ツイン=リフト

magus of argdiscus

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「うん、大丈夫。今はまだお父さんは帰ってきてない。え?……うん、たぶん。……六時には出る。わかった。あとで」


「早実、どこに行くの?」
 自室から出た早実を母の聡美が呼び止めた。しかし、早実は何も言わず玄関に向かう。
「今日早実の誕生日でしょ? お父さん早く帰って来るって」
 早実はどうにも腹が立ってしまった。
 自分の誕生日は春だし、その日祝おうとしなかったのにどうして今頃祝おうとするのか。娘の誕生日も覚えていないのか。親といえるのか? 
――自分の事しか考えてない。お父さんに嫌われたくないって事しか頭にない。見放されるのが怖いんだよ、お母さんは。
 もう感謝も何もしたくない。
 すべてを切り捨てて家を出ようとした。
「なんで、聞いてくれないのよ!」
 叫んで早実の腕を掴んだ。
「離して!」
「おまえがそんなだからお父さん帰ってこないのよ!」
「私関係ない!」
 暴れ抵抗する早実を無理矢理リビングまで引きずっていく。
 早実はもがき、母親の手を引き剥がし玄関まで走って靴を引っかけ履いて、ドアに張り付いた。
――チェーンが、外れない!
 緊張で震え始めた手がなかなかに言うことを聞かない。なんとかチェーンを外しドアを開ける。
「……いつく! ……いつ、」
 突然開いたドアに驚きながら逸朗が、伸ばした彼女の手を取り――早実はそのまま力なく崩れ落ちた。
「早実……早実?」
――わかっていたはず。
 なのに、それが起きた事に心臓が早鐘のように胸を叩いて痛くてたまらなくなる。
「早実……」
「お願い、早実、行かないでよ……」
 逸朗は顔を上げた。崩れ落ちた早実の後ろに、聡美が絶望にまみれた表情で包丁を両手で構えたまま立っていた。
「あんたが、早実をさらっていこうって、そうしようとしてたの?! 従兄弟のでくのぼうの癖に!」
 早実を抱き寄せようとした逸朗に聡美は包丁を振り降ろそうとする。逸朗はすぐさま反応し、身を捻り聡美の腕を掴んだ。掴まれても聡美は抵抗し刃物を振り回そうと暴れた。
「やめろ、もうやめてくれ! 早実、が、早実が!!」
 マンションの廊下に倒れ込んで動かない早実の背には赤い染みが広がっていて、もう廊下すらも染め始めていた。
――早実が、死んでしまう。
「くそ!」
 焦燥感と失う恐怖が背中を焦がす。聡美を力加減もなく殴り、昏倒させて聡美の手から落ちた落ちた包丁を出来るだけ遠くへ蹴り飛ばした。
 震える手で早実を抱き寄せる。
「早実、待ってよ、死なないで、頼むから!」
 叫んでも、早実は応えなかった。
「早実、お願い、死なないで、もっと生きてほしいのに、早実」
――わかっている。もうこれは変えられなかった。でも、どうして早実は幸せになれない? 何故ここに早実の未来はないのか。
 逸朗は早実を抱きかかえたまま、叫ぶように泣き、ただひたすら彼女の名前を叫んだ。


――まだだ。
 殴られた頬の痛みなどもうどうでもよかった。
 泣くのを辞めようとして、ベンチに座ろうとしたが力が出ずにやはり床にへたり込んだ。
 覚悟していた事だというのに、どうしてこれほどまでに苦しいんだろうか。
――もっと違うやり方があった? いや、これはもう変えられない事だったんだ。ならあいつらが悪い? 違う、違わないけどそうじゃないんだ。これは自分達の弱さが招いた事なんだ。つけいれられたんだ、その弱さに。
 しゃがみ込んだまま自分の膝を見つめる。
 拭うことも諦めて、ぽたぽたと溢れる涙をそのままにして逸朗は呟いた。
「早実が死んだ」
 その言葉は、逸朗にはとても重い言葉だった。鉄の鎖よりもずっとしつこく重く絡みつこうとしてくる。払う方法もよくわからないまま、ただただ涙を流し呆然としていた。
「……逸朗くん」
 ふいに、そっと優しげに声をかけたのは弥継だった。
「遅えよ」
「……ここの世界系線セクション、僕らは自由に動けないんだよ」
 涙でぼろぼろの顔で弥継を見上げた。
「ごめんね」
 涙をぐっと拭って逸朗は差し出された弥継の手を掴んだ。
「この“仏面ぶつめん”野郎が」
 悪態を吐いて立ち上がると、困った顔で弥継は笑った。
「逸朗くんに言われるとハートブレイクしてしまいそうだよ」
「大うそつき仏面ぶつめん野郎」
「なんだそれは、よくわからないけど笑ってしまうからやめてほしいよ」
 逸朗は涙をパーカーの袖で拭い、自分の上着が血塗れになっている事に気付き上着をその場に脱ぎ捨てた。
「敵は?」
「まだ。予定より少し事が早く進んでいる。彼らが来るのは十五分後だよ」
「……そっか。行こう」
 妙に積極的な彼の動向が気になったが時間は惜しい。弥継は気にしない振りをして彼と共に出口へ向かう。
――彼は出入り口のドアに手をかけた時、すっと振り返った。
「さーちゃ、俺はおまえを助けるよ。さよなら――」
 小さく、けれど強く、弱々しさを残したまま呟いた。
 弥継は彼のこの呟きを、芯から暖まるような、ぼうっと沸き上がる熱の様な愛しさにも近い気持ちでそれを隠すように彼の視線に当たらぬよう月を見上げて、ふっと笑って――
「行こう、逸朗くん」
 と呼びかけ歩き出した。


――電車に揺られる。
 誰も乗っていない車両に飛び込み、座席に座るや否や逸朗はまた涙をぼろぼろとこぼし出した。
 顔を手で覆い、弥継に寄りかかった。
「何も、言うなよ」
「言わないよ」
「感傷にひたる暇なくなるだろうから、こうしてるだけだ」
 弥継は彼に肩を貸しながら、嗚咽で途切れながらも言う逸朗の肩を引き寄せ慰めるようにさすりもう片方の手で震えている彼の手を握った。
「逸朗くん」
「なんだよ」
 弥継が不意に呼びかけた。
「君は弱い。どうしようもなく弱い」
 逸朗は彼に身を預けたままその言葉を聞いたが、身を離し自分の顔を覆っている手も離し彼の方をまっすぐ見つめた。
「わかってる」
 弥継もその視線に応え、言葉を続けた。
「そっか。……ならね、きっとね、そう、自分がどんなふうに、どれくらい弱いか、ちゃんとわかったとき前を向ける気がするんだ」
 逸朗は視線を外し、膝の上に置かれた弥継の手を見つめた。
「その弱さに溺れず、あがいていればたぶんどっかに引っかかるんじゃないかな」
 そう言ってポケットからティッシュを出して逸朗に渡した。受け取った逸朗は鼻を思い切りかんで、
「あがいた、あがいたよ。でも、だめだったんだ」
 言葉の端は、後悔と無念で揺れた。堪えながら弥継をじっと見る。
「なら、まだあがき足りないって事だろう? 逸朗くん」
 静かな、しかし、灼熱の温度を秘めた眼で逸朗を見つめ返す。
「今の君ならもっとみっともなく、もっといじきたなくぼろきれになって、もがいてもがいて周りすらもぶっ壊すほど反抗して、あがいてあがいて、さらにもっとぶち壊して周囲なんて気にもせず自らの望みをぶちまけて、ずたぼろになれる。――そして立ち上がれる」
 そのマグマの様な彼のは、逸朗の心をどうしようもなく奮い立たせ、熱く溶けた鉄鋼を流し込まれた様にじりじりと燃え上がらせた。
「やってやる。俺は、あいつを、俺の未来を――守る」
 その様子を――その決意を、弥継は微笑みで迎え、
「よくできました」
 そう言って子供を誉めるように彼の頭を撫でた。
「やめろよ」
 と照れくさいのかなんなのかわからない調子で自分の頭を撫でている手を払い避けた。
