ELYSION 短編集

秋風スノン

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黄昏の落星

第3話『黄昏の落星③』

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 夜中にも関わらず騒いでしまったレイズウェルは、今さらながら父や兄にリズウェルの事をどう説明しようかと頭を悩ませる。

「お前、何で自分で鎖を切るんだよ……なんて説明すりゃいいんだよ」
「んん? おマエ?」

 相変わらず、どこまで話が通じているのかわからない。
 たどたどしく話す声は同じなのに、話す内容はマネごとだ。

「ていうか、汚すぎだろ。お前、なんなんだよ……その頭のイカれた汚れとか」
「おマエ、その頭、イカレすぎだろ?」
「なんで、そこ拾うんだよ……」

 なんとも言えない空気が漂う中、レイズウェルは肩まである髪をけだるげに掻く。
 リズウェルも同じようにマネをする。

「とにかく、正直に自分がやったって言えよ。あと、今日はもう寝ろ」
「いえ、ねろ?」

 困惑して首を傾げるリズウェルに背を向け、レイズウェルは自室へと戻ろう足を向けた。
 進むたびに、後ろから足音が聞こえてくる。
 まさかと思って振り返れば、リズウェルがついてきていた。

 鎖が切れたといっても首輪はついたままなので、いよいよペットを飼ったような気分だ。

「……お前は外で寝ろ。そんな汚ねぇ恰好で近付くなよ」
「んん……」

 冷たくあしらえば、リズウェルは悲しそうに項垂れてしまった。
 レイズウェルとしても、外で寝るのは可哀想だとは思っている。
 
 けれど、部屋に上げるにも汚れたままなのは嫌なのと、なにより朝になって慣れ合っている所を兄姉に見られたくないというのもあった。

「そと、ネろ……」

 すっかり肩を落としてトボトボと離れていくリズウェルは、悲しそうな声で呟いた。
 レイズウェルの心に、しっかりと罪悪感を植え付けていく。

「ああ、もう……!」

 レイズウェルは、心のどこかでまだあの子を見下していた自分に苛立ち、勢いよく右手の親指で自分を指した。

「俺の名前はレイズウェル! 明日になったらまた来る!」

 そう言うと、ズカズカと大股で自室の窓枠によじ登り、しっかりと戸を閉めて明かりを消した。
 本当はリズウェルの名前も呼びたかったのだが、似ているだけに照れくさくて呼べなかった。

 
 翌朝、レイズウェルは、久しぶりに死にたいと思わず目を覚ました。
 身だしなみを整え、手早く着替えると窓を開けて庭園に飛び出す。

 朝の清々しい空気の中でリズウェルを探せば、あの子は最初に繋がれていた木の下で丸くなって眠っていた。
 逃げようと思えば夜中のうちにどこへでも行けたのに、自ら引きちぎった鎖の傍にいたのだ。

「おい、起きろ」

 そう言って靴先で軽くつつけば、リズウェルはすぐに目を覚ました。
 ただ寝覚めは悪いようで、もごもごと何かを言っていたが、レイズウェルの顔を見るとパッと顔を明るくした。

「お前、よく逃げなかったな」
「れい、来る」

 レイズウェルとしては冗談半分でそう言ったのだが、リズウェルは目を輝かせてそう返す。

「ばっ……バカかよ! お前なんかずっとここにいろ!」
 
 誰かに会うことを期待されたことなんて、今までなかったのだ。
 なんだかそれが照れくさくなり、レイズウェルは足早に食堂へ向かったのだった。

 いつも通りの挨拶を済ませ、自分の分にと配られたパンをこっそり服の下に忍ばせると庭園へと急ぐ。
 今日のパンはいつもより美味しい気がしたから、あの子もきっと喜ぶはずだ。
 自分でも気付かないうちに、レイズウェルの心は弾んでいた。

