最期の時まで、君のそばにいたいから

雨ノ川からもも

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💧 Life3 ふたりのかたち

「――知ってるよ。ばか」

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 *

「大丈夫?」
 帰宅したあまねが、心配そうにこちらを覗き込んでくる。
「うん。平気ぃ」
 丈はベッドの上で、ようやく冷却シートが取れた額に自分の手の甲を押し当てながら、そんな彼女に弱々しく微笑み返した。
 あまねがバイトに行った後、吐き気に加えて少しお腹が緩くなり、極めつけには病院の待ち時間に熱が急上昇。人生二度目の四十度に苦しんだ。
 去年の冬頃と同じ展開に、兄はまた出血沙汰になるのではとヒヤヒヤしていたようだが、幸いそこまでには至らず、薬と点滴で落ち着いて、今は熱も三十七度後半まで下がっている。
 ただ、相変わらずの倦怠感と、薬の副作用による眠気がひどいので、傍からは朝よりぐったりして見えるのかもしれない。
 そう説明すると、あまねはほっとしたように顔をほころばせた。
 今朝のハグといい、彼女がこんなにもいたわってくれるのなら、体調不良も悪くないか、なんて思わなくもないけれど。
 すると、彼女は床に置いたバッグから何かを取り出し、
「人生二度目の四十度に打ち勝った丈くんに、朗報があります」
 あらたまった口調で言って、ベッドの端に腰かけた。
「分かる? このちっちゃい影」
 上半身をこちらに向けた彼女が右手に持っているのは、四角い白黒写真。指で示された箇所には、たしかに小さな影が映り込んでいる。
 それですぐにピンときた。
「あまね、まさか……」
 思わずベッドから体を起こして呟くと、彼女も嬉しそうにうなずく。
「このたび、無事に妊娠いたしました! 今現在、二ヶ月だそうです!」
「「え――――っ!?」」
 自分と、部屋の出入り口付近に立っている兄の叫び声が、重なって室内に響き渡った。予想はついたものの、そんなに直球で報告されると、やはり驚いてしまう。
 そういえば少し前、ただいまもそこそこにトイレへ駆け込んだことがあった気がする。そのときは、めちゃくちゃギリギリまで我慢してたのかな? と怪訝に思ったが、ひょっとして、検査薬のためだったのだろうか。
 どうりでここ最近、求めてもつれなくかわされるわけだ。
「おめでとうございます」
 祝福した兄に、あまねはそちらに向き直り、「ありがとうございます」と軽く頭を下げる。その横顔が、淡く微笑んでいるのが分かった、
 ふたりは今朝、あまねが出かける直前に、玄関で何か話していたようだ。いったい何を……
 おっと、いかんいかん。男の嫉妬は醜いぞ?
 なんて自分に言い聞かせてみるも、
「なんでもっと早く教えてくれなかったのさぁ」
 結局、寂しさも込めてちょっとふて腐れたようにあまねに尋ねれば、「そんな拗ねられても」と苦笑された。
「二回くらい試したけど、線が薄かったから検査薬だけじゃ確信持てなかったし、昨日のうちに伝えて今日のバイト終わりにふたりで病院行こうと思ってたのに、あんたが子供みたいにちょうどのタイミングで熱出すから」
「むぅー……」
 それこそ子供みたいにむくれてみせるが、たしかに、昨夜や今朝にこの事実を聞かされていたら、這ってでもついていったことは否めない。
「初めての健診は絶対一緒に行くからっ!」
 ムキになって言うと、あまねは「なら、早く体調戻してね」と和やかに微笑んだ。
「でも、そっかぁ。いよいよかぁ……」
 あらためて口にしながら、まだ普段と変わらないあまねのお腹を撫でるうち、じわじわと実感が沸いてきて、兄が見ているにもかかわらず、今度は彼女の腕に抱きつく。
「はぁ~、よかったぁ……」
 喜びと安堵から、自然と、ため息交じりの言葉がこぼれた。
 これで、万が一自分に何かあったとしても、彼女をひとりぼっちにしないで済む。
 もっとも、芽生えた命がお腹の中で、そして産まれてからも元気に育ってくれたらの話だけれど。それに、だからといって以前の投げやりな自分に戻るつもりもない。
 幸せを噛みしめる僕たちを、兄も穏やかな眼差しで見守っていた。

 *

 純が帰ってから、あまねはコンビニ弁当、丈はレトルトのお粥で夕食を済ませた。
 ある程度落ち着いたとはいえ、あまり重病人をひとりにしておきたくなかったので、入浴はシャワーのみ。丈もその間に自分で全身を清拭したようだ。
 歯磨きを済ませてから寝室まで行って電気を消し、ふたりそろってパジャマ姿でベッドに入ると、彼は「あまにぇ~」とやっぱり子犬みたいに密着して腕を絡ませてきた。
 かと思えば、自分からひっついてきたくせに、「えっ」と驚いたような声を上げる。
「なによ」
「あまねが嫌がらないなんて……」
 そういうことか、と含み笑いが漏れた。
 たしかに、この甘え方はいつもなら、「べたべたするな」と振りほどいているところだ。
「今日はいいよ。特別。この子が産まれたら、こんなこともできなくなっちゃうかもしれないしね」
 掛布団の上から自分のお腹を撫でながら許せば、「えー? じゃーあー……」と幼稚な声を出し、今度は肩にあごをのせてくる。
「ぎゅーってして? 今朝みたいに」
 ここぞとばかりに遠慮なしの彼に、やれやれと思いながらも、黙って応えた。
 彼の背中に手を回して抱き合うと、今朝と同じようにぽんぽんと叩き、おまけに離れ際、家を出る前にできなかった頬キスまでくれてやる。
 そうしてゆっくりと体を離したら、少し驚いた様子の彼と目が合った。が、その顔はすぐにふっと優しく、切なげに崩れる。何かを察したように。
「ねぇ。もしかして、ちょっと不安になっちゃった?」
「……うるさい」
 図星を指されて、どうしてか泣きだしそうに心が揺らいだので、あわててぷいっと背を向けた。
 もちろん、考えないわけではなかった。
 この子が産まれる前に丈がいなくなったら、私はどうなってしまうんだろう?
 これから、つわりがひどくて働けなくなったら、我が家はどうなってしまうんだろう?
 そんな「もしも」が脳裏をよぎる。唐突に降って湧いた不安ではなく、現実的な可能性として。
 すると、「大丈夫だよ」と背後からぬくもりが覆いかぶさる。でもその抱きしめ方は、お腹を気遣うようにソフトだ。
「僕はいつか君を置いていくだろうけど、それはもっと先の話だし、死ぬときはちゃんと、『あ、死ぬよー』って言うから」
「それは無理でしょ」
 おどけた物言いにふふっと笑うと、そっとうなじにキスされる。なんの根拠もない彼の断言は、楽観的に感じる反面、頼もしくもあった。
「身重な妻を置いて死ぬとか、そんなお涙頂戴な展開、誰も望んでないだろ?」
 話しながら背中に顔をうずめ、愛おしげにお腹をさすってくる。
 先ほどから続く濃密なスキンシップに、本当はコトがしたいのかもな、と思った。
 今日みたいな場合があるから、彼との日々にあまり計画性は望めない。
 基礎体温も一応つけてはいるけれど、タイミングに関係なく、互いの体のために一日一回だけというルールのもと、今まではできるときにしていた感じだった。
 それがここ最近、検査薬が反応を示してからは塩対応で受け入れなかったので、たぶん余計にうずうずしているのだ。
 キスなんてしたから、スイッチを入れてしまったかもしれない。
 自制する精神力は褒めたいが、今夜は体調不良で言わずもがなだし、そうでなくても当分お預けになるだろう。慣れてもらわないと困る。
「あまね」
 彼が背中にうずめていた顔を上げ、名前を呼んだ。
「うん?」
 今日はよく呼ばれる気がする。
「すき」
「――知ってるよ。ばか」
 答えると、気恥ずかしそうな吐息とともに、お腹に回されていた手が離れた。
 すっと彼のほうへ向き直り、どちらからともなく、ささやかなキスを交わす。
 彼といてドキドキすることはないけれど、キスも愛撫も嫌だとは思わないし、こんなふうに幸せを感じる瞬間はたくさんある。きっとそれが愛なのだと思う。
「ちゃんと、パパになるんだよ?」
「安心して。子煩悩になる自信だけはある」
 そう言って笑った後、彼は「僕ね、嬉しいんだ」としみじみ呟いた。
「今朝あまねも言ってたけど、君が毎日この家に帰ってきてくれるのが。無事に子供が産まれたら、それをふたりで待っていられる。子供が大きくなったら、今度はふたりが帰ってくるのを待っていられる。楽しみだなぁ……」
 一緒に暮らし始めたばかりの夜、「悲しむ人が増える」と嘆いていた彼の言葉とは思えない。家族が増えるのは、どうしたって嬉しいのだ。
 その日はそのまま、多少暑いのも構わずに、いつもより身を寄せ合って眠った。
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