 その仕草すらも弥継はいとおしいような表情で笑って見ていた。


 二人が堰島せきしま駅に到着し、堰島神社の方へ向かおうとしたところ、なにやらやかましく騒ぎ立てる女の声が聞こえた。
「なんだありゃ」
 どうも声の主は田中真鞠子のようで、怒気の的になっている榛原はいつもの調子で平坦に言葉を発しひらりひらりとかわし続けている。
「なんでああなった」
「さあ。たぶん、下手に手を出せないからじゃないかな、榛原に」
「あー……なるほど」
 明らかに榛原の方が戦闘において強者である。榛原は攻撃はしないものの、どうやったって傷をつけるなんてのは不可能であって、かすり傷すら彼女は負わないのである。田中真鞠子もそれを十分な程知っているのだろう。
「どうする? 気付いてねえみたいだけど」
 事も無げに逸朗が尋ねた。弥継は、顎に手を置き考えるそぶりをし、
「そうだね。こうしよう」
 にっこり笑い、逸朗にキューブを手渡しぐっと握り込ませた。その意志を受け取ると、逸朗もふっと笑い拳を構えた。
disturbディスターブ!」
 解除コードと共に走る。風のエネルギーに乗りながら加速し、飛び込む様に田中真鞠子の頬に拳を叩きつけた。
 殴られた勢いで面白いように彼女の体は空中を舞い、回転し、べしゃりと地面に落ちた。
「な、に、もう、殺す気?」
 よろりと半身を起こし、逸朗を睨む。
「いや、先手必勝っていうし。ていうか意外と頑丈だな、あんた」
「……データコンタクト、コード、リカバリエーション」
「……?」
「あんたらには劣るけど、骨折くらいならなんとかなるのよ」
「あ、あー。そっか。ん? ……劣る? それって――」
「走れ!」
 なにやらコードを呟いたらしい真鞠子に疑問を投げかけようとした時、弥継が叫んだ。言葉に従い反射で走る。コンマ数秒、その間の後逸朗のいた場所を何かの断片が突き刺さるかと思う程の勢いで落下した。
「時香、私死ぬッ! 怪我直してるとこでやらないで! 当たったら死ぬ!」
 先ほどのダメージからのリカバリーが済んだらしく、ぎゃあぎゃあと抗議しながら真鞠子が起きあがる。
「たなまりはちょっとぶん殴られたくらいでへこむ程度の戦闘力しかないんで黙っててもらえますか」
 声のした方を探す。逸朗は線路向かいのビルに彼女の影を見つけた。
「……非情だ」
 時香の姿を見ながら逸朗は呟く。彼らには仲間意識ってのはないんだろうか、とも思った。
 時香がぼそぼそと何かを呟き、そしてビルの屋上から飛び降り――逸朗は反射的に目をぎゅっとつむった――そしてばぢりと奇妙な音がしたかと思うと、時香は何の衝撃も受ける事無く地上にすたりと降りた。
「やあ、ずいぶんコード組み上げが上達してるじゃないか」
 賞賛しているのに、完全にバカにした表情で弥継が囃した。時香は、とくにそれには返さず手のひらをひらひらさせて言った。
「まあ、たぶん役者は揃ってるんで説明不要ですよね。てー事でかるーい感じで適当に潰されちゃってくださいねー。私たち忙しいんで」
 面倒、というより感情のこもらない軽さで時香が言った。
「その前に、教えてくれないか」
 逸朗が半歩、彼女の前に踏み出して、落ち着いた声で訊ね掛けた。
「何をですか」
 質問が来る前に、時香はコードを呟いて近辺の物体をコピーし鈍器に変えて逸朗の頭上に落としていく。ぎりぎりながら攻撃を交わし、看板を避けコンクリート片を殴り飛ばす。避ける動作を辞めないまま、逸朗は問いかけた。
「おまえら、無意味にこんな事やってるわけじゃないんだろ?」
「会話する気ないんで。黙ってろですよ」
 走る逸朗を追うように連続してコピーコンクリ片を落下させていく。
「なあ、教えてくれよ! おまえは一体何に不満なんだ?!」
 時香がひたりと動きを止めた
――何? 何ではなく?
 その微妙な違いは、時香の心に、いや、頭蓋の中に石ころが放り込まれたように違和感を覚えさせた。
 攻撃が一時止み、二人は動きを止めて向かい合う。
「俺は親が、家族が嫌だった。家族って枠にハマっていながらあいつらとは『他人』だったんだ」
「あんたの身の上話なんて興味ないですよ」
「だろうな。だけど俺は勝手に言う。俺は、家族が嫌でしかたなくて、だからこそこうなったんだ! あいつらと向き合う事もせずに逃げようとした! だから俺は駄目だった!」
 時香は苛立ちを覚えたが、
「聞けば気が済むんなら聞きますよ。はいどうぞ」
 苛立ちを隠し、投げやりに言って続きを催促した。
「……理不尽に死んだあいつの未来を変えたかった。だからたぶん、俺はブリングを選んだ。……おまえは何に不満で、何を変えたかったんだ?」
 時香はこの質問に目を閉じ、動揺しているのを隠し顔を背けた。
「俺たちは弱い。逃げる選択をしたのも、弱さから逃げる為だった。何も出来ない子供だって、まだ何にもわかってない子供だってわかってなくて、その現実から目を逸らしてたんだ。本当に俺ら二人は弱い。だからあんたらに狙われたんだろうな。でも、俺はそんなんで呑み込めるほど大人じゃない、納得できねえんだよ」
「聞きたいんですか。まあいいですよ、時間稼ぎ出来るし、どうせあんたは死ぬんで」
 時香は本当にいらいらしていた。無駄話を聞かされた、という事ではなく――自分の話の後に何がついてくるのか、それを予測していた。
「私がいた時間、生まれた世界系線セクションは私が生まれる前から世界中が戦争してて、千年戦争だとか百年戦争だとか言われてて、もう正確な始まりは誰も知らない。そんな事もどうでもよくなるくらいみんな生き残るので精一杯だった」
 少しの沈黙と、長い瞬き――
「……母親も、兄弟も私の目の前で死んだ。父親もどこかの戦地で死んだ」
 怒りの様な、凍り付いた滴の様な目が薄く悲しみを映す。
「昨日友人になった人も、翌日には死体になって誰に葬ってもらえる事もなくその辺に転がってる」
 過去の苦しみを表すように、思い出す痛みを隠すように、時香は爪が食い込むのも厭わず手をぐっと握り込め、続けた。
「それが、私の日常だった、反吐な日常だったッ!」
 叫ぶように、胸の奥の痛みを吐き出すように時香は言った。それを、逸朗はまっすぐ見つめ、すべてを受け止めた。
「……そっか。俺には想像もつかねえけど、俺が知ってるのよりきっと辛い、苦しい、……すっげえ悲しい」
 じっと時香を見つめ逸朗は言葉をかけた。
 時香は、その言葉にやはり苛立ちを覚えた。――なぜ、どうして、敵対者にこんな同情の目を、言葉を向けられなければいけない?
「舐めてんですか?」
 ぎりぎりと奥歯を噛み、今にも噛みつきそうな形相で彼を睨む。
「舐めてねえよ。ただ、そう思った――おまえの生きてきた道はあり得ねえくらい荒れてて生きてるのも奇跡なのかもしれねえ、それを変えたいって思うのはわかる。だけどな、」
――奥歯をぐっと噛み、拳に力を込める。
「あいつが、コピーされ続けた全部の早実が受けた苦しみはおまえの苦しみの引き替えにはならねえ、同等にもならねえんだよ!!」
 解除コードを叫び、時香に詰め寄り殴りかかる。
「親や環境に振り回されて毎日潰れそうになりながら、自分に自信も持てずに未来を見る事も出来ねえ、そんなあいつを、あいつの苦しみを何千、いや何万と増やして最後には死んでいくんだ!! そんなのおかしいだろ!!」
――なんなんなのか、あの単純すぎる言葉は。
 時香は攻撃する事も忘れ、目の前の少年に目を向け、苛立ちが明確に沸き上がるのを感じていた。
――感情も言葉も何もかもが平凡で、単純で。全体の事なんか見えてなくて目の前の感情に翻弄されるような、ただの少年だ。ごく普通の、ただ漠然と未来に向かって生きてる高校生だ。ただの、普通の――
――自分が、憧れていた『普通の高校生』――本当に、何もかもが『普通』だった。
 そう考えて、時香は自分の中で何かがふつりと切れそうになるのを感じ、苛立ちは動揺に変わり喉はつかえ動けなくなる寸前になっていた。けれど、すべてを無視して振り切るように叫んだ。
「そんなんで、そんなので……私が諦めると思ったんですかああァァッ?!」
「――思ってねえよ」
 相対するように静かな声で逸朗は返す。
