6 / 8
番外編
ゲームセット 前
しおりを挟む
これはプレゼントなんかじゃない。断じて違う。ただのお礼だ。誰にも訊かれていないのに、心の中でそんな言い訳を繰り返しながら、俺は一人で百貨店の中を彷徨っている。そうだ。店内のディスプレイがクリスマス一色なのが悪い。だからおかしな考えが浮かんでしまうのだ。
十二月半ばの土曜日。俺は水島へのお礼の品を買うために、珍しく普段は足を踏み込まないような店を訪れていた。先日体調を崩したとき水島にはかなり世話になったので、少しばかり感謝を伝えようと何か欲しい物がないか訊ねてみたのだが、
「当たり前のことをしただけですから」
水島はあっさり首を横に振った。うん。正直そんな気はしていた。あいつはそこでたかるような奴じゃない。なのでこうして仕方なく一人で出かけてはきたものの、世間は景気が良いのか悪いのかどこもかしこも人だらけ。おまけに女物の服や雑貨なんてちんぷんかんぷん。
そもそも水島の欲しいものなんて本しか思い浮かばない。試しに涼に確認しても見当がつかず、本人に聞くのが一番だよ、と意味ありげに笑われる始末。考えてみれば菓子折り一つでも持っていけば済むのに、一体何をやっているんだろうか俺は。
「まーさと」
いい加減帰ろうかとため息をついていたとき、いきなり左腕に細い両手が絡みついた。現在関わりのある女の中で俺をそう呼ぶのも、こんな真似をするのも一人しかいない。
「こんな所で何やってんの?」
着飾って変な匂いを纏った和泉が、これまた睫毛ばさばさの濃い化粧で俺の顔を覗き込んでくる。
「離れろ」
容赦なく手を振り払って俺はさっさと歩き出した。せっかくの休日までこんな女に邪魔をされたくない。
「冷たいなぁ」
ぼやきつつも全くめげる様子も見せず、勝手にあーだこーだ喋りながら後を着いてくる。
「ところで雅人。クリスマスの予定は?」
そんなものはない。昨年も友人達と酒を飲んでいた。集まるのは大抵独り者だから、途中で女の愚痴になるのが少々うっとおしいが。
そういえば水島はどうするのだろう。看病してもらって以来、水島はたまに俺の部屋に現れる。約束しているわけではないので、お互いの都合があったときだけ、勉強を教えてやったり、逆に飯を作ってもらったりはしているが、クリスマスも来るのだろうか。
「葉菜ちゃんはうちの妹や、例の野球部の子と集まるみたいよ」
要らない情報を和泉が吹き込んでくる。ちっと舌打ちしたい気分になった。こいつは本当に他人の神経を逆なでするのが得意だ。
「だから雅人、私と」
「黙れ」
自分でも意外なほど低い声が出た。苛々する。でも一体何に。立ち止まった和泉を振り返りもせず、俺は早足でその場を去った。
結局買物は諦めて自宅に戻った。駐車場に車を停めてアパートの階段を上る。二階の一番奥の俺の部屋の前に、水島がぺたんと座り込んでいた。いつぞやのように横には大きな紙袋。雑誌だろうか。俺が近づいているのにも気づかずに、一心不乱に読んでいる。
「水島」
鍵の音をさせながら声をかけると、驚いたように顔を上げた。雪の気配がないとはいえ、この時期の夕方は結構冷え込む。水島もどことなく寒そうだ。
「お帰りなさい。勝手にすみません」
慌てて腰を上げ、ぴょこんと頭を下げる。水島は近所に迷惑をかけたりしないので、待っていられたくらいで怒りはしないが、こいつのまず自分の非礼を詫びる姿勢は、こちらも見ていて気持ちがいい。どこかの図々しい馬鹿女に、爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい。
「いや、入れ」
ドアを開けて中を顎でしゃくる。水島はお邪魔しますと一言断って靴を脱いだ。暖房を入れて何か飲むかと訊こうとしたら、彼女が慣れた手つきでコーヒーを淹れていた。キッチンやら風呂やら水回り関係は、寝込んでいる間に水島が整えてくれたので、実は自分の部屋ながら、俺は物の在り処が今一つ把握できていない。
「どうぞ」
当然のように目の前にコーヒーを差し出される。
「あぁ」
これじゃどちらが住人か分からない。しばらく無言でコーヒーを味わった後、俺は水島にクリスマスの予定を訊ねてみた。
「お前、クリスマスは野球少年と何かやるのか?」
「いいえ。お誘いはありましたけど」
和泉の話は嘘ではなかったらしい。ただ実際水島の口から出たのは、大勢でのクリスマスパーティーではなく、少年と二人きりでという設定だった。友人カップルは当然二人で楽しむのだから、あぶれ者同士で仲よく遊ぼうといった体のようだ。あぶれ者云々は本音ではないだろうが、おそらく今回も水島は少年の真意には気づいていないだろう。
「脇坂、今日は鍋にしませんか?」
唐突に雑誌を俺の目の前で広げる水島。さっき読んでいたものだろうか。我が家の鍋特集なる記事が写真入りで紹介されている。
「美味そうだな」
さすがにこの部屋で鍋をしたことはない。せいぜい酒を飲みに行って居酒屋でつつく程度だ。
「じゃあ準備しますね」
大きな紙袋を抱えてキッチンに移動した水島は、見覚えのあるエプロンをつけると、予め用意してきた食材を手に嬉々として作業を始めた。その後ろ姿を眺めつつ、ふとあの日の涼の台詞を思い出す。
「言葉の意味を分かってる?」
水島に手を出す可能性があるから、彼女をうちに寄越すなと頼んだ俺に返された問い。その後水島とこうして二人でいても、とりあえず発作(という表現が妥当かどうかは知らねど、俺にとってはしっくりくる)は起きないので、熱のせいで一時的に錯乱しただけだったのだろうが、正直いまだに何を指しているのか、涼が何を分からせようとしているのか、全くもって掴めない。難題だ。
十二月半ばの土曜日。俺は水島へのお礼の品を買うために、珍しく普段は足を踏み込まないような店を訪れていた。先日体調を崩したとき水島にはかなり世話になったので、少しばかり感謝を伝えようと何か欲しい物がないか訊ねてみたのだが、
「当たり前のことをしただけですから」
水島はあっさり首を横に振った。うん。正直そんな気はしていた。あいつはそこでたかるような奴じゃない。なのでこうして仕方なく一人で出かけてはきたものの、世間は景気が良いのか悪いのかどこもかしこも人だらけ。おまけに女物の服や雑貨なんてちんぷんかんぷん。
そもそも水島の欲しいものなんて本しか思い浮かばない。試しに涼に確認しても見当がつかず、本人に聞くのが一番だよ、と意味ありげに笑われる始末。考えてみれば菓子折り一つでも持っていけば済むのに、一体何をやっているんだろうか俺は。
「まーさと」
いい加減帰ろうかとため息をついていたとき、いきなり左腕に細い両手が絡みついた。現在関わりのある女の中で俺をそう呼ぶのも、こんな真似をするのも一人しかいない。
「こんな所で何やってんの?」
着飾って変な匂いを纏った和泉が、これまた睫毛ばさばさの濃い化粧で俺の顔を覗き込んでくる。
「離れろ」
容赦なく手を振り払って俺はさっさと歩き出した。せっかくの休日までこんな女に邪魔をされたくない。
「冷たいなぁ」
ぼやきつつも全くめげる様子も見せず、勝手にあーだこーだ喋りながら後を着いてくる。
「ところで雅人。クリスマスの予定は?」
そんなものはない。昨年も友人達と酒を飲んでいた。集まるのは大抵独り者だから、途中で女の愚痴になるのが少々うっとおしいが。
そういえば水島はどうするのだろう。看病してもらって以来、水島はたまに俺の部屋に現れる。約束しているわけではないので、お互いの都合があったときだけ、勉強を教えてやったり、逆に飯を作ってもらったりはしているが、クリスマスも来るのだろうか。
「葉菜ちゃんはうちの妹や、例の野球部の子と集まるみたいよ」
要らない情報を和泉が吹き込んでくる。ちっと舌打ちしたい気分になった。こいつは本当に他人の神経を逆なでするのが得意だ。
「だから雅人、私と」
「黙れ」
自分でも意外なほど低い声が出た。苛々する。でも一体何に。立ち止まった和泉を振り返りもせず、俺は早足でその場を去った。
