夢をみるひと

石津 

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夢をみるひと⑨

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               ~~ 5年後 ~~


 2022年4月24日(日)朝起きると左腕が少し痺れている。時刻は朝10時過ぎだ。
ベッドに寝たまま思いっきり伸びをすると、寝室の扉の向こうから料理をする音が聞こえた。
何かを焼いている音だろうか。おそらく目玉焼きだ。妻の目玉焼きは焼き加減が絶妙で、黄身の部分がトロッとしており白身の裏側は少しだけカリッとしている。

啓太の朝ご飯はほぼ毎日コーヒーとバターをぬって焼いた食パン、そしてこの目玉焼きだった。
寝室を出てリビングへ向かうと、バターの香ばしい匂いとコーヒーの匂いがした。一気に腹が減る。
台所ではやはり妻が目玉焼きを焼いていた。

 「舞彩」

彼女はこちらを振り向き、笑顔で返す。

 「おはよう」

朝一に見る彼女の顔はいつも爽やかで、非の打ち所がない整った顔をしている。
すっぴんの状態では少しだけ幼く見えるが、その笑顔が愛おしくてたまらない。
彼女とは2年前の夏、仕事で知り合った。

2年ほどクスリの売人をしていた啓太だったが、今はもう足をあらった。
陰の社会でのこととはいえ、ようやく仕事を始めた啓太は、徐々に痩せ、身なりも清潔になっていった。
見違えるような見た目になり、鏡を見るたびに我ながら惚れ惚れする。元の顔だちは悪くなかったらしい。

漫画喫茶で出会った男は真面目に働く啓太を信用し、給料をくれるようになる。
悪い仕事だが皮肉にもその稼ぎはものすごかった。
だんだんと容姿がよくなっていくことが嬉しくてたまらない啓太は、稼いだ金をさらにかっこよくなるために使い、ファッション誌もしっかりと洋服のページをみるようになったのだ。

どんどん男前になっていく啓太は、女性との関係も増え、それから雑誌に潜むセクシーなページには目もくれていない。
人に見られても分からない程度のプチ整形もした。エステにも行った。脱毛もした。洋服は値段も見ずにセンスが良いと思ったものは次々と買った。

すると今度はそんな自分を誰かに見せたくなり、SNSにアップし始めた。
間もなくしてフォロワーが毎日毎日止めどなく増える。
それが雑誌の編集者の目に留まり、ある雑誌で専属モデルとしてデビューすることとなったのだ。

それからは雑誌の表紙を飾ったり、テレビに出たり、時には予約制で100人ほどの若者に対してファッションの勉強会を行っている。

母は昨年12月に他界したが、ようやくしっかりと働きはじめ、人並み以上に稼ぎ、すさまじい人気を誇る息子の顔を見るたびに涙を流していた。


 そんな様々な仕事をこなしているうちに出会ったのが、元アイドルであり現在モデルをしている白鳥舞彩だった。
いま彼女のお腹には、一人目の赤ちゃんがいる。男の子だ。
啓太は息子とキャッチボールをするのが夢だったので、男の子だとわかった時にはこれ以上ないほどに喜んだ。

朝ご飯を食べた後にはいつも舞彩と二人で散歩をしている。
元気な赤ちゃんを産んでもらうには彼女にも健康でいてもらわなければならない。
玄関の扉を開けると、二人はゆっくりと歩き始めた。

桜はもうほとんど散ってしまったが、暖かいやわらかな風が二人を包んだ。
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