 だが、そんな思いは打ち砕かれてしまう。
 
 庭園に入ろうとしたレイズウェルよりも先に、あの子の前に立っていたのは最低最悪な兄だった。
 
 静かな庭に響くのは、おおげさに芝居がかったような陽気な男の声。
 歌を奏でるように軽薄で、耳障りな口調は癇に障るほど明るい。
 
 「はいはーい! エサの時間ですかねぇ!」

 そう言って食事が乗ったトレイを持っていたのは、上から二番目の兄であるフラクタ。
 フラクタは兄姉の中で一番態度が悪く、レイズウェルは何かと嫌がらせを受けていた。
 はっきり言って、レイズウェルはこの兄が大嫌いだが逆らえない。

 ルークでは、仕事が出来ない者は生きている価値がないとまで言われており、レイズウェルが生きているのは血筋に使い道があるからというもの。
 だから、格下の者は何をされても文句は言えないのだ。
 
 フラクタは、足元に咲くセイランの花を踏み荒らしながらリズウェルに近づいていく。
 最悪な出会いに心の中で舌打ちをし、レイズウェルも庭園に足を踏み入れる。
 
 イイコの弟の表情を顔に貼り付け、嫌悪感を隠し平静を装い声をかける。
 
「フラクタ兄さん」
「レイ、お前もこのゴミカスに何か?」
「……いえ、俺は……」
 
 いつもレイズウェルを殴ったりするはずのフラクタは、蔑むような瞳を細め、ひび割れたグラスを両手で握るリズウェルをまじまじと見る。

 一方でリズウェルはフラクタに気付いておらず、グラス越しに見える草の葉を眺めていた。

 フラクタは「汚らわしい」と吐くと、トレイを投げ捨てるように地面に置き、突然リズウェルの長い青髪を掴んで強引に顔をあげさせた。

「う……?」
「おやおや? あれだけ痛めつけてあげたのを忘れてしまいましたかねぇ?」

 逃れようと身をよじっていたリズウェルは、フラクタを見て顔色を変えた。
 恐怖に呼吸が早くなり、苦しそうに眉を寄せている。
 
 すっかり力を失くした手足を見て、満足そうに鼻を鳴らしたフラクタは、レイズウェルとリズウェルの顔を見比べると口の端を吊り上げて嘲嗤あざわらった。

「顔、本当に同じなんですねぇ? 気持ちが悪い、化け物でしょうか?」
「え?」

 その言葉の意味が分からず、レイズウェルは聞き返す。
 フラクタは答えない。リズウェルを放し、地面からトレイを持ち上げると、スープが入った皿をあの子の目の前に置いた。

 レイズウェルがどうするのだろうか? と警戒していると、フラクタはゆっくりとした動作で他の皿に盛られていた料理をスープの中に落とした。

 ぼとぼと、と次々に料理だったものがスープの中に沈んでいく。
 強張ったリズウェルの顔は緊張で青ざめ、目の前でスープだったものが皿から零れていくのをただ見ているしか出来ない。
 
 トレイの上にあった皿の中身を全てスープ皿にひっくり返したフラクタは、最後の仕上げだとばかりにコップの中のミルクを皿に放り込んだ。

 スープ皿からあふれた液体は地面に広がっていき、とても食べられるものじゃなくなっていた。
 もはや、これは料理とはいわない。本当に家畜のエサのよう。

 フラクタは満足したのか軽薄に笑うとトレイを投げ捨て、動けないリズウェルに朝食だったモノを寄越す。

「さぁどうぞ、召し上がれ? エリオ兄さん特製の化物のエサですよ?」

 人を人と思わない態度に、レイズウェルはきつく目を細める。
 リズウェルは何も言わず、戸惑うようにフラクタと目の前のスープ皿を交互に見ていた。
 
 それを見てフラクタは、リズウェルの顔を覗き込むと「ハッ!」とわざとらしい乾いた笑い声をあげた。
 蛇が逃げられない獲物を愛おしげに見つめるように、じっとりとした目を向ける。

「そうだったですかね? お前は生まれたばかりで、何にもわからないんだったですかねぇ?」

 フラクタは醜悪な笑みを浮かべると、唐突にリズウェルの前髪を掴み、スープ皿に強く叩きつけた。
 飛び散ったスープがはねてレイズウェルの靴を汚し、あの男に対してより軽蔑と苛立ちが増す。
 
 狂気じみた笑い声を上げるフラクタは、何度もリズウェルの頭をスープ皿へと叩きつける。
 リズウェルは抵抗せずにされるがままで、割れた皿の破片で額を切ってしまい、真っ赤な鮮血が青い髪を染める。
 
 レイズウェルは、そんな光景を前に拳を握る。
 そのうち、あの子のうめき声は泣き声に変わっていたが、それでもレイズウェルは動けなかった。
 
 弱ければ踏みにじられてしまうのは、この家の常識なのだ。
 自分よりも立場の低いあの子がいれば、安全じゃないか?
 そうだ。役立たずは奪われるだけだ、と心の中の呪いがささやく。

『違う! 考えろ、どうしたい? 何が出来る?』

 関わるな、今の立場を守れと語る自分を振り払い、レイズウェルは考えていた。
 けれど、物心ついた時から染み付いている呪いの言葉は、そう簡単に消えてはくれない。
 
 だがその時、言葉になっていない泣き声に混じった一言で我に返った。

「うぁあ……れい……れい!」

 涙声に混じってあの子が呼んだのは、レイズウェルの名前だった。
 きっと本人は知っている言葉を口に出しただけなのかもしれない。
 でも、それでも……聞こえてしまった。助けを求める顔を見てしまった。

「……ッ! フラクタ兄さん……!」

 レイズウェルは、自分でも驚くような堂々とした声でフラクタを呼び止めていた。

「なんですかねぇ?」
 
 フラクタは手を止め、訝し気にレイズウェルを睨み付けた。
 見下す視線にレイズウェルは息を飲む。
 
 ヘタな事を言えば自分も同じ目に合う。心臓の鼓動が早い、握った手に汗が滲む。
 それでも、自分自身の気持ちにだけは嘘をつきたくない。

 ただそれだけの思いで、レイズウェルは踏み出した。
 リズウェルの首輪に繋がる、中途半端な長さの鎖を掴み自分の方に引き寄せる。

 苦しいのか、ヒュッという声が聞こえたが、今はそれどころじゃない。
 思う限り自然に、鎖を自分の手首に巻き付け、お前には渡さないと意志を示す。
 
 ここが肝心だ、ここでばれてしまえば後はない……自分にそう言い聞かせると、レイズウェルは口の端を吊り上げ、今までの人生で一番の笑顔を作った。

「フラクタ兄さん、これの世話は俺にさせてもらえませんか? 少しでも役に立ちたいのです」

 俺はお前と同類だ、痛がる顔を見るのが好きだと、極悪に、より醜悪に作り嗤う。
 とにかく、無害で従順な弟を演じる。
 
 レイズウェルがそう言うと、フラクタは何か言いたそうに口を開いたが、すぐに興味を失ったというように背を向けた。

「飽きた。好きにするといいのでは?」

 冷めた表情のフラクタはただ一言、吐き捨てるようにそう言い残して去っていった。

「ありがとうございます……!」

 頭を下げて兄を見送り、完全に姿が見えなくなったところで、レイズウェルは作っていた極悪笑顔を崩した。

「…………い、行ったか……?」
 
 頬の筋肉が固まりかけて危なかった気がする。

「はー……あっぶねぇ……」
「れい! あっぶねぇ!」

 レイズウェルが心の底から安堵の息を吐き出すと、汚れすぎて散々なリズウェルがしがみついてきた。
 
 ついでに顔をこすりつけてきたので、服に鼻水や残飯もつけられてしまったが、今のレイズウェルには振り払う気力は残っていなかった。

「な、なんとかなってよかった……」
 
 今さらながら、あのフラクタに意見するなんてと思い出す。
 無謀で、ヘタをすれば酷い目にあっていただろう。どう考えてもリスクしかなかった。
 それでも、レイズウェルの心はすっきりしていた。

 その後、汚れを落とそうと浴室にいったところで、レイズウェルはまた苦労することになる。
 不器用ながらもリズウェルの長い髪を切りそろえ、自分の服を貸してあげた。
 
 余談だが、レイズウェル・ルークは、七歳にして世の中は単純なものではないと知ったのだった。
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