結局買物は諦めて自宅に戻った。駐車場に車を停めてアパートの階段を上る。二階の一番奥の俺の部屋の前に、水島がぺたんと座り込んでいた。いつぞやのように横には大きな紙袋。雑誌だろうか。俺が近づいているのにも気づかずに、一心不乱に読んでいる。
「水島」
鍵の音をさせながら声をかけると、驚いたように顔を上げた。雪の気配がないとはいえ、この時期の夕方は結構冷え込む。水島もどことなく寒そうだ。
「お帰りなさい。勝手にすみません」
慌てて腰を上げ、ぴょこんと頭を下げる。水島は近所に迷惑をかけたりしないので、待っていられたくらいで怒りはしないが、こいつのまず自分の非礼を詫びる姿勢は、こちらも見ていて気持ちがいい。どこかの図々しい馬鹿女に、爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい。
「いや、入れ」
ドアを開けて中を顎でしゃくる。水島はお邪魔しますと一言断って靴を脱いだ。暖房を入れて何か飲むかと訊こうとしたら、彼女が慣れた手つきでコーヒーを淹れていた。キッチンやら風呂やら水回り関係は、寝込んでいる間に水島が整えてくれたので、実は自分の部屋ながら、俺は物の在り処が今一つ把握できていない。
「どうぞ」
当然のように目の前にコーヒーを差し出される。
「あぁ」
これじゃどちらが住人か分からない。しばらく無言でコーヒーを味わった後、俺は水島にクリスマスの予定を訊ねてみた。
「お前、クリスマスは野球少年と何かやるのか?」
「いいえ。お誘いはありましたけど」
和泉の話は嘘ではなかったらしい。ただ実際水島の口から出たのは、大勢でのクリスマスパーティーではなく、少年と二人きりでという設定だった。友人カップルは当然二人で楽しむのだから、あぶれ者同士で仲よく遊ぼうといった体のようだ。あぶれ者云々は本音ではないだろうが、おそらく今回も水島は少年の真意には気づいていないだろう。
「脇坂、今日は鍋にしませんか?」
唐突に雑誌を俺の目の前で広げる水島。さっき読んでいたものだろうか。我が家の鍋特集なる記事が写真入りで紹介されている。
「美味そうだな」
さすがにこの部屋で鍋をしたことはない。せいぜい酒を飲みに行って居酒屋でつつく程度だ。
「じゃあ準備しますね」
大きな紙袋を抱えてキッチンに移動した水島は、見覚えのあるエプロンをつけると、予め用意してきた食材を手に嬉々として作業を始めた。その後ろ姿を眺めつつ、ふとあの日の涼の台詞を思い出す。
「言葉の意味を分かってる?」
水島に手を出す可能性があるから、彼女をうちに寄越すなと頼んだ俺に返された問い。その後水島とこうして二人でいても、とりあえず発作(という表現が妥当かどうかは知らねど、俺にとってはしっくりくる)は起きないので、熱のせいで一時的に錯乱しただけだったのだろうが、正直いまだに何を指しているのか、涼が何を分からせようとしているのか、全くもって掴めない。難題だ。
0
あなたにおすすめの小説
壊れていく音を聞きながら
夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。
妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪
何気ない日常のひと幕が、
思いもよらない“ひび”を生んでいく。
母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。
誰も気づきがないまま、
家族のかたちが静かに崩れていく――。
壊れていく音を聞きながら、
それでも誰かを思うことはできるのか。
愛のゆくえ【完結】
春の小径
恋愛
私、あなたが好きでした
ですが、告白した私にあなたは言いました
「妹にしか思えない」
私は幼馴染みと婚約しました
それなのに、あなたはなぜ今になって私にプロポーズするのですか?
☆12時30分より1時間更新
(6月1日0時30分 完結)
こう言う話はサクッと完結してから読みたいですよね?
……違う?
とりあえず13日後ではなく13時間で完結させてみました。
他社でも公開
(完結)私が貴方から卒業する時
青空一夏
恋愛
私はペシオ公爵家のソレンヌ。ランディ・ヴァレリアン第2王子は私の婚約者だ。彼に幼い頃慰めてもらった思い出がある私はずっと恋をしていたわ。
だから、ランディ様に相応しくなれるよう努力してきたの。でもね、彼は・・・・・・
※なんちゃって西洋風異世界。現代的な表現や機器、お料理などでてくる可能性あり。史実には全く基づいておりません。
聞き分けよくしていたら婚約者が妹にばかり構うので、困らせてみることにした
今川幸乃
恋愛
カレン・ブライスとクライン・ガスターはどちらも公爵家の生まれで政略結婚のために婚約したが、お互い愛し合っていた……はずだった。
二人は貴族が通う学園の同級生で、クラスメイトたちにもその仲の良さは知られていた。
しかし、昨年クラインの妹、レイラが貴族が学園に入学してから状況が変わった。
元々人のいいところがあるクラインは、甘えがちな妹にばかり構う。
そのたびにカレンは聞き分けよく我慢せざるをえなかった。
が、ある日クラインがレイラのためにデートをすっぽかしてからカレンは決心する。
このまま聞き分けのいい婚約者をしていたところで状況は悪くなるだけだ、と。
※ざまぁというよりは改心系です。
※4/5【レイラ視点】【リーアム視点】の間に、入れ忘れていた【女友達視点】の話を追加しました。申し訳ありません。
裏切られた令嬢は死を選んだ。そして……
希猫 ゆうみ
恋愛
スチュアート伯爵家の令嬢レーラは裏切られた。
幼馴染に婚約者を奪われたのだ。
レーラの17才の誕生日に、二人はキスをして、そして言った。
「一度きりの人生だから、本当に愛せる人と結婚するよ」
「ごめんねレーラ。ロバートを愛してるの」
誕生日に婚約破棄されたレーラは絶望し、生きる事を諦めてしまう。
けれど死にきれず、再び目覚めた時、新しい人生が幕を開けた。
レーラに許しを請い、縋る裏切り者たち。
心を鎖し生きて行かざるを得ないレーラの前に、一人の求婚者が現れる。
強く気高く冷酷に。
裏切り者たちが落ちぶれていく様を眺めながら、レーラは愛と幸せを手に入れていく。
☆完結しました。ありがとうございました!☆
(ホットランキング8位ありがとうございます!(9/10、19:30現在))
(ホットランキング1位~9位~2位ありがとうございます!(9/6~9))
(ホットランキング1位!?ありがとうございます!!(9/5、13:20現在))
(ホットランキング9位ありがとうございます!(9/4、18:30現在))
行き場を失った恋の終わらせ方
当麻月菜
恋愛
「君との婚約を白紙に戻してほしい」
自分の全てだったアイザックから別れを切り出されたエステルは、どうしてもこの恋を終わらすことができなかった。
避け続ける彼を求めて、復縁を願って、あの日聞けなかった答えを得るために、エステルは王城の夜会に出席する。
しかしやっと再会できた、そこには見たくない現実が待っていて……
恋の終わりを見届ける貴族青年と、行き場を失った恋の中をさ迷う令嬢の終わりと始まりの物語。
※他のサイトにも重複投稿しています。
【完結】その約束は果たされる事はなく
かずきりり
恋愛
貴方を愛していました。
森の中で倒れていた青年を献身的に看病をした。
私は貴方を愛してしまいました。
貴方は迎えに来ると言っていたのに…叶わないだろうと思いながらも期待してしまって…
貴方を諦めることは出来そうもありません。
…さようなら…
-------
※ハッピーエンドではありません
※3話完結となります
※こちらの作品はカクヨムにも掲載しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる