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4章「哀れな死者たちの世界」
血塗れの墓地 【第3階層】
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―第2階層から、第3階層へ。
足を踏み入れた途端、2人は顔をしかめた。
何故なら、壁や天井、床の至る所に血痕と思しき赤黒い跡があり、それは壁に彫られたくぼみの中にある幾つもの墓碑にまで及んでいた。古びて薄くなった血の香りが、空気に漂う。
―《【血塗れの墓地】に入った》
壁に等間隔に配置された光精石の松明の光や、壁や床に這う蔦の色までもが血の赤色を帯びている。蔦の所々に見えるのは、何かの花の蕾か。
床に古びた白骨が散らばっていたりするのは変わりないのだが、ここには今までとは違う箇所がある。
まず、床や壁の石の隙間に突き立てられていたり床に散らかっている、無数の折れたり壊れたりした古い武器の群。
そしてまだ形を留めている白骨が纏うのは、これまた壊れた鎧や兜などだ。
これらから推測できることは…
「戦い、か」
「この階層に葬られたのは、兵士とか戦士だったんでしょうね」
白骨を踏みながら、辺りを見回して軽く溜息をつく。
墓碑に彫られた文字は悉く掠れ、もう読むことすらできないほど風化してしまっている。
そんな、名も知れぬ墓が立ち並ぶ中を2人はゆっくりと進んでいく。
―やがて、広い部屋に出た。
神殿っぽいレリーフがそこここに見受けられる、今までとは少し造りの違う部屋。
ここにも血痕は、無数にあった。
エヴァンの傍らのトーラムが、「きゅるるる」と鳴く。
「うっ…」
「酷い、血の香りだな…」
辺りに目を向ければ、生々しい光景が広がっているのが嫌でもわかる。
今までより濃く濃密な血の香り。
それの発生源と思しきぬめりをもった紅い海。
そして、床に幾つも転がるのは五体のどこかが無い死体の群。
「こんなところ、早く抜けましょう」
「……賛成だ」
そこで2人は、離れた処にいる人影に気が付いた。
警戒モードは解かず、耳を澄ませる。
「………リディア…」
聞こえてきたのは、そんな呟き声。音声チャットに切り替え、ヒビキとエヴァンは囁き合う。
『…………どうします?』
『…邪魔しちゃ悪ぃし、様子見だな』
「彼」は壁際にある一つの墓碑に向かって何かを話していた。
そうして暫く経った時。
ドォォオオオオオン!と爆音が唐突に鳴り響く。そしてそれが切っ掛けであったかのように壁際にあった墓碑からどす黒い煙のような気が噴き出してきた。
「な…なんですか一体!?」
隣でエヴァンが動揺する中、ヒビキは厳しい表情で部屋の中央を見つめている。
彼の視線の先では、墓碑群から噴き出したどす黒いものが凝集して何かの形に成ろうとしているところだった。
やがて「それ」は、少々意外な姿へと変貌を遂げる。
―華奢な手足、長い黒髪、身に着けているのは白いワンピースに似た、ほどほどに飾られた服。
顔の上半分は影になって見えない。が、年の頃17かそこらと思しき少女の姿だった。
「……こんな姿だったっけな…」
「ヒビキさん?どうかしたんですか?」
「いや…なんでもない」
ヒビキの【解析】で映し出されたカーソルに表示されているのはこんな文。
―【悪夢の鏡像 ミラ Lv750】
名称欄に二つ名が表示されるのはれっきとしたモンスター…の中でもボス級であることの証拠だ。
どす黒いオーラ、否、蝕気を纏う少女の口元には妖しい笑みが浮かんでいる。
倒し方を思案しだすヒビキとエヴァンの耳に、呟きが届いた。
「…………………リ、ディ、ア……!?」
それはあたかも、あり得ないものを見たかのような。そんな声音。
その呟きを落とした「彼」の方を見てみれば、その表情は驚愕に染まっている。
「彼」が少女の方へと覚束ない足取りで歩み寄ろうとしたところで、ヒビキが我に返った。
「やめときな」
「………………!」
「彼」の前へ回り込み、左手で制止する。
「何故…?」
「あれはあんたの知り合いの姿なのか?」
「…………そうだ。……でも」
「…そうか。でもあれはれっきとしたモンスターだ。あんたの知り合いの姿をしていようが、それは変わりない」
ヒビキは容赦なく、ただ事実だけを告げる。
「……ッ」
「彼」が黙り込む。ヒビキは左手で制止をしながら、思考を巡らせる。
―【カーサスの地下墓】でもここにしか現れない、第4階層への階段付近の部屋に待ち構える中ボスモンスター、【悪夢の鏡像】ミラ。一応分類は二重の影族だ。
プレイヤーが「倒しにくい」と評価するボスの中に常に名を連ねていることで有名である。
ミラが「倒しにくい」と評されるのは、単純な戦闘能力の高さ故、ではない。
【悪夢の鏡像】という二つ名の通り、決まって対象が最もトラウマとしているか大切としているものの姿を真似るという、その特性故にだ。
正体はただの蝕気の塊。だがトラウマを抉りにくるモンスターとして、厄介者扱いされている。
しかもこいつは、
『…………………苦しい、助けて』
「…………………………ッ!!!」
その声まで、真似ることができるのだ。
「彼」の反応から、ヒビキは一つの推測を立てる。
「恋人か何かだったんだろうな。その「リディア」とは」
……その推測は、当たっていた。
『……あなたがこっちに来てくれれば、私は解放されるの』
「リディア、俺、はッ…」
その様子を見ていたエヴァンが、ヒビキに音声チャットで呟いてきた。
『あれ、見ているだけでも悪辣ですよね。どうしたらいいんでしょう』
『ただ倒す、訳にもいかなさそうだよなぁ…でも、放置するわけにもいかねぇ』
「彼」がその歩みを再開させようとしていたそのタイミングで、少女の纏うどす黒い蝕気がその勢いを増す。
それは「彼」に絡みつき、引き寄せようとその触手を動かしている。
絡みつかれた「彼」の瞳からは、段々と正気の色が失せていくように見えた。
傍観していたヒビキは、その表情を硬くする。
「…………やべぇ。エヴァン、本体狙撃頼む」
「了解です。トーラム、行きますよ」
「きゅるるる!」
エヴァンが魔矢を番え狙撃体勢に入りトーラムが魔力を溜め始めたのを横目に見ながら、ヒビキはスキルを発動させる。
―聖・大地属性魔法スキル【聖晶の奔流】。
蒼い結晶の光の奔流が蝕気の触手を押し流し、溶かして浄化していく。
『ああああああああああああああああああああああああああああッ!!』
悲鳴を上げた本体の少女の方を見ると、心臓部に純白の魔矢が突き立っていた。
ただの蝕気の塊に情け容赦などかけずとばかりに、次のスキルを発動させる。
―刀術系聖属性複合スキル【禍断】。
蝕気に対し唯一致命傷となる聖属性を纏った斬撃が、少女の体を分断した。
しかし、その分断された切り口から更に濃い蝕気が勢いよく噴き出す。それは今度は部屋全体に広がる。
広がった蝕気はすぐ消えた…というより床に散乱する無数の死体の中に吸い込まれる。
「ヒビキさん、ヒビキさん」
「ああ」
「嫌な予感がします」
「…俺もだ」
そう言った二人が辺りを見回すと、床の無数の死体が全て音もなく起き上がる。
そして振り返るとそこには、ヘドロのようなどす黒い蝕気に纏わりつかれ囚われた「彼」の姿があった。
『…………………』
「彼」の恰好もヒビキと同じく黒づくめだが、多少アレンジされた高級軍人の軍服そのものであるヒビキの装備とは違い、「彼」の恰好は喪服を思わせた。
火が燃え尽きた後の灰の如き色の髪の下に覗く切れ長の黒瞳には光が無い代わりに深い哀しみがたたえられ、目からは涙が流れて頬を伝っているのがありありと見える。
カーソルによりNPCであることは判明していた、が、まさかこんなことになろうとは。
そんな思いを抱きながら、思案する2人。
「ただ倒すわけにもいかなくなりましたね…」
「手段は幾つかある。まず呼びかけと鍔迫り合いで正気に戻らせること。この部屋の蝕気を残らず浄化すること。最後は、蝕気の発生源になるものを壊すこと」
「最初のは難しいと思います」
「まあ俺もそう思う。蝕気の発生源になっているものには見当がついているんだが、出来れば壊したくはない」
そういってヒビキは、「彼」が最初に前にいたあの壁際の墓碑をちらりと一瞥する。
「となると残るは蝕気を残らず浄化することですか」
「やってみる価値はあるな。とにかくまずは雑魚掃除が先決だが」
ゆらりと、双刀を抜く。エヴァンも、弓に魔矢を番えた。
「エヴァン、お前はスキルの無詠唱発動と平行発動、できるよな?」
「ええ」
「ならよかった」
「手加減なしで行きますよ」
「そうしてくれ。じゃ、俺も行くわ」
無詠唱で魔法スキルを発動することは、一定以上のMPがある上位プレイヤーであれば割と誰でもできる。通常のプレイヤーは無詠唱で魔法を発動すると、威力も射程もボロボロになるためどんなに短縮を重ねても決して無詠唱はしない。
それが合図だったかの様に、2人は攻撃を始めた。
ヒビキの姿が掻き消え、エヴァンは魔矢を連射する。
―刀術系聖・大地属性複合スキル【無花・白桜】。
―弓術系聖・雷属性複合スキル【魔を穿つ絶矢】。
斬撃が放たれる度に魔力で象られた純白の桜花が舞い散り、白雷を纏う矢が死体を貫く。
トーラムも泡のブレスを吐き、敵を幻惑する。
死体が砕け散る度に黒い蝕気が噴き出し、彼の元へ戻っていく。
「エヴァン」
「はい」
「お前は引き続き雑魚牽制と援護頼む。俺はちょっとあいつを正気に戻してくるわ」
「了解しました」
そう言い残して、ヒビキは彼の前へゆっくりと近づいていく。
それに反応したのか、彼に纏わりつく蝕気が一層濃くなった。
【解析】にて映し出されるカーソルに表示されるのは、大体思った通りの内容だった。
―【ライア・アストラ Lv701 魔法人形族 魔導戦士/紋章使い】
そして状態異常欄に表示されているのは、《蝕気侵食》の四文字。
彼‐ライアの右半身に走る単純な線模様、額の紋章を始めとした種族的特徴…オマケにヒビキの職業【紋章の主】の初期職、【紋章使い】ときた。
魔法人形族はヒビキたち魔導機人族の劣化版の種族で、寿命は一応「壊れるまで」。しかしエルフより遥かに長いとされているカーディナルのそれに比べれば、大概は短い方だ。
そんな余計な思考を巡らせながらも、ヒビキは眼前の少年に全感覚を向けている。
『……俺、は、負けるわけにはいかない。そうだろ、リディア…こんなことで、お前を守れなかったあの日のことは、忘れられないのは、わ、かって、い、るんだ…』
そういって彼は腰に差した剣を引き抜く。
なんとその剣の刃は薄青い光を纏い、無数の羽虫がたてるような細やかな振動音を放っている。その剣と全く同じものを、ヒビキはカイの工房で見させてもらったことがあった。
***
……いつぞやの一式魔聖工房ラルズエデンにて。
鍛冶場で剣を打っているカイを、ヒビキは後ろの方から見ていた。
やがて剣が出来上がり、満足気な声音でカイがこちらを振り返りながら言う。
「ヒビキ、また新しい剣ができましたよ!」
「そんなに嬉しいのか?」
「僕はゲームの中だけであるとしてもれっきとした鍛冶師ですからね。新しい剣ができて嬉しくないはずがないでしょう」
「…そうか。で、何ができたんだ?」
「えーっと、ですねぇ…」
そう言ったカイは武器のプロパティウィンドウをこちらに飛ばしてくる。
「…確かに珍しい物ができたな」
そう感心したことを覚えている。
***
―超遺物級魔剣カテゴリの片手魔剣【アストラの血の直剣】。魔剣カテゴリにしては珍しく、魔力を通しても剣そのものを飛ばして扱うことはできない。が、その代わりというべき能力を備えている。
「さて、こっちから行くぜ」
ヒビキの姿が霞む。数瞬後に響いたのは、ギィィィィィン―…という剣が打ち合わされる音。
『…………』
「悪ぃが、手加減はなしだ」
ヒビキのこの発言はある意味嘘である。
それは勿論の事。最強ギルド【蒼穹】のギルドマスターたるヒビキが本気を出せば、眼前の少年を瞬殺できてしまうから。
「………」
数度の鍔迫り合いの後、ヒビキがスキルを発動させる。
―蹴術系風属性複合スキル【残撃響蹴】。
―補助系戦技スキル【手加減】。
方や前者は蹴りの衝撃波で振動を発生させ対象の《気絶》を誘発するスキル、後者は他のゲームでもお馴染みの、どれだけ攻撃しようが対象のHPを1だけ残すようにするスキルである。
ヒビキの放った強烈な蹴りは見事にヒットし、狙い通り《気絶》を発生させた。
彼の身体がその場にどさりと崩れ落ちる。
その身体を担ぎ、ヒビキはエヴァンの方を振り返る。と、すっかり蝕気浄化を終えたエヴァンと目が合った。
「取りあえずここじゃあれだからさ、下、行こう」
「賛成です」
一瞬で合意が成され、2人は通路を進んだ先にある暗い階段へと足を進める。
―古い血に塗れた第3階層から、更に下の第4階層へと。
足を踏み入れた途端、2人は顔をしかめた。
何故なら、壁や天井、床の至る所に血痕と思しき赤黒い跡があり、それは壁に彫られたくぼみの中にある幾つもの墓碑にまで及んでいた。古びて薄くなった血の香りが、空気に漂う。
―《【血塗れの墓地】に入った》
壁に等間隔に配置された光精石の松明の光や、壁や床に這う蔦の色までもが血の赤色を帯びている。蔦の所々に見えるのは、何かの花の蕾か。
床に古びた白骨が散らばっていたりするのは変わりないのだが、ここには今までとは違う箇所がある。
まず、床や壁の石の隙間に突き立てられていたり床に散らかっている、無数の折れたり壊れたりした古い武器の群。
そしてまだ形を留めている白骨が纏うのは、これまた壊れた鎧や兜などだ。
これらから推測できることは…
「戦い、か」
「この階層に葬られたのは、兵士とか戦士だったんでしょうね」
白骨を踏みながら、辺りを見回して軽く溜息をつく。
墓碑に彫られた文字は悉く掠れ、もう読むことすらできないほど風化してしまっている。
そんな、名も知れぬ墓が立ち並ぶ中を2人はゆっくりと進んでいく。
―やがて、広い部屋に出た。
神殿っぽいレリーフがそこここに見受けられる、今までとは少し造りの違う部屋。
ここにも血痕は、無数にあった。
エヴァンの傍らのトーラムが、「きゅるるる」と鳴く。
「うっ…」
「酷い、血の香りだな…」
辺りに目を向ければ、生々しい光景が広がっているのが嫌でもわかる。
今までより濃く濃密な血の香り。
それの発生源と思しきぬめりをもった紅い海。
そして、床に幾つも転がるのは五体のどこかが無い死体の群。
「こんなところ、早く抜けましょう」
「……賛成だ」
そこで2人は、離れた処にいる人影に気が付いた。
警戒モードは解かず、耳を澄ませる。
「………リディア…」
聞こえてきたのは、そんな呟き声。音声チャットに切り替え、ヒビキとエヴァンは囁き合う。
『…………どうします?』
『…邪魔しちゃ悪ぃし、様子見だな』
「彼」は壁際にある一つの墓碑に向かって何かを話していた。
そうして暫く経った時。
ドォォオオオオオン!と爆音が唐突に鳴り響く。そしてそれが切っ掛けであったかのように壁際にあった墓碑からどす黒い煙のような気が噴き出してきた。
「な…なんですか一体!?」
隣でエヴァンが動揺する中、ヒビキは厳しい表情で部屋の中央を見つめている。
彼の視線の先では、墓碑群から噴き出したどす黒いものが凝集して何かの形に成ろうとしているところだった。
やがて「それ」は、少々意外な姿へと変貌を遂げる。
―華奢な手足、長い黒髪、身に着けているのは白いワンピースに似た、ほどほどに飾られた服。
顔の上半分は影になって見えない。が、年の頃17かそこらと思しき少女の姿だった。
「……こんな姿だったっけな…」
「ヒビキさん?どうかしたんですか?」
「いや…なんでもない」
ヒビキの【解析】で映し出されたカーソルに表示されているのはこんな文。
―【悪夢の鏡像 ミラ Lv750】
名称欄に二つ名が表示されるのはれっきとしたモンスター…の中でもボス級であることの証拠だ。
どす黒いオーラ、否、蝕気を纏う少女の口元には妖しい笑みが浮かんでいる。
倒し方を思案しだすヒビキとエヴァンの耳に、呟きが届いた。
「…………………リ、ディ、ア……!?」
それはあたかも、あり得ないものを見たかのような。そんな声音。
その呟きを落とした「彼」の方を見てみれば、その表情は驚愕に染まっている。
「彼」が少女の方へと覚束ない足取りで歩み寄ろうとしたところで、ヒビキが我に返った。
「やめときな」
「………………!」
「彼」の前へ回り込み、左手で制止する。
「何故…?」
「あれはあんたの知り合いの姿なのか?」
「…………そうだ。……でも」
「…そうか。でもあれはれっきとしたモンスターだ。あんたの知り合いの姿をしていようが、それは変わりない」
ヒビキは容赦なく、ただ事実だけを告げる。
「……ッ」
「彼」が黙り込む。ヒビキは左手で制止をしながら、思考を巡らせる。
―【カーサスの地下墓】でもここにしか現れない、第4階層への階段付近の部屋に待ち構える中ボスモンスター、【悪夢の鏡像】ミラ。一応分類は二重の影族だ。
プレイヤーが「倒しにくい」と評価するボスの中に常に名を連ねていることで有名である。
ミラが「倒しにくい」と評されるのは、単純な戦闘能力の高さ故、ではない。
【悪夢の鏡像】という二つ名の通り、決まって対象が最もトラウマとしているか大切としているものの姿を真似るという、その特性故にだ。
正体はただの蝕気の塊。だがトラウマを抉りにくるモンスターとして、厄介者扱いされている。
しかもこいつは、
『…………………苦しい、助けて』
「…………………………ッ!!!」
その声まで、真似ることができるのだ。
「彼」の反応から、ヒビキは一つの推測を立てる。
「恋人か何かだったんだろうな。その「リディア」とは」
……その推測は、当たっていた。
『……あなたがこっちに来てくれれば、私は解放されるの』
「リディア、俺、はッ…」
その様子を見ていたエヴァンが、ヒビキに音声チャットで呟いてきた。
『あれ、見ているだけでも悪辣ですよね。どうしたらいいんでしょう』
『ただ倒す、訳にもいかなさそうだよなぁ…でも、放置するわけにもいかねぇ』
「彼」がその歩みを再開させようとしていたそのタイミングで、少女の纏うどす黒い蝕気がその勢いを増す。
それは「彼」に絡みつき、引き寄せようとその触手を動かしている。
絡みつかれた「彼」の瞳からは、段々と正気の色が失せていくように見えた。
傍観していたヒビキは、その表情を硬くする。
「…………やべぇ。エヴァン、本体狙撃頼む」
「了解です。トーラム、行きますよ」
「きゅるるる!」
エヴァンが魔矢を番え狙撃体勢に入りトーラムが魔力を溜め始めたのを横目に見ながら、ヒビキはスキルを発動させる。
―聖・大地属性魔法スキル【聖晶の奔流】。
蒼い結晶の光の奔流が蝕気の触手を押し流し、溶かして浄化していく。
『ああああああああああああああああああああああああああああッ!!』
悲鳴を上げた本体の少女の方を見ると、心臓部に純白の魔矢が突き立っていた。
ただの蝕気の塊に情け容赦などかけずとばかりに、次のスキルを発動させる。
―刀術系聖属性複合スキル【禍断】。
蝕気に対し唯一致命傷となる聖属性を纏った斬撃が、少女の体を分断した。
しかし、その分断された切り口から更に濃い蝕気が勢いよく噴き出す。それは今度は部屋全体に広がる。
広がった蝕気はすぐ消えた…というより床に散乱する無数の死体の中に吸い込まれる。
「ヒビキさん、ヒビキさん」
「ああ」
「嫌な予感がします」
「…俺もだ」
そう言った二人が辺りを見回すと、床の無数の死体が全て音もなく起き上がる。
そして振り返るとそこには、ヘドロのようなどす黒い蝕気に纏わりつかれ囚われた「彼」の姿があった。
『…………………』
「彼」の恰好もヒビキと同じく黒づくめだが、多少アレンジされた高級軍人の軍服そのものであるヒビキの装備とは違い、「彼」の恰好は喪服を思わせた。
火が燃え尽きた後の灰の如き色の髪の下に覗く切れ長の黒瞳には光が無い代わりに深い哀しみがたたえられ、目からは涙が流れて頬を伝っているのがありありと見える。
カーソルによりNPCであることは判明していた、が、まさかこんなことになろうとは。
そんな思いを抱きながら、思案する2人。
「ただ倒すわけにもいかなくなりましたね…」
「手段は幾つかある。まず呼びかけと鍔迫り合いで正気に戻らせること。この部屋の蝕気を残らず浄化すること。最後は、蝕気の発生源になるものを壊すこと」
「最初のは難しいと思います」
「まあ俺もそう思う。蝕気の発生源になっているものには見当がついているんだが、出来れば壊したくはない」
そういってヒビキは、「彼」が最初に前にいたあの壁際の墓碑をちらりと一瞥する。
「となると残るは蝕気を残らず浄化することですか」
「やってみる価値はあるな。とにかくまずは雑魚掃除が先決だが」
ゆらりと、双刀を抜く。エヴァンも、弓に魔矢を番えた。
「エヴァン、お前はスキルの無詠唱発動と平行発動、できるよな?」
「ええ」
「ならよかった」
「手加減なしで行きますよ」
「そうしてくれ。じゃ、俺も行くわ」
無詠唱で魔法スキルを発動することは、一定以上のMPがある上位プレイヤーであれば割と誰でもできる。通常のプレイヤーは無詠唱で魔法を発動すると、威力も射程もボロボロになるためどんなに短縮を重ねても決して無詠唱はしない。
それが合図だったかの様に、2人は攻撃を始めた。
ヒビキの姿が掻き消え、エヴァンは魔矢を連射する。
―刀術系聖・大地属性複合スキル【無花・白桜】。
―弓術系聖・雷属性複合スキル【魔を穿つ絶矢】。
斬撃が放たれる度に魔力で象られた純白の桜花が舞い散り、白雷を纏う矢が死体を貫く。
トーラムも泡のブレスを吐き、敵を幻惑する。
死体が砕け散る度に黒い蝕気が噴き出し、彼の元へ戻っていく。
「エヴァン」
「はい」
「お前は引き続き雑魚牽制と援護頼む。俺はちょっとあいつを正気に戻してくるわ」
「了解しました」
そう言い残して、ヒビキは彼の前へゆっくりと近づいていく。
それに反応したのか、彼に纏わりつく蝕気が一層濃くなった。
【解析】にて映し出されるカーソルに表示されるのは、大体思った通りの内容だった。
―【ライア・アストラ Lv701 魔法人形族 魔導戦士/紋章使い】
そして状態異常欄に表示されているのは、《蝕気侵食》の四文字。
彼‐ライアの右半身に走る単純な線模様、額の紋章を始めとした種族的特徴…オマケにヒビキの職業【紋章の主】の初期職、【紋章使い】ときた。
魔法人形族はヒビキたち魔導機人族の劣化版の種族で、寿命は一応「壊れるまで」。しかしエルフより遥かに長いとされているカーディナルのそれに比べれば、大概は短い方だ。
そんな余計な思考を巡らせながらも、ヒビキは眼前の少年に全感覚を向けている。
『……俺、は、負けるわけにはいかない。そうだろ、リディア…こんなことで、お前を守れなかったあの日のことは、忘れられないのは、わ、かって、い、るんだ…』
そういって彼は腰に差した剣を引き抜く。
なんとその剣の刃は薄青い光を纏い、無数の羽虫がたてるような細やかな振動音を放っている。その剣と全く同じものを、ヒビキはカイの工房で見させてもらったことがあった。
***
……いつぞやの一式魔聖工房ラルズエデンにて。
鍛冶場で剣を打っているカイを、ヒビキは後ろの方から見ていた。
やがて剣が出来上がり、満足気な声音でカイがこちらを振り返りながら言う。
「ヒビキ、また新しい剣ができましたよ!」
「そんなに嬉しいのか?」
「僕はゲームの中だけであるとしてもれっきとした鍛冶師ですからね。新しい剣ができて嬉しくないはずがないでしょう」
「…そうか。で、何ができたんだ?」
「えーっと、ですねぇ…」
そう言ったカイは武器のプロパティウィンドウをこちらに飛ばしてくる。
「…確かに珍しい物ができたな」
そう感心したことを覚えている。
***
―超遺物級魔剣カテゴリの片手魔剣【アストラの血の直剣】。魔剣カテゴリにしては珍しく、魔力を通しても剣そのものを飛ばして扱うことはできない。が、その代わりというべき能力を備えている。
「さて、こっちから行くぜ」
ヒビキの姿が霞む。数瞬後に響いたのは、ギィィィィィン―…という剣が打ち合わされる音。
『…………』
「悪ぃが、手加減はなしだ」
ヒビキのこの発言はある意味嘘である。
それは勿論の事。最強ギルド【蒼穹】のギルドマスターたるヒビキが本気を出せば、眼前の少年を瞬殺できてしまうから。
「………」
数度の鍔迫り合いの後、ヒビキがスキルを発動させる。
―蹴術系風属性複合スキル【残撃響蹴】。
―補助系戦技スキル【手加減】。
方や前者は蹴りの衝撃波で振動を発生させ対象の《気絶》を誘発するスキル、後者は他のゲームでもお馴染みの、どれだけ攻撃しようが対象のHPを1だけ残すようにするスキルである。
ヒビキの放った強烈な蹴りは見事にヒットし、狙い通り《気絶》を発生させた。
彼の身体がその場にどさりと崩れ落ちる。
その身体を担ぎ、ヒビキはエヴァンの方を振り返る。と、すっかり蝕気浄化を終えたエヴァンと目が合った。
「取りあえずここじゃあれだからさ、下、行こう」
「賛成です」
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誰にも縛られない場所で、瑞希は自分の力で強くなることを選んだ。これは、自由を求める彼女のソロ成長物語。
毎日22時投稿します。
スキル【幸運】無双~そのシーフ、ユニークスキルを信じて微妙ステータス幸運に一点張りする~
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幼い頃の鑑定によって、覚醒とユニークスキルが約束された少年——王道光(おうどうひかる)。
彼はその日から探索者――シーカーを目指した。
そして遂に訪れた覚醒の日。
「ユニークスキル【幸運】?聞いた事のないスキルだな?どんな効果だ?」
スキル効果を確認すると、それは幸運ステータスの効果を強化する物だと判明する。
「幸運の強化って……」
幸運ステータスは、シーカーにとって最も微妙と呼ばれているステータスである。
そのため、進んで幸運にステータスポイントを割く者はいなかった。
そんな効果を強化したからと、王道光はあからさまにがっかりする。
だが彼は知らない。
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しかもスキルレベルを上げる事で、更に効果が追加されることを。
これはハズレと思われたユニークスキル【幸運】で、王道光がシーカー界の頂点へと駆け上がる物語。
異世界帰りの少年は現実世界で冒険者になる
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ある日突然、異世界に勇者として召喚された平凡な中学生の小鳥遊優人。
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【完結】デスペナのないVRMMOで一度も死ななかった生産職のボクは最強になりました。
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デスペナのないフルダイブ型VRMMOゲームで一度も死ななかったボク、三上ハヤトがノーデスボーナスを授かり最強になる物語。
鍛冶スキルや錬金スキルを使っていく、まったり系生産職のお話です。
まったり更新でやっていきたいと思っていますので、よろしくお願いします。
「DADAN WEB小説コンテスト」1次選考通過しました。
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