36 / 38
🌈Last time 君は、心の傘
あふれた本音
しおりを挟む*
「えぇ――――!?」
慶太の叫び声が、窓を叩く雨音を掻き消した。
すかさず、「うるさい」と志歩の不機嫌そうな注意が飛ぶ。
高校受験を数日後に控えたその日、大和は久しぶりに、慶太と志歩の三人で子供部屋の円卓を囲んでいた。
担当者の都合で、結乃のリハビリがいつも面会に行っている時間にずれ込んだためだ。
「いやいや、だってさ、ありえないだろ。大和が数学で九十点台とか」
事実としてここにあるのに、ありえないとは失礼なやつだ。
小さな円卓の上には、三つのテスト用紙が置かれている。
勉強を始める前に、先日あった中学最後の定期テストの結果を見せ合おう、という慶太のくだらない提案により、しかたなく最高得点の教科だけ公表することになったのだ。
慶太、英語、八十一点。
志歩、数学、九十四点。
大和、同じく数学、九十二点。
自他ともに文系だと思っていた大和が、数学で高得点を取ったことに、慶太は度肝を抜かれたようだ。事実、これまでは六十点を超えれば上出来のレベルだった。
「なんか、結乃に算数教えてたら、分かるようになったっていうか」
数学だけではない。教える側に回ったことで、その内容や根拠をより深く理解しながら勉強するようになった気がする。
大和の主張に、慶太は「だって、そんなん小学生のやつじゃん!」とそれこそ小学生みたいな食いつき方をする。
そんな彼に、「分かってないわね、もう」と志歩は嘆息した。
「数学は積み重ねの教科だから、小学校で習った基礎的な部分こそ大事なの。教育課程が変わって、私たちが中学で習ったことを、今は小学校で習ったりもするし」
推薦入試ですでに合格を勝ち取っているからか、この頃の志歩からは余裕が垣間見える。
志歩の説明を聞くと、慶太はつまらなそうに口を尖らせ、「ちぇー、俺の八十点がショボく見えるんですけどー」なんてぼやきながら天井を仰いだ。
彼も、最近は人が変わったように真面目に勉強しているみたいだから、少しは報われたいのだろう。
手厳しい教師とふて腐れた生徒のようなふたりのやり取りに、思わず苦笑する。
と、勉強机に置きっぱなしのスマホが、電話の着信を知らせた。
もしかして、と思いつつ、そばまで行って確認する。するとそこには案の定、「公衆電話」の表示が。
「ちょっとごめん」
大和は他のふたりに断りを入れ、一旦退室する。
足早に階段をおりて、最下段に座り込むと、電話に出た。
「もしもし?」
同じ言葉を返した結乃の声色は、明らかにいつもと違っていた。
『今、リハ終わったよ』
まるで、雲に隠れた太陽のように、元気がない。
「お疲れさま」
大和のねぎらいを最後にして、しばらく静かな時が流れる。
「これから行こうか?」
結乃の言葉を待っていたかったけれど、とてもむずがゆくて、切なくて、自分から切り出してしまった。
『え? あっ、ううん。大丈夫。だってほら、勉強中でしょ?』
あわてたように答えた彼女の声は、少し揺れている気がする。
「大丈夫って声じゃないよ」
たまらず言うと、逡巡するように間が空き、
『……じゃあ、病室で待ってるね』
数秒後、ちょっぴり明るい返事が戻ってきた。
「すぐ行くから」
大和も朗らかに答えて、通話を切る。
そのとき、背後から冷やかすような口笛が飛んできた。
「……聞いてたのかよ」
踊り場のほうを振り返ると、物言いたげな笑みを浮かべた、志歩と慶太が立っていた。
「そういうことなら、私たちは移動しましょうか」
「だな」
口々に言うふたりに微笑みを返し、大和は玄関へ向かう。
バッグハンガーにかけられた、厚手のジャンパーに袖を通し、靴を履きながら、「ありがと」と呟いた。
「受験前に彼女といちゃいちゃしやがって。落ちても知らねぇぞ?」
「大丈夫だよ。慶太じゃないんだから」
見送る慶太の嫌味を嫌味で返してやったら、「んだとぉ」と一言。
期待を裏切らない反応に、小さく笑った。
靴ひもを結び終えて立ち上がると、大和はふたりより一足先に家を出る。
静かな雨に打たれながら、自転車にまたがり、結乃のもとへ急いだ。
様々な薬品の臭いが蔓延した、不気味なほど白い部屋に、今日も結乃はいた。
ベッドから上半身を起こし、雨に濡れる窓を、ぼんやりと眺めていた彼女。
ドアを開けた音に気づくと、静かにこちらを振り向いた。
その下半身は厚い掛布団に隠されていて、一見しただけでは健常者のそれと変わらない。
自分を映しているはずの瞳はひどくうつろで、どこを見つめているのか分からなかった。
一度開放したドアをゆっくりと閉め、歩み寄ろうとすると、「……私」と彼女が口を開いた。
大和はその場で立ち止まり、次の言葉を待つ。
「リハビリのとき、どうしてもダメなの。他の人たちが、自分の足で歩いたり、ストレッチしたりしてると、思っちゃうんだ」
その声はかすかに震え、自身に対するものなのか、他人に対するものなのか分からない、憎悪感に満ちていた。
「この人たちは、自分が脚を失ったときのことなんて、考えたこともないんだろうなって。指の一本でも切ってみればいいのに、って」
低い声でそう言い放った彼女は、それきり俯いてしまう。
――これは、いけない。
大和は、一歩一歩踏みしめるように結乃のもとへ向かい、その小さな頭を、両手で包み込むようにして抱き寄せる。
彼女はそのまま、そっと顔をうずめた。大和の腹部が、かすかな重みを受け止める。
「ひっぱたかれるかと思った……」
「まさか。そんなこと」
ふふっ……と返ってきた微笑みは、切なげに揺れている。
「私、治療費とか慰謝料とか、そんなの、どうだっていいんだ」
また、低くなる。
「欲しいのは脚なの。なくなっちゃった、左脚」
また、揺れる。
彼女が顔をうずめている部分が、少しの温かみを持って、濡れていくのが分かった。
「……結乃」
彼女の指通りのいい髪を、上から下へ撫でながら、大和は語りかける。それは肩につくまでなめらかに伸びていて、春頃に比べると、ずいぶんと長くなった。
「いいんだよ、それで」
言い聞かせるように呟くと、彼女ははっと顔を上げる。色白の肌には、いくつもの涙跡が残っていた。
見開かれた両目から、同時に大粒のしずくがこぼれ落ちる。頬をつたって、また悲しみの跡を描いていった。
「大丈夫。誰も悪くない。何もおかしくなんかない」
軽く屈んで、人差し指で潤んだ目尻を拭ってやる。
「約束しただろ?」
ふっと微笑んでそう言った瞬間、結乃の顔がくしゃりと歪んだ。
そして、強く肩にしがみついてきたかと思うと、大声を上げて泣きだす。
まるで、それまできつくしめていた栓を抜いたかのように。
なんで、どうして私なんだと叫び、それ以外言葉にならない感情を、ひたすらに吐き出し続ける。
そんな彼女を、大和はただ黙って抱きすくめていた。
それは、彼女が初めて、自分の前で子供に戻ってくれた瞬間だった。
0
あなたにおすすめの小説
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【大賞・完結】地味スキル《お片付け》は最強です!社畜OL、異世界でうっかり国を改革しちゃったら、騎士団長と皇帝陛下に溺愛されてるんですが!?
旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞で大賞をいただきました】→【規約変更で書籍化&コミカライズ「確約」は取り消しになりました。】
佐藤美佳子(サトウ・ミカコ)、享年28歳。死因は、過労。連日の徹夜と休日出勤の果てに、ブラック企業のオフィスで静かに息を引き取った彼女が次に目覚めたのは、剣と魔法のファンタジー世界だった。
新たな生を受けたのは、田舎のしがない貧乏貴族の娘、ミカ・アシュフィールド、16歳。神様がくれた転生特典は、なんと《完璧なる整理整頓》という、とんでもなく地味なスキルだった。
「せめて回復魔法とかが良かった……」
戦闘にも生産にも役立たないスキルに落胆し、今度こそは静かに、穏やかに生きたいと願うミカ。しかし、そんな彼女のささやかな望みは、王家からの突然の徴収命令によって打ち砕かれる。
「特殊技能持ちは、王宮へ出仕せよ」
家族を守るため、どうせ役立たずと追い返されるだろうと高をくくって王都へ向かったミカに与えられた任務は、あまりにも無謀なものだった。
「この『開かずの倉庫』を、整理せよ」
そこは、数百年分の備品や資材が山と積まれ、あまりの混沌ぶりに探検隊が遭難したとまで噂される、王家最大の禁足地。
絶望的な光景を前に、ミカが覚悟を決めてスキルを発動した瞬間――世界は、彼女の「お片付け」が持つ真の力に震撼することになる。
これは、地味スキルでうっかり国のすべてを最適化してしまった元社畜令嬢が、カタブツな騎士団長や有能すぎる皇帝陛下にその価値を見出され、なぜか過保護に甘やかされてしまう、お仕事改革ファンタジー。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か
雪兎
BL
第二性が存在する世界。
Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。
しかし入学初日、彼の前に現れたのは――
幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。
成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。
だが湊だけが知っている。
彼が異常なほど執着深いことを。
「大丈夫、全部管理してあげる」
「君が困らないようにしてるだけだよ」
座席、時間割、交友関係、体調管理。
いつの間にか整えられていく環境。
逃げ場のない距離。
番を拒みたいΩと、手放す気のないα。
これは保護か、それとも束縛か。
閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗@オートスキル第1巻発売中
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました
美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる