25 / 35
💧 Life3 ふたりのかたち
「――それでも、こんな重い荷物背負う自信、ある?」
しおりを挟む「いててて……」
元カノに殴られたと、ここに来るまでのいきさつを聞いた里見は、痛がるこちらをいたわる様子もなく、「いいわね。セイシュン!」なんて笑って、腫れ上がった左頬に豪快に湿布を貼りつけた。
「だから、痛いですって」
丈のささやかな抗議にも、「自業自得でしょー?」と愉快そうにばっさりだ。
「まあ、そうですけど……」
渋々認めると、彼女は物言いたげに笑みを深める。
「ところで君、あの子――あまねちゃんとはどうなの? 最近、前にも増して仲良さそうに見えるんだけど?」
「――彼女ですよ。夏頃から付き合ってたんです」
内心ギクリとしつつも、悟られないよう、表向きの設定を淡々と告げた。うっかり口を滑らせたりしたら、あまねに殺される。
「嘘ね。あの子、いつだったか私にはっきり言ったもの。付き合ってないって」
「……知られたくなかったんじゃないですか?」
さすがはしぶといな。でも、冷静に。冷静に。そうすれば切り抜けられる。
「あら。彼女、だいぶすれちゃってるけど、嘘は嫌いなはずよ? 恋人なのに、そんなことも分からないの?」
くっ、揺さぶりをかけられている……!
「それにあなた、さっき『付き合ってた』って言ったわよね? 今も続いてるでしょうに、どうして過去形なのかしら」
さらに畳みかけられ、思わず一瞬、言葉に詰まる。
「やだなぁもう。そんな揚げ足取らないでくださいよぉ。ちょっと間違えただけじゃないですかぁ。スパルタな国語の先生じゃないんだからぁ~」
とっさにヘラヘラとごまかしてみせるが、
「で? 本当は?」
彼女の中で答えを出すには、先ほどのわずかな沈黙だけで充分だったようだ。仮面のごとく、一定の表情のまま崩れない笑顔は、もはや脅迫でしかない。
「安心しなさいな。誰にも吹聴したりしないから」
……ごめん、あまね。
*
「すみませんっ!」
丈がそのひと声とともにマンションのリビングダイニングへ駆け込んできたのは、予定の時間ギリギリだった。
あまねは聞こえよがしにため息をついて、席から立ち上がる。
「ったく、こんな大事なときにどこで何して――って、どうしたのその顔!?」
ぶつけようと思っていた苛立ちは、彼の顔を見た瞬間、とたんに引っ込んでしまった。左頬が痛々しく腫れ上がり、湿布が貼られている。
すると彼は、「もー参ったよぉ」と情けない声を上げて向かい側の席にへたり込んだ。
「卒業式の後、り――武中さんに呼び出されたんだけどさ。なんだろうって警戒しながら行ったら、『もう二度と会わないから一発殴っていい?』とか言われて、ビンタかと思ったらまさかのグーパンチで。だんだん腫れてきちゃって」
もう名前で呼んでも怒ったりしないわよ、と思いながら、あまねは「それはご愁傷様」と哀れみの目を向けて、再び腰をおろす。
なにも結婚記念日にそんな仕打ち……と思わなくもなかったが、極秘情報なのだからしかたがない。
武中も結婚のことまでは知らないはずだけれど、菊池から広まって、偽の交際について聞かされている可能性はある。
あまねも反感を買った身だ。彼女の立場からすれば、それだけで一発お見舞いしたくもなるよなぁ、とは思う。
「おかげで最後の最後まで保健室の世話になってしまった……」
本題前にすっかり疲れ果てた様子でため息をつき、テーブルにあごを預けた丈だったが――すぐさま何かを思い出したようにはっとしてこちらへ身を乗り出し、こう耳打ちした。
「ごめん。ほんとのこと言っちゃった。里見先生に」
囁いて、ゆっくりと椅子に座り直す彼。
言葉を噛み砕いてみる。
ほんとのこと。里見先生。
それは――結婚のことを、あの養護教諭に、漏らしたと?
いや、待て。それだけならまだマシだ。今は諸事情により内密にしているだけで、どんなに隠したって、自分たちが結婚したことはいずれ公になる。
でも、丈のこの怯えたような顔。ほんとのことって、まさか。
――ぜ、ろ、に、ち、こ、ん?
違うと言ってくれと願いつつ、口の形のみで端的に尋ねると、彼は肩をすくめてこくんとうなずいた。
反射的に叫びそうになったが、同じ室内に純も父も居合わせていることを思い出し、すんでのところで押しとどめる。
オワッタ。
身内ですら知らないトップシークレットの事実を、よりによってあの人に握られるなんて。
考えてみれば、丈とあまねを誰よりも近くで見守っていたのは、彼女かもしれない。何も勘繰らないほうがおかしいくらいだ。
まあいい。丈はどうだか知らないが、あまねは連絡先を交換していないので直接からかわれる心配もないし、彼女もいい大人なのだ。いくらなんでも、面白がって周囲に言いふらすような真似はしないだろう。
――バカ。バーカ。
再び口の形だけで詰れば、丈は面目なさそうに顔の前で両手をこすり合わせる。
と、遠巻きに見ていた父が、ひとつ咳払いをした。どうやらいちゃついて見えたらしい。
あまねはあわてて背筋を伸ばし、ペンを手にする。
丈もてっきりそうするだろうと思っていたのに、彼はテーブルの上に広げられた婚姻届けを神妙な面持ちで見つめ、
「引き返すなら今だよ」
なんて言い出した。
この期に及んで何を……と驚いたが、声色と表情は真剣そのものだ。
「僕はもう病院にはとどまらない。もしこのまま一緒になるなら、血が出ても、心臓が止まっても、君のそばで死にたいんだ。それと、君の言う『希望』を残してあげられるかも分からない。もちろん努力はするけど、こればっかりは授かりものだからね」
その瞳は、茶化すことを許さない。
「――それでも、こんな重い荷物背負う自信、ある?」
やむを得ず、
「何それ。私が信用できないってこと?」
少し語気を強めると、彼は「そういうわけじゃ……」と露骨にうろたえた。
ほんとしょうがないやつ、と思いながら、
「冗談よ、冗談。あんた、かたいから」
そう言ってふっと吐息を漏らせば、彼は安心したように肩の力を抜いた。
「まぁ、あんたの気持ちも分かるけどさ。荷物なんて思ってないって。もし仮にそうだとしても、私が背負いたくて背負うんだから、いいの」
そんなことで怯んでしまうような中途半端な覚悟なら、そもそも結婚まで踏み込んでいない。
「それに、別に子供が欲しいから結婚するわけじゃないよ? そりゃ、できたら万々歳だけどね。ふたりきりだって、一緒に過ごした時間は、絶対に無意味じゃないもの」
彼が共に生き、この、未熟な灰色の日常をカラフルに色づけてくれたなら、もうそれだけで充分なのだ。
「あまね……」
胸に迫るものがあったのか、丈の瞳の奥が切なく揺らいだとき、
「そうだぞ」
と励ますような純の声が聞こえた。
「今さら引き返すなんてできないよ。もう指輪も買っちゃったんだし」
ことさら明るい純の言葉に、
「……親も公認だしな」
父もぶっきらぼうに同調する。
心なしか不機嫌に見えたのは、うちの娘を泣かせた責任は取ってもらわないと、くらいのことを言いたかったのかもしれない。なんて、私の願望にすぎないだろうけれど。
こうして私たちは、交際もキスもしないまま、夫婦になった。
10
あなたにおすすめの小説
🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。
設楽理沙
ライト文芸
2026.1.4 73話見直した際、瑛士の台詞《本音/懺悔》を加筆しました。😇
☘ 累計ポイント/ 200万pt 超えました。ありがとうございます。
―― 備忘録 ――
第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。 最高 57,392 pt
〃 24h/pt-1位ではじまり2位で終了。 最高 89,034 pt
◇ ◇ ◇ ◇
紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる
素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。
隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が
始まる。
苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・
消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように
大きな声で泣いた。
泣きながらも、よろけながらも、気がつけば
大地をしっかりと踏みしめていた。
そう、立ち止まってなんていられない。
☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★
2025.4.19☑~
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました
美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?
【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない
くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、
軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。
言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。
――そして初めて、夫は気づく。
自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、
「必要とされる存在」として歩き始めていた。
去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。
これは、失ってから愛に気づいた男と、
二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。
――今さら、遅いのです。
後宮なりきり夫婦録
石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」
「はあ……?」
雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。
あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。
空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。
かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。
影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。
サイトより転載になります。
白椿の咲く日~ひそかな恋、遠い日の思いは
紫さゆり
恋愛
結婚を控えた真由子は、久しぶりに異母姉の稚子(わかこ)と会う。
真由子の母の雪江は、大学教授であり著名な歌人の水上実之(みなかみさねゆき)の後添いとして水上家に嫁いだ。
婚約者の諒人(りょうと)のことなど、真由子は稚子と色々語り合ううち、庭の白椿の木は真由子がなついていた異母兄、靖之が植えたものだと知る。
白椿の木をめぐっての、ひそかな大人の恋物語です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる