最期の時まで、君のそばにいたいから

雨ノ川からもも

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💧 Life3 ふたりのかたち

「――それでも、こんな重い荷物背負う自信、ある?」

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「いててて……」
 元カノに殴られたと、ここに来るまでのいきさつを聞いた里見は、痛がるこちらをいたわる様子もなく、「いいわね。セイシュン!」なんて笑って、腫れ上がった左頬に豪快に湿布を貼りつけた。
「だから、痛いですって」
 丈のささやかな抗議にも、「自業自得でしょー?」と愉快そうにばっさりだ。
「まあ、そうですけど……」
 渋々認めると、彼女は物言いたげに笑みを深める。
「ところで君、あの子――あまねちゃんとはどうなの? 最近、前にも増して仲良さそうに見えるんだけど?」
「――彼女ですよ。夏頃から付き合ってたんです」
 内心ギクリとしつつも、悟られないよう、表向きの設定を淡々と告げた。うっかり口を滑らせたりしたら、あまねに殺される。
「嘘ね。あの子、いつだったか私にはっきり言ったもの。付き合ってないって」
「……知られたくなかったんじゃないですか?」
 さすがはしぶといな。でも、冷静に。冷静に。そうすれば切り抜けられる。
「あら。彼女、だいぶすれちゃってるけど、嘘は嫌いなはずよ? 恋人なのに、そんなことも分からないの?」
 くっ、揺さぶりをかけられている……!
「それにあなた、さっき『付き合ってた』って言ったわよね? 今も続いてるでしょうに、どうして過去形なのかしら」
 さらに畳みかけられ、思わず一瞬、言葉に詰まる。
「やだなぁもう。そんな揚げ足取らないでくださいよぉ。ちょっと間違えただけじゃないですかぁ。スパルタな国語の先生じゃないんだからぁ~」
 とっさにヘラヘラとごまかしてみせるが、
「で? 本当は?」
 彼女の中で答えを出すには、先ほどのわずかな沈黙だけで充分だったようだ。仮面のごとく、一定の表情のまま崩れない笑顔は、もはや脅迫でしかない。
「安心しなさいな。誰にも吹聴したりしないから」
 ……ごめん、あまね。

 *

「すみませんっ!」
 丈がそのひと声とともにマンションのリビングダイニングへ駆け込んできたのは、予定の時間ギリギリだった。
 あまねは聞こえよがしにため息をついて、席から立ち上がる。
「ったく、こんな大事なときにどこで何して――って、どうしたのその顔!?」
 ぶつけようと思っていた苛立ちは、彼の顔を見た瞬間、とたんに引っ込んでしまった。左頬が痛々しく腫れ上がり、湿布が貼られている。
 すると彼は、「もー参ったよぉ」と情けない声を上げて向かい側の席にへたり込んだ。
「卒業式の後、り――武中さんに呼び出されたんだけどさ。なんだろうって警戒しながら行ったら、『もう二度と会わないから一発殴っていい?』とか言われて、ビンタかと思ったらまさかのグーパンチで。だんだん腫れてきちゃって」
 もう名前で呼んでも怒ったりしないわよ、と思いながら、あまねは「それはご愁傷様」と哀れみの目を向けて、再び腰をおろす。
 なにも結婚記念日にそんな仕打ち……と思わなくもなかったが、極秘情報なのだからしかたがない。
 武中も結婚のことまでは知らないはずだけれど、菊池から広まって、偽の交際について聞かされている可能性はある。
 あまねも反感を買った身だ。彼女の立場からすれば、それだけで一発お見舞いしたくもなるよなぁ、とは思う。
「おかげで最後の最後まで保健室の世話になってしまった……」
 本題前にすっかり疲れ果てた様子でため息をつき、テーブルにあごを預けた丈だったが――すぐさま何かを思い出したようにはっとしてこちらへ身を乗り出し、こう耳打ちした。
「ごめん。ほんとのこと言っちゃった。里見先生に」
 囁いて、ゆっくりと椅子に座り直す彼。
 言葉を噛み砕いてみる。
 ほんとのこと。里見先生。
 それは――結婚のことを、あの養護教諭に、漏らしたと?
 いや、待て。それだけならまだマシだ。今は諸事情により内密にしているだけで、どんなに隠したって、自分たちが結婚したことはいずれ公になる。
 でも、丈のこの怯えたような顔。ほんとのことって、まさか。
 ――ぜ、ろ、に、ち、こ、ん?
 違うと言ってくれと願いつつ、口の形のみで端的に尋ねると、彼は肩をすくめてこくんとうなずいた。
 反射的に叫びそうになったが、同じ室内に純も父も居合わせていることを思い出し、すんでのところで押しとどめる。
 オワッタ。
 身内ですら知らないトップシークレットの事実を、よりによってあの人に握られるなんて。
 考えてみれば、丈とあまねを誰よりも近くで見守っていたのは、彼女かもしれない。何も勘繰らないほうがおかしいくらいだ。
 まあいい。丈はどうだか知らないが、あまねは連絡先を交換していないので直接からかわれる心配もないし、彼女もいい大人なのだ。いくらなんでも、面白がって周囲に言いふらすような真似はしないだろう。
 ――バカ。バーカ。
 再び口の形だけでなじれば、丈は面目なさそうに顔の前で両手をこすり合わせる。
 と、遠巻きに見ていた父が、ひとつ咳払いをした。どうやらいちゃついて見えたらしい。
 あまねはあわてて背筋を伸ばし、ペンを手にする。
 丈もてっきりそうするだろうと思っていたのに、彼はテーブルの上に広げられた婚姻届けを神妙な面持ちで見つめ、
「引き返すなら今だよ」
 なんて言い出した。
 この期に及んで何を……と驚いたが、声色と表情は真剣そのものだ。
「僕はもう病院にはとどまらない。もしこのまま一緒になるなら、血が出ても、心臓が止まっても、君のそばで死にたいんだ。それと、君の言う『希望』を残してあげられるかも分からない。もちろん努力はするけど、こればっかりは授かりものだからね」
 その瞳は、茶化すことを許さない。
「――それでも、こんな重い荷物背負う自信、ある?」
 やむを得ず、
「何それ。私が信用できないってこと?」
 少し語気を強めると、彼は「そういうわけじゃ……」と露骨にうろたえた。
 ほんとしょうがないやつ、と思いながら、
「冗談よ、冗談。あんた、かたいから」
 そう言ってふっと吐息を漏らせば、彼は安心したように肩の力を抜いた。
「まぁ、あんたの気持ちも分かるけどさ。荷物なんて思ってないって。もし仮にそうだとしても、私が背負いたくて背負うんだから、いいの」
 そんなことで怯んでしまうような中途半端な覚悟なら、そもそも結婚まで踏み込んでいない。
「それに、別に子供が欲しいから結婚するわけじゃないよ? そりゃ、できたら万々歳だけどね。ふたりきりだって、一緒に過ごした時間は、絶対に無意味じゃないもの」
 彼が共に生き、この、未熟な灰色の日常をカラフルに色づけてくれたなら、もうそれだけで充分なのだ。
「あまね……」
 胸に迫るものがあったのか、丈の瞳の奥が切なく揺らいだとき、
「そうだぞ」
 と励ますような純の声が聞こえた。
「今さら引き返すなんてできないよ。もう指輪も買っちゃったんだし」
 ことさら明るい純の言葉に、
「……親も公認だしな」
 父もぶっきらぼうに同調する。
 心なしか不機嫌に見えたのは、うちの娘を泣かせた責任は取ってもらわないと、くらいのことを言いたかったのかもしれない。なんて、私の願望にすぎないだろうけれど。
 こうして私たちは、交際もキスもしないまま、夫婦になった。
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