上 下
39 / 52

真・らぶ・TRY・あんぐる 三十六

しおりを挟む
赤くなった由香を見て冴英が説明する。
「もちろん『恋人になって欲しい』とかってことじゃなくて、お姉ちゃんみたいだなって」
「う、うん、わかってるわよ? 急に言われたからちょっとビックリしただけ」
その言い訳とは反対に由香は内心どぎまぎしていた。
彼女は『好き』という言葉を正面からぶつけられた経験があまりないのだ。
はっきり言ってしまえば全くないのである。
それは同性はおろか、異性からでもそうであった。

冴英はほっぽらかしになっていたお茶の用意を再開し始めた。
フォションのアールグレイというのは佑美の趣味のようだ。
由香、そして言うまでもなく留美も自宅ではこんな紅茶を飲んだ事はない。
真澄は飲み物には無頓着な方で、由香はそもそもこんな紅茶があるとは知らなかった。 家ではティーバックだからである。
それにそんなに頻繁に紅茶を飲む習慣がない。
留美の方は何をか言わんやである。
もともと無骨な自衛官が輪をかけて無骨に振る舞うのを強制されているのだから、例えティーバックでも紅茶があるだけでよしとせねばなるまい。
流石に佑美御用達の逸品だけのことはあり、それを口にした3人はほっ、とくつろいだ。
そうこうするうちに、佑美と英介が買い物から帰ってきた。
その後のことは昨日とそれほど違いがないので割愛するが、ひとつ違っていたのは留美も、そして由香も佑の世話を焼いていったことだった。
つまり、
「はい、あーん」
を佑美の代りにやったのである。
しかも二人して交互に。
もともと照れくさい行為だが、佑の献身的行為に感謝との尊敬の念を抱いている二人はべつだん照れくさいとも思わない。
もちろん佑はその限りではない。
かくて、佑は昨日以上に食べ物が喉を通りにくい状態に陥ったのだ。



玄関口で振り返り、頭を下げる。
「それじゃ、また明日も来ます」
佑の見舞いに来るのか、それとも留美に逢いたいからか、それは由香自身にもよくわからない。
が、ともかく毎日通う事を心に決めたのであった。



話は少々前後するが、ここで思い出して欲しいことがある。
留美の父親がいったいどんな人物だったかを、である。

そう、陸上幕僚長で、なおかつ一人娘の留美を溺愛できあいしているのだ。
ボディガードの五人や十人つけていないわけがないのであるし、実際つけていた。
そして、そのボディガードたちの面目はいまや丸つぶれであった。

たまたま、とはいえ一瞬の隙からお嬢さんが襲われるのを看過し、しかも保護するのも間に合わず、襲撃者たちに制裁を加えることまでが横からかすめられてしまったのだ。
プロとしてのプライドはいまやズタズタだった。
メンツを保つためのターゲットにされた不良連こそ『いい迷惑』であったが、同情の余地はない。
自業自得というのはこういう事を言うのである。
彼らは、服部数三にズタボロにされてしまった暴行犯たちを『保護』した。
ボディガードたちは全員例の極道風着流しスタイルだったから、このうえ何をされるかと思うと生きた心地がしなかったであろう。
が、彼らが受けたのはしっかりとした手当てであった。
別に善意でしたのではない。
かといって、治ってからあらためて叩きのめすためでもない。
自衛隊に強制的に入れるためであった。
「お前ら、悪さをしねえように自分の部下にしてやる」
「ほ、本職の構成員になるってのは、ち、ちょっと勘弁し」
「なにが『本職』でなにが『構成員』だってんだ? 自分らが極道にでも見えるってのか?」
見え過ぎるほど見える。 ちょっと大時代だが。
「これを見な」
身分証明書を出して見せつける。
確かに自衛官の身分証だった。 『金家亘理かないえわたる一尉』と記されている。
「自分らは自衛官だ」
信じられない様子だった。

「お嬢さんに危害を加えようとしやがって! 何なら本当にそういう目にあわせてやってもいいんだぜ!」
4人組は震え上がった。
「おう、どっちがいいんだ?」
「か、勘弁して下さい」
「だから、どっちがいいって聞いてんだよ!」
決して大声ではなかったが、その迫力は耳元でドラを鳴らされるのにも似ていた。
そして、彼らには入隊を承諾する以外の道はなかった。

寿川羅聞すかわ らもん一佐以下5人のボディガードたちはほっとしていた。
これでなんとか水瀬幕僚長に顔向けが出来る、と。
水瀬恒太郎はとんでもない父親であり夫だが、なぜか部下の人望は厚いのであった。
不良4人組もなんとかおさまった。
強制的で、先には厳しい地獄のようなシゴキが待っているとはいえ、一応はしっかりとした就職先であるからである。
彼らの両親たちが諸手を挙げて快諾したのはいうまでもないだろう。

一番おさまらないのは鷹栖川寧、そう、卑劣にも自分の手を汚さずに恋敵を排除しようと目論んだ元A組委員長であった。
彼は、退学になった翌日こそ何がなんだか判らずに佑を逆恨みしていたものの、風の噂に
『先輩たちが何者かにボコボコにされ、しかもその幾人かは行方不明』
と聞いて震えあがった。 もともと度胸も根性も持ち合わせてはいないのだ。
佑のことをなんだかんだ言える筋合いではないのである。

「ば、バレたのか……?」
この状態ではバレていないと思う方がおかしい上に図々しい。
あまつさえ、寿川一佐が彼の自宅を訪問し(流石にスーツ姿ではあったが)自衛隊への入隊を薦めたのだが、そのときの反応に寿川もあきれ返った。
「ぼぼぼ、ぼくからだ弱いです……」
そんなものは見ればわかる。 とても屈強とは言い難い。
「だが、権謀術数には長けているようだがね」
留美を襲わせようとした事を皮肉って寿川はいう。
「そそそそんな、なんかのまちがいで」
いくら頬に傷がある眼光鋭い男の訪問にあったとはいえ、ここまでうろたえるのは佑より酷いだろう。 すねに傷持つ身だから仕方ないかもしれないが。
完全にあきれ果てた寿川一佐は同席していた彼の両親に
「息子さんの教育、考え直したほうがよろしくはないですか?」
そう吐き捨てるようにいい、鷹栖川家を後にした。
その際、背後で塩がかれる気配がしたが、寿川は振り向きたくもなかった。
実際、彼の心境としては逆に家の中に塩を撒き返したいくらいだったのである。

かくて、彼・鷹栖川寧はそれからすっかり引きこもり、ずっと佑たちとは無縁の生活をおくることとなった。
これを身から出た錆の見本というので、同情する必要はまるでない。

しおりを挟む

処理中です...