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💧 Life3 ふたりのかたち
「幸せになれよ」
しおりを挟むバスに揺られながら、あまねは冷たい窓に頬を預けた。
ガラスに映った自分の姿を見て、急に感慨深くなる。この制服を着るのも、明日で最後なんだなぁ、と。
結論から言おう。ラスボスたちは、警戒したほどの強敵ではなかった。
純は「ふたりにきちんとした覚悟があるのなら」と寛容に受け入れてくれ、父は高校卒業後に入籍することと、生活費を自分たちで賄うことを条件に出しただけ。当然、丈の病気についても説明したが、その点に関しては特に難しい顔をすることもなかった。
反対こそされなかったが、
「同じ道を歩むのは勝手だけど、同じ轍は踏むなよ」「お前、俺より賢いんだからそれくらいできんだろ。『いつまでもあると思うな親と金』ってな」
経験者の声だからだろうか。父の言葉はずしりと胸を打ち、自分たちがやろうとしている事の重大さを、再認識させられた。
傍から聞けば、耳を疑いたくなるような結果だと言う人もいるだろう。
しかし、過去に同じような人生を送ってきた親子と、命や与えられた時間がいつ失われるか分からないことを知り、今現在もそのリスクと向き合う兄弟。
そういった背景を考えれば、むしろ自然な選択だとすら思えてくるから、不思議なものだ。当事者は深く思案するぶん、視野が狭くなりがちなのかもしれない。
丈の体調は、集中治療室を出たあの日以来、順調に回復。数日後には退院して学校にも通い始め、今ではこれまで通り定期的な検診を受けながら体と相談しつつ、わりに平凡な日々を過ごしている。
一時はどうなることかと思ったが、再び持ち直してからは、相変わらずの気力と根性で乗りきった。諸々の卒業ラインは余裕でクリアしていることだろう。
そうはいっても、やはり優れない日もある。今朝は、微熱があるのに登校したがっていると純を介して電話があり、
「休みなさい。明日のほうが大事なんだから」
『え~、でもぉ……』
「休め」
『はい……』
といった感じで半強制的に休ませた。
しかたないから学校が終わったら様子を見に行ってやると言ったら、おとなしく従う気になったようだ。
明日は卒業式なのだし、その後には婚姻届けの記入と、結婚指輪の受け取りという二大行事が待っているので、なんとしても倒れてもらうわけにはいかない。
ちなみに、指輪代は結婚祝いと称して純が出してくれることになっている。
バイトもしておらず、貯金もお年玉を貯めている程度しかないふたりにとって、ものによっては二十万を超える代物は手が出せなかった。
安物のペアリングで我慢しようかと話していたところ、一生に一度のことなのにそんな妥協はいけないと、純のほうから申し出てくれたのだ。
卒業後は、志賀兄弟と同じマンションの一室を借りる予定でいる。マンション内近居というらしい。
あまり近すぎるとかえって不都合が出るので階は別だが、これからはお互い、数少ない親戚になるのだ。丈のことや、今後家族が増えた場合を踏まえても、父を含め、もしものことがあったときにすぐに頼れる環境にいてくれたほうが心強い。
仕事のほうは、当分バイトで食いつなぐつもりだ。派遣でもと思ったが、子供を考えるなら契約が無駄になる可能性も高いし、丈の体調も安定しない。
多少の心配はあるものの、彼が家庭に入り、あまねが働くという体制を取れば、ふたりのうちはどうにかやっていけるだろう。おそらくバイトの掛け持ちが必要になるが。
うちは父子家庭だし、高校を卒業したらどこかの中小企業にでも就職して、味気ないOL生活を送るのだろうなと思っていたけれど、とんでもない狂い方をしたものだ。
夫婦として、純と丈のような関係を築けたら素敵だと思う。言葉にしなくても、相手の繊細な気持ちまで分かり合えるような、そんな関係になれたら。
まだ見ぬ未来に想いを馳せるうち、いつものバス停に到着する。
下車して歩きだそうとしたとき、ふと、背後から誰かに肩を叩かれた。
「おっす!」
快活な声に振り返ると、マフラー姿の菊池が立っていた。
「あれ? 菊池、ここだったっけ?」
一瞬、また私の悪い癖が出てしまったのかと焦ったが、彼は「いや、違うけどさ」と隣に並んで歩きだす。
「丈から聞いたよ」
その一言で悟った。わざわざご報告とは、律儀なことだ。
「やっぱいろいろ抱えてたんだな、あいつ」
「そう……だね」
