり、極めつけはろくすっぽ食べていなかった胃に沁み渡るお粥。
動くこともままならず、一人ベッドに横たわるしかなかった身からすれば、例え水島が俺の嫌いな女という生き物だとしても、やはり感謝せずにはいられない。おかげで昼には体温が三十六度八分まで下がり、もう熱にうなされることなくぐっすり眠りにつけた。
ーーそれなのに。
ふと体が軽く感じて起き上がったら、ベッドの足元に寄りかかった水島が寝息を立てていた。宿題の途中だったのか、テーブルの上には勉強道具が散らばっている。きっと疲れて眠ってしまったのだろう。規則的に上下する頭を見ながら、俺は静かにベッドを抜け出した。
時計の針は午後七時を指している。外は既に真っ暗だ。こんな時間に一人で家に帰すわけにはいかない。スマートフォンから涼に「迎え」と一言メールを打った。
「水島」
隣にしゃがみ込んで声をかけてみたもののびくともしない。
「水島」
再び名前を呼んでも結果は同じ。よほど熟睡していると見た。いくら相手が女嫌いの俺とはいえ、一人暮らしの男の部屋にいるというのに、無防備な寝顔を晒す水島にふと笑いが洩れてしまう。
「全く」
しょうがねーなとため息をつきつつ、柄にもない親切心を出したのがそもそもの間違いだったのかもしれない。頬にかかった髪を避けてやるだけのつもりだったのに、気づいたら俺は何故か水島を抱き上げていた。他意はなかったと思う。ただベッドに寝かせてやろうとしただけの筈だ。でもその華奢な体に触れたと理解した瞬間、水島を元の場所に降ろして、部屋の隅まで飛び退る自分。ばくばくと煩い音を立てる心臓。
そして冒頭に戻る。俺は水島に何をしようとしたのだろう。
壁の前で力なく項垂れたとき、ちょうどチャイムが来客を知らせた。おそらく水島を迎えに来た涼だろう。俺はのろのろ立ち上がってドアを開けた。
「まだ顔色が悪いね」
涼は部屋に足を踏み入れるなり呟いた。次に俺のベッドに頭を凭れさせて寝ている妹に視線を移し、困ったように肩を竦める。
「もしかして邪魔してない?」
俺はやんわり首を振った。
「いや、かなり助かった」
便利な昨今、一人暮らしで不都合などまずないだろうとたかを括っていたが、いざ病気をしてみると遠方にいる家族はあてにできず、水島兄妹がいなかったら今頃どうなっていたか分からない。
「それならいいけど」
肩を揺すっても一向に目覚めない水島の名を呼びつつ、涼は安堵したように口元を緩めた。
「葉菜、帰るよ」
やがて寝ぼけ眼の水島が小さな欠伸をしながら上半身を起こした。きょきょろ周囲を確認している最中に俺と目が合うと、数度瞬きをした後に慌てて歩み寄ってくる。
「熱はどうですか?」
当然のように俺の額に自分の手を乗せるものだから、驚きのあまり逃げることも叶わず硬直する俺。タイミングよく涼が背中を向けて彼女の荷物を纏めていたことが救いだ。頼むから今は近づくな。
「何かあったら連絡しなよ?」
先に車に荷物を運ぶよう促して水島を室外に出した後、無精が災いして病状をこじらせた俺に涼が念を押した。実はね、と小声で耳打ちする。俺のところではてきぱき働いていた水島だが、家では母親頼みであまり家事をしないのだという。お粥作りも失敗しては何度も練習していたんだよ、と。
「明日も葉菜を寄越すね」
玄関で靴を履く友人に、俺は堪らなくなって即座に断りを入れた。そんな話を聞いて平気でいられるわけがない。
「水島は駄目だ」
「何故」
「俺は一人暮らしなんだぞ。水島に何かあったらどうする」
涼は振り返るなり、目を二倍になったのではないかと疑いたくなるほどまん丸に見開いた。全く兄のくせに危機感が薄い。
「脇坂が、葉菜に、何か、するの?」
一語一語区切って確かめる涼。
「他に誰がいる」
さっき自分が無意識に水島にしたことが脳内を占領し、不覚にも絶対ないとは言い切れない状況に俺はぎりっと奥歯を噛んだ。そんな俺相手に涼は心底慈しむような笑みを浮かべた。
「言葉の意味を分かってる?」
だってこいつは女だぞ? 限りなく変で一緒にいてもそうは感じないが紛れもなく女だぞ?
動揺する自分を宥めるように深呼吸を繰り返す。苦しい。熱がまたぶり返しているのかもしれない。
水曜日の学校帰りに俺の部屋に現れて以来、水島は毎日顔を出すようになった。しかも昨日の土曜日と今日の日曜日は朝からだ。もう大丈夫だから来るなといくら説得してもきかない。そんな暇があったら野球少年のところに行け。心の中では言うくせに何故か声にしない俺。
本当はありがたいと思っている。埃っぽかった室内は空気が入れ替えられ、着替えの度にどたばたはするものの、シーツやパジャマ代わりのシャツは洗濯して綺麗になり、極めつけはろくすっぽ食べていなかった胃に沁み渡るお粥。
動くこともままならず、一人ベッドに横たわるしかなかった身からすれば、例え水島が俺の嫌いな女という生き物だとしても、やはり感謝せずにはいられない。おかげで昼には体温が三十六度八分まで下がり、もう熱にうなされることなくぐっすり眠りにつけた。
ーーそれなのに。
ふと体が軽く感じて起き上がったら、ベッドの足元に寄りかかった水島が寝息を立てていた。宿題の途中だったのか、テーブルの上には勉強道具が散らばっている。きっと疲れて眠ってしまったのだろう。規則的に上下する頭を見ながら、俺は静かにベッドを抜け出した。
時計の針は午後七時を指している。外は既に真っ暗だ。こんな時間に一人で家に帰すわけにはいかない。スマートフォンから涼に「迎え」と一言メールを打った。
「水島」
隣にしゃがみ込んで声をかけてみたもののびくともしない。
「水島」
再び名前を呼んでも結果は同じ。よほど熟睡していると見た。いくら相手が女嫌いの俺とはいえ、一人暮らしの男の部屋にいるというのに、無防備な寝顔を晒す水島にふと笑いが洩れてしまう。
「全く」
しょうがねーなとため息をつきつつ、柄にもない親切心を出したのがそもそもの間違いだったのかもしれない。頬にかかった髪を避けてやるだけのつもりだったのに、気づいたら俺は何故か水島を抱き上げていた。他意はなかったと思う。ただベッドに寝かせてやろうとしただけの筈だ。でもその華奢な体に触れたと理解した瞬間、水島を元の場所に降ろして、部屋の隅まで飛び退る自分。ばくばくと煩い音を立てる心臓。
そして冒頭に戻る。俺は水島に何をしようとしたのだろう。
壁の前で力なく項垂れたとき、ちょうどチャイムが来客を知らせた。おそらく水島を迎えに来た涼だろう。俺はのろのろ立ち上がってドアを開けた。
「まだ顔色が悪いね」
涼は部屋に足を踏み入れるなり呟いた。次に俺のベッドに頭を凭れさせて寝ている妹に視線を移し、困ったように肩を竦める。
「もしかして邪魔してない?」
俺はやんわり首を振った。
「いや、かなり助かった」
便利な昨今、一人暮らしで不都合などまずないだろうとたかを括っていたが、いざ病気をしてみると遠方にいる家族はあてにできず、水島兄妹がいなかったら今頃どうなっていたか分からない。
「それならいいけど」
肩を揺すっても一向に目覚めない水島の名を呼びつつ、涼は安堵したように口元を緩めた。
「葉菜、帰るよ」
やがて寝ぼけ眼の水島が小さな欠伸をしながら上半身を起こした。きょきょろ周囲を確認している最中に俺と目が合うと、数度瞬きをした後に慌てて歩み寄ってくる。
「熱はどうですか?」
当然のように俺の額に自分の手を乗せるものだから、驚きのあまり逃げることも叶わず硬直する俺。タイミングよく涼が背中を向けて彼女の荷物を纏めていたことが救いだ。頼むから今は近づくな。
「何かあったら連絡しなよ?」
先に車に荷物を運ぶよう促して水島を室外に出した後、無精が災いして病状をこじらせた俺に涼が念を押した。実はね、と小声で耳打ちする。俺のところではてきぱき働いていた水島だが、家では母親頼みであまり家事をしないのだという。お粥作りも失敗しては何度も練習していたんだよ、と。
「明日も葉菜を寄越すね」
玄関で靴を履く友人に、俺は堪らなくなって即座に断りを入れた。そんな話を聞いて平気でいられるわけがない。
「水島は駄目だ」
「何故」
「俺は一人暮らしなんだぞ。水島に何かあったらどうする」
涼は振り返るなり、目を二倍になったのではないかと疑いたくなるほどまん丸に見開いた。全く兄のくせに危機感が薄い。
「脇坂が、葉菜に、何か、するの?」
一語一語区切って確かめる涼。
「他に誰がいる」
さっき自分が無意識に水島にしたことが脳内を占領し、不覚にも絶対ないとは言い切れない状況に俺はぎりっと奥歯を噛んだ。そんな俺相手に涼は心底慈しむような笑みを浮かべた。
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