司祭の国の変な仲間たち2

へすこ(ひしご)

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第二十一章

生国の小悪魔王子

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 その日はやけに乾燥した空気に包まれていた。
 リシェは宮廷剣士の兵舎内にある詰所に呼び出される。そこは上官クラスが事務作業をする場所であり、一般の剣士が出入りしない部屋だ。
 特に変な事をしている訳でも無い。個人的に呼び出す位の特別な用件でも発生したのかと首を傾げながら、命じられた通りに土埃で茶色く薄汚れた扉の前に立った。
「ん?…リシェ?何してるのさ」
「スティレン」
 ノックの準備をしながら引き戸に手をかけていたリシェは、従兄弟の声にぴたりと動きを止めて顔を上げる。
 スティレンも同じように詰所の扉の前に立つと、リシェをじろじろ見ながら「ふぅん…」と眉を寄せた。
「何か悪い事でもしたんだろ」
「する訳無いだろう。悪さをして誤魔化すお前じゃあるまいし」
「は?はぁあ?何それ。まるで俺が小狡いみたいな言い方じゃないさ」
 反論してくるリシェに軽く苛立ちを見せつつ、スティレンは彼に対し「どきな」と命じる。あれだけ言い争いをして殴り合いをしたにも関わらず、彼はいつも通りに接していた。
 気まずくならないだけマシだが、その横柄な態度はやはり直らないようだ。
「俺は詰所に用があるんだから。お前みたいに暇じゃないんだよ」
彼の態度にムッとするリシェは少し頰を膨らませていた。
「退けろだと」
「邪魔なんだよ。どうせお前は大した用じゃないだろ」
「俺は士長に呼ばれたから来たんだ」
「…俺も士長から呼ばれたんだけど?」
 どういう事なのだろう。
 お互いに首を傾げつつ、リシェを押し退ける形でスティレンが扉をノックした。間を挟み、向こう側から穏やかな声が聞こえる。
「失礼します」
「…失礼します」
 二人は詰所内に足を踏み入れると同じタイミングで、聞き慣れた声が飛び込んできた。
「んあああぁあ!手続きするにもこんだけ書類書かなきゃいけない訳!?面倒臭ぇなあああ!」
 何かを書かされている模様。リシェは始末書だろうかと歪んだ見方をしてしまう。
「お前、ほんっとーに事務作業向いてないなあヴェスカ!その汚い殴り書きの字をマシにする為に敢えて丁寧に書かせてんだよ。黙ってゆっくり書いてろ!」
「んもう、あたし指が歪みそう!」
 余程苦痛なのだろう。テンションがおかしくなっている。
「全身ゴツいくせに女みたいな事を言うな気持ち悪い!!さっさと指を動かせ!」
 他から叱責されている上司も珍しい。だが、字の汚さを叱責されるのも特殊過ぎる。
 二人は同じ表情で事務仕事をさせられていた班長の姿を視界に入れていると、「こっちだ」と士長ゼルエに話しかけられた。
「リシェ、スティレン」
「士長。何かご用が…?」
 嘆き散らかすヴェスカをスルーし、二人はゼルエの方へと向かう。
 年若い少年剣士よりも遥かに経験を積み、体も一回り以上大きな士長は椅子からゆっくり立ち上がると、彼らを交互に見回した。その一方で彼に比べてまだまだひよっこであるリシェとスティレンは、これから彼に何を言われるのだろうと緊張の面持ちで待つ。
「近い内に、隣の国の王子がアストレーゼンに来る事になった」
 長い剣士生活の賜物なのか、太い眉と鋭い眼光を持つゼルエは穏やかな低い声で話を切り出した。
「隣の国…?」
「そう。お前達の故郷のシャンクレイスだ」
 そう説明を受け、リシェは過去に遭遇した第三王子のサキトを思い出した。輝く金色の絹糸を思わせるようなふわふわした髪と、白い肌の愛くるしく聡明な少年。
 彼の話し方も所作も、よく教育が行き届いている為か威厳に満ちた印象だった。
「王子様ですか」
 だが、シャンクレイスの王子は三人位居たはず。
「全員来るんですか?」
 リシェが疑問に思っていた事を、スティレンはすぐに口にする。ゼルエは「いいや」と首を振って否定した。
「第三王子のサキト様だ」
「…そうですか」
 やっぱり、と言うか何というか。
 リシェが納得したような様子で返事をすると、ゼルエは「ん?」と不思議そうな面持ちで眉を上げた。
「どうした、リシェ?」
「いえ…過去に二度程お会いした事があったので」
「ほう。…向こうでか?」
「いえ、任務や休暇時にです。一回目はミルトランダの遠征の時。二度目はヴェスカの故郷に行く途中で」
 ゼルエは書類に難儀しているヴェスカに目線を送った。
「なるほど」
 アストレーゼンの都市部から向こうの都市まではかなりの距離があるはずなのだが、意外に世間は狭いなと思わざるを得ない。
 一応顔見知りという訳だ、と続ける。
「それなら話は早い。ご来訪の際には宮廷剣士側も大聖堂や周辺の警備に付かなければならないんだが、お前達はシャンクレイス繋がりだし、尚且つ同じような年頃だ。王子ご本人のお側に付き、警護の特別任務を頼もうと思っている」
 その話を耳にした瞬間、優雅で派手な物が好きなスティレンは目を完全に輝かせていく。
 例え自分が故郷に居続けたとしても、王子の側に近付ける機会は滅多にないだろう。しかも一国の王子ともなれば身に付ける衣服やアクセサリーも格別な物を取り扱っているに違いない。
 それらを真近で見られる機会など滅多に無いはずだ。
「ぜひ…ぜひ!!俺にやらせて下さい!」
 いつも乗り気ではないスティレンが身を乗り出して志願する姿勢に、隣のリシェは不審そうな様子を露わにする。
「お…何だ、随分と乗り気だな。それなら良かった。相手が相手だから萎縮してしまうんじゃないかと思って心配してたんだが」
「地元に居てもなかなかお目にかかれないお方の近くで護衛出来るなんて滅多にありません!」
「そうか。それなら安心して頼める…ん?どうした、リシェ?」
 あまりにも乗り気の従兄弟に圧倒されたのだろうか。
 ゼルエは複雑な表情のリシェを見る。
「いえ…」
「ふん、こいつは怖気付いて何も話せないんですよ」
 相手が相手なだけに、身辺警備となれば逆に緊張するのだろう、とスティレンは強気に鼻を鳴らした。いつもロシュの護衛に慣れているが、今回は外国から来た王子が相手となればいつも通りにはいかない。
 うっかり粗相をしても許されるレベルでは無いのだ。
「お前はいつも通りにロシュ様の護衛でもしてりゃいいさ。王子様は俺だけで大丈夫だろうし」
「いや、向こうにはちゃんとお付きの護衛役が居る。お前達はそこまで張り切らずに、話し相手程度に捉えて貰っても構わない。ただ、何かがあれば率先して前に出て欲しい」
 お前達、というゼルエの言葉を受け、スティレンはきょとんとした表情を向けた。常に嫌味ったらしい顔が多い彼だったが、不意に力が抜けた瞬間に見せる表情はリシェと同様に非常に綺麗な顔をする。
 中身の性格にやや難があるのが惜しい。
「へ…?俺らの中から一人、では無いんですか?」
 舞い上がっていた勢いに翳りを見せる。
 リシェは呆れ、溜息混じりにスティレンにぼそりと言った。
「一国の王子の相手に、こちらの剣士を単独で護衛に付けると思ったか?」
 いくら何でも失礼に当たるだろう、とチクリと刺す。
「流石に一人だけに責任をおっ被せようとは思ってはいないさ。だから適役としてシャンクレイス出身で同年齢位のお前達二人にこうして頼んでいるんだ。勿論、リシェもロシュ様の護衛もあるから気負いせずにやってくれればいい。一番は無難に過ごして貰えればそれでいいんだ」
 大役を仰せつかったと思っていたスティレンは、ゼルエの説明を聞いた後に若干萎え気味になる。
「話し相手ならリシェの方がいいんじゃないですか?」
「張り切ってたくせに何だそれは」
 スティレンのいつもの悪い癖が出てきた。すかさずリシェは彼にその性格のいい加減さに辟易し、ちくりと刺す。
「自分の思い通りに行かなくなればすぐ物事を人に丸投げするのをやめろ」
「はあ?そんなつもり無いし。大体世話役なんてお前に向いてるじゃないか」
 今までのスティレンはされる側の人間だった為、真逆の行動をした事はほとんど無い。むしろこき使う方が向いているのだ。
 やり方が分からないのも仕方無いのだろう。
「俺は立派な仕事だと思っているんだ。お前みたいにいい加減な気持ちでやるものか」
「何さ、偉そうに」
 膨れっ面になり、スティレンはふいっとリシェから顔を背けた。
「…こっちは二人に頼んでいるんだ。どちらが欠ける事など考えていない。…リシェはスティレンに色々教えてやればいい。スティレンは分からない所は自発的にリシェに教えを乞え。サキト様がこちらで過ごしやすいように周囲に気を配るのが今回のお前達に与える特別任務だ」
 反発し合う二人の少年に、ゼルエは有無を言わさぬ口調で命じる。
 リシェは相変わらず我儘なスティレンにうんざりしていたが、顔には出さぬように上官の命令に頭を下げた。
「分かりました」
 …このいい顔しいが、と涼しげな顔でゼルエの命を受けるリシェを忌々しく横目で見ながら、スティレンも同じく承諾していた。

 シャンクレイスからの大切なお客様にはありったけのおもてなしをしなければなりませんね、とオーギュはこの先の予定を立てながら言う。
 連日の仕事に追われ、疲れが溜まっているロシュは半目になったり頭をかくかくと上げ下げしながら「はぁ」と答えた。
「………」
 彼の様子を見た後、オーギュはふうっと一息ついた。
「とりあえず」
「んあ?」
 司聖らしからぬだらしなさを発揮するロシュ。
 根を詰め過ぎて、かなり睡眠時間を削っていたのかもしれない。
「あなたは一旦寝た方が良さそうですね。私に休む事を勧めておきながら、ご自分は仕事を詰め込んでいたのでしょう」
「いやいや…片付けておいた方が後々楽でしょう?それにぃ、んっふ…リシェといちゃいちゃしてたものでぇ…」
 いきなり品の無い話になり、オーギュは顔を引き攣らせた。
 疲れ果てているにも関わらず、わざわざいちゃつく元気を捻り出しているのかと。
 そんな元気を出す位ならさっさと休んで欲しい。
「疲れを感じたら回復魔法で少し気力をね…」
「魔法でどうにかなるものですか?リシェも疲れ果てたあなたに無理をさせたがらないでしょうに」
「据え膳食わぬは男の恥とかいうじゃないですか。可愛がっていると食べてしまいたくなって…」
 何を言い出すのか、とオーギュは思った。結局は自分の欲望に勝てない話ではないかと呆れてしまう。
「分かりました分かりました。分かりましたから、もう寝て下さい」
 その話はお腹いっぱいだと言わんばかりに、手をヒラヒラさせて突き放す言い方をした。傍目から見ても疲れている様子なのに、自分の欲の為に輪をかけて無理な事をする意味が分からない。
 サキト王子がアストレーゼンに来る前に、代表と言えるべきロシュの不健康そうな顔をどうにかしなければそれこそ失礼になってしまう。
「ですがまだやらなければならない事があって」
「何です?というか、どこまで進んでいるのですか?貸して下さい」
 何から何まで世話をしなければならないのか、と補佐役の中に居る召喚獣は思わず同情してしまう。
 ロシュは他者に気を使うのはいいが、自分の事になると無頓着になる傾向があった。オーギュを休ませている時も、彼の負担を減らす為なのか相当無茶な事をやって退けていた位だ。司聖に与えられた能力で並の人間よりも体力があるとはいえ、流石に無茶し過ぎだろう。
 オーギュはロシュから受け取った書類に目を通した後、この辺りまでは終わらせて下さい、と指示する。
「ここだけはあなたの認印が無いと進みません」
「あぁ…なるほどぉ。分かりましたぁ」
「少し目が覚めるようにハッカ水でもご用意しましょう。寝ぼけて判断ミスをされては困りますから」
「ありがとうございます。…あ、そうだ」
 ロシュは不意に顔を上げ、水の用意をしようと動くオーギュの背中に声を掛けた。
「何ですか?」
「そういえば、前にセルシェッタが持ってきてくれたお茶がありました。良かったらオーギュも一緒に飲みませんか?お茶は眠気を覚ましますからね…」
 数日滞在し、ラウド家に戻っていったメイドを思い出したロシュは、椅子から立ち上がった。
「確か頂き物の中にあったはず…」
 数ある贈り物の中から少しばかり手元に置いているのだが、次から次へと別件で様々な品が入ってくるのでキリが無い。
 日常的に使う物は有難く頂戴しているが流石に捌き切れないので大聖堂内の施設に分け与えていた。
 ロシュはセルシェッタが持って来てくれたお茶の缶を見つけると「これだぁ」とにこやかに呟く。
「これです、これです…オーギュ、頂きましょう」
 銀色の四角い箱の封を切り、ロシュは言う。
「私がやりますよ。あなたは疲れ果ててるでしょう」
「おや…珍しく優しい」
 常に真面目に仕事をしろと注意をする人間から放たれた珍しい発言に、ロシュは驚いた。
 何か良くない事が起こりそうな気がする。
「その言い方…まるでいつも優しくないみたいじゃないですか。そんな事言うとお茶を入れるのをやめますよ」
「いやいや…あなたが入れるお茶を飲みたいです」
 ロシュはソファにゆっくり腰を下ろした。
 現金な人だ、と呆れつつもオーギュはカップを温める。
「セルシェッタさんも意外にすんなりとお戻りになりましたね。結構長居するかと思ったんですけど」
「そうですねえ…急に、私の入る余地は今はありませんって言い出しましてね。そして色々な世界を見る事が出来て楽しめたと言ってました。リシェとヴェスカにお願いした甲斐がありましたねぇ」
 オーギュは温めたポットに茶葉を投入しながら、リシェはともかくヴェスカはどこに連れて行ったのかとぼんやり考え込む。俗世に慣れした彼ならば、まだ子供のリシェとは違い街の内部に詳しいのであちこち案内は出来ただろう。
 流石に如何わしい場所へは案内しないとは思うが、既にセルシェッタが居なくなったので聞く術も無い。
 …とにかく品性の欠ける場所には近付いて無いかどうかだけ聞きたかった。
「変な所に連れていかなければ特に問題はありませんけど」
「その辺りは大丈夫ですよ。セルシェッタもご自分で身を守る術は身に付けていますからねぇ…夜遅くなったとはいえ、リシェも大丈夫でしたから」
「…それならいいのですが」
 お茶の準備を終えると、すぐにロシュの前に置く。ほのかに漂う爽やかな香りに「ああ、懐かしい」と微笑んだ。
 一口飲めばラウド家の庭を思い出し、もう一口飲めば屋敷の中の景色が頭に浮かんでくる。
 平和な日常の風景を思い出しながら、入れたての温かい紅茶にほっとした。
「このお茶、皆で良く飲まれていたんです。覚えていたんですね…」
「あまりご実家に戻る機会も無いですからね。仕事もひと段落したら、たまに顔を出しに行かれてもいいのでは無いですか?」
「そうですね…その時はリシェも一緒に連れて行きましょうかね」
 そうですかとリラックスした様子のロシュを見ながら、オーギュは彼の実家から戻った際のリシェの憔悴した表情を思い出していた。

 大聖堂内では隣国の王子を招く為に綿密な準備が進められていた。日を跨ぐにつれて騒々しく、若干興奮した雰囲気に包まれていく。
 シャンクレイスの三人の王子の中で、第三王子のサキトは勉強家で聡明だと言われていて、若干性格に難があるもののその容姿は相当な美少年だと言われていた。
 上の兄二人以上にしっかりした物の考え方を持っている事から、時期国王に相応しいとの声も聞く位。
 まだ幼い少年なれど決して失礼な事は出来ないのだ。
「サキト様だけのお越しだとは…上のご兄弟はご一緒では無いのですか?」
 アストレーゼン大聖堂内、特別面会室。
 内密に打ち合わせをしていたオーギュに、宮廷剣士長のゼルエは気になっていた質問を投げかける。
 何故サキト王子だけがこちらに来るのか不思議でならなかったようだ。確かに普通に疑問に思うだろう。
「第一王子様のルーヴィル様。第二王子のフランドル様はご一緒では無いのですか?」
「…ああ…」
 問われ、オーギュは手に持っている書簡の一部に目を通す。
「あなたも噂は良く聞かれるとは思いますが、ルーヴィル様は芸術を愛するタイプのお方で、どちらかと言えば大人しい性質らしいのです。長旅に耐え切れる性格では無いみたいで…」
「なるほど」
「第二王子のフランドル様はご一緒かもしれません。ルーヴィル様とは真逆の性質で剣を振るう事が得意なようですから…それに、サキト様を溺愛されていますし」
 三人兄弟とは賑やかなものですね、とゼルエは微笑んだ。
「サキト様は上のご兄弟とは年齢も離れているので、溺愛振りは凄まじいようですね…確かに愛くるしい顔立ちもしておりますから」
「なるほど。…ですが何故また急にサキト様だけこちらに来られる事になったんでしょうか?」
 話し込んでいて冷めてきたお茶を数口飲み込むゼルエ。
 向こうから来る事で、何か心算があるのだろうかと思わずにはいられないようだ。職業柄なのか、どうしても穿った見方をしてしまう。
 その為か最近、眉間に出現した彫りも更に深くなってきた気がするのだった。年齢を重ねる毎に深まる溝はもう完全に取り去る事は出来ないのだろう。
 若いとは言い切れない熟練の剣士長と、齢三十手前に差し掛かろうとしている博識の魔導師は数時間前からずっと同じ室内で話し合いを続けていた。
「それがですね」
「はぁ」
「今回はサキト様のご希望だったようで、自由な時間が持てたのでぜひこちらに来てみたいとの事で」
「………」
 それならば特に大々的に言わずとも、非公式の形で来て貰えれば良かったのでは無いのだろうか。表に出す事で、皆の注目が王子側に向かい、それに伴う危険も出る可能性もある。逆に犯罪の抑止になるかもしれないが、剣士側のゼルエは複雑な気持ちに陥った。
 興味を持ってこちらを訪ねてくれるのは悪い事では無い。しかし個人的な気まぐれで宮廷剣士の面々を駆り出さなければならない形になってしまうとは。
「宮廷剣士長のあなたに来訪される理由をあまり言いたく無かったのですけどね…やはり理由は話さないといけないと思いまして」
 あまり気分のいいものではあるまい。
「まぁ…こちらの思惑と向こう側の思惑は相容れない物だと割り切っていますから」
 説明をするオーギュの立ち位置も複雑だろう。
 歓迎すると言いつつも、理由が理由なので断り難い。ただでさえ普段の仕事もあるだろうに、それを中断せざるを得ないのだ。
「ロシュ様は何と…?」
「あの人ですか?歓迎はしていますよ。それに、シャンクレイス出身の剣士がアストレーゼンに二人も居るのですから」
「リシェとスティレンですか。あの子らとサキト様は同じ位の年齢ですから、話し相手にはちょうどいいでしょう。ただお互い反発し合うのが気にかかる所です」
 詰所の中で言い合っていた二人を思い出し、ゼルエはやや不安そうなニュアンスで答えた。
それを聞き、オーギュはふっと目元を緩ませる。
「彼らなら大丈夫ですよ。ああ見えて以前より打ち解けていますからね…一緒に居る所を見てきた私が保証します」
「そうなのですか…こちらも特別に個人に配慮する訳にもいかないのでその辺りは非常に心配していたのです。少しでも打ち解けているなら良かった」
「ふふ…まぁ、お互いに殴り合いの喧嘩もしていた位ですから、過去の事については相当気が晴れていると思いますよ」
 まだ幼い顔をした二人が魔導具屋のイベリスによって作られた異空間の中で取っ組み合いをしたりお互い殴り合いをするのを思い出す。
大人しい性質のリシェが殴り合いをしていたのかとゼルエは驚いたが、「あの子にはそういうのも必要だと思います」と表情を緩ませた。
「前々から感情を出すのが苦手な子だと思っていたので。ロシュ様の元に居る事によって、あの子なりに自信も付いてきたのだろうと思います」
 一緒に居る事で徐々に大人になっているのだろう。
 最初はロシュの元に置くのを反対していたオーギュだったが、結果的にこれで良かったのかもしれないと目を細めた。

 ある程度早急に終わらせなければならない仕事も一段落し、ロシュは凝り固まった体を解す為に浴室で熱い湯に浸かっていた。
 時刻はランチタイムを少し超えている頃だ。
 オーギュはゼルエとの打ち合わせの真っ最中。愛するリシェはまだ宮廷剣士としての任務に行ったきり戻って来ない。単独で悠々と時間を過ごしている事に若干抵抗があるものの、たまには構わないだろう。
 司祭は人前で肌を見せてはならないという決まり事があるが、ここは自分の部屋なので他者に気を使う事無く素肌のままで入浴が出来る。心ゆくまで裸体のままでいられるのでずっと湯に浸かりながら物思いに浸れた。
 個人的に浴室用の身隠しローブは煩わしくて好きでは無い。
 ふあぁ、とあくびをしながら体を伸ばしていく。
 湯気を含むたびにじっとりと纏わりつく髪を後ろに寄せ、髪が伸びてきたなぁ…と思いながら天井に目を向ける。
 浴室の天井には神話をモチーフにした彫刻がびっしりと施され、見る角度によって印象が変化するので、ロシュは入浴する度に癖のように見上げていた。
 …さて、どうしようかなぁ。
 仕事の続きでも一向に構わないのだが、流石に落ち着いたと思って気持ちを切ったせいなのか興味が完全に途切れていた。
 纏わりつく前髪を後ろに寄せ、熱気で全身を紅潮させたままこの先の予定について考えこんでいると部屋の方から物音が聞こえてきた。
「ロシュ様?あれ…どちらに?」
 どうやらオーギュが戻って来たらしい。ロシュは顔に湯を軽く浴びせると、「こちらですよぉ」と声を張り上げる。
 別室からの声に気付いた補佐役は、浴室の扉を開くと湯船で寛いでいるロシュの姿を湯気の中で確認し「ここに居らっしゃったんですね」と言った。
「あなたも如何ですか?」
 呑気なロシュに、オーギュは苦笑いを含み結構ですよと返す。
「私よりもあなたのその目の下のクマをどうにかする方が先です」
 睡眠は前の日よりも取ってはいるが、まだ完全には回復していないのが良く分かる。休憩を取りながらの作業の連続だったので体力も低下しているはずだ。立場上、みっともない姿を他者に見せる訳にはいかないのだ。
 オーギュの心配を余所に、ロシュは浴槽の縁に寄り掛かりながら、熱い湯を軽く手で掬う。
 司聖の塔内の浴室は、魔石の力によって洗浄、消毒を繰り返しながら延々と循環する有難い湯だ。ゆっくり堪能しないと勿体無い。
「前よりは回復していますけどねえ」
ぐいぐいと目の下をマッサージする。
「ゼルエ殿との打ち合わせの結果を書面に残してきましたから、後で目を通しておいて下さい」
「あなたも仕事疲れが酷いでしょうに。ありがとうございます。入りませんか?」
「結構です」
 即答で拒否される。
「別にあなたの背中を見て驚いたりなんてしませんって…」
「そういう問題ではありませんよ。今入る必要が無いからお断りしているのです」
 すっきりするのになぁ、とロシュは苦笑した。
「とりあえず今はご自分の体力を回復させる事を第一に考えて下さい。重要なお方を迎えるに当たって絶不調の顔なんてお見せ出来ないでしょう?湯にゆっくり浸かって、のんびり過ごして休むのも仕事のうちですよ」
「分かりましたって…あなたはたまに母親かと思う位口煩いんですから」
 繰り返し似たような言葉を言い続けるオーギュに、素直な感想をぶつける。
 心配だからこそ言っているのは理解しているのだが。
「はっ………!?」
 聞き捨てならない一言に即反応してしまう。
「母親って…!」
「あれこれお世話を焼いてしまうから癖が付いてしまったんですよきっと。たまにはご自分の事にも気を配ったらいいのに」
 湯船からすっと立ち上がり、ロシュの均整の取れた肉体が晒される。
 真っ白い法衣の姿だと細身の体型だと思われがちだが、隆々とまではいかずともがっしりした裸体がオーギュの目の前で剥き出しになっていた。自分より肉付きのいい相手に、筋肉量の少ない彼は嫉妬で舌打ちしたくなる。
「ちょっと…少しは遠慮位はして欲しいものですね。タオルを持って来ましょうか?」
 同性なので別に構わないが、一応司祭にも関わらず普通に肌を見せてくるのは如何なものかと疑問を抱く。
 しかも熱を受けて血色の良い肌を伝う水滴ですら、美貌の司祭を引き立てているのが憎たらしい。
「これが観衆の場だとしたら、目にした淑女の方々は卒倒するでしょうよ」
 全く嫌味な人だ、とオーギュはやや不貞腐れた。
「流石に大勢の人々の前で全裸になる趣味なんてありませんよ…」
「とりあえず下半身を隠す位の羞恥心は持って貰えませんか?」
 脱力しながらオーギュはロシュに頼む。
 …昔馴染みだからとは言え、流石にそれだけはどうにかして欲しかった。指摘されたロシュは「おや」と手放しのまま気付く。
「今上がりますから…先に部屋に戻っていて下さい」
 今更見られるのも気にならないのだろう。
 …余程自信があるのか知らないが、少しは配慮して欲しい。

 隣国シャンクレイスから麗しき王子様が来訪する前日、兵舎に居る宮廷剣士達は一挙に広い練習場に集められていた。
 話をあらかじめ聞いていた彼らは、何を告げられるかを理解している。
 今まで沢山の来賓客を迎え、抜かりの無い警備を行ってきたが今回はスケールが違った。これ以上の厳戒態勢で臨まなければならないのは、集められた際に張り巡らされた緊張感が物語っている。
 屈強な剣士達はお互いに会話を交わしている最中、ようやく練習場の出入口から上官クラスの剣士が入ってくる。同時に、それまで話し込んでいた声がしんと静まった。
 場内に響く足音。
 先にゼルエが入り、数人の幹部クラスが中に進んだ。
「…は…?」
「え!?何!?」
 幹部クラスの後に入って来た一人に、剣士達は口々に戸惑いの言葉を呟く。
「何だあいつ…!?」
 それは皆と一緒に見ていたリシェも同じで、壇上に上がった男に違和感を感じ動揺していた。
 ゼルエは剣士達を見回した後、冷静な口調で手を上げて「静まれ」と告げた。
「今説明をする。…ヴェスカ、壇上に上がれ」
 複雑な気持ちなのは当人も同じだったらしく、何とも言えない顔でゼルエに従い彼の隣に着いた。威圧感のある彼と同じ位の背丈のヴェスカが身に纏う制服は、これまでと違い士長クラスの黒い特殊装だったのだ。
 先日まで自分達と同じ服を身に付けていた仲間が、いきなり幹部クラスの服を着ている違和感に仲間達は混乱していた。
 剣士達が騒めく中、有無を言わせぬゼルエの言葉が響く。
「この格好で分かるように、今日付けでこのヴェスカ=クレイル=アレイヤードを副士長の任務に当たらせる事にした。今まで副士長の席は空いたままにしていたが、詰所内の剣士内でもなかなか決められなくてな。選ぶからには剣士の長として明確な理由が無ければならない。腕は元より、アストレーゼン内において民衆に手を差し伸べる力量を持っているか。自分の身を犠牲にしてでも守る度胸を持ち合わせているか。第三者の話を聞いた上で、このヴェスカが副士長として適任だと判断した」
 困惑気味の剣士達。
 急な決定事項に戸惑うのも無理は無い。決められたなら構わないと思う者も居る中で、上を目指すタイプの剣士は何故彼が取り上げられるのかと疑問も抱く者も居る。彼らの表情は壇上から手に取るように分かった。
 ゼルエは様々な性格の人間が居て、反論の声もあるだろうという事を理解した上で、続けて口を開いた。
「ロシュ様やオーギュ様の護衛の役目は元より、与えられた任務を着実に遂行した実績。実際に自らの立場を理解し身を挺してお二方を守り抜いた事もある。オーギュ様からの評価も聞いた上で決定した」
 話が進むにつれ、周りの剣士達は複雑な気持ちになる。
 そんな中、一人が手を上げてゼルエに質問した。
「…そりゃ、毎回一緒に着いていればそうなるんじゃないっすか?仮に別の人間だとしたらそいつが副士長になれたかもしれないのに」
 確かにヴェスカが護衛の任務に当たる頻度は他の剣士よりも高かった。平等に任務に充てがわれれば、もしかしたら副士長になるのはヴェスカでは無かったはずだ。
 最初から平等では無いと不満を抱くのも無理は無い。
「お二人の護衛のみで判断した訳では無い。勿論、贔屓をするつもりもないさ。一番の決定打になったのは…そうだな、ミルトランダへの任務の件だ」
 その地名を耳にし、リシェは顔を上げた。
 隣に居るスティレンとラスは「何の事?」と眉を寄せる。
「お前も一緒だったんだろ、リシェ?」
「ああ…」
 そう返し、表情を曇らせる。
 結果的には良かったのだろうが、後味の悪い出来事なのだ。
「当事者にも話を聞いた。流石に向こうでの出来事は聞くに耐えない内容だったが、最終的に一人の少女を危険から救い、将来を見越し幸せな道に向かえるように取り計らった事が決め手になった。彼女はヴェスカに対して非常に感謝をしている」
「士長ぉ…そこまで聞いてきたの…?」
 ヴェスカはやけに弱々しく問いかける。
「てか、感謝って。この前会った時は俺の事ボロカスに言ってたのに」
 ゼルエはふっと口元に笑みを浮かべた。
「本人を目の前にしたら素直になれないタイプなんだろう」
「それって、オーギュ様から聞いたんですか?」
 別に誰にも言わないでくれとは頼んではいないが、特に話す事ではないと思っていた。誰かの為に動いたにしろ、表立って喋る事では無い。
 自分のした行いを他者に言いふらすようなダサい性質でも無かった。
「お前がオーギュ様に頼んだのだろう?才能がある子だから大聖堂で勉強させてくれって。その後に本人からも話を聞いて来た。オーギュ様の発言を疑うつもりは無いが、明確な裏付けが欲しかったからな」
 あのお喋りめ、とヴェスカは心の中で軽く呟く。
「一番行動を共にするリシェや、同班のメンバーからも話を聞く事を考えたが、やはり外部での第三者からの意見が一番良いと思ってな。だが話を聞く度にこれ以上の適任者は居ないと決断した。オーギュ様を守ろうとして庇い、大怪我を負った事もあると聞いた。自らの身を挺し役割を全うする姿勢は、この先続く未来の宮廷剣士の手本になるだろう」
 ゼルエの話を聞きながら、スティレンは「残念だったねぇ」とリシェの腕を軽く小突いた。
 何の事なのか分からないリシェは、何が?と彼を見上げる。
「ほとんどお前も一緒だったのにさ」
「…俺は別に上に上がりたいなんて思ってない」
 流石に他国から来た人間を上に上げたりする程、ここの国は優しくは無い。自分は自分の与えられた役割を果たすまでだ。
「そうそう。先輩は今のままでいいんです」
 無欲なリシェに同調するラス。長年の経験を持ち、功績のある人間が上に上がるのが一番納得出来る。
 自分達はまだそのスタート地点に立っているだけなのだ。
「ふん。あんたはこの根暗の側に居たいだけでしょ」
「そりゃあ…自分だって現状維持のままで満足だろ?」
 リシェを挟むようにして言い合っていると、ゼルエの咳払いが響いた。
 騒めく剣士達は一瞬にして静まり返る。
「多少は異論はあると思う。だがこれは確定事項で、以降彼には今まで以上に責任のある働きをして貰うつもりだ。確かに皆が思うように、苦手な物から真っ先に逃げ出したり書類を書かせば誰が見ても難読だったり、性格も大雑把な面もあって長としては頼りない面もあるだろう」
 駄目な面ばっかりじゃないか、と誰かがぼそりと呟いた。
「誰でも欠点はある。それを皆でフォローして補い、支える事で本人も成長していくだろう。数年後には良い指導者として腕を振ってくれるのを期待している。それまではお前達でこのヴェスカを立派な長になれるように指導して欲しい」
 ゼルエの発言の後、剣士達はしばらく無言になった。
 ヴェスカ本人も、やっぱり無理があるんじゃないかと不安になる。それまで多少の差はあるものの同じ立ち位置だったのに、一夜明けて上の人間として変わったのだから。
「何か一言挨拶しておけ、ヴェスカ」
「ええ…俺、何も考えてなかったんですけど…んんん、まぁいいや…ええっと、俺もこうなるとは思ってなかったんで、いきなりで驚いただろうけど」
 彼の話を聞きながら普通は挨拶くらい考えるだろうとリシェは呆れてしまった。だが彼がメモの準備をしたとしても、自分でも読めない文字を駆使してくるのであまり意味も無さそうだった。
 だが、口下手なりに挨拶はするべきだ。
「士長が言っているように、俺は苦手な物には全力で逃げる。これからも虫退治からは逃げるつもりだ。だって嫌なんだもん。だけど、誰かが危険な目にあった時や何らかの問題があった時には全力で俺が盾になる。接し方もこれまで通りと変わり無く話してくれて構わないし、頼る時は頼って欲しい。そんな感じで、まぁ…宜しくお願いします」
 いきなり嫌な物からは全力で逃げるという発言に、向き合っていた剣士達は「先に克服させるのが先じゃね?」と解決策を提案する。
「とりあえず虫袋を掴む事から始めないと」
「てか、トングで掴むのも嫌がるから先にこっちからやらせるべきだろ」
「面倒臭ぇから虫をメインにした珍味を食わせた方がいいだろ?食い物だと錯覚させた方がいい。腹が減ったら何でも食うだろ」
 克服方を延々と語り合う彼らに、ヴェスカは「いやいやいやいや!!」と壇上から叫んだ。
「人の話を聞いたか?俺は嫌だから全力で逃げるって言ったんだぞ。何で虫袋を掴ませるとか食わせるとかの話になるんだよ!」
 話が違う方向に向かってしまい、ヴェスカは慌てて仲間の会話を止めに入る。
「苦手とはいえ任務を放棄する気満々なのがなぁ」
「そうだそうだ。少しはマシになるように克服出来るように頑張るって言うなら分かるけどよ。何いきなりやりたくない宣言してんの?ちょっとは頑張れよ」
 情けない奴だなと口々に呆れ、溜息が聞こえる。
「お前ら、人が寝てる時に口の中に斑目模様の芋虫が入った事が無いからそう言えるんだ!とにかく嫌なもんは嫌なの!」
 余程のトラウマなのだろう。彼は必死に説明する。
 その話を聞いたスティレンは顔面をさっと青くし、「ひっ」と自分の腕を摩った。
「き、気持ち悪い…!!口の中に虫って…しかも芋虫とか!想像するだけでゾッとする…!!」
「………」
 彼の横でリシェは無表情を保ち続けている。
「先輩は虫は大丈夫ですからねえ。班長の代わりに虫袋とかトングで普通に掴めるし…」
「ああ。あいつの虫退治の為だけに同じ班に組まされてる気がする」
 次第に喧しくなる剣士達に、ゼルエは「落ち着け」と声をかける。変な所で意地になるヴェスカもヴェスカだが、彼に対して信用しているのかしていないのか分からない仲間達もどうかと思う。
 一瞬人選ミスだったのだろうかと思える程に淡白な反応だ。
「…まあ、決められた事なら別に異論は無いけどよ」
「他に該当者が居ないんならな」
「そうそう。何かがあったらヴェスカのせいに出来るし!」
 めちゃくちゃな事を言い出す仲間達に、ヴェスカは「何て事を言い出すんだ!」と悲痛な叫び声を放った。
「てか、自分がやった事に対しては自分で責任取れって!飯を誰かに食われたとかそういうレベルの話なら俺は絶対何もやらないからな!」
「…ああ、もういい。とりあえずお前達に異存は無いという事でいいんだな?」
 流石にもういいだろうと判断し、ゼルエは彼らの会話を止めた。最初は混乱するだろうが、そのうち慣れてくれるだろう。
「…まぁ、別に俺らは誰が何になろうと従うだけだしな」
「ヴェスカは確かにバカだし虫退治に関してはしょうもないけど、腕だけはいいし。ちゃんとやる事をやってくれれば誰も文句なんて言わねぇよ」
 褒めているのか落としているのか分からない発言に、ヴェスカは助けを求めるように隣のゼルエに目線を送った。
「士長ぉ。こいつらめっちゃ馬鹿にしてくるんですけど」
「お前の日頃の行いのせいだろう。そう言われても仕方無いからそう言われるんだ。言われて悔しいなら努力しろ」
「苦手なもんは苦手なんで…」
 あくまでブレない姿勢を貫こうとする彼に、ゼルエは呆れて溜息を吐いた。
「とりあえず今日からヴェスカは副士長となるが、動きはいつも通りやって貰う。これまでとは仕事の内容が少し異なるだけで、基本はほとんど変わらず行動しろ。お前達も普段と同じようにヴェスカと接して欲しい。いきなり敬語なんて使いたくないだろうからな」
 ゼルエも他の剣士らの心情を良く知っているのだろう。経験上、今まで同列だった人間が上に立った時の戸惑う気持ちが痛い程分かっていた。
 それまでの関係にズレを生じる可能性も否定出来ないのだ。下手すれば持ち上げられた人間が孤立してしまう。それだけは避けたかった。
 ヴェスカのように根が明るく、飄々とした性格ならそこまで心配は無いだろうが万一の事も想定していた。
 宜しく頼む。という宮廷剣士の長の言葉を受け、剣士達は一斉に野太い声で返事を放っていた。

 …澄み切った空を思わせる色合いの目は、小窓から広がる未知の世界を見通すかのように様々な物を記録していく。
 ふわりふわりと揺れる金色の柔らかい髪を揺らし、幼い天使のような美少年はふあぁ、と軽いあくびをした。
 車輪による振動を抑え、長旅に適した仕様にしているキャリッジ内。その内装も豪華絢爛を極め、主人が退屈しないように書物やら玩具やらを乗せていたものの、書物も読み終え玩具も子供騙しだと飽きられて放置されていた。
 旅路に疲れ果ててきたのか、細く小さな足をぐぐっと伸ばしながらボヤき始める。
「まだ着かないのぉ?」
 その退屈極まりない声は延々と馬車を動かしている御者台まで届いていた。
「まーだですって。何分か前にも聞いたっすよ」
「そーぉ?」
 交代で馬を操作している護衛の剣士は「そうです」と返事をした。御者台には二人の制服を着用した剣士二人が居る。一人は赤い髪の三十代位の男で、馬の操作に慣れた感じの手付きで馬車を走らせていた。
「…ってか、自分で行きてぇって言ったくせに暇とか抜かすなよ」
 その赤い髪の男の横で、まだあどけなさが少し残った若い剣士が小声で文句を呟く。
「あぁ、尻痛え。交代しろ、アーダルヴェルト」
 ふかふかで座り心地の良い椅子があるキャリッジ内とは違い、運転席側は若干硬い椅子で延々と揺られ続けると体の調子もおかしくなってしまう。休憩を挟んで移動しているが、ずっと手綱を引いていると疲労が蓄積されていった。
「十分前に交代したばっかじゃないっすか!…ってか、こういうのは新入りにやらせるべきでしょ!」
 そう言い、アーダルヴェルトと呼ばれた黒髪の剣士は背後のキャリッジの方に目を向けた。最近入った新入りの大柄な剣士は目線に気付き、はっと身を緊張させる。
「は…!何でしょうか!?」
 明らかに相手の方が年下だが、自分は彼より後に入って来た見習いの剣士なので命令には従わざるを得ない。その大柄な体格をきっちりと他の剣士と同じように白い制服に身を包んだ純朴そうな彼はアーダルヴェルトに問い掛けた。
「お前もそのうちこの馬車を動かす事になるんだぞ。今から練習した方がいいんじゃねえのか、なぁ、クロスレイ」
 新入りの剣士に対し、若干脅しを兼ねて言い放つ。
「はぁ…」
 緊張のせいか、妙に気の入らない返事をする新人。
 同じくキャリッジ内で待機している別の剣士は、新人の動揺を察してか優しい口調で宥めるように会話を止めさせる。
「あまり怖がらせるものではないよ。つい最近大抜擢されたばかりなんだからね。まだ雛のようなものだ。君も先輩なら先輩らしく、後輩の面倒とケアも見てあげるべきだと思うよ」
 唯一冷静に物事を見極められる彼は全員のブレーキ役。愛くるしい王子を取り巻く屈強な護衛の中で、このイルマリネ=アッシェルト=アロウンは目を見張る容姿を持っていた。
 冷静かつ穏やかな性質を持ち外見も麗しさを兼ね備えている彼は、女性に非常に人気のある剣士だ。貴族出身だという事もあり、理想的な優男だが剣の腕も立ち他者から見れば嫌味そのものでしかない存在。
 サキトに着いている護衛剣士は短気で粗暴なタイプが突出して際立つ。その為にイルマリネのような物腰の柔らかな者は余計に目立ってしまうのだ。
「おう、痔でも患ったか、アルザス?」
 走らせている馬車の横で、普通に走っていた剣士はにこやかな顔をして御者台に向けて話し掛ける。
「…そうじゃないっすよ。単に尻が痛てぇだけで」
「そうかそうか。そろそろ変わってやろうか。おい、サキト。いいよな?」
 朗らかに笑いながら、キャリッジ内の王子に声をかけた。
 サキトを呼び捨てにする彼は、護衛でありながらシャンクレイスの第二王子という非常に異質な存在だ。武芸に長け、自由を好む事から剣士の職に就いている。
 兄の問い掛けに、小窓からひょっこりと顔を出すサキトは「いいよ、フランドル兄様」と返した。
「ずっと走ってたけど大丈夫なの?」
 荷台に座り続けているのに飽きて延々と横で走っていた兄に、サキトは呆れながら問う。
「お前達だってずっと座ってて良く飽きないなー」
「馬車って座るもんでしょ…」
 フランドルの言葉に、流石にアーダルヴェルトは突っ込んだ。
 やがて車輪は速度を緩め、ゆっくりと停止する。
 御者台から降りる二人の剣士…アルザスとアーダルヴェルトは凝り固まった全身をぐっと伸ばしながら「疲れたぁ」と言い合っていた。
「後ろ、寝てんじゃねえだろな?レオニエル、生きてるか?」
 背後を任されていたもう一人の剣士に向かって、アルザスは声を上げながら馬車の後方を確認しに行った。そしてすぐに戻ってくる。
「てか、あいつ寝てるわ。…良く寝れるもんだな」
 元々寡黙な剣士なので返事が無いのには慣れていたが、この状況でも普通に眠れるのは羨ましいとアルザスは思う。
「もうアストレーゼンの国内に入ってるんだからどうせすぐに着くだろう。交代するぞ、クロスレイ」
 ひたすら走り続けていたにも関わらず、普通の顔で御者台に乗ろうとしていたフランドルは新入りの剣士を促した。
「は、はい!」
「馬車を引っ張った事はあるのか?」
 図体の大きさとは反比例するような優しげな顔立ちの青年剣士は、畏まった様子で「あまり…」と言葉を濁す。
「そうか。ま、うちの馬車に使う馬はちゃんと訓練されてるし、どっちかと言えば大人しい方だから操縦にはそこまで苦労しないと思うけどな。まず手本を見せてやる」
 ようやく操縦から解放されたアーダルヴェルトは早速中のソファに腰を掛けながら歓声を上げていた。
 柔らか過ぎず硬過ぎない程度の馬車用のソファは、それまで座っていた御者側の椅子より格別に気持ちが良い。
 王族専用ともあり、内装も非常に豪奢だ。差し込んでくる日光を遮る為のカーテンや、簡易的だが頑丈なテーブルまで備え付けられている。
「あぁ、めっちゃ柔らけぇ。…あのさぁ、イルマリネ先輩よぉ。あんた出発から全く馬を動かしてもいないじゃん。どうなのよそれは?」
 サキトと向き合う形で椅子に腰掛けていたイルマリネは、不満そうな後輩を一瞥した。
「…馬を動かす才能が無いのでね」
「そうそう。この子、乗馬は出来るけど操縦が全く駄目なのさ。ずっとこっちの荷台に乗せられる側だから」
 年上だろうが年下だろうが、相手にこの子と言い放つのはサキトの癖だ。
「ええ…ちょっとは動かしてみようとか思わないんすか?」
 民間出のアーダルヴェルトには全く理解出来ないようで、口を尖らせて疑問を放つ。出発してからここまで、あたかも当然のようにこちら側に座る先輩に不満を持っていたようだ。
「こいつは動かそうにもお坊ちゃん育ちのせいで加減も分からないんだから仕方無いだろ。馬ですら気付かないレベルで弱々しく鞭を打つか、逆に力一杯打ちつけるかのどっちかだ。極端なんだよ。振り回される馬が可哀想だ」
 同じように荷台側に入るアルザス。
「ほーん…顔に似合わずかなり不器用なんですね」
「君は少し口を慎む事を覚えた方がいいんじゃないか?」
 いらない事を言う後輩に、イルマリネは脱力した。
 御者台に着いたフランドルは、キャリッジ側に「動かすぞぉ」と出発を知らせる。
「あまり早く走らせないようにしてね、兄様」
「まーかせろって」
 サキトと同じ金色の髪だが、フランドルの方は常に日差しを浴びて動き回るせいか赤茶けた色に変わっている。だが同じように若干焼けた彼の肌には良く似合っていた。
 シャンクレイスの人間は、生まれながら肌が白い傾向にある。日に焼けて色合いが変わる事もあるが、褐色とまではいかないものの少し黒がかる程度。その為か、健康的な小麦色の肌は彼らの憧れでもある。常に日差しに晒されているフランドルでさえ、その肌は明るかった。
「…でさぁ、あとどの位なんですかねぇ…大聖堂ってのは」
 馬車に揺られながらアーダルヴェルトはぼやくように言った。
「この道を真っ直ぐ行けばいいって案内板には書いてたけどさぁ。あの看板だってもしかしたら変な奴が逆方向に変えたんじゃねぇかってレベルで見えて来ねーよ」
 窓から顔を出し、広がる大自然を見回した。青々とした平地が延々と見渡せるだけで、先程見続けていた景色とは何の変化も無い。
 こんな退屈な環境下に置かれるなら、何もこんな人数でぞろぞろ行く事も無いだろうにと思う位だ。
「アストレーゼンの地形は勾配が多いみたいだからね。先がなかなか見えないのは仕方無いと思うよ」
 そう急かすんじゃないよ、とサキトは彼に言う。
「何かこう、刺激が足りないんだよなぁ。山賊とか出て来てくれたら運動出来るのによ…」
「アホかお前。ここで刃傷沙汰でも起こしてみろ、余計変な事になるだろ…」
 的確なアルザスの突っ込みに、アーダルヴェルトは「まぁそうですけど…」と会話を止めた。
 土煙を撒き散らしながら、馬車は何十回目かの勾配を乗り越える。御者台に腰を下ろしていたクロスレイは次第に見えてきた街と、その奥に鎮座する大きな建物の姿を確認すると背後のキャリッジ内に声をかけた。
「み、見えて来ましたよ!アストレーゼンの中心都市です!」
 その声に反応し、アーダルヴェルトは「マジか!」と身を乗り出し窓から前方を確認した。
「やっと休めるじゃん!」
 長い旅路もようやく終わると知った彼は、俄然テンションが上がってきたようだ。はしゃぐ彼に対し、イルマリネは眉を寄せて「落ち着いて」と叱咤する。
「この中は狭いんだから、あまり騒ぐんじゃないよ」
 剣士達の中で落ち着かな性格なのは十分理解しているじゃないかと今更ながらアルザスはぼやいた。
「しゃぁねえだろ、こいつがガキなんだからよ…」
 アーダルヴェルトよりも年下のサキトの方が落ち着いているのはやはり王族としての立場を理解しているからなのかもしれない。
 長時間馬車に揺られているにも関わらず、彼の姿勢は背筋が伸びていて美しいままの状態を保っていた。
「やっとこの状態から解放されるね。お疲れ様。向こうに着いて落ち着いたら、各々好きに休むといいよ」
 追従してくれた剣士達を労い、サキトは穏やかな表情で言う。彼の表情もまた、長旅の緊張状態から解放されたかのように見えた。

 来賓客を受け入れる為の準備は抜かりなく済ませている。
 アストレーゼンの街に入る手前では彼らを出迎え、大聖堂までの案内をする為に宮廷剣士数名を配置し、住民達の混乱を避ける為に来賓用の専用通路として用意しておいたので、いつ街に入っても安全に通過出来るよう配慮していた。
 移動手段は馬車だという事もあり、相応に大きく立派で、豪奢な物だろう。住民達は見慣れない分目線も引くはずだ。
 無下に近付かないように線引きする必要もある。
 大聖堂に直通で行ける最短のルートを把握し、分かりやすく印も付けていた。
「それにしても良く最短ルートまで知ってたな、ヴェスカ」
 副士長の真新しい制服に身を包んだ大男に、仲間の剣士は声を掛けその肩を軽く小突いた。
「街から大聖堂まで結構な距離だってのに」
「大通りは出来るだけ避けたかったしな。こういう時に真夜中まで飲み歩いてた経験が生きたってもんだ。どの道を行けば門限まで間に合うかっていろいろ回ってたからな」
 立場が上になっても、仲間達は普通に接してくれている。
 ヴェスカはにんまりとして笑うと、対する剣士は「それ自慢になるのかよ…」と苦笑いした。
「混雑する大通りはなるべく避けたいしな。まあ…ド派手な馬車で、注目されやすいから効果は薄いけど少しでも混乱を作らないようにしないと」
 相手側の馬車に自分らも追従して行けば、興味を持って近付いて来る人々を制する事も出来る。流石に王子が乗っている馬車を混乱の最中に置く事は許されないのだ。
「時間的にはもうそろそろだと思うけど」
 街頭時計に目を向けながらヴェスカは呟く。予定の時間は午前十時を回る頃だが、その時間も過ぎようとしていた。
「んん、そうだな…変なトラブルに巻き込まれていなきゃいいけどよ」
「街の手前で待ってりゃいいんだろ?さっさと受け入れる準備しておいた方がいいんじゃないか?」
 彼らを迎える際、案内役の剣士達は城下街の出入口付近で整列して迎える事になっていた。バラバラのままでは失礼になってしまう。
 ヴェスカは時計から視線を離すと、「そうだな」と仲間の意見に同意した。
「んじゃ、全員予定された場所へ配列しとこうか。もういつ来てもおかしくないだろうし。くれぐれも失礼の無いようにしてくれよ」
 大聖堂お抱えの剣士が数人集まるという状況に興味を示した住民がそわそわした様子でこちらに注目する中、ヴェスカに命じられた剣士達は命じられたまま指示された場所へ向けて動き出す。
 待機している数分後、一人が「あ」と外に目を向けながら声を上げた。
「あれ?あれってそうだよな?あの白いの」
 遠方から小さく見え隠れする白く大きな塊に、ヴェスカも目を細める。
「ああ、そうだと思う。良かった、無事で」
 過去に数度見た馬車と全く同じものだろう。
「よーし。流石に長旅でお疲れだろうし、お客さんに早く休んで貰えるように速やかに大聖堂までお送りするぞ」
 ヴェスカの掛け声に、整列した剣士達は勇ましく返事を返した。
 真っ白な馬車は徐々にこちらに近付いて来る。車輪の音も、それに伴って大きくなってきた。
 ようやく間近でその姿を確認出来る頃になると、こちらの出迎えに気付いたのか御者台に座っていた護衛らしき男達は手を振り頭を下げていた。
「おお、出迎えてくれたのか」
 御者台に腰掛けていた大柄な男はぱあっと明るい表情を見せる。
 馬車自体も白いが、それに合わせるように二頭の馬も真っ白な体をしていた。大きな車体を引っ張るだけあり、かなりの筋肉が付いていて日光によって美しく光沢を放っていた。
「ようこそおいで下さいました」
 普段言わないセリフを言いながら、ヴェスカは前に出て来客を迎え入れ頭を下げた。一礼して頭を上げると、馬車のキャリッジから数人の剣士達が出て来る。
「あれ?」
 こちらに気付いたシャンクレイス側の剣士の一人が声を上げると、別の剣士も同じようにヴェスカに話しかけた。
「あっれ…あんた、こないだのデカいのじゃん!」
 前回こちらの馬車の車輪が道の溝に嵌った際に手伝って貰ったのを思い出したようで、黒髪の強気そうな青年剣士は意外そうな顔をする。
 その声を聞いたのか、キャリッジの窓から小さな顔がひょこんと飛び出した。
「ん?誰が居るのぉ?」
 ヴェスカはすぐその無邪気な声に気が付き、顔を上げる。
「サキト様、お久しぶりです」
「あ」
 聡明な王子は自分の記憶に覚えのある剣士の姿に、すぐにぱあっと顔を明るく見せた。そして扉を開け、ひょいっと地に降り立つ。
 ヴェスカの背後で待機していた剣士達は、初めて目にする歴とした王子の姿に一瞬どよめきを見せた。
 王子とはいえ、その愛くるしい妖精を思わせる姿に驚きを隠せない様子だった。ふわりとした柔らかな金色の髪に、所々にレースをあしらったお仕着せや、すらっとした細い足は、屈強な剣士が触れただけでも容易く折れそうな気がする。
 まるで立派な衣装を身に着けたドールが、そのまま人間の姿になったかのようだ。
「あっれぇ?君、前会った時と何か雰囲気違わない?気のせい?」
 前回会った時は普通の宮廷剣士の服だった。今回のヴェスカの服は一般の制服よりも丈が長く、今までよりやや豪奢な作りになっている。
 一見して雰囲気が違うのが丸分かりだった。
「ええっと、副士長になりました」
 未だに気持ちの切り替えが出来ないでいるヴェスカは、やや照れ臭そうに頭を掻きながら答える。
 サキトは自分よりも遥かに背の高いヴェスカを見上げながら、「へぇええ」と妙に嬉しそうに笑った。
「サキト様、あまりじろじろ見られては失礼に当たりますよ」
「だって、久し振りなんだもの。あまり煩く言わないでよね、イルマリネ」
 イルマリネと呼ばれた剣士は大変失礼致しました、と優雅な仕草でヴェスカに頭を下げた。
「またお会い出来て光栄です」
 改まって挨拶される事に少しばかり照れ臭くなってくる。
 相手に合わせ、ヴェスカも畏まって滅多に使わない言葉で応じた。
「こちらこそ…これから大聖堂までご案内させて頂きます。長旅でお疲れだったと思いますが、もうしばらくのご辛抱を」
 イルマリネはふっと微笑むと、サキトに「さあ」と促す。
「サキト様、馬車にお戻り下さい」
「その前にフランドル兄様はご挨拶しなくていいの?一応王子様でしょ」
 サキトは同じように馬車から降りていた剣士に声を掛ける。
「え、俺か?俺は普通に護衛のつもりで着いてきたんだけど」
 至って普通に手綱を引いている青年はサキトの言葉に若干動揺を見せている。一目引く容姿の彼とは違い、その青年は完全に一般の剣士として溶け込んでいた。
 面倒な事からは逃れようする様子が見えてしまい、サキトはがっかりしたような口調で呟く。
「そういう訳にもいかないでしょ…」
 兄様というフレーズにヴェスカは「ん?」と反応を見せる。
 三人兄弟だという事は聞いていたが、来てくれたのは三人目のサキトだけでは無いようだ。
「ほらぁ、ちゃんとご挨拶してよ」
 大人に紛れるとかなり小柄に見えてしまうサキトは、馬の近くで手綱を掴む剣士に近付き腕を引っ張る。
「クロスレイ、ちょっと兄様の手綱を持って」
 彼の兄が持っていた馬の手綱を、近くにいる大柄な剣士に託した。
「あ、は、はい!」
 無理矢理兄と呼ばれる男を引っ張る形で再度ヴェスカの前に出ると、サキトはにっこりと微笑んだ。
「あまり前には出たくないんだけどなぁ」
「窮屈なのがお嫌いなのは分かるけど、ちゃんとご挨拶位はしなきゃ。公の場面で挨拶も出来ないんじゃ笑われちゃう」
 可憐そのもののサキトと並ぶと、完全に真逆な風貌を持つ兄はヴェスカと同じ位の背丈で頼もしさを感じさせる。
「シャンクレイス公国の第二王子、フランドル=エルクシア=セラフィデル=シャンクレイスだ。あまりこういう事に慣れていなくてね。堅苦しいのは好きじゃないんで、普通に話してくれて構わないぞ」
 そう言うと、第二王子フランドルはヴェスカに向けて握手の手を差し出す。ヴェスカもそれに応じて手を向け、固く握手を交わした。
「ようこそおいで下さいました。…えっと、第一王子様もご一緒で?」
「兄のルーヴィルは長旅に向かない性質なもんで…」
 フランドルが苦笑いをして会話している中、派手めの若い剣士は「風呂も無いし疲れるから嫌だって言い張ってたしな」とボヤく。
 どうやらこの三兄弟はそれぞれ個性的で、決して似た性格では無いようだ。
「確かに気軽に行ける距離ではありませんから…ですが良くここまでお越し下さいました」
「ふふ。じゃあ今度は君達が僕の国に来てくれたらいいな」
 甘い笑顔を振り撒き、サキトは軽い感じで言った。
「勿論、機会があればぜひ」
「兄様と同じタイプだろうから、きっと話が合うと思うよぉ。んっと、ヴェスカ?」
 ほんの少ししか関わっていないにも関わらず、名前もしっかりと記憶している辺り他者とは違う物を感じた。
「兄様、頼みもしないのに猛獣を狩って来る位だから」
 ニコニコと笑いながらそう言い放つサキト。
「そんな事を言って…俺はお前のコートの毛皮に良い素材だと思って持って来るんだぞ」
 それは一国の王子の発言とは思えなかった。理由もめちゃくちゃだし、それが普通の会話として成り立っているのもおかしい。
 ヴェスカは同じように笑顔を返しつつ、俺は猛獣を狩る趣味は無いんだけど…と内心突っ込んでいた。

 もうそろそろ来てもいい頃ですね、と塔から見える時計塔の方向を見ながらオーギュは呟いた。彼は普段通りの宮廷魔導師の法衣を身に纏っていたが、ロシュは隣国の大切な来客を迎える為に特別行事向けの正装を身に着けていた。
 正装とは言うものの、司祭向けの法衣が若干豪奢になった程度のもの。主に大聖堂内における儀式に良く使う衣装で、儀式の際には更に頭に専用の帽子を装着するが、今回は被る必要は無い。
「いつもの服とは違って重いですね、やっぱり」
 普段の法衣は軽装そのもので、正式な衣装となればその分纏うパーツが増えてしまう。相手側の出迎えが終わって落ち着いたらすぐに脱ごうと内心決めていた。
 短時間なら問題は無いが、長く装着していると肩が凝ってくる。常に軽装で生活している為か、窮屈な服装が辛くなってくるのだ。
「こういう場面に遭遇すると、つくづく司祭にならなくて良かったと思いますよ、私は」
 ロシュの重装備を見てオーギュは同情を込めて言い放つ。
「あなたが司聖になっても面白かったと思いますけどねえ。ううん、実に勿体無い…素質的にも人格的にも十分備わってると思いますよ。もしあなたが司聖になった時の別の世界線も見てみたいものです」
 ロシュは本気で残念がっている。全く興味の無いオーギュは、冗談じゃないと突っぱねた。
「絶対嫌ですよ。窮屈そうじゃないですか」
「まあ、確かに窮屈ですね…この姿は」
「服もそうですけど、私は性格的に司祭は向いてませんし。あなたも良く知ってるでしょう」
 その時、部屋の扉がノックされる。
 ロシュは顔を上げ、はあいと返事をすると扉の奥から大聖堂の職員の声が聞こえてきた。
 オーギュはすぐに扉を開き、職員を迎える。彼は畏まった様子で片膝を下ろし、頭を下げて報告する。
「失礼致します。サキト様が城下街にご到着されたそうです」
「そうですか。ご報告ありがとうございます。私達もすぐに大聖堂に向かいましょう」
 そう告げながらオーギュはロシュに顔を向けた。
 真っ白な式典法衣に身を包んだ彼は、慣れない装飾品を纏いながら「あぁ」と早くも気の抜けた声を放つ。
「これ付けるの辞めようかな」
 司祭服には欠かせないカズラを見下ろしながら。
 肩から下げる細長いストラならまだ我慢出来るが、重苦しいボレロ風の被り物が余計窮屈さを感じるようだ。素材が分厚いので仕方無いのだが、言わずにはいられなかった。
 何しろ昔から使われた法衣だ。今でこそ軽い素材で作れるだろうが、昔から伝わる服なので捨てて新しいものにする訳にもいかない。
「司祭の事は深くは知りませんが、一国の王子様を迎えるのに手抜きした姿で大丈夫なのですか?私は別に構いませんが、大聖堂側の煩型がどう見るか分かりませんよ」
 どの世界にも文句を付けたがる人間は居るものだ。
 ましてや、司聖の立場に居るロシュだ。相当な魔力を持つものの、年齢を重ねた司祭にとっては口出ししたくなるタイプも居るだろう。
 宮廷魔導師でもそうなのだから。
 ロシュは一旦「あぁ…」と唸る。
「そうですよねえ…しかも大切な方をお迎えするのだからね…しかし重たいなあ」
「我慢するしかありませんね。やる事なす事にいちいち口煩い人が居ると大変ですよ」
 オーギュの中に居るファブロスは『(妙に強調するじゃないか)』と不思議そうに話し掛けていた。
『(言っておくが、私はそんなに口煩くはないからな)』
 主人の言い方が気になったのだろうか。ファブロスはやけにそこに突っ掛かってきた。
 オーギュはその声に、やたら気にするんですねと返す。
「(何ですか。まるで私があなたを口煩いと思っているみたいに言いますね)」
『(そんな事は思っていない。妙に引っ掛かっただけだ。私は心配して忠告しているだけだからな)』
 小言が多いタイプなのを自覚しているのだろうか。
 オーギュが思うより先に、ファブロスは先回りするように言い放つのでコメントしにくくなってしまう。
 彼自身、特にそこまで強く思った事などは無いものの、ファブロスなりに引っ掛かるものがあったのかもしれない。
「さて、お迎えに行きましょうか。そうだ、リシェは?」
 予定ではシャンクレイス出身であるリシェとスティレンも王子の一行を迎え入れる手筈なのだが、彼の姿は司聖の塔には居なかった。
 既に出入口付近で待機しているのだろうか。ロシュの問い掛けに、オーギュは「向こうでお待ちだと思いますよ」と返した。
「そうですかぁ」
「とりあえずさっさと出迎えて、向こうの方々にはゆっくり休んで貰いましょう。長旅で、相当お疲れでしょうからね」
「お部屋のご用意は既に用意はされているんですよね?」
「してますよ。ご来賓用の特別な宿舎にご案内出来ます。その辺りはもうお願いしていますから、あなたは大切なお客様が来てくれたのを盛大に喜んで迎え入れる準備をしてりゃいいんです」
 この補佐役はぶっきら棒に言い退けるが、先回りして準備を抜かりなく済ませている優秀さに感心してしまう。
「把握している人数よりも二部屋分余分に用意もしていますし、歓迎会用の食事もアストレーゼンの名に恥ずかしくないような献立も作っています。地方の名物料理やデザートもふんだんに入れ込んだ内容にして頂けるよう厨房にお願いしていますから」
「…抜け目が無いなぁ。頼もしいですよ」
「でしょう」
 感心するロシュの言葉に、オーギュはさらりと言い返す。
 そう言いつつも、他人の世話を焼くのは好きでは無かった。後が面倒なのでいつの間にか先回りして作業してしまう癖が備わってしまったのだ。
 ロシュの側に居る事で自然にそうなっていたらしい。
「あなたには本当に感謝していますよ。まさかあんなに意地っ張りな子がここまで有能な方だったとはねぇ」
「良く言いますよ。そうせざるを得ないようにしたくせに」
 ちくりとした嫌味にも、すっかり慣れているロシュはふふっと笑った。
 知らせに来た職員に礼を言うと、すぐに向かいますと告げて下がらせた後でオーギュはロシュに向かいますかと促す。
 来客より先に待機しておかなければ失礼になってしまう。
 いつもよりずっしりした法衣を翻し、ロシュは「参りますか」と部屋を後にした。