彼はずっと丈のそばにいたし、普段の様子から見ても、他の人より多くのことを感じ取っていたのは確かだ。ただ、それがどの程度のものだったのかは分からない。
親友の口から、今まで抱いてきた違和感の真相を聞かされ、彼は何を思ったのだろう。
「っていうかなんだよ、君たち、夏頃から付き合ってるらしいじゃーん?」
「えっ? あ、あぁ……」
彼は湿っぽい空気を振り払おうとしたのか、いきなり妙なテンションでからかってくる。しかも話題が話題なだけに、動揺を隠せなかった。
「まあね」
どうにか取り繕いながら、こっちでもちゃんと話合わせといてくれたんだな、と胸の内でほっとする。
結婚のことは内密にしているのだ。事情が複雑だし、もうすぐ疎遠になるだろう人たちに、あらたまって報告するようなことでもない。うっかり里見や武中の耳に入ったりしたら、ますます厄介になりそうだし。
ことに、俗にいうゼロ日婚の真実に至っては、父や純でさえ知らない。こちらは別に隠したわけではないのだが、打ち明けるタイミングを逃したというのが正直なところだ。
寡黙な父はそのあたりについてはまったく触れてこなかったし、純は純で、初めてお宅にお邪魔したあの日から、すでに付き合っていると思い込んでいたらしい。
下手に訂正して万が一反対されたら……と怖気づいてしまい、本当は親しくなり始めたばかりだった、今年の夏休み頃から交際していると、丈とふたりでとっさに口裏を合わせた。
嘘も方便というやつだ。それにしたって、まあまあなスピード婚だけれど。
「お前、ほんとに何も気づいてなかったのか?」
シンプルに驚いた様子で尋ねてくる菊池。そんな純粋な顔をされたら、曖昧に微笑むしかない。
「うん。事情知ってたからやたら一緒にいたけど、告白されるまでは、特に意識したことなかった……かな」
これは半分嘘で、半分本当だった。
――絶対脈ナシだと思ってた女の子からそんなこと言われたら、男はたまんないんだよ?
その瞬間は自分の気持ちを吐露することに精いっぱいで気にもしていなかったが、最近になってやっと、あの言葉は丈なりの告白だったのでは? と考えるようになった。
自惚れだったら恥ずかしいなと思っていたけれど、菊池の話を聞く限り、あながち間違ってもいないようだ。
「あんなに好き好きオーラだだ漏れだったのに? それに俺、あんときほとんど答え言ったようなもんだぜ?」
彼が言っているのは、武中との一件のことだろう。
これまでの推測が正しければ、丈が武中と別れた理由も、
――他に好きな人ができたからって。
菊池のこの一言が示す意味も、つまりはそういうことになるわけで。――やっぱり、恥ずかしい。
「そりゃ、全部お見通しの菊池から見たらじれったかったかもしれないけど……本人は案外分からないものなのっ!」
っていうかあの頃はもう付き合ってたしっ! とあわてて言い添える。
「いや、お前が鈍すぎるだけだ」
即答かよ。
「私、基本他人に興味ないから」
むきになって悪びれず言うと、菊池は「ッケ、薄情なやつ」と呆れ気味に吐き捨てた。
そう。そんな薄情者の私が、初めて心から大切にしたいと思えた人なのだ。丈は。
「でもよかったよ。あいつ、ほんとにずっと好きだったから。お前のこと」
「なんで、私なんだろうね」
今度はあまねが尋ねる番だった。
結婚してくれと泣きついた人間がこんなことを言うのもおかしいかもしれないが、疑問を抱かずにはいられない。
「かっこいい、って」
「へっ?」
予想外の単語が出てきたものだから、間抜けなリアクションを取ってしまった。
「いつも自分を貫いててかっこいいって言ってた。章たちの陰に隠れて身を守ってる俺にはとても真似できない、ってさ」
「うわ~、なんかめっちゃ買いかぶられてる……」
あまりの過大評価に苦笑する。菊池も短く乾いた笑みを漏らした。
「ま、他人から見た自分なんてたいがいどっかズレてんだろ。知らねぇけど」
いかにも他人事というように言って、それから、
「幸せになれよ」
ふっと優しい顔つきになる。
「やだ。そんな、もう結婚するみたいに」
そう自分で茶化しておいて、胸が痛んだ。
いつか、みんなに本当のことを話せる日がくるといい。
時が経って歳を取って、そんなこともあったねと、あのときはごめん、実はかくかくしかじかだったんだよと、笑い合える日が。
そのときを、丈と一緒に迎えられたら、最高だ。
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