「思ってねえから、ぶん殴ろうと思ってんだよ」
 振りかぶって時香の眼前めがけて拳を突き出す。風に乗りつっかかろうとする逸朗を、時香はコピーコンクリートを自分の眼前に落とし防ぐ。続け様にコンクリートを槍のように円錐の形でコピーし、逸朗の頭上に出現させた。
 逸朗はそれを転がるように横に移動し、キューブのエネルギーの方向を地面に向け勢いをつけて更に後方に宙返りをしてみせた。猿のように着地し――やや足を滑らせながらも――すぐさま走り出す。
「俺に正義なんかねえ、ただのガキの喚きだよ。ただどうしようもなく許せねえから、めちゃくちゃ腹が立ってどうしようもねえから――だから、ぶん殴ってやるッ!」
 単純な怒りとも違うその感情は、逸朗の拳を更に加速させる。
「何にも知らないガキの癖に、ただ殴るだけで何かを変えようってんですかあ?!」
「うるせえよ。ああ、何も知らねえよ。だからなんだって言うんだよ」
 走る逸朗を追って、ミサイルでも落とすかのようにコンクリートやら道路標識を次々に落としていく。それらを殴りつけかわし、時香との間合いを詰めていく。
「俺はお前を許さねええええッ!」
 拳に全ての思いを詰め叫びと共に時香の眼前に飛び込む。――寸前に、彼女は何かを呟いた――時香はニヤリとした。
 時香の姿がゆらりと揺れ――それはまるで立体ホログラフのようだった――目の前に現れたものは逸朗にこう喋り掛けた。
『いつく、私……死にたくない』
 脳裏に刻まれた『喪失への恐怖』が逸朗の心を締め付けるように、進行を留まらせ拳を振るうことも忘れさせてしまった。
「さち、――」
 彼は目の前の幻影に、そうわかっていながらも呼びかけようとした。が、最後まで呼ぶ事は叶わなかった。
「な、ん……?」
 よろりと時香から離れる。
「逸朗くん?!」
 様子をみながら田中真鞠子と駆けつけてきた雑魚を牽制していた弥継が逸朗の異変に気づき、慌てたようにキューブを投げつけ敵をざっくりなぎ倒し、逸朗の下にかけよっていく。
 ぐったりと地面に倒れこんだ逸朗の腹部には鋭利な形の金属片が突き刺さっており、じわじわとかれの服を朱に染めようとしていた。弥継は脇見ながら、時香の出した幻影を見ていた。幻影と、彼の絶望を利用して、逸朗にそれを向けた事も。
「……どうして、何度も――死者を、彼らをなんだと……許さない、許さない! このおおおおああああああああァァッ!」
 普段の温厚な表情からは想像もつかないほどの怒りを込めて弥継は叫んだ。そして、彼が持っているキューブで最高エネルギーであるパイロンキューブ――火砕流の熱エネルギーを凝縮したもの――を時香に向かって投げつけコードを叫んだ。
disturbディスターブ!」
「アラウンド、緊急ブリングを実行します」
 見えない熱エネルギーが時香を覆い尽くそうとする。朱鷺子はすぐさま眉ひとつ動かさず、逸朗にエネルギーの被害が及ばないようデータブリングでガードを張る。ひたりと耐熱ガラスでも張っているかのように高出力の熱の揺らぎは直線めいてひたりと逸朗の前で止まる。ガードの恩恵を受けない時香は、その熱をリムーブで防ごうとしたが、間に合わずそのほとんどをその身に受けてしまった。
「……ぐ、ぁ……が……」
 気管を焼かれたのか、喉元がひゅうという音を立てた。時香は、自分の顔がどうなっているのか確かめようとして、――手を見て確認するのをやめた。
――顔が、腕が、冷たい。
 その事実でもうどうなっているか理解してしまった。
「――こ、のてめえ弥継ィッ! パイロン使いやがったなッ!」
 弥継に吹き飛ばされ、すぐさま起き上がって目に映った光景に真鞠子が瞬間的に逆上し、走りこみ弥継に拳をかざす。熱が収まり逸朗の側にいた弥継は、余裕を失った目で真鞠子を睨む。
「てめえは、何度も、何度もッ! ブッ殺す!」
 殴られる寸前に立ち上がり、彼女の拳をかわしそのまま真鞠子の腹部に膝を蹴り込み更に身を翻し軸足を右に変え、左足の回し蹴りを真鞠子の顔面に打ちつけ昏倒させてしまった。その向こうで、時香が糸が切れたようにばさりと地面に伏した。弥継は二人にはもう見向きもせず、傷付いた逸朗を抱きかかえる。
「痛え……俺どう……なってんの」
「逸朗くん、ごめんね」
「俺、死ぬ?」
「死なれたら困るよ。まだ、やらなきゃいけないことあるでしょ? 頑張った逸朗くんにプレゼントだよ」
 額に脂汗を滲ませながら逸朗に語りかける。そして羽織るように着ていたブルーのコットンシャツを脱いで刺さった金属片を囲うように傷口に当てる。秋の夜には些か寒さを感じる半袖シャツ姿になった弥継だがそんなことを構う余裕などない。
「榛原、スタンバイ。逸朗くん、ごめん、耐えて」
 榛原に指示を出し、苦痛と焦りの混じった笑みを逸朗に向けた。
「へ、なに……を――ひ、ぎうぐああああああッ!!!」
「暴れないで、余計に出血してしまうよ」
 ずるずると腹部に刺さった金属片を引き抜いていく。ナイフと違い、一気に引き抜く事もできず乱雑な断面の金属片は引き抜くだけで逸朗の腹部を傷付けていく。痛みにもがき仰け反ろうとする逸朗を抑えようにも手が足りない。叫びながら暴れようとする逸朗の腹部だけ押さえつけ、引き抜き切るとすぐさま榛原に向かって叫ぶ。
「榛原! オーダー! ブリング、オペレート、リザレクト」
「はい、ブリングオペレート、リザレクトを実行します」
 金属片を引き抜くと一気に出血量が増えていく。
「お願い、耐えて……」
 腹部の出血の様を見ながら、弥継が祈るように呟いた。
「――死にたく、ない……」
 血が失われる奇妙な感覚が逸朗の身体を覆っていく。身体中の細部までが冷えていくような、腹部の痛みだけが明確になって視界は薄れて白く見えなくなって、最後に音が遠のいた。
――俺、死ぬのか?
 死を覚悟した。
「――ブリングオペレート、完了しました」
 が、すぐさま意識と感覚が正常に機能し始め、空を見上げたまま、数度瞬きをした。
「……俺、生きてる?」
「うん」
「おまえいるってことはここ、天国じゃねえよな」
「うん、そうだね。天国ではないよ」
「なんだこれ、治ってる?」
「そうだよ、ブリングしたんだ。君は生きてるよ」
 泣き出しそうな顔で弥継は逸朗を抱きかかえたまま、微笑みかけそう言った。
「生体ブリングだよ。君のフィジカルデータを取っておいたんだ。だから、ブリングして、君は生きてる」
「そいつはすげえな……てえかよ、この状況どうかと思うんだけど。おまえが女の子なら嬉しいけど」
「そうだね」
 笑いながら逸朗が起き上がり、弥継も立ち上がる。
 血まみれのまま穴が開いたシャツを見て感心したように息を吐く逸朗。地面に誰かが転がっているのが視界に入ったが、何も見なかった事にしてし視界から跳ね退けるように顔を背けてしまった。
「榛原、オーダー、セクションブリング、オペレート、スタンバイ」
「スタンバイ、了解しました。一時停止していたスクリプトを再開します。集拾チャージ完了まであと三十五秒です」
 榛原は何事もなかったように、平然と指示通りキューブを手に実行コードを呟き始めた。
「逸朗くん」
「へ? あ、ああ」
 穴の開いた服と、全く持って無事な腹部を比べるように撫でまわしていた逸朗は、不意に呼びかけられて気の抜けた相槌を返した。弥継は逸朗の反応に相対するかのような強い眼差しで彼を見つめ告げた。
「次のポイントは自分の意思で決めるんだ。記憶ブリングは、意思の強さでポイントが決まるんだ。僕達が決められるのは大体の座標だけなんだ」
 驚くことを今更になって聞いた。
 そうか、と逸朗は唸った。なんだかんだ、自分が後悔している事をやり直そうとしていたんだ。その事実が伏せられていた事も、自分の意思が固まらなければ言えない事だったんだと逸朗は納得した。
集拾チャージ完了まであと十秒。カウントダウン、開始します。七、六、五、四、」
「……わかった」
 準備完了までのカウントダウンが始まるさなか、逸朗は頷いて返した。
「完了しました」
「……ブリング、アポイントメント」
「ブリングアポイントメント、認識しました。エージェント、Yatsugi Sanaki、声紋認証、相違ありません」
 まもなくブリングが始まる。弥継と逸朗は真正面にお互いを見ながらその時を待つ。――次の戦いが、始まる。
「自分がどうしたいのか、もうわかっているはずだよ、逸朗くん」
「ブリング開始します」
「迎えにいくよ、逸朗くん――」
――その言葉が、溶けていくように背景になって、すっと失せて視界は真っ白になっていく。
――明転。
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