 アストレーゼン大聖堂の正門前は、いつもとは違う雰囲気を醸し出していた。特別な日ともあり、一般の来訪者の受け入れを縮小している為普段とは人の入りは少なめだが、外部から来た巡礼者や観光客は何が起きているのだろうかと不思議そうな面持ちで見守っている。
 早朝から正門付近の整備と清掃を行っていた為、誰が見ても恥ずかしくない状態で待機している。勿論、有事の際にすぐに対応する宮廷剣士も配備されていた。その中には宮廷剣士を取り纏める士長ゼルエの姿もある。
 これ以上無い位の準備で相手方を迎え入れる形だ。
 大聖堂に入る手前でシャンクレイスの王子が乗りつけた馬車を止めて貰い、そのまま大聖堂に続く階段を上がってこちらに来る予定だ。
 彼らが乗ってきた馬車はこちらで引き取り、長旅で着いたであろう汚れを洗浄した上で専用の車庫に丁重に保管する。
 長旅で疲れている相手側にまた負担を掛けさせてしまうのは非常に申し訳無いが、大聖堂の仕様上これだけは仕方が無かった。
「おはようございます」
 司聖の塔から降りて来たオーギュは先に待機している職員達に声を掛けていた。
「おはようございます、オーギュ様」
「おはようございます」
 関係者が次々と挨拶を交わしている中、宮廷剣士と同じように待機しているリシェもオーギュに挨拶をする。
「リシェ。やっぱりここで待っていたのですね」
「はい」
 彼が腰に差している剣がいつもと違う事に気付くと、オーギュは「ほう」と目を細めた。
「完成したのですね」
 気付きが早い。オーギュの指摘に、リシェは「はい」と嬉しそうに剣の柄に触れた。前回の剣より更に丈夫にすると鍛治職人が気合いを入れていただけに、細かい場所にも拘りを見せる物に仕上がっていた。
 それは手に持つ柄の部分からも伝わってくる。
「待っていた甲斐がありましたね」
「……はい」
 リシェはふわっと微笑んだ。
「いいなぁ、お前は」
 そんな彼の横で、ぽそりとスティレンは呟く。
「俺も専用の剣が欲しいもんだよ」
「家から勝手に持って来た剣があるじゃないか…」
「宝剣だからね。あまり持ち歩けるもんじゃないのさ」
 自分の家から護身用に持って来たという彼の双剣は、持ち歩く事も無く部屋に置いているらしい。
 代々伝わる代物らしく鍵付きの金庫内に保管されているようだ。その位大切な物を良く持ち出そうと思ったなとリシェは内心呆れていた。
「お待たせしました…ふう、いつもより身動きが取り難いので参りましたよ」
 未だに身に着けている法衣の違和感と格闘していたロシュは、オーギュに続いて正門に到着した。リシェは顔を上げ、式典用の厳かな法衣姿のロシュを見て思わずドキっとしてしまう。
 常に軽装の姿で動いている為に却って新鮮だった。
「ロシュ様」
「リシェ。やはりこちらにいらっしゃったんですね」
 見るからに重そうな装備だと思ったのだろう。リシェは彼の側に近付くと心配そうに「大丈夫ですか?」と問い掛ける。
「ええ、大丈夫ですよ。昔ながらの素材なのでねぇ、ちょっと重くて動きにくいのですよ。ほら、刺繍もふんだんにあるでしょう?赤だの金色だの白だの…普段慣れない物を着るとどうしても窮屈な感じがして。無事に皆様をお迎え出来たら脱ぎますから」
 ロシュが言うように、身に纏う服にはそれぞれ複雑な刺繍が施されている。白を基調とした布地も美しく光沢を放ち、優雅さを醸し出していた。
 司祭の服にしては随分豪奢なデザインだと思うが、司聖ともなればそうせざるを得ないのだろう。
 司聖ロシュの姿を確認し、宮廷剣士長のゼルエはすぐ彼の元へ赴くと片膝を付き挨拶をする。
「ご足労頂き感謝致します。こちらはいつサキト様がお越し頂いてもいいよう、準備を整えておりますのでご安心下さい」
「ああ、ああ…そんなに畏まらなくてもいいのですよ…ありがとうございます。お忙しい中、宮廷剣士の皆様には存分に配慮して頂けて感謝しきれない程です」
 頭を下げるゼルエを立たせると、ロシュはいつものようにふわりと優しい笑顔を見せた。
「勿体無いお言葉ですが、我々はそれが仕事でもあります。今回の件に於いてもシャンクレイスからの大切なお客様がアストレーゼンで安心して過ごせるように取り計らいますので」
「大変心強いです。あなた方が毎日こうして警備して下さるだけで、こちらも安心出来るというものですよ、ゼルエ殿…ですがあまり無理をなさらない範囲でお願いしますね。何事も身の安全が一番ですよ」
 は…とゼルエはロシュの言葉を有難く受け止める。
「さあ、どうか頭を上げてお立ち下さい。そろそろ相手側がこちらに来て下さるでしょう」
「はい。街の案内は新しく任命した副士長に任せております」
 ゼルエの発言を受け、ロシュはきょとんとした顔を見せてオーギュの方に目を向ける。新しい副士長とは一体何者なのかと。
 宮廷剣士に関する決定権の一部はオーギュにあった。
 オーギュはロシュの視線に気付くと、ふっと微笑む。
「何ですか。まるで聞いていないと言わんばかりに」
「いや、実際聞いていませんし…」
「そのうち来ますから、そこで分かりますよ」
「ええ…ここまできて勿体ぶって教えてくれないんですか?」
 しょんぼりするロシュに、ついリシェは苦笑いすると良く知ってる顔ですからと宥める。
 すると丁度いいタイミングで、正門から近い場所で警備任務をしていた剣士が「お見えになりました!」という声が飛び込んできた。
 ロシュは反射的に顔を正門の方へ向ける。
「新しい副士長さんも初めてお目見えですね!」
 やけにわくわくするロシュに対し、オーギュはそんなに期待する事なのかと内心突っ込んでいた。いずれにしろ見慣れた顔なのだ。
 リシェはそんな彼の側にそそっと近付くと、オーギュの名を呼ぶ。
「どうしましたか、リシェ?」
「言ってなかったのですか?」
「いずれ分かるだろうと思っていたのですよ。見ればあぁ、と理解してくれるでしょうし」
「確かにそうですけど…オーギュ様にしては珍しく未報告なんだなぁ、と」
 彼の仕事振りからして何事もロシュの耳に入れているのだろうと思ったらしい。言わなくても見れば分かる、という理由にしても雑な感じがしてならない。
 内容が内容なだけに、決してどうでもいい訳では無いとは思うのだが。
「私が言わずとも、あの人は自ら言い出すでしょうし…」
「そりゃ、言いそうですけど」
 シャンクレイスからの来客と、彼らを誘導した就任した新しい副士長の姿を見ようとロシュは重苦しい法衣を纏いながら正門へと急いでいた。
 リシェは彼の背中を見ながら「ロシュ様も何となく見当が付いていそうですけど…」と呟いた。
「それならそれでいいと思いますよ。私から話す手間も省けるっていうものです」
「オーギュ様はヴェスカに何か変な事でもされたのですか?」
 やたら不自然に突き放す態度を取る彼の気持ちが理解出来ないらしいリシェは、過去に何かしら失礼な事をしたのでは無いだろうかと不安に駆られてしまった。
 オーギュはそんなリシェを見下ろしながら、安心させるようににっこりと微笑む。
「何も無いですよ」
「そうですか。それなら良かった」
 ほっとする顔のリシェを前に、オーギュの視界を見通しているファブロスはそう言わざるを得ないしな、と変に棒読みで呟いていた。
 次第に大聖堂の正門付近は騒がしくなってきた。待機状態だった宮廷剣士の面々は綺麗に整列を開始し、厳重な警戒の度合いを増す。
 出迎える最終地点には剣士長のゼルエと司聖ロシュ。
 来賓客を引き連れた先頭の剣士の姿が見えると、待機していた剣士達は一挙に姿勢を正す。
「シャンクレイス公国より第二王子フランドル様と第三王子サキト様がお越しです」
 その声は良く聞く低い声だった。その声を合図に、並んでいた待機中の宮廷剣士らは一斉に片膝を下ろし頭を下げ出迎えの姿勢を取る。
「ありゃ…!」
 先導していた宮廷剣士の姿に、ロシュは小さく声を上げていた。その大柄な体格に加え、目立つ赤い短髪は彼も十分に馴染みのある人物だ。
 確かにオーギュが「別に言うまでもない」と言わんばかりの態度を取る訳だ。
「ヴェスカじゃないですか!」
「はい。オーギュ様や他の者からの聞き込みを元に精査し、今回の任務から新しい副士長に任命致しました。苦手な部分も多々ありますが、剣士としての能力も申し分無い。人当たりも良く分け隔て無く人に接する性格で、誰からの相談でも気軽に受け入れるでしょう」
 隣のゼルエの言葉を聞き、ロシュもにっこりと笑みを浮かべてこくこくと頷いた。
「そうですねぇ。確かに彼は申し分ありませんよ」
 大聖堂の正門を抜け、送迎役を仰せつかったヴェスカの表情は緊張感に溢れていた。それでも隣国からの重要な来客を丁重に扱いながら、奥で待っているロシュの元へと導いていく。
 初めて目の当たりにするシャンクレイスの王子の姿…第三王子のサキトの姿を目にするや、周りの人々はあまりの愛くるしさに驚き、妖精を思わせる儚げな雰囲気に溜息を漏らしていた。
「色…白い…」
「誰、あの子?」
「隣の国の王子様って聞いたぞ。まさかここで見られるなんて物凄くラッキーじゃないか」
 規制線からこちらを覗き見している一般客から、溜息混じりの声が漏れ聞こえてきた。まさかアストレーゼンの中で隣の国の王子の姿を間近に見れるとは思わなかったのだろう。
 口々に感嘆の声が溢れ出てしまうようだ。
 長い旅を終え、ようやく司聖の元へ辿り着いたサキト達はアストレーゼンの象徴を前にしてすっと頭を下げた。
「ようこそおいで下さいました…ああ、頭を下げなくてもいいのです。どうか頭を上げて楽にして下さい」
 一国の王子に頭を下げさせる訳にもいかない。
 ロシュは畏まるサキト達に向け、楽な姿勢になってくれるように促した。
「この前のように普通に接して下さい。これが初めてでは無いのですから。堅苦しいのはお好きでは無いでしょう?」
 頭を下げていたサキトに近付き、彼の小さな肩にそっと触れた。サキトは伏せていた瞼をゆっくり上げ、ロシュを見上げる。
 近くで見れば見る程、サキトの肌質や睫毛の長さがはっきりと分かった。シャンクレイス出身のリシェも負けじと美しい顔形をしているが、サキトに至っては別格な感じがする。
 甘過ぎるマスクが非常に印象付けてきた。
「ふふ…ロシュ様。良く僕の事を理解してくれてるんだね。そうだね、堅苦しいのは好きじゃないんだ。ありがと」
 彼は悪戯っぽく微笑むと、ようやくすっと立ち上がった。
「気楽にお話しして下さっても構いませんよ。長旅でお疲れでしょう?」
 お互い固く握手を交わすと、サキトの肩にそっと触れた。
「今日は兄様も一緒なんだ」
「ええ、お話しは聞いておりますよ。ぜひご紹介して下さい」
 ロシュの言葉に、サキトはこくりと頷くと自分の背後に居る護衛剣士の方を振り返る。白を基調とした制服を身に纏う剣士の中から、一人の青年が前に出た。
 ふわりとしたサキトと違い、彼は屈強そのもので雰囲気も男らしさを感じさせてくる。ロシュは目を細め、ほう…と感嘆の吐息を漏らしていた。
「ほら、兄様」
 弟に促されながら、その護衛剣士の姿をした男は少しばかり気まずそうに頰を掻いていた。
「僕の兄様のフランドルだよ。前はご一緒じゃなかったからこれが初めてだね」
 フランドルと紹介された青年は、ロシュを前に軽く頭を下げる。
「お初にお目にかかります、司聖ロシュ様。何て言うか、俺はあまりこういう公の場っていうのに慣れてなくて。どっちかと言うと護衛の方がしっくりくるっていうか」
 その第二王子の、王子らしさがほぼ皆無な自然体さに、ロシュはついふふっと微笑んでしまう。
 大丈夫ですよと安心させるように告げると、ロシュもまた「分かりますよ。あまり形式的なのはお互いに窮屈ですから」と同調し頷く。
「なのでどうか体の力を抜いて下さい。ここでは気を楽にして頂いて構わないのですから…相当お疲れでしょう。今日は長旅の疲れを存分に癒して貰って、落ち着いたら様々なお話しを聞かせて頂けると嬉しいです」
「ロシュ様がお話しの分かる方で良かった。ね、兄様?」
 話を聞いていたサキトは嬉しそうな顔で兄に言った。フランドルはそんな弟の頭を撫でると、そうだなと笑う。
「俺の事は普通に名前で呼んでくれると助かる。サキトの護衛のつもりで付いて来たようなものだし…それに、王子様っていうのは俺には性格的に向いてないんでね。お互い気を使わなくてもいいだろう?」
 王子の立場にも関わらず護衛剣士というのも変わっている。
 一国の重要な位置に居るのに、よく周りから反対されなかったものだ。余程彼の腕っぷしが良かったのだろう。
「俺達の中では一番時期国王に相応しいのはこのサキトだと思っているんだ。俺は勉強とかはどうも苦手で…俺の上にももう一人居るけど、そっちも極力大人しい性質なんで」
「おや…ぜひお会いしてみたかったです」
 残念そうにロシュは苦笑を交えてフランドルに言うと、サキトは仕方無いんだよと少し肩を落とした。
「ルーヴィル兄様ったらちょっと疲れるだけでも嫌がるし、日焼けも嫌う上に汗をかくことすら嫌がるし…一番上なのに僕より我儘なんだから」
 話を聞く限り、三人共異なり過ぎる性格を持っているようでお互いに自覚しているようにも見えた。
 一番下のサキトが王になるに相応しいと言われているのも珍しい。
「次にお会い出来る際には引き摺ってでも連れてきてあげるよ」
「い、いやそこまでは…今度はこちらからお伺いした方が一番良いのかもしれませんね」
 気まぐれとはいえ、王子自らこちらにわざわざ来てくれたとなれば次はこちらからも伺わなければならない。長旅は慣れてはいるが、機会を見つけて隣国に行ってみたいという気持ちは前から持っていた。
 リシェが生まれた国を、その街をこの目で見てみたい。
「君の護衛剣士様や補佐してくれる子も元気そうだね?」
 サキトは同じ年位のリシェやオーギュの事も忘れてはいなかった。ロシュは「ええ」とにっこりと笑う。
「いつものように元気ですよ」
「奥に居るおっきい剣士様は宮廷剣士の一番上の人かな?」
 一際大柄な体格を持つ士長ゼルエに目を付けたサキトは、待機していた彼に近付く。見慣れない環境に対して相当興味を持ってしまう癖があるらしい。
 ひょこひょこと近付く小さな王子に、ゼルエはすぐに片膝を付き頭を下げて礼儀正しく挨拶をする。
「お初にお目にかかります、サキト王子様」
 自分の目線に合わせて屈むゼルエに、サキトは目を輝かせながら「うわぁ」と感動の声を上げた。
「凄いね、一流の剣士様だ。ううん、何ていうのかな、凄いオーラがあるね。兄様と狩りの勝負したらいい線行くんじゃないかなぁ?」
「勿体無いお言葉です」
 そこで何故狩りが出てくるのだろうかと疑問に思いながらも、畏まったゼルエは褒めてくれた事に対して礼を述べた。
「うちの護衛だと一番大きいのはレオニエルかな。うふふ、どっちが大きいかな?立ってみて。ええっと」
「ゼルエです。ゼルエ=タナスク=ウランリッドと申します」
「んふふ、宜しくね、ゼルエ殿」
 サキトはそう言いながら自分の護衛の任務に就いていた剣士達に顔を向けると、紹介するねと微笑んだ。
「僕が選んだ護衛の剣士達だよ」
 自分の兄を除く五人の精鋭剣士は、サキトに言われる前に一列に並ぶと揃ってこちらに頭を下げた。
「そうだね…左からいこうか。赤い髪の子がアルザス。一番先に選んだから、先輩株に当たるよ。その隣が良く相談に乗ってくれるイルマリネ。彼は貴族出身ながら剣の腕も立つんだ。そしてこっちの坊主頭の硬そうな子がレオニエル。どう?この中じゃかなりの力持ちなんだ。あまり喋らないタイプだから、無言になっても気にしないでね。そしてその隣がアーダルヴェルト。口がちょっと悪いし態度も褒められるものじゃないけど、根はいい子さ」
 サキトによって簡単に紹介されていく剣士達。
 彼らは次々と頭を下げていくが、アーダルヴェルトに至っては頭を下げながら「第一印象最悪じゃねえか」と小声で愚痴り、隣の大柄なレオニエルに日頃の行いが良くないからだと嗜められていた。
「そして最近僕が招き入れた子だよ」
 アーダルヴェルトの横で、緊張でガチガチになっている巨体の剣士の腕を取り、サキトは微笑んだ。
「彼はクロスレイ。見ての通り頼りない顔をしてるけど相当力持ちっぽくて、先が楽しみで受け入れたの」
 茶色の短髪で、純朴そうな顔の青年はサキトに引っ張られたまま慌てて頭を下げる。
 それまでの剣士達とは全く毛色が違うタイプだ。
 ロシュはこれはこれは…と目を細めた。
「何と頼もしい方達でしょう」
「ふふ、君の方こそこんなに沢山の騎士が居るじゃない」
「頼もしい剣士が居るのはとても恵まれている事です。私達は彼らに敬意を示さなければなりませんね」
 和やかな雰囲気で彼らを迎え、ゆっくり寛いで貰う為に来賓用の部屋へ案内しようとロシュはオーギュの方へ目を向ける。
 彼の言わんとしている事が分かったのか、控えめに待機していたオーギュはスッと前に出た。補佐役の姿にサキトはぱあっと表情を更に明るくする。
「やあ、元気そうだね」
「サキト様、お久しぶりです」
 皆と同じようにサキトの目線に合わせて膝を付き挨拶を交わす。堅苦しい挨拶に少し嫌気が差したのか、サキトはぷっくりと頰を膨らませた。
「もう。そんな固い挨拶はいいんだってば」
「一国の王子様を相手に失礼な事をする訳にはいきません」
「ほーんと真面目だねぇ君は」
「この先は私が皆様をご案内致します」
 来賓用の部屋は大聖堂の奥側に用意されている。
 その宿舎前には数人の宮廷剣士が有事の際に駆けつけられるように近くで待機する事になっていた。
 補佐役のオーギュの言葉と同時に、ゼルエは指定された数人を除く出迎えの宮廷剣士を下がらせる合図をする。徐々に大聖堂内は物々しい雰囲気から通常の景色へと変化していった。
「リシェ、スティレン」
 挨拶を済ませたオーギュはシャンクレイス出身の剣士二人を呼ぶ。あらかじめ話を聞いていた二人の少年は返事と共にサキト達の前に出ると、同時に来客に頭を下げた。
「お久しぶりです、サキト様」
「リシェ!…君も変わってないねぇ」
 過去に二度程顔を合わせていたが、リシェはほとんど変わっていないように見えたらしい。内心リシェは少しぐさりときたものの、それ程時間の経過はしていないはずだと自分に言い聞かせていた。
「今回サキト様の近くで護衛任務に当たるようにと言われています」
「本当?んふふ、そんなに気を使わなくてもいいのにね。でも嬉しいよ。同じ位の子が居れば心強いし」
 目を爛々と輝かせ、サキトはリシェの手を取った。
「サキト様」
 会話を遮る形でオーギュが話し掛ける。
ん?とサキトは透き通った青い瞳を彼に向けた。
「リシェともう一人、宮廷剣士をご紹介致します」
「もう一人…」
 それはサキトの興味を非常に惹きつけるものだった。まさか自分の国の出身の剣士がまた居るとは思わなかったようだ。
 どうせならこちら側でその腕を振るって欲しいと思わずにはいられなかったが、個々の生き方に無理強いは出来ない。
 それ程アストレーゼンが他国の人間にとって魅力的な国なのだろう。
「さあ、スティレン。王子様にご挨拶を」
 スティレンはサキトに負けじと、持ち前の優雅な雰囲気を身に纏わせながら前に出た後、片膝を突き深く頭を下げた。
「お初にお目にかかります、サキト様」
 その所作がやけに小慣れた印象を受けたらしく、サキトは驚いた様子で眼前の少年を見下ろす。
「へえ…君、育ちが凄く良さそうだね?名前は?」
 頭を下げていたスティレンは、故郷の国の王子に自分を知って貰う大チャンスだとばかりに口元に笑みを浮かべる。もしかすれば、シャンクレイスに戻ってきた際に自分をいい地位に導いてくれるかもしれない。
 自分はどちらかと言えば野心家な性質だ。ここで利用しない訳にはいかない。上手いこといけば、自分の家を更に高く引き立てる材料にもなり得る。
「ウィスティーレ=ライ=エルシェンダと申します」
「エルシェンダ…」
 聞いた事があるね、と小さく呟いた。
「サキト様、彼はリシェの従兄弟でもあります」
 説明を受け、サキトはリシェをちらりと見た後「そうだったの?」と微笑む。彼が笑う度に花が咲き誇ったように周辺が華やかな雰囲気に包まれていた。
 リシェはこくりと頷く。
「顔を見せてごらん、ウィスティーレ」
 サキトはスティレンの目線に合わせて両膝を付くと、彼の頰にそっと触れた。
 お互いの目線が絡み合う。
 しばらく相手の目を覗き込むように見た後、サキトは何かを理解したかのように満足げに口元を緩ませた。
「タイプは違うっぽいけど何となく似てる感じがするね」
「………」
 絶対違う、と否定したかったが相手が王子様なので反論も出来ない。返す言葉を探していると、ふっと彼の体はスティレンから離れた。
「気に入ったよ、オーギュ殿。彼らにも護衛役をお願いしようかな。でも大聖堂内は安全そうだから、あまり必要が無いかもしれないね」
「ええ。護衛役は既に事足りてると思いますし、退屈されないように話しやすい相手が必要かもしれないと思いましたので。こちらで何かお困りの御用がありましたら彼らに一言申し付けて頂ければ、すぐに対処出来ますよ」
「君は本当に心配りが素晴らしいね。ロシュ様も君のような存在が居てさぞ心強いでしょ」
あまりにもサキトが自分に対して手放しに褒めるので、妙に居心地の悪さを感じてしまう。
「それがお役目ですから」
 ありがと、と天使の如く愛らしい笑みを浮かべると、サキトは背後の自分の護衛に「じゃあ休ませて貰おうか」と声を掛けた。
 あまり長居をしては他の人の邪魔になってしまうからね、と。
 サキトの声に背後に居る連れの剣士達は荷物を抱えながら移動の準備を始めた。
「じゃあロシュ様。これから少しの間だけど宜しくね」
「ええ、ええ。ぜひここでの生活を楽しんで下さい…ああ、あとは歓迎会もしますから、準備が終わりましたらこちらからお声がけさせて貰いますね」
 ロシュはにこにこと営業用のスマイルでサキトに言う。
「ふふ、その格好も素敵だけどやっぱり窮屈そうだね。僕を見送ったら早く気楽な格好になるといいよ。それって相当昔からの特殊な衣装でしょ?かなりずっしりしてる素材で出来てると思ってさ」
 平然としている風を装っていても、彼にはお見通しなのだろうか。ロシュは思わず自分の服を見下ろすと、バレましたか?と苦笑いした。
 確かに相当な重さがある上に窮屈この上無い。それでも出来るだけ顔に出さないようにと心掛けていたのに。
「絨毯と同じ位の厚みのある織物を背負っているような物でしょ、そのストールみたいなの。カズラっていうんだっけ?司祭様って大変だね」
「良くご存知で…そうなんですよねえ、これ、魔力が込められた糸でかなり編み込まれているようなので…慣れないのもありますし」
「糸に魔力を込めるなんて、やっぱり魔法に特化した国なんだね。それに歴史の重みを感じるよ」
 自分達が生まれるよりも遥か昔に作られたその衣装を実際目の当たりにした為か、彼はストレートに感動の言葉をぶつけた。
 彼は様々な分野においても興味を持つ性質を持ち、勉学にも励んでいる話を聞いていたが、それは決して嘘では無いようだ。多方面において将来が期待出来る三人の子息をもうけたシャンクレイスの王はさぞかし自慢に思っているに違いない。
「サキト様は大変聡明なお方だとお聞きしています。この服にまでご興味を示されるとは、こちらも嬉しく思いますよ」
 うきうきしたロシュの言葉を受け、サキトは「僕はまだ勉強中の身だからね」と微笑む。
「今のうちに吸収したいと思うものはどんどん身に付けていきたいと思っているんだよ。特にこのアストレーゼンについては特に。良い所を沢山見つけて、後々吸収した事を生かしたいと思ってる」
「それはとても嬉しい事ですよ。私もそちらにお伺いした際には素晴らしい所を学んでいきたいです」
 和やかに会話を交わしながら、ロシュはある意味先が怖いタイプの子だと思っていた。リシェと変わらない年齢なのに、天使のような純粋そのものの瞳の奥は何か野心のような物を秘めているのではと思わずにはいられない。
 彼の兄剣士のフランドルからはそのような物は一切感じないというのに、このサキトはまだ幼いにも関わらず底が読めなさそうな雰囲気を感じさせてくる。
 王族としての覚悟を決めているのか、儚げな容貌と不釣り合いな程どっしりと構えている印象が拭えない。
 …彼は敵に回せば、相当怖いタイプではないだろうか。
 今はまだ十六歳だというが、年齢を重ねる毎に底知れない相手になるかもしれない。
「じゃあ、お部屋に案内して貰おうかな。ロシュ様、また会おうね」
 話を切り上げ、とびっきりの笑顔を見せるサキトの顔は非常に愛くるしかった。ロシュはふっと微笑み返すと、ええと言いながら頷く。
「リシェ、スティレン。こちらについて来て下さい」
 オーギュは来賓客を誘導する前に少年剣士らに告げる。
 早速の特別任務だ。
 リシェとスティレンは同時にお互い顔を見合わせると、「はい」とだけ返事をして彼らに従い後を追いかけた。
 シャンクレイスからの来客を迎えてから数時間が経過し、彼らはそれぞれ自由行動を許される中、唯一新人で護衛に入ったクロスレイだけは別でサキトの部屋の入口で待機状態を強いられている。
 その表情はかなり緊張している様子が見てとれた。
 特別大きな来賓部屋はサキト一人で使うには広過ぎる位だが、彼は全く気にしない様子で室内の調度品に目を向ける。
 オーギュによって彼の話し相手兼護衛役を命じられているリシェとスティレンは、蝶のように室内をあちこちうろついている彼を無言で見ていた。
 上衣を脱ぎ、見るからに高級なレース付きのシャツをひらひらさせながら鼻歌混じりに室内の探索をする。長旅の疲れも感じさせない程、彼はやけに元気良くその辺を徘徊していた。
「さて」
 室内をある程度見回し終え、気が済んだらしい。
 サキトは改めて待機していた剣士達に目を向けると、ふふっと笑みを浮かべた。
「護衛って言っても、ここはとても安全だと思うんだよね。流石にロシュ様のお膝元で悪さをする輩なんて居やしないと思うし…ね、リシェ?」
 突然話しかけられたリシェはぴくりと反応し、背筋を伸ばしながら「はい」と答えた。
「君はロシュ様の護衛も兼ねて忙しいでしょ?」
「は…はあ…ですが大聖堂に居る限りは護衛役の心配は無いので」
 人形のような王子は「そーお?」と首を軽く傾ける。
「忙しそうだし、君が側に居ないとロシュ様も寂しいと思うからさ。何だか僕に付いて貰って悪いかなって思ってたんだけど」
 シャンクレイス側の護衛も十分な人数だ。
 こちら側が出る必要も無い位に。
 護衛は多ければ多い程身の安全は約束されるが、もしかしたら気持ち的に落ち着かないかもしれない。彼もそっとしておいて欲しい時もあるだろう。
 リシェはしばらく間を置いてから理解を示す。
「そうですか。もし人数的に余分でしたらどちらかが退きますが」
「あっ、でも決して邪魔とかそういう意味で言ってる訳じゃないんだ。こっちの都合で来たのに、余計気を使わせるのも申し訳無いなって思って」
 少し焦ったようにサキトは取り繕う。
 リシェはふっと口元を軽く上げると、お気になさらずと返した。
「こちら側も、サキト様が滞在して頂く間に不備があればすぐ対応する為にお役目を受けていますので。もし気掛かりな部分があればいつでも話して頂けると助かります。ですがお側に居る者が多いと、落ち着いて身を休められないかもしれません」
「いいや、もう十分に尽くしてくれてるよ。変に気を使わなくてもいいのさ。何かあったらすぐに言うようにするし…そうだね、どちらか一人に居て貰えるようにお願いしようかな」
 リシェはスティレンをちらりと見た。
 彼もまた同じようにリシェに目を向けた後、サキトに知られない様に彼の背を軽く小突く。
「…どっちか一人って。お前はいいだろうけど、俺は相手の扱い方なんて知らないんだけど?」
「普通にしてればいい」
 ヒソヒソと話し合う二人。
 普通って何さとスティレンは困惑気味に言い返した。こちらはリシェと違い完全に初対面だというのに、いつもの調子で会話する訳にもいかないだろう。
 変な発言をすれば不敬罪になるかもしれない。しかも自分の故郷の国の王族なのだ。
 リシェを相手にするように扱っては、流石に周りの護衛達も黙ってはいられないだろう。
 サキトはリシェとスティレンを交互に眺めた後、うーんと軽く唸る。そして目尻を緩ませ、小さな唇を開いた。
「そうだね、リシェはやっぱり忙しいだろうから隣の子にしようかな。ウィスティーレ」
 スティレンは「はっ?」と顔を上げる。
「僕の側に居てもらうよ」
「………」
 その言葉に、スティレンは動揺していた。
 だから扱い方はどうするんだ、と目でリシェに訴えるも、彼はサキトに笑顔を向けながら「分かりました」と話を終わらせようとしていた。
「では俺はロシュ様の元で待機します。何か御用がありましたらいつでも申し付けて下さ…」
 言い終える寸前、リシェはスティレンによって腕を掴まれ引っ張られていた。
「お前!薄情だね、逃げる気!?」
 相手側に聞かれない程度の小声で捲し立てる。
 最初は乗り気だったくせに何を言うのか、とリシェは嫌そうな表情をした。
「話を聞いていたのか?一人で事足りるって言ってただろう」
「だから俺はあの人の扱い方なんてまだ知らないんだってば!お前の接し方を見て習おうとしてたのに!」
「普通に敬語を使えばいいだろうが」
 ひそひそと言い合う二人を、やや遠くから見つめていたサキトは満面の笑みで「どうしたの?」と問いかける。
「何か不都合な所があるのかな?」
 不審がられてはいけないと思ったのか、ひそひそしていた二人は同時にサキトの方へ顔を向けて否定の言葉を放つ。
「「不都合な点はありません!」」
 …同時にハモった。
 サキトは笑みを称えたまま、「そう」と返す。
「なら大丈夫そうだね。僕がお願いした通り、そっちのウィスティーレにお願いするよ。リシェはロシュ様の護衛で忙しいだろうからね」
「………」
 スティレンはうぅ、と唸りながら横目でリシェに何か言えと言わんばかりに訴えようとする。しかしリシェは、そんな彼の目線に気付く事無く了承した。
 どこまでも察しの悪い従兄弟に愕然とする。
「嘘でしょ…」
 これから単独で、初対面の王子の相手をしなければならないのかと一気にやる気が削がれていく。
 最初は二人で相手をするという話だったのだ。それなのに、会話の流れで一人で世話を焼かなければならないとは。最初の時と話が全く違うじゃないかと怒鳴り散らしたくなるのを必死で堪えていた。
 リシェはそれで構わないだろうが、こちらの都合も考えて欲しい。
 ここにサキトが居なければ、リシェの頭を思いっきり殴ってやりたい所だ。
「んふふ、じゃあお願いね、ウィスティーレ?」
「では俺はこれで失礼致します」
 リシェはサキトに頭を下げると、部屋の入口へ足を向けた。
「うん、折角来てくれたのにありがとうねリシェ。クロスレイ、リシェを見送ってあげて」
 扉で待機していた護衛剣士に声を掛けると、大柄な剣士は背をぴんと伸ばして返事をした。
「はい」
「お心遣い感謝致します、サキト様」
 リシェは慣れたように自国の王子に頭を下げると、クロスレイに誘導されながら部屋の外に出た。
「ちょっと、いいですか?」
 居なくなる前にスティレンはすかさずサキトに許可を求める。
「なあに?」
「少しだけ向こうと話を」
「いいよぉ」
 愛想良くサキトが許可すると、スティレンは弾かれたようにリシェと同じく室外に出た。
 一緒に室外に出たお付きのクロスレイの手が扉を閉めたのを確認し、スティレンは「ちょっと!!」とリシェに食ってかかる。
 リシェは面倒そうな顔で彼を見上げ、何だ?と鬱陶しそうな様子で返した。
「二人で世話をするって話だったのに全然違うじゃないか!」
「仕方無いだろう。居過ぎても相手だって困るだろうし、それに手が余るのは目に見えてるんだから…」
「お前がどちらか退きますかって話をするからこうなったんでしょ!何余計な事を言うのさ!?お前は別にいいだろうよ、顔見知りだったんだからさあ!」
 二人の少年が言い合うのを、クロスレイは困ったような面持ちで見下ろしている。
「そもそもお前はこの話を聞いた時に乗り気だったじゃないか。それなのに今更嫌がるのか?」
 リシェは何て我儘な奴だ、と舌打ちする。
 そう言われれば反論のしようがない。ぐっと言葉を喉に詰まらせ、スティレンは唸った。
「向こうがお前を指名したんだから黙って従え」
「…性格悪っ!!この馬鹿リシェ、もし俺が気に入られて向こうでの地位が約束されても、お前なんか絶対引き上げてなんてやらないから!!」
 子供のように喚くスティレン。
 リシェは冷めた目をしながら「別にいい」と突き放した。
「俺はシャンクレイスには戻らないし」
 しれっとする彼に、余計腹が立ってきた。
 どこまでも他人事なのかと思わず華奢な体をドンと突き飛ばすと、スティレンは吐き捨てるように怒鳴った。
「何を生意気に!!くそっ、ロシュ様に気に入られてるからって調子に乗ってるんじゃないよ!!」
 捨て台詞を吐き散らかされ、うんざりした様子のリシェは側に居たサキトの護衛役のクロスレイを見上げる。
「喚き散らかして申し訳無い。サキト様の性格がまだ良く分からないので、接するに当たってどんな対応をしたらいいのかアドバイスがあれば教えて貰えないだろうか」
 一応耳に入れておけばちょっとはマシに対処出来るだろう。
 スティレンの為に自分が動くのは妙に癪に触るが、せめて自分が出来る範囲内の事はしておこうとリシェは思っていた。
 問われたクロスレイは、リシェの質問にううんと唸った。
 頼りなく頰を掻きながら「そうですね…」と思案する。
「こちらもサキト様の護衛に就いて間もないので…何というか、説明し難いんですが…」
 スティレンは舌打ち混じりに何だよそれ、と呟いた。
「少なくとも俺よりは一緒に居るんでしょ?大体でいいからどんな性格なのか教えて欲しいんだけど」
 それは決して教えを乞う態度では無い。生来の我儘な性格を普通に剥き出しにするスティレンに、クロスレイは困惑した様子で続ける。
「俺が言うのも憚られるんですけど」
「何?早く言って!」
「結構甘やかされてお育ちなので…で、ですが、公の場では比較的物分かりの良いお方です」
 甘やかされて育ったという部分で色々把握してしまう。
「公じゃない場所ではとんでもないって事じゃない!」
 結局裏があるタイプなのだろう。
「て事は、かなり我儘な性格なんでしょ!冗談じゃない!」
 自分を棚に上げて何を言うのかとリシェはうんざりした。
 付き合わされているリシェから見れば、スティレンも大概に我儘だと思う。
「俺と交換してよ!」
「今更そんな事が出来るか!そもそも向こうがお前を指名してきたんだから大人しく従え!一国の王子の指名を蹴るとか、お前は良くても他がどう思うのか想像付くだろう!」
 往生際の悪いスティレンをばっさり切り捨て、リシェは改めてクロスレイに頭を下げた。
「こちらがサキト様に対して何か粗相をしてしまったらどうかフォローして下さい」
「わ、わかりました…出来る限りの事はお手伝い致します」
 そう言うクロスレイ本人も、表情からくる消極さで頼りになってくれるのかどうか疑問だ。
 追い詰められていくスティレンは「本当に役に立つの…?」とぼそりと毒付く。
「どうにか…サキト様の性格はだんだん理解してきたので」
「本当だろうね!?何かあったらすぐ手助けしてよね!」
 すると、部屋の分厚い扉が開かれる。
 ひょっこりとサキトは顔を出すと、天使の笑みを浮かべながら「もう大丈夫?」と問い掛けてきた。
 リシェは「はい」と答えると、サキトに頭を下げる。
「では俺はこれで」
「うん、ありがとねリシェ」
 手をひらひらさせ、軽く挨拶をした。
「くそ、リシェのくせに」
 リシェの背中を恨めしそうに見送るスティレン。
 彼の姿が見えなくなると、サキトは一息吐いてからお付きのクロスレイを見上げた。
「さ、この子に部屋に連れてきて」
「はい、サキト様」
 心底乗り気のしないスティレンに、クロスレイが声を掛ける。
「どうぞお部屋に」
「…分かったよ。何かあったらちゃんとフォローしてよね」
 小さく念押しするスティレンの声を、察しのいいサキトはしっかり耳に入れていた。それを悟られないようににっこりと微笑んだまま室内に足を踏み入れる。
 隙間無くきっちりと敷き詰められた深紅のカーペットを踏み締めながら、言われるまま室内に再び入るスティレン。
「んふふ…そんなに緊張しなくてもいいよ、ウィスティーレ。…というか、長い名前だね。君は皆からどう言われているのかな?」
「スティレンとお呼び下さい」
 膝を落として頭を下げるのも面倒臭いので、スティレンはそのまま渋々答えていた。
「そう、スティレン。その方が言いやすいだろうね」
 その間室内を蝶のようにうろうろしていたサキトは、スティレンの前で足を止めた。
 ふわっと香水の香りが鼻を掠め、普段嗅ぐ事のないタイプの匂いに思わず反応する。
 王族の彼が身に纏う位の高級品なのだろう。
 若干サキトの方が背丈が低いのか、お互いちょうど良く向き合う。覗き込むようにこちらの目を見たまま、彼はスティレンの頰に触れてきた。
「うん、君にしといて良かった。リシェも良かったんだけど、あの子はロシュ様のお気に入りだもんね。何かあったら問題になっちゃう」
「は…?」
「それにある意味つまらないもの。あの子はとても真面目過ぎるから、突いても我慢しそうだし…」
「え?」
 意味が分からないまま、スティレンはサキトを真っ直ぐ見つめた。何を言っているのだろうと眉を寄せていると、無邪気そうにサキトは「そう固まらなくていいんだよ」と言う。
「君はかなり僕と近いものを持ってそうだからね」
「…言っている意味がまるで分からないんですけど」
 スティレンは、正直にサキトに言った。
 薄いピンク色の唇の端を少し上げ、彼は続ける。
「じゃあこう言えばいいかな?君はとっても我儘そうだから、こき使うには最高の相手だって思ったのさ」
 あまりにも普通に言うので、スティレンは耳を疑う。
 先程の立派な一国の王子の言葉とは思えない位の横暴な発言。一瞬、聞き間違えたのかと思った。
 眉間に皺を寄せ、スティレンは「は?」と聞き返す。
 サキトは理解出来ないかな、と苦笑した。
「理解出来ましたけど」
「分かった?それは良かった」
「耳を疑うレベルの暴言で驚いただけです」
 ふいっと顔を逸らし、スティレンは思う。
 こいつ、地を剥き出しにしてきやがった、と。
「んふふ…君の顔を見た瞬間に何となく分かったんだよねぇ。僕と同じ系統なんじゃないかって。直感って凄いよね、惹きつけられるっていうのかな」
 満足げにサキトは思った事を発言するが、スティレンはつまらなそうに吐き捨てた。
「気のせいじゃないですか?」
 …知らないうちに同士扱いされても困る。
「お言葉ですが、俺は全然惹きつけられません」
 一緒にするなと言わんばかりに相手を横目で睨みながら、スティレンはサキトに対し苛立ちを向けた。可愛い顔をしているくせに、巻きついてくるような目線が癪に触る。
 サキトは出すまいとしているスティレンの苛立ちを感じ取りながら、ぺろりと舌舐めずりをした。
「その強がりがまた僕には堪らないんだよねぇ」
「別に強がってるつもりは無いんですけど」
 その時、ぎゅうっと頰に痛みが走った。
 驚いた様子でスティレンは「は!?」と抗議を込めて声を上げる。あまりにも無礼な行いに思わず相手の手を払おうとしたが、更に力を込めてきた。
 サキトは平然としたまま頰を抓り続ける。
「ちょっと!どうにかしてよこい…」
 反射的にクロスレイに訴えた。うっかり「こいつ」と言いたかったが、どうにか思い留まった。性格がねじ曲がっていようとも一国の王子に対して言う発言ではない。
 いくら苛立ったとはいえ、辛うじて自分の感情を押さえられた。
 フォローを求められたクロスレイは困惑気味で「すみません、すみません」と謝罪の弁を述べる。
「すみませんじゃないんだよ!初対面の相手にこれってどう考えてもおかしいじゃない!」
 止めろって言ってんだよ、とスティレンは怒りをぶち撒ける。
 先程の発言は嘘なのかと言わんばかりにクロスレイを睨むが、彼は大柄な体型に全く似合わず弱々しい表情を称えたまま謝るばかりだった。
「馬鹿だね、この子に僕を止める権限なんてある訳ないでしょ?僕の側に付くようになってまだ間もないんだから」
 ぎゅうっと摘んでくるか細い指のくせにやけに力が強い。
「いったいって…言ってんの!!」
 スティレンは反射的にサキトの手を強引に振り払い、数歩後退して呼吸を整えた後、全く役に立たないクロスレイを睨みつけた。
「この役立たず!!その図体して止める事も出来ないの!?」
 サキトに向かえない分、矛先が護衛の彼に向いてしまう。
 自分が彼に手を出せば問題になりかねないのを知っているだけに、訴える先は護衛の彼らしかない。
 こんな乱暴な奴だったのかと、にっこりと微笑むサキトの顔を忌々しく横目で見る。
「気に入ったよ、スティレン。その反抗的な目、僕大好きだなぁ…やっぱり似た者同士だと思うの」
 サキトも自分の立場を理解しているからこそ、このような暴挙に出られるのだ。こちらが逆らえないと知っておいて。
 この卑怯者が、と心底思う。
「俺は全くそう思ってませんが!?」
「見た目も華やかで綺麗だし、いいお話相手になれると思うなぁ。ね、僕が居る間ここで寝泊まりしてよ」
 嫌な言葉を聞いた気がした。
 無邪気そうに見せておいて、やけに妖艶な光を放つサキトの目線にスティレンは全身から嫌悪感が込み上げる。
 これだけ拒否しているのにまるで蛇のように絡み付いてくる彼が非常に気持ち悪い。
「冗談じゃ、ないっ!!」
「僕からアストレーゼン側にお願いしたげるからぁ。ね、いいでしょスティレン?まさか大切なお客様のご希望を無碍にするつもりはないよね?」
 にじり寄る小悪魔。
 その可愛い顔がとにかく悪魔に見えてしまった。舌打ちし、スティレンは再度護衛にくっついているクロスレイに訴える。
「…ちょっと、あんたの主人どうにか止めてよ!あんた何の為に居る訳!?」
「そ、そそそんな事言われましても…!」
 ここまできてもやはりクロスレイは役に立たない様子。
「だからさ!さっき何かあればフォローしてくれってリシェからも言われたじゃないか!諫めるとかどうにかしたらどう!?俺はただ簡単な話し相手の役目をしろって言われただけなんだけど!?」
 ここまで変貌するとは思いもしなかった。
 それとなく裏の顔がありそうだと心の片隅で思ってはいたが、自分の予想を遥かに超えている。
「クロスレイ」
 サキトの可憐な唇が動く。それに伴って、大男はぴしっと姿勢を正し「はい!」と反応した。
「アストレーゼン側に伝えて来て。僕はこの子を非常に気に入ったから、しばらくこっちに置いて貰えないかって」
「俺に拒否権は無いんですか!?」
 じっとりと絡みついてくる目線と、細くしなやかな両腕から逃れようとスティレンは喚いた。
 勝手に話を進めないで欲しい。
 サキトはにっこりと微笑みながら争う彼に向けて非情な言葉を投げつける。
「無いね。君はアストレーゼンの為に今日から僕に尽くして貰わなきゃ。一目見た時の直感って大切なんだね、これ程可愛くて強情な子なんて居ないよ」
 暴言を吐きたくなるのをぐぐっと堪え、スティレンは悔しそうに奥歯を噛みながら迫るサキトの頭を押さえた。
 側から見れば美少年同士の絡みに見えるが、中身は非常にギスギスしている。そんな様子につい見惚れてしまいそうだった外野のクロスレイは、サキトに急かされるまでぼうっとしてしまった。
「ほら、クロスレイ」
「は!」
「早くお願いしに行って来て。とっても気に入ったからって念押ししておいてね」
「分かりました、直ちに!」
 やはり主人の言う事は絶対なのだろう。
 明らかに犬と言えるべきクロスレイの行動を見て、スティレンは舌打ちし「駄犬が!」と小さく毒付く。
 結局彼はデカいだけで、スティレンにとっては本当に役に立たなかった。あまりの使えなさに失望してしまう。
「んっふ…あの子はまだ新しく来たばかりだから、僕の言う事には絶対従うよ。他からのお願いよりも僕の意見が絶大なんだからね」
 そう言い、サキトはスティレンをぐいぐいと押し込み整えられたベッドに押しやる。
「思い上がってんじゃないよ!」
 相手が王子様だというのを忘れ、思わず激しく抗議した。そんな中でもサキトはひたすら迫る。
 ちょっと!と喚くスティレンを、彼は強い力で突き飛ばし後方のベッドに突き飛ばすと、そのまま倒れた相手にのし掛かった。
「僕を相手にそこまで反抗的な子ってなかなか居ないんだよ、スティレン。ある意味珍獣だと思うの」
「珍獣…!?」
 失礼な、と自分の上に乗ってくるサキトを睨む。普段無礼な発言を隠さずに発するスティレンだったが、自分が言われるとどうしても我慢出来ないらしい。
 ぺろりと舌舐めずりをし、挑発的な表情でサキトは続ける。
「ここに居る間、僕とたーっくさん遊ぼうね、スティレン?」
 優位に立ったつもりか、と苛立つスティレン。
 こんな任務受けなきゃ良かったと後悔しても時既に遅し。
 まだ幼い王子は、意味深に妖艶な笑みを浮かべながら哀れな剣士を見下ろしていた。

 余った形になったリシェは、来賓室エリアから抜け出しながらこの先どうしようかと考えていた。普通に警備の任務に当たってもいいのか、それともロシュの元に向かおうか…と悩む。
 大聖堂に居る間はロシュの身の安全は確実だ。
 それならば普通に大聖堂の警備か、警備が間に合っているならば別の任務か。とりあえず士長であるゼルエに事情を伝えに行かなければと考えを纏めると、そのまま彼の元へ説明しようと足を進めていく。
 メイン回廊を通り抜け、見慣れた正門前までやって来た。
 シャンクレイスの王子一行の歓迎イベントが終わり、いつも通りの風景が広がっている。
 外部からの風がふわりと通り抜け、リシェの髪を優しく撫でると同時に敷地内に侵入してきた数羽の鳥が目の前を羽ばたいていった。
「おう、お付きの」
「?」
 背後から声を掛けられ、リシェは振り返る。
 そこにはシャンクレイスの護衛剣士が居た。黒い短髪で若干派手な印象を与えてくる青年。
 リシェは「あ」と体を向け頭を下げる。
「長旅お疲れ様です」
「いいよ、そんな畏まらなくて。面倒臭せぇ」
 堅苦しさを嫌うタイプのようだ。彼はリシェに近付くと、じろじろと剣士にしては小さい姿を見下ろしてきた。
 リシェは品定めをされている気持ちになり、少しムッとするのを押さえたまま何か御用ですか?と問う。
「あんたもあの王子の護衛か何かじゃなかったっけ?」
「そうでしたけど、充足だろうという事で一人に絞られたんです。俺はロシュ様の護衛もあるだろうって」
「はぁ、なるほどね。んじゃ不幸な奴は一人だけって訳だ。あんた、運が良かったな」
 相手の言葉にリシェはきょとんとした顔を向ける。
「どういう意味ですか?」
「あの甘ちゃん王子様は外面はとにかくいいんだよ。見えない所だとなかなかエグいし、糞生意気だからな」
「はぁ…」
「あんたら俺らと同郷なんだろ?」
「はい。俺とスティレンはシャンクレイス出身です」
「余計逆らいにくい立場だよなぁ、運悪く捕まった奴は御愁傷様って感じだわ。あんたの片割れがどういう性質か知らねぇけど、俺らがここに居る間病まないか心配だけど」
 そんなにキツいのだろうか。
 スティレンも相当キツい性格なので、病むまではいかないと思うが妙に気持ちが騒ついてしまった。
 あの愛くるしい天使の顔ではしゃぐサキトがキツい性格とは到底思えないのだが。
「どういう意味合いなんでしょうか」
 ここまできて理解出来ずにいるリシェに、剣士は面倒そうな表情で「まだ分かんねえか」と返す。
「気になるんなら相方に後で話を聞けばいいじゃねえか」
「………」
「あんたに手出ししたら司聖様がどう出るか分からないからな。元々あんたは安全牌だって事だ。ええっと、何て名前だっけ?」
「リシェ=エルシュ=ウィンダートです」
「はっはぁ、リシェね。女みたいな名前だな」
 やけに一言が多く感じ、リシェはムッとした。
「こちらも名乗ったのですからそちらも名乗るのが筋なんじゃないですか?」
「子供かと思ったら相当大人びてんな。確かに一理あるけどよ…アーダルヴェルト=クライス=エシャルティン。てか、俺が名乗ったとしても護衛剣士の一人なんだからいちいち気にするまでもねえだろ」
 あんたはお偉いさん付けの剣士様なんだからよ、と彼は皮肉混じりに言う。
「いえ、知っておいた方が声を掛けやすいじゃないですか」
 年齢に似合わず大人びた口調のせいか、アーダルヴェルトは変に違和感を覚えてしまう。
「てか、あんた何歳な訳?」
「え?俺ですか…十六ですが、何か」
「っは…あんたのとこの司聖様も思い切った事をしたもんだな。うちの王子様と同じ位じゃねぇか」
「そうなんですか?年齢までは把握していません」
 まだ若過ぎる為に下に見られてしまうのは仕方無いと割り切っているが、あからさまにそう言われるのもなかなか無い事だ。
 リシェは話す事はこれ以上無いなと言わんばかりに「じゃあ俺はこれで」と頭を下げて退散しようとした。とりあえず兵舎方面に向かおうと目的地も定まった所だ。無駄話をしている時間も勿体無い。
「ああ、そうだ。なぁ、大聖堂の外に何か面白いもんとか無いの?」
「…俺に聞くんですか?」
 聞く相手を間違っているのでは無いだろうか。どうせならヴェスカを捕まえて聞いてみれば良かっただろうに。とリシェは思った。
 そんな余裕も暇も無かったのかもしれないが、観光目的のようなものなのだからあらかじめ調べておけば良かったのに。
「あいにく。俺はそこまで城下の事を把握してないので…ヴェスカなら多分分かるとは思いますけど」
「ヴェスカ…あの赤い髪のデカい奴か。聞ける?」
「聞けない事は無いですが、現在副士長の立場になっているので次の任務に入っているかもしれません。俺も兵舎に戻るつもりだったし」
 アーダルヴェルトはそうか、と少し残念そうにぼやいた。
「ま、いいか。ここの正門はいつ閉まるんだ?」
「大聖堂の時計塔の針が八の刻になった時に閉門します。ですが見張りの宮廷剣士が常に居ますので、多少遅くなってもご来賓なら少しは融通してくれると思います」
 リシェの言葉に、アーダルヴェルトは時計塔を探そうと周囲を見回す。
 しかし、大聖堂の内部に居るので目に付く事は無い。
 塔は司聖の塔の真横にある為に建物の中からは見えないのだ。そもそもこの時計塔は大聖堂内の人間が外出した際に門限を厳守するように建てられた物で、内部からは確実に見えない。
 住民にとっても時間を把握出来るように作られている。
「大聖堂の外に出れば見えますよ」
「ああ、なるほどね…一人で外出ても目印になりそうだな。ちょっと出てみるか」
「それがいいと思います。城下街に出てみると何かしら刺激になるものがあると思いますし」
 非常に達観したような言い方に、アーダルヴェルトは不思議そうな様子で首を傾げた。
「何か可愛くねぇ言い方だな。顔は可愛いくせによ」
「そうですか」
「もっと顔に似たような発言でも心掛けたらどうよ?」
 そんな事を言われても困る。
 リシェはムッとした様子で彼を見上げると、低い声で「そんな趣味はありませんし」と返した。
 顔の造作など気にした事も無い。得をした事もあれば、損を被る事だってあるのに。
「年を取ったら顔なんて皆同じですよ」
「変な奴だな。ま、いっか。ありがとな」
 飄々としながらアーダルヴェルトはリシェに軽く礼を告げると、一人大聖堂の正門方面へと去っていく。彼の姿は行き交う人々の中に紛れ、消えてしまった。
 リシェも慣れない相手の会話に少し疲れたのか、深く一息吐くと自分も兵舎方面へ足を向け歩き始めた。

 隣国の来賓客を歓迎し迎え入れた後、宮廷剣士達は大聖堂や城下街の指定された場所へと赴き、警備体制を整える手筈になっていた。
 一般の剣士らがそれぞれの場所へと散った後、残った役職持ちの士長クラスの面々も同様に、大聖堂を中心に割り当てられたポイントで監視の任務に当たる予定だ。
 …それなのにこいつときたら、とオーギュは眉間に皺を寄せ、目の前に居る新しい副士長を見る。
 真新しい制服に身を包み、多少は貫禄が付いたような雰囲気だが、未だに気持ちの変化に付いていけないのか。
「さっさと任務に着いたらどうですか」
 意識しなくとも、非常に冷めた声が出てしまう。
「皆さんそれぞれお役目を果たそうとすぐに任務に着いているじゃないですか」
「分かってるよ!」
 まるで駄々っ子のように頰を膨らませ、ヴェスカはオーギュの両肩をぐっと掴んでいる。ここが人気の無い場所で良かったと思いながら、オーギュは掴んできた大きな手を横目で見ていた。
 皆が散っていく中、自分も司聖の塔へ戻ろうと足を向けた瞬間彼によって腕を引っ張られ、強引に人目を避けた場所へ連れられてしまったのだ。
『(こいつは自分の立場を自覚しているのか?)』
 オーギュの中でファブロスは呆れ果てている。
『(出方によっては私が外に出てやるぞ)』
 ファブロスはファブロスでヴェスカに対して攻撃的になりがちだ。余計面倒になる、とオーギュは彼に対し結構ですと断った。
「全然会ってなかったし…そりゃ、あんたが忙しいっていうのは承知の上だけどさぁ」
「お互い様でしょう。これからあなたも忙しくなってきそうですからね」
 つれない返しをするオーギュに、ヴェスカは相変わらずだなと不満を漏らした。
「寂しいとか何とか無い訳ぇ?少しは俺の事を気にしてくれたって」
 彼はそう言いながらオーギュの背を撫で、男性にしては細過ぎる腰に手を回す。何だこいつ、とオーギュは彼を見上げると心底嫌そうに顔を顰めた。
 彼にされた事をまだ引き摺っているせいか、反射的に身を引こうとしてしまう。
「細っそ…ちゃんと飯食ってんの?」
「何してるんですか、触るな!」
 腕の中にすっぽりと収納され、馬鹿にされた気分に陥るオーギュは若干ムキになってヴェスカに怒鳴った。本当にこの場が人通りの少ない通路で良かったと思う。
「いや、ほら。ずっと触れなかったから触ってるだけで…」
「誰が触っていいと言いました!?」
「大丈夫だって。あんたが嫌がる事はしないようにするからさ。しばらく困らないように補給しとかないと」
「補給って…!」
 そう言いながらヴェスカはオーギュの体を抱き締め首元に顔を埋めていく。鈍感なタイプではないオーギュは、彼の動きに合わせるかのようにわざわざ身をビクつかせてしまった。
 大の男が寂しいとか、と鼻で笑いたくもなるが彼は本当にそう思っているようだ。
「っは…いい。やっぱあんたはいい」
「気が済んだでしょうっ…早く」
 巨体がのし掛かってくるので動きにくい上に暑苦しい。ぎゅむぎゅむと密着してくる頭を押し出し抵抗する。
『(こいつは調子に乗り過ぎでは無いか!オーギュ、私を出せ!引き離してやるぞ!)』
 オーギュの体内で余計面倒なタイプが喚き散らしていた。
 どうにかして離れたいが、相手の力が強過ぎる。ひたすら大きな背中を叩いているが一向に避けようとしなかった。
「なあ」
「?」
「あんた、俺を副士長に推したんだろ」
 抱き締められながら、オーギュはヴェスカの言葉に耳を傾ける。
 眼鏡の奥の目を細め、とぼけた返事だけ告げた。
「さあ…どうでしょうかね」
「あんたに対して酷い事をした相手を推しちゃうとか。お人好しもいいとこだって」
 オーギュのさらりとした髪に指を絡め、ヴェスカは苦笑する。一方でオーギュもその酷い事に該当する行為を思い出し、全身が熱くなってしまった。
 とにかく思い出したくない。
 恐らく相手は人助け程度にしか思ってはいないだろうが、オーギュにとっては汚点だった。
 払拭しようとしても顔を見れば記憶が付いて回ってしまう。
「そう思いたいならそう思えばいいでしょう。…時間が押しています。そろそろ離して下さい」
「一般の宮廷剣士じゃなくなったら会う時間も余計減ってしまいそうだ」
 ようやくヴェスカはオーギュから身を離す。
 名残惜しそうな顔が印象的だ。
「…ロシュ様の護衛をお願いする際は慣れた人物にお願いするようにしていますから、気にする事はありませんよ」
「あんたの護衛もしたいんだけど」
「私は必要ありませんよ…単独で何処かに行く事はありませんか…」
 不意に、自分の手の一部分が疼く感覚がした。
 ヴェスカはオーギュの手の甲に刻まれた紋様の異変に気付くと、ありゃぁ…と困った顔を見せる。
「随分我慢が効かなくなってきたんじゃねえの?」
「………」
 付き合いが長くなるにつれ、忍耐力が減ってきたのかもしれない。紋様が赤く光を放ち、魔力の粒子が外に漏れる。
 普段鈍い光を放つが、今回は妙に鮮明に輝いて見えた。ファブロスのその時の感情を示しているのだろうか。
「ああ、もう…」
 出るに任せるしかない。オーギュは仕方無いと言わんばかりに「出てきなさい」と命じた。
 それに伴い粒子が人の姿を象り、やがてはっきりと具現化されていく。
 主人の命を受け、ようやく外部に出現した浮世離れした容姿の青年は非常に不愉快そうな様子でヴェスカに突っかかっていった。
『お前!』
 その外見とは裏腹に冷静では居られない様相。
「久し振りだなぁ、ファブロス。前より随分と短気になってきたんじゃねえの?」
『誰のせいだと思っている!!』
 ファブロスは自分の主人をヴェスカから更に引き離し、ギリギリと歯軋りをしながら威嚇した。
『隙があればちょっかいを出しおって』
「ちょっかいって言うか…アピールしてんだけど」
『…せんでいい!!』
「それは俺の自由ですうー!あんたの言いたい事は理解してるけどよ、俺だって好きな相手には貪欲なの。分かる?」
『お前は私が中で聞いているのを理解しているのか?』
 大の男二人が不毛な言い合いを繰り返す。
 延々と言い合うのを少しの間静観していたが、次第に同じような発言をお互いに主張している様子に飽きてきたのか二人の間を割って入った。
「もういい加減にやめなさい」
 これで自分が止めに入らないと、彼らはずっと言い合っているに違いない。
「ずっと一緒に居る癖に俺が迫るとムキになって出てくるじゃんか。取られるとでも思ったか?」
『主人の身を案じて何が悪いのか』
「別に何もする気は無いっての!こんな公衆の面前で何が出来るっていうんだよ?心配性だなー」
『何もって…お前、オーギュに迫ってたじゃないか!』
 引き離してもまだ言い合いを始める始末。
 自分を挟み、尚も繰り返してくる状態にそろそろ痺れを切らしたらしい。
 一体何度注意をすれば理解するのだろうか。目尻がひくひくと痙攣しているのが自分でも分かる。これだけ言っているのにと腹立たしくなってくる。
 それと同時に唇が勝手に動いていた。
「……やめろと言っているでしょうがああ!!」
 その怒声は魔力は込められていないにも関わらず、周囲の空気をビリビリと揺るがす。
 同時に、人気の無い回廊に迷い込んでいたらしい小鳥はその声に驚きの余り壁に激突し落下する。
 バチン!と激しい音が少し離れた場所から聞こえた。
 その一方、いきなり大声を出された二人は耳を押さえてフラつく。普段冷静な彼が大声を放つなど考えてもいなかったのだ。
「うるっさ…お、オーギュ様、声…」
『私は人間より聴覚が鋭いんだぞ…』
 オーギュは呼吸を乱しながら、バランスを崩し落下してしまった小鳥の方へ足を向けながら「言っても分からないからでしょうが…」と呟いた。
 そして床に転がっている小鳥を拾い上げると、そっと優しく撫でてやった。
「ああ…驚かせてしまった」
 手の上で震える鳥を申し訳無さそうに撫でながら、彼は二人の方へ再び顔を向ける。
「ファブロス」
『………?』
「ぶつかってしまった事で骨が折れてしまったのかもしれません。治療をお願いします」
 軽度だが回復魔法を施せるファブロスは、すぐオーギュの元へ進むと小鳥をそっと受け取った。
「あれ、回復の魔法出来るんだっけ?」
 その後にヴェスカも続き、小さな小鳥に注目する。グレーを基調とした色合いだが、尾の方は黄色や青色などの差し色が入り混じっていた。
 アストレーゼン界隈で良く見かける種類で、特別珍しいものではない。
「簡単な回復魔法なら可能ですよ」
「へぇ…あんたに何かあればすぐ対処出来るって訳だ」
 便利なもんだな、と言いながら内心嫉妬しそうになる。どれだけ主人のオーギュに都合のいい仕様になっているのかと。
 その分、オーギュもファブロスに依存してしまうのだろう。
 自分の入り込む余地が無くなりそうではないか。
『この位ならすぐ治せる』
 ファブロスはそう言い、手に乗せた小鳥に空いた手を翳した。淡い光が出現し、魔法で出来た粒子が優しく小鳥を包み込む。
 粒子を全身に浴びるにつれ、小鳥は痛みが和らいでいったのか震えが収まっていった。
「おぉ…凄げぇ、やるじゃん」
 徐々に持ち直していく様子を目の当たりにしていくにつれ、見守っていたオーギュも安堵の顔を見せていった。
『これでほぼ完治だろう』
 よろめいていたのが嘘のように、手の中で衰弱していた小鳥はファブロスの手の中から羽根を動かした後、何も無かったかのように去っていく。
「おい、ここで飛んじゃうのか?」
 またぶつかりはしないだろうな、と不安に駆られるヴェスカ。
 だがオーギュは去って行った先に、外部に出られる小窓の存在を把握していた。きっと難なく出られるだろう。また同じようにぶつかったら、ファブロスにお願いするだけだ。
「大丈夫でしょう、多分」
 大丈夫かな、とヴェスカはその鳥を目で追うが、しっかりと外の方へ向かったらしくホッとする。
「はぁ…何かもう言い合う気力も無くなっちゃった」
「それは良かった。これで無駄な時間を使わなくていいじゃないですか」
 誰のおかげでそうなってるんだよ、と恨み言を言いたくなるが、別にオーギュは悪い事などしていない。ファブロスも然り。
 自分が勝手にやきもちを妬いてしまっただけなのだ。
「欲を言えば、もうちょっと二人きりが良かった」
『そいつは悪い事をした。私も二人っきりで居られるのは耐えられないものでな』
「良く言うよ…」
 一番側に居るのに足りないってか、と嫌味を含め笑った。
『何処からか湧いてきた馬の骨よりかは、お前の方が逆に安心出来るがな』
「なんだよそりゃ…あぁもういいや。久し振りにこうしてオーギュ様の顔も見れたしな。そろそろ俺も任務に戻らねぇと」
 言い合う気分も削がれてしまったらしい。これ以上同じ事を繰り返してもオーギュ達の心象を悪くしてしまいかねない。
「お仕事に戻るのですか?」
「そりゃそうよ。一応見習いの副士長だからな」
 いつまでも遊んでも居られねえし、と歯を見せ笑った。
『ふん…そのうち嫌でも慣れてくるだろう。いつものようにやっていけばいい』
「ま、いつも通りに気を抜く所は抜くつもりだよ。でないとやっていけねぇからな」
 重要な役割を与えられて気負い過ぎた余り失敗してしまう仲間を見てきたせいか、無駄に気張るのは良くないと実感している。自分の命に関わる事なら尚更。
 真面目に取り組み過ぎると却って痛い目に合ってしまう。
 身を犠牲にしてまでも任務を全うする考え方は、結局無駄死にに至る可能性もあり美談にもならないのだ。
 ヴェスカは正門方面へ爪先を向け、二人に対し「またそのうちにな」とだけ言うと警備の任務へと戻っていった。
 ヴェスカが立ち去った後、オーギュもまたファブロスに塔へ戻りましょうか、と靴音をコツリと鳴らし声を掛ける。
 主人の命に従い、ファブロスも分かったと返すと同じように塔方面へ向けて進みだした。

 完全に部屋に捕らえられてしまった感じが拭えないスティレンは、与えられた椅子に腰掛けながら苛々とサキトをチラ見していた。
 いい玩具がやって来たとばかりに機嫌の良い王子様は、にこにこと笑みを浮かべながらこれからの予定が書かれている資料に目を通している。
「アストレーゼンに居る間、僕と一緒に居て貰うからね、スティレン。君のように綺麗な子と一緒に過ごせるなんて凄く嬉しいよ」
「………」
 爛々として話しかけてくる彼に対し、スティレンは心の中で全然嬉しくない、と返事をする。
 話を聞いた時は何かしら恩恵に与かれると思ってたが、ここまで酷い性質だとは思いもよらなかった。しかも頼れるはずの護衛剣士はとにかく役に立たない。
 その辺の棒切れの方が役に立つのではないかと思える程だ。
 今現在、自分が一番苛立っている相手はこの役立たずの護衛剣士。
 …あまりにも使えなさすぎて。
 有言実行しろとまでは言わないが、ほんの少し位手助けはして欲しかった。
「返事はぁ?スティレン?」
「…分かってますよ」
 拗ねながら返事だけをする。
「話し相手やお世話をする役割の人間があれ程居るのに、こっちからもお供を提供しなきゃならないのも変な話だと思いますけど」
「僕が指定した子達は僕よりも遥かに年上だし、君達サイドからの申し出もあったからじゃあ遠慮無くお願いしたまでさ。あの士長様からも話は聞いてると思うけど?」
「へぇ…じゃあシャンクレイス側の護衛の人らは俺らのような年齢の人間は居ないって事ですか?年齢制限もあるって訳?そりゃ話し相手にもなりゃしませんよね」
 腰掛けていた椅子を回転させながら、サキトは「そうだねぇ」と明るい口調で返事をする。椅子で遊んでいても資料を手にしたままだ。
 彼のいつものスタイルなのだろう。現に部屋の角で待機しているクロスレイは、彼の怠惰な姿勢に物申さず突っ立っている状態をキープしている。
「うちの国は十八歳以上じゃないと受け入れないっていう昔からの決まりがあるのさ。身体的にも精神的にも仕上がっていて、親元から離れても何ら問題無い子を望んでるからね。そこから這い上がる位の能力を付けないと、僕の護衛には付けられない。護衛見習いとして入っても、数年は経験を積んで貰わないと。むしろアストレーゼンの方が条件に関しては物凄ーく寛容だと思うよ?リシェみたいな子は勿論歓迎するけどぉ」
「あいつの事を良く知ってる風に言いますね」
そこまで深く知り合ってもいないのに、と。
「そんなに知ってはいないさ。旅先で二回程顔を合わせた程度だからね。そうだねぇ…雰囲気かな。まるで世捨て人のように達観したような目をしてるからさ。あまり感情を出さないでしょ?ロシュ様のお陰で生きてるような子みたいだし。あの人が居ないともう死んでたかもしれないね」
「………」
「君、あの子の従兄弟なんでしょ?良く分かってると思うけど?」
 口調は何処かふざけている印象を受けるが、サキトの言葉は角を突くようにも感じる。スティレンは目を細め、押し殺すように「さぁ?」とだけ返した。
「俺もそんなに仲良く無いですし」
 初めて知り合った相手に自分達の事を教える趣味は無い。
 サキトがその気になれば、自国の人間の素性など容易に調べ上げる事だって出来るだろう。
だが、それこそ余計な詮索だ。彼はそれ程こちらに興味があるとは思えない。
「ふぅん…そっか。一緒にこの国に居るからそれなりに仲が良いと思ってたんだけどねぇ。まぁいいよ。君は僕の要望に従ってくれればそれでいいんだから」
 横柄な言い草を聞きながらスティレンはクソガキ、と毒付いた。聞いた所では同じ位の年齢だが、非常に甘やかされて育ってきただけあり相手の方が幼く見える。
 スティレンもどちらかといえば甘やかされてきた方だったが、彼程では無いと思っていた。
 むしろ一緒にされても困る。要は、自分以上に恵まれてきた人間が嫌なのだ。
 自分を棚に上げ、彼は甘ったれてんじゃないよと心の中で文句を言い続けていた。
「じゃあ、俺は何をすればいいんですか?」
 サキトが居なくなるまでの我慢だ。スティレンはやや捨て鉢に問う。とりあえず今は、無理にでも自分を押し殺して相手の言う事に従うのが仕事だと割り切るしかない。
 観念したような姿勢を見ながら、サキトは嬉しそうな様子で微笑んだ。
「そうだねぇ…とりあえず足が疲れてきちゃったから、僕の靴を脱がせて欲しいかな」
「は?」
 その位自分でやれと言わんばかりにスティレンは眉を寄せた。しかしサキトが身に着けている長靴は脱着に手間取るタイプのロングブーツで、レースや装飾品満載のゴシック風。
 どこから手を出せばいいのか全くもって不明なレベル。
「ご自分では脱ぎ着出来ないんですか?」
「え、いつも僕はやって貰ってるけど?」
「………」
「それに、君なら脱がせ方が分かるんじゃないかなぁ?」
 椅子に腰掛け、両足をぷらぷらさせて言う。
「サキト様、それなら私が…」
 それまで無言だったクロスレイが申し出てきた。
 やっとフォローを入れてきたか、とスティレンは巨体剣士に目を向けるが、すかさずサキトは「いいや」と彼を退かせた。
「僕は君にやって欲しいのさ、スティレン。君のような可愛い子に脱がせて貰える機会なんて滅多に無いしね。それに」
「………」
 まるで当初のスティレンの目的を完全に見通すかのように、サキトは妖艶な目付きで微笑む。
「ここで僕が君を更に気に入ったら、シャンクレイスに戻って来た暁には重役に持ち上げて貰えるかもよぉ?」
「………!!」
 そう言い、彼はブーツの爪先をスティレンに向けた。
 何と失礼な奴なのだろうとスティレンは言いそうになるのをぐっと堪える。部屋の奥では役立たずのクロスレイは不安げにオロオロしていた。
 これだけ無礼な主人なのだから、部屋の護衛が彼でなくても止められないのかもしれない。
「は…他国に来ている癖に随分と横柄ですね。大したもんだ」
 怒鳴りつけたいのをぐっと押さえ、押し潰すようにスティレンは言った。
「君は僕の国の出身でしょ?僕はその国の王子。君は一般民の子だ。…ううん、ちょっと違うのかな?君も貴族階級の出だったっけ」
「…そんな事はどうだっていいんですよ。俺にだって意地はあります。話し相手になれと仰せつかっているのに使用人の扱いには同意出来ません。…というか、ご自分の事はご自分でなさったらどうですか?大体、脱げない靴を無理に履くのもどうかと思いますけど」
 キツい口調だが、分かりやすいようにはっきりと述べる。だが最終的には吐き捨てる形で言い捨ててしまった。
 スティレンがはっきり拒否すると、二人はお互い無言になる。室内はピリピリした空気が流れ、それを見ていたクロスレイは入り込めない雰囲気に押し潰されそうになっていた。
 新入りだからという理由だけで、何故ここまでピリついた部屋でひたすら待機しなければならないのかと目を閉じる。
 今までの先輩方もこのような状況を目の当たりにしたのだろうか。どちらかといえば自分は平和主義なのに、このような殺伐とした空気には当てられたくない。
 このような状況下に晒される場合、年上の自分が先導して止めに入るべきなのだろうが、自分が割り込んでもいいのだろうかとひたすら葛藤していた。
 しかし、その静寂もじきに破られる。
 ぷっ…とどちらかが吹き出す声が聞こえたのだ。
「んっふ…あっはははははは!」
 サキトは椅子に腰掛けたまま、珍しく大笑いする。背もたれが少ししなる程ケラケラと声を上げていた。
「?」
 クロスレイは元より、向かい合っていたスティレンも意味が分からず眉を寄せて彼を見下ろす。
「この僕にそこまで言うなんてね…んっふ…もっと気に入ったよ、スティレン。君、相当気が強いんだねぇ?今まで顔を合わせてきた相手はみーんな僕を怖がってたのに」
 怒るのかと思いきや、何故か爆笑されてしまい更に掴みどころが分からなくなった。
「ふふ、君最高だよ。今までどれだけ甘やかされてきたんだろうね?相当プライドも高いみたいだし」
「…そんなにおかしい事ですか?」
 笑いの焦点がさっぱり分からないスティレンは眉を寄せたままサキトに問う。
 上流階級のツボは一般の人間と微妙にズレているのだろうか。
「外見からして気が強そうだと思ってたけど、ここまで酷いとは思わなかったよ。リシェとは正反対なんだねぇ、スティレン。君、今まで我慢って言葉とは無縁の生き方をしてきたでしょ」
 褒められているのか、それとも馬鹿にされているのか。
 どちらにせよ、不愉快そうな顔を見せながらスティレンは「ここでは十分我慢しているつもりですけど」と返す。
「そうだね。こっちじゃ誰も守ってくれないからね…もう、何でシャンクレイスに留まってくれなかったのかなぁ…こんな面白い逸材が居るなんて知らなかったよ。ま、護衛にするにはまだ早いけど」
 こいつは自分をペットか何かと勘違いしているのかとモヤモヤしつつ、多少の警戒心は和らいだのかもしれないと少しばかり安心した。
 反論した事で自分の意見も通しやすくなったかもしれない。
「君にお願いしてもやってくれそうにないからね。…クロスレイ」
「は、はい!」
「靴、脱がせて」
「かしこまりました」
 サキトの命令に、慣れたようにクロスレイは反応し即座に彼の足元に跪く。彼の護衛になるには完全に忠犬のような気持ちで臨まなければならないようだ。
 覚束ないながらも、クロスレイはサキトのブーツの紐をゆっくり解いていく。
「もうちょっと解きやすい靴を選んだ方がいいんじゃないですか?俺ならお洒落で尚且つ履きやすいのを選びますけど」
「君はそうだろうけど、僕には僕の好みってものがあるんだ。それに、こうして脱がせてくれる人も居るし…ね、クロスレイ?」
「はい」
 いくら相手が王子様とはいえ、恥ずかしくないのかと疑問に感じるものの、元々こういう環境なのだろう。彼らを責めるのはお門違いだ。
「こうして脱がせるんだって覚えておいてよね、スティレン」
「は?嫌です」
 結局こっちにもやらせたいのか…とスティレンはその様子を苦々しく眺めながら拒否した。

 ようやく身軽になったロシュは、普段通りの真っ白な司聖用の法衣を身に纏うと存分に両手を大きく広げて凝り固まった身を解していた。
 今日の公務は一旦休止し、先の歓迎会まで自由な時間を過ごす事が出来る。何事も無ければリシェを誘ってあちこち散策したい気持ちだったが、流石に今はそうもいかない。
 彼には彼の仕事がある。
 自分はリシェに対して強い権限を持っていても、彼の行動を邪魔する訳にもいかない。
 オーギュは準備やら何やらで一旦こちらに戻って来たが、すぐに歓迎会に当たっての雑務の打ち合わせに行って来ると言い残し去ってしまった。
 せめて自分もやれる事はしたいと思い、何かやれる事はありませんか?と聞いたものの、黙って待機していろと釘を刺されてしまう。
 国の象徴でもある人間が他の者と混じって動くのはあまり宜しく無いと思っての事なのかもしれない。
 …とは言え、黙っているのも暇過ぎる。
 延々閉じ籠もっているのも健康に良くないな、と感じたロシュは、とりあえず部屋から出て一人で散策する事にした。
 大聖堂の内部でうろつく程度ならば別に問題は無いのだ。
 塔の下へと繋がる螺旋階段を降り、軽くあくびをしながら塔外へ足を伸ばす。同時に新鮮な風が全身を優しく撫で、それまで鬱屈していた気分が吹き飛ばされていった。
 最近ちゃんと散策していなかったからなぁ…と思いながら周囲を見回した。
 塔のすぐ近くの厨房施設からは歓迎会に向けての料理の仕込みで忙しく職員が動いているのが見える。時間があれば良くお菓子などを作ったりしていたが、流石に今自分が入ると邪魔になってしまうだろう。
「さて…」
 ロシュは大聖堂の中心部、中庭方面に向かう為に歩き始める。綺麗な植木が等間隔で並ぶ細長い道をゆっくり進んで行くと、その途中で真っ白な服を着た男が蹲っているのが見えた。
 背中をこちらに向け、丸く屈んでいる。
「?」
 しかもぴくりともしない。
 体調でも悪いのだろうか…と心配になり、「あのう」と声を掛けて近付いてみた。
「もしもし…大丈夫ですか?どこか具合でも…」
「はっ…!!」
 ロシュの呼び掛けに、相手は我に返ったのかがばっと頭を上げる。
「わわわ!!…あぁ、びっくりした…トーヤさんではないですか…何かをお探しで?」
 水色の長い髪を振り、相手がスッと立ち上がる。そして何処で購入したのか分からないレベルの分厚い眼鏡を直しながら、ようやくロシュと真っ直ぐ向き直った。
「やや…これはこれは!お久し振りだなぁ、ロシュ様!お散歩ですか?」
「ええ、ええ。今日は大切なお客様がいらっしゃいましたからね…お仕事は一旦休憩です。トーヤさんは何か探し物をしているのですか?」
 にこやかにロシュは大聖堂の研究員の青年に問い掛ける。
「ちょっと土をね、採集しようかと思ってねぇ」
「土…ですか?」
 トーヤの白衣の手元には小さなガラス製のシャーレが乗せられている。何かの研究に使うのだろうが、ここにある土をどうするつもりなのだろうか。
 疑問符を撒き散らすロシュを前に、トーヤは口元に笑みを称えながら続けた。眼鏡のレンズ部分が異様に分厚いせいで、彼の目元がほとんど見えにくい。その為に口元で表情を読み取る位しか出来ないのだ。
「そう、土だよ。ここの大聖堂の内部は高魔力に溢れてるからね。特にこの辺り…ロシュ様やオーギュ様が良く通る場所なんて特に。気付いていないかもしれないけれど、ここの辺りの植え込みは特に成長が早いんだよ。後は宮廷魔導師様方が常駐している研究室とかね」
「ほう…そうなのですか…」
「そうともさ。ほら、街の外に出ると色んな魔力が漂って、草木や動物にも感化される場合があるだろう?それと一緒で、大聖堂内部にも何かしら魔力の干渉があるんだよ。ただ、こちらは比較的安全性が高い。宜しくない魔力は弾かれる場所だからねぇ…」
 トーヤはそう言うと、白衣の内ポケットから大きな虫眼鏡を引っ張りロシュに向ける。
 レンズ部分が鈍い光を放っていた。
 この大聖堂の研究員は研究熱心な余り変わり者が多いと聞くが、やはり彼も普通の人間と比べると少し変わっているようだ。
「いい土を探しているんですね。それなら、塔の近くで探すのはどうでしょう?この道と、塔付近では魔力の関係で言えば多少の違いもあるかもしれません」
「ほう…!!なるほど、それは思いつかなかった。そこならいい土が見つけられそうだよ!なるほどなるほど」
「でも土を探して何の研究をされるのです?」
「前回魔法を弾く鏡面を作ったんだけど、弾くだけじゃ物足りなくてね。むしろその魔法を吸収して、尚且つ吸収した分を術者が補充出来たら最高なんじゃないかって思ってね!」
楽しげに語るトーヤの発言に、ロシュは「何と…!」と目を輝かせる。
 一種の補給装置ですか、と納得した。もし手元にあれば魔導師にとって最高の道具になりそうだ。
「それは素晴らしい…!!高魔力を使う人には大変有り難いと思いますよ!」
「でしょう、でしょう…なのでね、前回の反射鏡の応用としてね…吸収剤やら何やらを選別しつつ、とりあえず材料の元になるのを集めようかと思って。では言われたように司聖の塔の足元をちょっと探してみようかな」
 大変研究熱心だ。ロシュは満面の笑みを浮かべながらこくこくと頷く。
 トーヤはロシュに「ではお言葉に甘えて」と頭を下げると、早足でさっさと塔方面へと去っていった。
「いやぁ、とても研究熱心なお方だ」
 彼は笑顔のまま、再び中庭へ続く道を進み始めた。
 日差しが天窓から差し込んでいる中庭では、普段とは違いあちこちに宮廷剣士の姿が見受けられる。隣国からの来訪者の為に、いつもとは違い厳重な警戒態勢を敷いている状況だ。
 その物々しさから、事情を知らぬ来客者は眉を寄せて不思議そうな顔をしていたが、特に異変も無いので気にせず自由に動いている。
 中心部に足を進めていくにつれ、ロシュを取り巻いていた雰囲気はたちまち浮ついたものに変化していった。
「…ロシュ様じゃない?あの人」
「本当だ、ロシュ様だ。珍しい、こちらに来るなんて」
「意外に背が高いんだな」
「わぁ…凄く美しい方…」
 小声だが、こちらを見て口々に言い合うのが聞こえてくる。
 人の往来の激しい日中に中庭に出るのも久し振りだったが、出来るだけひっそり動いていようが普通に動いていようが、ロシュは見た目が華やかな為に人の目に着きやすいタイプだった。
 これだけは避けようが無いらしい。
 大聖堂に訪れていた法衣姿の司祭は、彼の姿を目にすると即頭を下げて挨拶をしてくる。その度に、ロシュも深々と頭を下げ言葉を返していた。
「…お?ロシュ様?」
 不意に何処かから声が聞こえてくる。その聞き慣れた低い声に、ロシュはすぐにピンとした。
「こちらで警備していたのですか、ヴェスカ」
 そして遠くからでも目立つ大きな体躯。
 今までの格好とは違い、完全にリニューアルしたような剣士の姿にロシュはにっこりと微笑んで話し掛けるとヴェスカもまた、こちらに対して笑顔を向ける。
 日頃の活躍の成果がその真新しい制服に現されていた。
「この度はご昇進おめでとうございます」
「ありがとうございます…って言っても、俺はほとんど手助けしたようなもんだったから受け入れていいもんかどうかって思うんだけど」
 改めて言われると却って照れ臭くなってしまう、とヴェスカは苦笑した。
「いえいえ、あなたの今までの行動は私もしっかり見てきましたから…こうして更にご立派になられた姿に私も嬉しく思いますよ」
「ロシュ様にそう言って貰えてめちゃくちゃ嬉しいです。でも、俺だけの功績じゃない。皆に助けて貰ってここまでさせて貰ったような物です。これから沢山お礼として返していかないと」
 謙遜の言葉を受け、ロシュはとんでもないと慌てた。
「あなたが様々な面で活躍してくれたからこそ、他の方も安心して任せられたと思いますよ。これからも色んな面でお手伝いをお願いする機会も増えると思います。こちらとしても大変頼もしいです」
「褒められ過ぎるのも何だかくすぐったいな」
「私は本当の事は素直に言いますから」
 恐らくこの会話を耳にすれば、昔馴染みであるオーギュはほくそ笑むに違いない。
「ロシュ様は今は自由行動なんですか?」
「ええ、ええ。何かお手伝いしようと思ったんですけど、オーギュに余計な事はするなと釘を刺されちゃってますからね…一応上に居る人間に手を出されると、逆に他の方々が萎縮してしまうかもしれないと言うので」
 そう言い、両手を軽く上げてお手上げ状態の仕草をした。
 相変わらずのぶっきら棒なオーギュの言い草だが、お互いの為を思っての事なのだろう。
 ヴェスカは「あの人らしいな」と苦笑した。
「さっき久々に会ったけど素っ気ないのなんのって。少しちょっかい出そうもんならファブロスも出て来るしな…」
「ふふ、ファブロスはオーギュの事がとても大好きですからね…何があっても彼にくっついていますし」
 余程良い待遇を受けているのかが分かる位に。
 ヴェスカはやや膨れっ面を見せたまま「俺が先に目を付けたっていうのにな」と愚痴を漏らした。
「あなたもあの人に骨抜き状態ですか。ううん、不思議ですねぇ、常にああいう感じだしぱっと見れば非常にとっつきにくい方なのに」
「そんな事言って。理由はロシュ様もご存知じゃないですか」
 そうでしたっけねぇ…と幼馴染の司祭はわざととぼけて見せた。
 二人で談笑していると、時計塔の鐘の音が大聖堂内に響き渡っていく。稀に音が風に乗り、建物に反響し合って辺りを揺るがす時がある。この日も良く響き、内部の人々の耳を軽く騒つかせていた。
 ヴェスカは両耳を塞ぎ、音が鳴り終わるのを待つ。並の人間よりも聴覚があるせいか、異様に頭に入ってきてしまうらしい。
「大丈夫ですか?」
 目を閉じ、ひたすら耐える彼を見上げながら話し掛ける。
「あぁ、大丈夫…今日は結構響く日なんだな」
「耳が良いのですね」
「仕事柄役に立つ時はありますけどね。ほら、大聖堂の外に出た時に物音に敏感だと何かしら都合が良いんですよ。警戒するに越した事は無いですから」
 リシェも反応が良い方だとは思うが、宮廷剣士という仕事をするには様々な雑音に過剰に反応出来るタイプが向いているのかもしれない。
「んじゃ、俺はまた警備の仕事に戻ります。ロシュ様もゆっくり休暇を楽しんで下さい」
 ヴェスカはそう言い、改めてロシュに頭を下げた。
 ロシュもいつものように笑顔を向けると、「ありがとうございます」と穏やかな口調で言い返す。
「急な予定であなた方を巻き込んでしまってすみません」
 大聖堂の急な行事の為に、彼らのように多忙な宮廷剣士達を動員せざるを得ないのは非常に申し訳無いと思った。美しい顔をやや曇らせて謝罪の言葉を紡ぐ相手に、ヴェスカは「何を言うんですか」といつもの明るい表情で払拭した。
「それが俺らの仕事ですし。こういうのも任務の一部です。大聖堂からのお願いが無ければ、俺達の仕事も無くなってしまいます」
「とても有難いお言葉です」
 気遣いに感謝するロシュに、ヴェスカは笑顔で応えるとそれではと一礼した。彼に与えられた任務を遂行するべく、再び持ち場の方へと戻って行く。
「さて…」
 一息吐くと、強い風がぶわりと全身を撫でた。
 少しばかり強い風に揉まれながら、ロシュは運動不足の解消にもう少し散策しよう…と靴音を鳴らす。
 やっぱりリシェと一緒が良かったなぁ、と残念に思った。

 あぁ、もう耐えられない。
 ある意味で相当サキトに気に入られてしまったスティレンは、お手洗いに行かせて欲しいと頼みようやく室外に出る事を許されていた。
 王子様という位だから、一般の人間よりは高圧的な性格なのかもしれないと覚悟はしていたがここまで酷いとは予想もしていなかった。
 あれからお茶の淹れ方や上着の掛け方などを教えられたが、とにかく嫌ですと突っぱねて拒否していた。それが気に入らなかったのか、彼は不愉快そうに「自分の立場を分かってるの?」と問うてきたのだ。
 生来から無駄に強気なスティレンは更に意地になり「俺は召使いをしに来たんじゃありません」と反発する。するとサキトも同じく意地になるのかにっこりと可愛く微笑み、強情だねぇと裏のありそうな口振りをする始末。
 どうしてもこちらに世話をさせたいのが見え見えだった。
 こういう雑用は絶対にリシェの方が似合っている。
 スティレンは真っ赤な絨毯に敷き詰められた廊下を歩きながら、どうにかして彼と交代して貰わないと、と考えていた。
 大聖堂の特別来賓室のある別棟は厳重な警戒下に置かれており、許可証の無い者は立ち入り厳禁となっている。来賓室の中は元より、廊下の細部に至るまで高級品で揃えられていて、育ちの良いスティレンにとって非常に楽しめる要素に包まれた環境だったが、現状では全くそんな気分にはなれないまま。
 このままばっくれてしまいたいとすら思ってしまう。
 別棟の廊下からは色とりどりに咲き誇っている花畑が見える。特別な敷地内の花畑ともあり、整然と整い配色にも拘っている為か美しいグラデーションになっていた。
 規模はそこまで大きく無いものの、見る者の目を楽しませてくる。廊下の窓も開け放されていて、花畑から漂う匂いが稀に鼻を突いてきた。
 こんな場所もあるんだ…とつい立ち止まり窓越しに眺めてしまう。滅多に来る場所では無いだけに、珍しいものを見つけるとつい体が反応していた。
 敷地内の端っこに人影を見つける。どうやら世話をしている最中のようだ。
 こんな狭い花畑なのに良くやるよ…とぼんやりしていると、気配を察知したのか世話をしていた人物がこちらに顔を向けていた。思わずびくりと身をびくつかせ構えてしまう。
「…あれ?」
 そして相手の顔を確認し、何処かで見た事があったなと記憶の片隅を引っ張り出した。
 数少ない宮廷魔導師の衣装で、雰囲気的にロシュと似ている印象を受けたが、非常に素っ気ない振る舞いをしていたなと。
「君は…あぁ、なるほど」
 相手もスティレンを見て何かを思い出したようだ。肩までの柔らかそうな髪を揺らし、生花用の肥料の袋を地面に置く。
「君が王子様の相手役の子か」
「………」
 話はそちらにも行き届いているようだ。
 スティレンは不愉快そうな様子で「別に好きでそうなった訳じゃないです」と言葉を返す。
「へぇ…じゃあ断れば良かったのに。やりたくないのを無理にする必要は無い」
「そうですね。今壮絶に後悔しています」
 予想外の言葉だったのだろう。その宮廷魔導師は一瞬驚いて不貞腐れるスティレンを見た後、ふっと目尻を緩ませた。
「大方、甘やかされた王子様の我儘に嫌気が差したんだろう?彼の話は大聖堂に居る以上、どうしても耳に届いてしまう」
「…は…何だ、良く知られている事なんだ?前もって知ってたらこんな面倒な事をやらなくても良かったのに…」
 今頃悔いても仕方が無い。
「君は隣から来たんだろう?自分の国の王子様の事を把握して無かったのかい」
 舌打ち混じりに呟くスティレンに、宮廷魔導師の青年は不思議そうな面持ちで問う。
「王家の内情なんて俺には関係無いし、今も全然興味も無いです。むしろ自分の事で手一杯ですよ。俺は自分が一番可愛いと思ってますし」
 あまりにも正直に言いのけるので、非常に変わったタイプだと青年は思った。
「なるほど。ある意味世間知らずだったのか」
「世間知らずって…単に興味が無かっただけですけど」
 相手の言い方にムッとしたスティレンは訂正込みで反論した。すると青年は微笑みながら「そうか」と言葉を慎む。
「それは悪かったね。つい正直に言ってしまう癖があって」
「何の訂正にもなってませんけど。…んで、宮廷魔導師の服でしょそれ。そんなお偉いさんがこの中庭で花のお世話ですか?随分と呑気な仕事ですね」
 アストレーゼン大聖堂の宮廷魔導師は魔法のエキスパートから更に選ばれた、最上級ランクの魔導師と言えるべき立場だ。そんな人間が地味な花壇の世話をするのは、妙に不自然に思えた。
 大聖堂には専属の庭師も居るのに。
「これも仕事のうちだよ。…というか、ここにある花は魔法によって生かされているんだ。…君はこの花が何年生きているのか分かるかい?」
 物腰の柔らかい宮廷魔導師は儚げな笑みを浮かべたまま問い掛ける。
 大輪の花は風に揺れ、二人の視界を楽しませていた。
「さあ…魔法の力って。じゃあ延々と生かされているって事?それもどうかと思うけど」
「君とは話が合いそうだ。個人的には僕もそう思う。この花は三十年位同じ状態で生きているんだよ。魔法の力でね」
「魔法が無いと枯れるって事?」
「そうだね、肥料と水と、日光も必要だ。単に鮮度をキープさせる為に魔力を当てている程度の物だよ。ここは先人達のエゴのような物から始まった庭園なんだ」
 改めて庭園内を見回す。
 それでもこの敷地内は、つい魅入ってしまう程美しかった。
「エゴって」
「この来賓室に訪れる人間への観賞用として生かされているんだよ。その為には魔法の力を存分に受けさせなければいけない。育ち過ぎてもいけないし、枯らしてもいけない」
「じゃあずっと同じ配色で同じ状態のまま保ってるんだ?へぇ…じゃあレプリカでも良くない?」
「面白い事を言うね」
 彼はそう言うと、近くにあった一輪の花を手折った。
「こうして引っこ抜くと」
 ぶちりと手折る音と共に、その花はたちまち劣化し枯れ初め、最終的には真っ茶色に変色してしまった。
 スティレンははっと目を見張る。
「これ…」
「経年劣化の賜物だ。ここにある土は魔力が込められた法力土でね。恩恵が受けられなくなるとこうして通常の花を同じように枯れ果ててしまう」
「………」
「そうならないように、僕はここで魔法の力を与えて庭園の鮮度をキープしているんだよ。本当はこういうのはあまり好きでは無いんだけどね」
「へえ。て言うか、そんなの嫌々やってて楽しいですか?俺ならやりたくないって断りますよ」
「ふふ、それは今の君にも言える言葉じゃないのかい?」
 痛い所を突かれ、スティレンはぐっと詰まった。
「目先の恩恵に惑わされたんじゃないのかな」
「そんなつもり無いし…!!大体あんたは何でこんな地味な事をしてる訳?」
 相手が自分よりも格上なのを忘れ、スティレンは話を逸らす。
 実はそうでした、なんてプライドが邪魔して言えるはずがない。
「これは僕の仕事の一部なんでね。それに、魔導師としてしてはいけない事をしてしまった償いでもあるんだ」
「…は?」
 償いで花を育てている、とは。
 スティレンは「どういう事?」と眉を顰めた。
「聞きたいのかい?お互い良く知らない相手の事を」
 意味ありげに問い掛けてくる。
 スティレンはしばらく無言を貫いていたが、やがて鼻で笑いながら「…いや、いいよ」と返した。
「言いたくないのを無理に聞く程、悪趣味じゃないし」
 その答えに青年は口元をやや上げ、目を細めた。稀に見せるその柔らかな雰囲気は、何故か司聖ロシュに似ている。
「ありがとう」
 素直に礼を告げられてしまい、スティレンは若干照れたように突き放した。
「別に礼なんていらないよ。お互い、そんなに顔を合わせる機会も無いだろうからね」
「うん、確かにそうかもしれないね。でも君が沢山活躍するようになれば、ロシュの護衛役の子みたいになれるかもしれない。そうしたらお互い顔を合わせる機会も増える。期待しているよ」
 期待していると言うものの、本気で言っているようには見えなかった。
 彼があまり抑揚の無い口調のせいなのかもしれない。彼は元々そういうものなのだろう。
「ああ、そうだ」
「?」
「一応君の名前でも聞いておこうかな」
「隣の国から来た一般剣士の名前を聞いてもあまり得にはならないとは思いますけど…まあいいや。ウィスティーレ=ライ=エルシェンダ。本名は長いので、皆はスティレンって言ってます」
 自分のような一般民の事を知ったとしても彼には何の利点も無い。何故知りたいのか不思議に思ったが、知って貰った方がいざという時に手助けしてくれるかもしれない。
 スティレンが自らの名を名乗った後、そっちは?と問う。
 こちらがちゃんと告げたのに言わないのは筋が通らない。
「おや、こっちの名前も知りたいのかい」
「そりゃそうでしょ…教えるつもりが無いなら俺も名乗る必要無いじゃない。一方的なのは好きじゃないんだけど?」
「知ってるもんだと思ったからね」
 勿体ぶった言い方をして…と呆れる。
 宮廷魔導師に関しては良く見るオーギュなら知っている程度で、その他の数人のみのエリートは把握していない。そもそも彼らは自ら表立って姿を見せる事が無いのだ。
「ソレイユだよ。ソレイユ=ラース=ヴェロサボルト」
「ソレイユ様、ね。分かった。俺みたいな普通の剣士じゃ、あまり会う事は無いとは思うけど」
 目上の人間に言うような言葉とは思えない程、スティレンの言い草は失礼極まりない。だが寛容な性格なのかソレイユはふっと軽く微笑む。
 ソレイユにとってはスティレンのように自分の主張をはっきりさせるタイプは珍しく見えるらしい。
 大聖堂に居る人間はそれなりに恵まれた環境で生きてきた者が多く、媚びへつらいながら足元を警戒している性質が目立つ。単に巡り合わせが悪いのかもしれないが、少なくとも自分の周囲では大半までいかないが稀に遭遇する。
 嫌な性質ばかり見てきた為か、自分も穿って見てしまいそうになるのだ。
「君は非常に特殊な性格をしているようだ。そこまで物事をはっきり言うのも珍しい」
 褒められているのだろうか、とスティレンは眉を寄せた。
 そろそろ戻ろうか…と現実に引き戻されたようにソレイユから一瞬目を離す。本当はサキトのこまっしゃくれた顔すら見たくもないが、任務の一部だ。
 だが先々の事を考えるだけでうんざりする。
「嫌なものは嫌なんです。出来るだけストレスなんて溜めたくない。下手すると体にまで影響されちゃうし」
「それならアストレーゼンで頑張る必要も無かったんじゃないかな?…まあ、君なりの事情もあるんだろうけど」
 お互い嫌味を言い合っている気もするが、不思議と嫌な印象が残らない。
 滅多に顔を合わせないと思っているからかもしれない。
 スティレンは相手がどんな立場であれいちいち丁寧に話すのが面倒な上、どうせ顔を合わせるのはこれっきりだと考えていた。
 対するソレイユは、相手があまりにも馬鹿正直な意見をストレートに話す様がむしろ話しやすいようだ。都会に憧れる余り、隣国から来たミーハーな御登りさんでは無いらしい。
「ふん。…俺はその辺の甘ったるい奴らとは一緒にされたくないんだよね。ま、嘘だと思うんなら見てなよ。そのうち力を付けてあんたを守る位になって見せるから」
体つきもまだほっそりして未熟な姿だが、彼は強い口調でソレイユに告げる。
 頼もしげなスティレンに、ソレイユは緩やかに揺れる髪を押さえながら「楽しみにしているよ」とだけ返した。
 するとあちこち探し回っていたのだろう、サキトの護衛剣士クロスレイが血相変えながら近くの廊下を駆け抜けて行くのが見えた。
 恐らくサキトから自分の帰りが遅いので探してこいと命じられていたのだろう。彼は中庭に居る自分をスルーし、そのままドカドカと廊下を過ぎ去っていった。
 周囲を確認しながら真っ直ぐに走り去る辺り、まだ見習いらしさがある。
「………」
 目を細めながらそのまま見送った。
「おや、あの人はシャンクレイスの」
「王子様に俺を探せって言われてるんでしょ。周りを見ない辺りまだ甘いっていうか、抜けてるっていうか。…はぁ、戻らなきゃ。だっるいけど」
「声をかけてあげたら良かったのに。君は冷たいねえ」
 他人事のようなソレイユの発言に、スティレンはややムッとしながら「何でさ」と問う。
「そこまで言う義理も無いし。要は戻ればいいんでしょ」
 クロスレイが想像以上に何の役にも立たないと思っているせいか、スティレンの彼に対する扱いもぞんさいになってしまう。
「じゃ、俺は失礼するよ。王子様の子守りしなきゃいけないし」
「ふふ…まぁ、大変そうだけど頑張って」
 ソレイユはそう言うと、再び道具を片手に作業に入る。スティレンもそのまま来た道を引き返す為に、爛漫に咲き乱れる花の庭園を後にした。

 入りたくない…と思いながら部屋の前で一旦立ち止まって溜息を吐く。特別来賓客ともあり、扉のデザインも豪華で重厚だった。
 刻印付きの扉を見ながら、果たしてそれは必要なものなのだろうかと勘繰りたくなってしまう。だが、このような豪華さはスティレンからして見れば非常に魅力的に見えた。
 こういう時でなければじっくりと見たいものだ。
 意を決してゆっくりとノックする。
 間を開けてから、遠くで「いいよぉ」とサキトの声が聞こえてきた。
「失礼しま…」
 言い終える前に、「遅い」と不機嫌そうに遮る。
「随分と遅いトイレ休憩だったね。あまりにも遅いからクロスレイに探しに向かわせたんだけど?会わなかった?」
 客だからって偉そうに…とスティレンは優雅に椅子に腰掛けくるくる回る相手から目を逸らす。
「ああ、そうですか。あいにく会っていませんでしたね」
 こちらが頼んだ訳でも無いので、勝手に探し回っていればいいと思ってしまう。
「まぁいいや。君がちゃあんと戻って来てくれたら何も言わないよ」
「何か御用があったんですか?」
「特に無いけどさ、お互い知り合ったばかりだし君も僕の話し相手として来てくれた訳じゃない。歓迎会の時間もまだ空いてるし」
 大聖堂側の歓迎会の時間は日が完全に落ちた頃だ。
 それまでは存分に休憩出来るだが、若いサキトにとってはその待ち時間ですら退屈らしい。長旅でも彼はずっと馬車の中で悠々と待機していたのだから、体力は十分残っているようだ。
 スティレンはサキトから少し目を逸らしながら「いいご身分なもんだよ」とぽそりと呟く。
「何か言った?」
「いえ、何も」
 仏頂面のスティレンを特に気に掛ける訳でもなく、ようやく椅子からひょいと立ち上がる。僅かな所作でも、サキトの行動には気品を感じさせられてしまう。
「ずうっとこの部屋に居るのも退屈だからさ」
「………」
「大聖堂の中を見て回りたいな。ね、いいでしょ?」
 こういう場合、誰から許可を得たらいいのだろう。
 自分の一存でサキトを連れ出す訳にもいかない気がする。
「俺は別にいいんですけど、いきなり部屋を留守にしてもいいものなんですか?」
 何も言わずに出れば後程面倒になりそうだ。更に余計な問題を起こしたくもなかった。
 この王子様は自分の立場を十分に理解していると思う。彼が動く事で、周りもそれに伴って対処しなければならない。賢い彼なら、それを知らぬ訳は無いはず。
 それだけ非常に複雑な立場なのだ。
 サキトはふぅん…と一旦考え込んだ後、にっこりと微笑む。
「うん、分かった」
 何がだよと首を傾げたスティレンをスルーし、彼はするりと横切る。そして扉を開け、部屋から出て行ってしまった。
 誰かに許可を得るつもりなのだろうか。
 いずれにせよ結局自分が付き人になる羽目になるのだろう。サキトがどう言おうが、彼の希望は問答無用で却下して欲しい。
 数分間待っていただろうか。足音が近付き、部屋の前で止まったかと思うと再び扉が開かれた。
 にこやかなサキトと、クロスレイとは違う護衛剣士が入ってくる。
「お待たせ、スティレン!」
 非常に良い笑顔。それを見てスティレンは嫌な予感がした。
「イルマリネを連れてきたよぉ」
「はぁ…」
 数人存在する剣士の中でも賢そうで唯一一番理解してくれそうな印象だが、果たして許可してくれるのだろうか。
 サキトがすぐに連れて来たイルマリネという剣士は絶大な信頼を寄せているようだ。窓辺で楽器を奏でそうなイメージが湧きそうな優男だが、専属の護衛となる位ならそれなりの実力もあるのだろう。
 イルマリネはスティレンと目を合わせると、ふっと目元を緩ませながら「こんにちは」と微笑んできた。
「サキト様からお話は聞きました」
「はあ…」
 あのクロスレイよりは話の分かる人間だと感じる。
「大聖堂の中を散歩したいと仰っていたのですけど、こちらも来客という立場なので無闇に彷徨かれてもご迷惑をお掛けするのではないかと思いまして」
「そんな事無いよぉ。ね、スティレン?」
 同意しろと言わんばかりにイルマリネの発言を否定しつつ、サキトはこちらをチラチラと見てくる。
 スティレンはそんなサキトの視線をスルーしながら「でしょうね」と腕を組み突っぱねた。イルマリネもまた、主人の身勝手さに慣れているのか彼の無茶振りに辟易している様子が何となく分かる。
「街に出ないとお約束して下さるのなら、こちらもお願いしたいと思っているのですが…流石にずっと部屋で閉じ込められているのも窮屈でしょうし。それにサキト様は黙って定位置に居られないタイプなので」
「それならそちらの方で連れ出してくれた方がいいんじゃないですか?」
 イルマリネは自分の腕にくっついているサキトに視線を落とす。しかし、サキトは膨れっ面で異論を言い放った。
「僕は君と一緒がいいんだけど!?」
「俺は嫌だって言ってるんですけど!」
 反射的にスティレンも反論した。
 即座にサキトを拒否する少年に、イルマリネも驚き反応が遅れてしまう。
 ここまでばっさりと王族に物を言う人間を見た事が無いからだろう。
「だからさ、僕はこの子と一緒にお散歩したいのさ。だからイルマリネを呼んだのに」
「だから、散歩なら自分の護衛を使えば何の問題も無いでしょ!さっきのデカいのに付き添って貰えばいいじゃない!」
 未だに戻らないクロスレイを引き合いに出し、スティレンは二人に訴える。彼は一体何処まで探しに向かっているのだろうか。
 イルマリネは「おや」と疑問符を呟き、自分に絡みついてくるサキトを見下ろした。
「そういえば彼の姿が見えないみたいですが」
「んー?」
 とぼけた様子のサキト。
「ああ、クロスレイね…えっとね。スティレンがトイレからなかなか戻って来てくれなかったから探して来てって言ったの。いい加減戻って貰ってもいい頃だと思うんだけど」
 むしろ彼を忘れていたのではないのだろうか。
 この様子だと我儘王子にずっとくっつかなければいけない流れになりそうで、スティレンは肩を落とす。
「彼の性格だと見つけるまで戻らないんじゃないですか…無駄に真面目ですし」
「そうかなぁ?そろそろ諦めるでしょ」
「戻ったらあの人に任せればいいじゃないですか。何で俺が案内しなきゃいけないのさ?そもそも俺はリシェじゃないんだから、大聖堂に感してはそこまで詳しくも無いんだけど?」
 舌打ち混じりに嫌がるスティレン。
 とにかく深く干渉したく無いのが口調で分かり、イルマリネはつい苦笑していた。彼は自分の剣士仲間であるアーダルヴェルトと話が合いそうだ。
 タイプは全く違うが、波長が似通っている。
「アストレーゼンに住んでるくせに何で大聖堂の事を知らない訳ぇ?もう、ちょっとは勉強しといてよ」
「はぁ?…俺は一般の宮廷剣士なの!大聖堂に住んでる訳無いじゃない!」
 延々とそれぞれ自分達の言いたい事を主張し合う中、ようやくこちらに近付いてくる足音が聞こえてきた。
クロスレイの足音だ、とイルマリネは察する。
「サキト様」
「ん?」
 戻って来たようですよ、と声を掛ける間も無く、勢い良く部屋の扉が開かれ、息を切らした大男が入ってきた。そして開口一番に「申し訳ありません!」と謝罪の念を吐き出す。
 余程焦って探し回っていたのだろう。広い額には大粒の汗が光って見え、余計暑苦しさを感じさせてきた。
「おかえり、クロスレイ」
「は…さ、サキト様」
 必死になって探し回っていた彼に、サキトはイルマリネにしがみついたままにっこりと微笑んだ。
「君が探し回ってる間にスティレンが戻って来たんだ」
 その言葉に、はぁはぁと呼吸を整えながら自分の視界を確認する。そして自分より小さな少年の姿を見て、あぁああ…と安心したように脱力した。
 スティレンはツンとした様子で腕を組み、意地悪く笑う。ソレイユとの別れ際に声を掛ければここまで探し回っている事も無かっただろうに、我ながら性格が悪いと思った。
 それなのにフォローしてくれなかった仕返しだと言わんばかりに冷たい言葉を投げつける。
「ふん、無駄足だったね」
「何処に行っても…いらっしゃらなかったので…」
 王子様の側に居れば居る程、酷い理不尽を浴びる事になってしまう。自分も長く彼の近くに居るが、慣れるまで時間を要した。
 それが分かるだけに、彼の気まぐれに必死に着いていこうと躍起になっている新入りの剣士には同情したくなってくる。
 イルマリネはご苦労だったね、とクロスレイに苦笑しながら改めてサキトに告げた。
「どうでしょう。クロスレイが落ち着いたら、彼も同行でご散策をお願いするのは」
 新たな提案に、スティレンは口元をぴくりと動かす。今までの話をちゃんと聞いていたか?と疑問を感じた。
「僕とクロスレイとぉ、スティレンでって事?んー…まぁ、それでも構わないけどぉ」
 何か異論がありそうな口調だが、サキトはそれでも仕方無いなと妥協し、「許してくれるならそれでいいよぉ」とにっこりする。
 しかし納得いかないスティレンは、イルマリネを見上げながら不満を漏らした。
「俺の意見はまるっきり無視ですか」
「無視しようにも、サキト様はあなたの事をとてもお気に召している様子なので…」
 理由を述べている彼の横で、サキトは満面の笑顔を見せていた。このイルマリネでも、我儘王子様には強く反論をし難いらしい。
 スティレンは舌打ちしそうになるのをぐっと堪える。本人がここまで我を通すのは、確実に誰からも決して物を言われない環境下に置かれているからなのだろう。
 なんとも羨ましいというか、こちら側にとっては実に腹立たしく思えてくる。むしろ憎たらしいとさえ感じた。
 黄金色のふわふわした髪と、愛くるしい妖精を思わせる容貌をフル活用し我儘を通しているのではないだろうか。
「じゃあ許可してくれるんだね、イルマリネ!有難う!」
 こちらは全く了承してもいないのに、サキトはさっさとイルマリネに対してお礼を告げていた。
「お、俺もご一緒です?」
 そして頼りないクロスレイもイルマリネに確認を取る。
「ええ。お願いするよ。大聖堂の中は安全とは言え、サキト様はやんちゃだからね。何かあったら身を挺してお守りするように」
「は、はい!」
 数居る剣士の中でもイルマリネは一番の纏め役のようで、新参のクロスレイは彼の言葉に背筋を伸ばして返事をする。
 目が覚めるようなクロスレイの返事を受けたイルマリネはふっと微笑んだ後、改めて仏頂面のままのスティレンに目線を向ける。
 イルマリネを初め、サキトを護衛する剣士達が身に纏っているシャンクレイス独特の剣装服は、真近で見ると美しい刺繍が施された豪奢な素材で出来ていて、つい目を見張ってしまいそうになる。汚そうにも汚し難いのでは無いだろうか。
 それぞれの体格に合わせてしっかり設計されている為か全員着こなしが良かった。
「…という訳で」
「何が、という訳でなのですか」
 勝手に話を進められるのがまだ不満のようだ。
「どうかお願い致します」
「さっきから散々嫌だって言ってたんですけど。…どうせ嫌だって俺がこれから何回言っても、あなた方には全然話が通じなさそうですね」
 思いっきり嫌味で返すスティレン。そこでイルマリネは屈み、他者に聞こえぬようにそっと耳打ちした。
「サキト様のお世話のお礼と言っては何ですが、後程あなたのご希望の品を贈るように手配します。金額はお気にする必要はありません。サキト様のお世話は大変だという事はこちらも重々承知しておりますから」
「………」
 現金なスティレンはぴくりと反応する。
 金額を気にする事の無い希望の品、という非常に魅力的なフレーズ。耳打ちしたイルマリネを横目でチラリと見ると、「気にしなくてもいいって?」と聞き返す。
 金に糸目をつけないという事だろうか。
 甘い言葉に見事に反応したスティレンに対し、イルマリネは意味深な笑みを浮かべる。
「それは勿論。むしろこちらからお願いしたい事です。サキト様から直々のお願いもありますし、私達からもぜひあなたのお力添えが欲しい。シャンクレイス出身で尚且つアストレーゼンの事に関しては我々より明るい方に見て頂けるなら、我々も大変助かりますからね。お礼を渋るなんてケチな事は言いませんよ」
 ここだけの話と言わんばかりのイルマリネの誘い。
 麗しく気品のある顔からは想像出来ないようなえげつない誘い文句を言い放つ。
 加えて、相手の意欲を惹きつけるように流し目を向けながら気持ちを揺るがしていく。
「あなたは見た印象としては大変美しい物や流行りに敏感そうだ。流行の最先端を追うタイプだとお見受けします。ですから国内…または国外のブランド物にもご興味がおありでしょう」
「んっぐ…」
 お礼はしっかりする、というイルマリネの言葉にスティレンは分かりやすく揺らいでいた。
それを見ながら気品のある美貌剣士はふっと微笑む。
 彼のように自分の身なりにとにかく気を配り、その分自信のあるタイプは己の美意識に向上心を持っている。
 いかに自分の魅力を引き出そうかと常に神経を尖らせる為に、身に付ける物にもとことんこだわりを持っているのだ。
 お礼の品に金銭に糸目をつけない希望の物をプレゼントするとなれば、声を大にして飛びつくに違いない。
「個人的に、あなたととても良い話が出来そうだと思っています。私もこういう話に関してはとても興味がありますのでね。今流行りのフレグランスとか美容に関しては特に…なのでお互いにアドバイスや情報などの共有を出来たら理想的かと」
 スティレンは端正な顔でにっこりと微笑んでいるイルマリネを横目で見ながら、葛藤に苦しんでいた。これが終われば魅力的な謝礼が貰えるとなれば話が変わってくる。
 今現在自分で得られる給料だと、自分好みの高品質の物を買う事はなかなか厳しい。実家にねだれば普通に買えるが、任務で明け暮れる毎日で使う機会も減っている。
 なので欲しいと思っても、購買意欲を押し留めている状況だ。
「まあ、無理にとは言いません。こちらもお願いする立場なのでお互いご理解の上でご同行して頂くのがいいので…」
 いい話だと思いますけどねえと言いながら。
 これだけいい条件を出し、相手が葛藤している様子を見てからスッと引っ込めるというやり手の方法を取る。
 単純なスティレンは普通に引っ掛かり、根負けしたように叫んだ。
「…分かったよ!分かりました!やりますよ、やりゃあいいんでしょ!!」
 必ず謝礼はくれるんだろうね、と念押ししながら。
 イルマリネはにっこりと微笑むと、「勿論ですよ」と返した。その笑みの裏で、内心勝ち誇った気持ちになる。
 こういう事はお手の物だ。性格が分かり易い相手なら尚更。
 むしろ彼と一緒にやってきたリシェの方が深謀遠慮そうで説得し難い。彼のようなタイプは何か裏があるのではないかとひたすら疑うだろう。
「んふふ、嬉しい」
 嫌々ながらも承諾したスティレンに、サキトは良かったぁと満面の笑みを見せる。
「じゃあ、決まりだねスティレン。嬉しいなぁ、ずっとお部屋に居ると暇で仕方無かったもんね」
「サキト様、くれぐれも浮かれて調度品の類を壊したりなさいませんように。彼の他にクロスレイもご一緒させます」
 はしゃぐ王子に対し、イルマリネはぴしゃりと嗜めた。
「分かってるよぉ」
 軽く注意を受けても軽く軽く剥れる位で、サキトはイルマリネの腕に絡み付いたままだった。その様子から、彼には一目置き甘えているのが分かる。
「はぁ…」
 謝礼に目が眩み了承したが、この我儘王子サキトについていけるのだろうか。これから先の事を考えて今から消耗しているスティレンとは逆に、サキトの表情は非常に明るい。
 そしてその奥で待機状態のクロスレイは捜索であちこち走り回っていた挙句にまた駆り出されてしまう事で更に疲労度が蓄積されていた。
 長旅と先輩方に対して気を使い、休めるかと思えばサキトの見守り役を命じられてヘトヘトな状態だ。
 正直疲れて眠かった。
 しかし先輩からの命令は絶対だ。文句など言える筈もない。
「一時間」
 ぼんやりしながら迫り来る眠気と争っていたクロスレイの耳に、イルマリネの声が響いた。
「制限は一時間です。その時間を超えたら私はサキト様を探しに参ります。扉を開けてから一時間後にまたお部屋に戻って来て下さい。クロスレイも疲れてきていると思いますからね」
「えー」
 時間制限を設けられた事であまり自由に動けないじゃない、とサキトは膨れる。しかしイルマリネは折れる事なく淡々とした様子で答えた。
「ご不満ですか?」
「少ないよぉ」
「それならクロスレイではなく私が付いて参りますか?」
 サキトは彼が大変真面目で規律正しい人間な事を理解しているのか、一緒に居れば更に窮屈になると予測していた。そして要らぬ口を挟まれそうな予感がする。
 折角楽しんでいるのに水を刺されそうだった。
 イルマリネの申し出に即ふるふると首を振る。
「ちゃんと一時間で戻って来るよぉ…」
「ええ。そうして下さい」
 即拒否されてしまった気分になったが、ちゃんと時間を守ってくれればそれで構わない。渋りながらも条件を飲んだサキトの絡み付く腕を優しく引き離し、イルマリネは優雅に微笑んだ。

 自分の出来る事は無いかと兵舎に向かっていたリシェだったが、結局入り込めるポジションは間に合っていると告げられとんぼ返りしていた。
 元々シャンクレイスからの来賓の件を聞いた段階で自分とスティレンを抜いて警備の配置を考えていたらしく、急な際の穴埋めもしっかり先読みしていたようだ。
 だが、まさかリシェが空くとは想像もしていなかったらしい。
 サキト様のご好意で外して貰えたなら、お言葉に甘えてロシュの元で待機しろと戻されてしまった。
 …まあ、それはそれで構わないか。
 リシェは大聖堂へ向かう階段を一段一段上がりながら前向きに考えていた。
 一番なのはロシュの元に居る事なのだ。
 時刻は夕方を少し過ぎた位だろうか。今日はやけに一日が長い気がした。
 階段を上がりきり、一息吐いた後周囲を見回す。時間が時間なので巡礼者や観光客の数は引けている状態だ。人混みに揉まれるのはあまり好きでは無いので落ち着いて歩ける。
 時間がまだあるので図書館にでも寄ってみようか…と思っていると、やけに騒がしい声が耳に入ってきた。
「ね、ここは?スティレン。もう閉じちゃってるの?」
「見りゃ分かるでしょ…閉店時間超えてるし」
 中庭のカフェの閉じられた店舗を指差し、興味深そうに質問している天使のような王子と面倒そうに会話に応じる従兄弟の姿。そしてそれを追い掛けるかのように体格の良い剣士が見えた。
 リシェは離れた場所でその様子を見てやり過ごそうと思った。そのまま図書館方面に爪先を向ける。
 気付かれれば気付かれたで面倒になりそうだ。
「カフェみたいな物でしょ?いいなぁ、開いてたら良かったのにぃ。明日開いてるの?」
「毎日開いてますよ。観光客向けのお店なので」
「えー、じゃあ明日付き合ってよぉ」
「俺は一人で優雅に寛ぐ方が好きなので行きたきゃそっちに頼んで下さい」
 声が大きいので嫌でも耳に入ってくる。しかしやけに一方通行な会話だと思った。
 この状況でスティレンと顔を合わせるのは面倒な事になってしまうかもしれない。気配を出来るだけ隠し、そっとその場を立ち去った。
 大聖堂の図書館付近は常に落ち着いた雰囲気で、騒がしいタイプの人間が近寄らないのかしんと静まりかえっていた。たまに書物を借りに向かう司祭や、生真面目そうな一般客が出て来る程度で何らいつもと変化が無い。
 この付近の廊下も比較的落ち着いた印象だった。
 もう少し時間が経過すれば更にしんとした状態になるだろう。
 年若い人間には珍しいが、リシェはこの静寂がとても好きだった。暖かな日の光も適度に差し込み、人の声も気にならないので読書にはちょうど良い場所なのだ。
 図書館と隣接する廊下には小さなベンチが数台設置されていて、稀にレンタルした書物を真っ先に読みたい人間が腰掛けて読む者も居る。
 意外に心地良い場所なので、借りてすぐ読みたい者や数ページのみ調べ物をしたい者には丁度良いのだ。
 今の時間帯は日暮れが近い為か、読書を嗜んでいる姿は見えない。図書館から漏れ聞こえてくる声がする以外は、しんと静まり返っている状況だ。
 リシェは両開きの扉に手を掛け、図書館の中に入る。
 独特の本の匂いに加え、インクの匂いが鼻腔を通った。大聖堂内に設置された図書館というだけあり、自分の背丈よりも遥かに高く頑丈な本棚が聳え立ち並んでいる。
 慣れたように奥に進んでいくと、「おや!」と聞き慣れた声を耳にした。
「久し振りだねぇリシェ君!最近忙しかったのかな?最近なかなか姿を見ないなぁって思っていた所だったよ」
「カティル先生」
 長い脚立に上がって調べ物をしていたらしい図書館司書は、リシェの姿に驚きすぐに上から降りてきた。
「うん、その様子だととても元気そうだね」
「はい。おかげさまで…カティル先生もお元気そうで良かったです。相変わらずお忙しそうですね」
「ははは、今は書物の在庫確認をしているだけだよ。書類と照らし合わせておかないと大変だからね」
 聡明さを物語るかのような眼鏡の顔を笑顔にしながら、カティルはリシェの頭に手を乗せる。
「気になる本でも見つけたのかい?」
「いえ…最近本を読めてなくて。面白そうなものがあれば発掘したいなって。時間の合間に読める物があればいいんですけど」
 真面目な子だとカティルは感心する。
 この位の年の子だと友人達と一緒に遊んで様々な物から刺激を受けたくて仕方無い年頃だと思うのだが、リシェはそれがほとんど無く、暇さえあればこちらに立ち寄ってくれる。
 若者なら図書館にある難しい書物には、決して見向きもしなさそうなのに。
「ううん、そうだねぇ。最近だと魔導具とかの図鑑とかが人気だけど、残念ながらこの所ずっと貸出中なんだよ。君も楽しめると思うから、ぜひお勧めなんだよねぇ。後は今注文しているんだけど野草の本とか。新書で頼んでいるから、来たら君に真っ先に連絡しよう」
 有難い申し出だ。
 リシェは顔を上げ、キラキラした目でカティルを見上げると嬉しそうに「本当ですか!?」と問う。
「勿論だよ。こちらになかなか来られないなら塔へ送ってあげよう。折角図書館に来てくれたのに目的の本が貸し出されているとがっかりするからね」
「有難うございます」
 ぺこりと頭を下げ、礼を告げるリシェ。なかなか来られないというこちらの状況をに対して、とても気を使ってくれているだけで充分だ。
「さあ、リシェ君。気になる本があったらいつでも借りていっても構わないよ。覗いてごらん」
「はい」
 カティルの言葉に甘え、館内にある本の発掘を始める。
 入口付近には常に入荷した新書や準新書の案内の紙が貼られていて、背表紙に付けられた番号によって棚分けされている。最初はそれを確認し、目ぼしい書物があればレンタルしてみようと思ったがやはり新しい物は既に借りられていた。
 適当に探して気になる物を見つけようか、とそのままウロウロする。
 館内に居る来客の姿も数える位になってきた。
 そろそろ閉館の時間も近いのだろう。時間も無いので気になる物があれば借りて行こうと思っていたが、膨大な数の書物が収められている為狙いを定めるのも難しい。もっと時間があればな、と悩む。
「どうだい、リシェ君?」
「うーん…やっぱりもっと時間があればなって。沢山あって悩んでしまいますね。もう閉館の時間なので改めてここに来ます」
 カティルは残念そうに微笑む。
「そっかぁ。今度はぜひゆっくり探せる時に来るといいよ。いつでも開いてるし、待ってるからね」
「お気遣いありがとうございました」
 何も借りずに図書館から出るのも滅多に無いなと思いながらリシェは扉を開け、廊下へ出る。暗くなりつつある回廊は既に淡いオレンジ色の照明が灯っていた。
 ロシュが待っている塔へ戻ろうと大聖堂の正門方面へ向けたその時、何処からか密やかな声が聞こえてきた。
「…で、報酬は」
「それは完全に…が終わって…」
「先払いは出来ないって事か?」
「しっかり完遂したら支払ってやる」
 人の気配が無いと思い込んで油断しているのだろうか。会話の内容が次第に明確に聞こえ、不穏なものを察したリシェは黙って聞き耳を立てていた。
「ふん…今じゃこの国の王族の血を引く人間なんて、そんなに居ないんだろう?今更奮い立ったとしても不利になるだけだ。それなのに国を揺るがす事を頼んで来るとか」
「王族支配を望む人間は少なからず存在する。司祭如きが上に立っている事自体我慢ならない貴族も居る位だ。お前達はお前達で、我々の頼みをしっかり遂行してくれればいい」
 息を殺して聞いていたリシェは、奥歯を噛み締めた。
 どの国においても不満を抱える人間は居るものだ。しかし不穏な動きをしようと企む会話を直に見聞きするとは思わなかった。
 果たして、どう動けばいいのか。
 この場でやめろと言うのは簡単だが、恐らくシラを切られるだろう。しかも自分を見るなり、相手から小馬鹿にされ体良くあしらわれる可能性もある。
 とりあえずやり過ごして、ゼルエの元に行って耳に入れておけば…と思いを巡らせた。
「能天気なシャンクレイスの王子様が遊びに来ているからな。そっちを狙うのも良いだろう。守りきれなかったとなれば大聖堂側の恥にもなる。アストレーゼンに対する国外からの信用も失墜するだろう。それはお前達に任せる」
「簡単に言いやがって…お気楽な立場で喋っているのはいい。そして喋る場所に気をつけるんだな。鼠が居る」
 気配を消していたつもりだったが、その発言を耳にしたリシェはハッと我に返る。
 太い円柱に潜み立ち聞きしていた彼は近付く足音に咄嗟に反応してしまい、無防備なまま相手側に身を晒してしまった。
「司聖の犬…!ちっ、面倒な」
 自分から離れた場所から、舌打ち混じりの声が聞こえる。
 リシェは目の前の大きな影を見上げ、ギリッと睨んだ。
「何を話していた?」
 黒い布で顔を覆い、その身も黒装束のようなもので包まれていた不審者はリシェの問い掛けに対して何も答える事無く、懐に隠していた刃物を瞬時に引き抜いた。
 すかさずリシェも持っていた剣で応戦しようとしたが、その合間をすかさず縫うように相手の手が動く。途端、リシェの左の脇腹にズシンと衝撃が走った。
「あ…?」
 冷たい、と思った。冷や汗が一気に噴出するのが分かる。
 そこからじわじわひりつくように熱さと痛みが湧く。やられたかと思うと同時に、体勢を崩しそうになるのを両足で踏ん張った。
 冷たい廊下に多量の血が零れ落ちていた。
 黒装束の男は無表情を物語る目を向け、使ったナイフを仕舞い込み、同席している相手に目配せして早々に立ち去ろうと動く。
 …ただで終わると思うな!
 リシェは暗闇に姿を隠そうとする相手目掛け、自らの剣を投げ槍のように勢い良く放る。しかし虚しく空を裂くだけで、廊下にカシャンと打ち捨てられてしまった。
 やるだけやって上手く逃げたようだ。油断した自分にも腹が立つが、このまま放置するのは癪に障る。
 絶対捕まえて公の場で晒し者にしてやる、と奥歯を噛み締めた。
「く…」
 思っていた以上に深傷らしい。
 傷口を押さえ、その足で再び図書館の扉を開く。カティルには申し訳無いが、助けを求めるには身近な彼しか居ない。
 幸い、扉を開けた先には片付け作業を始めていたカティルが居た。彼は先程と全く違うリシェの姿に驚き、素っ頓狂な声を上げてしまう。
「へぇあっ!?り、リシェ君!?…何があったんだい、それは!?」
 流石の異常事態に慌てふためく。
「すみません、廊下に、俺の剣があるので…持って来て貰っても、いいですか」
 一方で傷を負いながらも冷静なリシェは、途切れ途切れの声で懇願した。怪我をする事に関しては慣れている為か、まだ正常を保っていられる。
「わ、分かった。ちょっと待っててね」
 カティルは頷き、残っている職員に声を掛ける。出て来た職員らは大怪我を負った来客に驚いたが、大聖堂側に即座に連絡を入れて速やかな対応を施していく。
「タオルいっぱい持って来ました!」
「担架持って来て!」
「まず止血させておかないと」
 手際良く処置をしてくれるのを目の当たりにしながら、時間が経つに連れて痛みが増していくのを必死に耐えていた。
「リシェ君、君の剣持ってきたよ。すぐに傷も処置して貰えるように取り計らうから安心して…それにしても一体、何が起こったんだい?」
 持ち込まれた担架に乗せられたままのリシェは、カティルの言葉に返事をしようと口を開く。しかし声を出すそうにも、空気のみが発せられるだけで声が出て来なかった。
 くそ、声が出せない…
 そう悔しがっている内に、血の流出が激しくそのまま意識が遠のいていった。
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完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

魔王に飼われる勇者

たみしげ
BL
BLすけべ小説です。 敵の屋敷に攻め込んだ勇者が逆に捕まって淫紋を刻まれて飼われる話です。

灰かぶりの少年

うどん
BL
大きなお屋敷に仕える一人の少年。 とても美しい美貌の持ち主だが忌み嫌われ毎日被虐的な扱いをされるのであった・・・。

神官、触手育成の神託を受ける

彩月野生
BL
神官ルネリクスはある時、神託を受け、密かに触手と交わり快楽を貪るようになるが、傭兵上がりの屈強な将軍アロルフに見つかり、弱味を握られてしまい、彼と肉体関係を持つようになり、苦悩と悦楽の日々を過ごすようになる。 (誤字脱字報告不要)

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