ELYSION 短編集

秋風スノン

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黄昏の落星

第4話『黄昏の落星④』※少し描写注意(直接表現なし)

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 あの日から二人は、時間があれば兄達の目を盗んで一緒に過ごしている。
 リズウェルの首輪は足枷に変わった。
 また繋がれてしまったが、レイズウェルを待つあの子はもう逃げようとしなかった。

 レイズウェルが家事をしていたり、リズウェルが庭園にいないこともあったけれど、仲良くなるには十分だ。
 大人しいリズウェルは見るもの全てが初めてだと目を輝かせ、活発なレイズウェルもまた、初めての友達と会えるのが楽しみだった。
 
 とりわけ、あの子が気に入っていたのは、女神エリュシオンの伝説が描かれた分厚い本。
 リズウェルは、レイズウェルが読み聞かせたそれを何度も読み返しては、うっとりとした表情をしていた。

 文字は読めないが、指で絵をなぞっては目をきらきらと輝かせている。
 どうやら、女神エリュシオンのことが気に入ったらしい。
 
 レイズウェルは、今日も庭の木の下で自室から持って来た本を開いていた。
 貴族家として物事を知らないと、と思い、日頃から勉強しているのだ。
 そこへ、いつものようにリズウェルが来て横から覗き込んできた。
 
「ああ、今は勉強中だからな。お前もなんかしてろよ」
「れい!」

 そう言ったレイズウェルが文字を目で追っていると、不満げなリズウェルが分厚い本のカバーを叩く。
 昨日の続きを読んで欲しいようで、女神エリュシオンの聖書を開き、パタパタとページをめくっていた。

「……リズ、今それどころじゃ……」

 それどころじゃない、と言いかけたレイズウェル……レイズは口を閉じた。
 リズウェル……リズが、あるページを開いて不思議そうに自分の頬をつねっていたからだ。

 リズが開いていたページは、女神エリュシオンが民衆に施しを与え、優しく微笑んでいる姿が描かれていた。
 慈愛の象徴ともいえる、女神の美しい笑みにつられて民衆も笑っている。

 何の変哲もない聖書の一部だが、リズは興味深そうに目を丸くして見ていた。
 レイズは、文字だらけの難しい本を閉じるとリズの隣に座りなおし、その柔らかい頬を両側から引っ張る。

「ふぉえ!」
「ブサイクだなー。笑顔ってのは、こうやるんだよ!」

 そうやって、驚いて変な声を出したリズに満開の笑顔を見せつけた。

「ふわぁ!」
 
 文句なしの満点なお手本にリズは目を輝かせ、自身も笑顔を作ろうとするが上手くできない。

 ぎこちなく上がる頬と口角、そのくせ瞳はキラキラと。
 お世辞にも上手く笑えているとは言えず、にちゃあ、という効果音が似合う。
 なのに、どうだ? と見せてくるリズに、レイズは笑いをこらえきれず吹き出してしまった。
 
 なんてことない一日だ。

 ひとしきり笑った後、セイランの花畑に寝そべり、流れていく雲をボーっと眺める。
 リズは、レイズから分けてもらったパンを頬張りながら、雲の行方を眺めるのが好きだ。
 レイズもそんなリズを見ていると、家族に対する劣等感が溶かされ心が安らいでいた。

 この平穏な日々がずっと続けばいい、レイズはそう思っていた。

 けれど、兵器として扱われるリズの運命は悲惨なものだ。
 穏やかな晴れた日が続かないように、その日は訪れる。

 
 ――
 
 この日の朝は、やけに嫌な予感がしていた。
 いつものようにレイズが庭園に行ってもリズはいなかったからだ。
 兄にバレないよう、こっそり貸してあげた毛布は冷たく、夜からいないのだとわかる。

 度々、リズはここにいない事があり、決まって血だらけで帰ってくる。
 期待されていない自分とは違い、仕事をしているのだとわかっているが、レイズはその姿に胸が痛かった。
 
 館の奥にある拷問室の方から男の悲鳴が聞こえた。
 レイズは胸騒ぎで落ち着かず、持ってきていたパンを置いて歩き出していた。

 ルーク家の奥にある拷問室には、捕らえた罪人を痛めつけて情報を吐かせる為に、ありとあらゆる残酷な器具が用意されている。
 
 家の仕事をしないレイズが今までその部屋に近寄る事はなかったが、部屋の中で何が起こっているのかは簡単に想像がつく。

 実のところ、レイズはルークの仕事を間近で見たことがない。
 仕事としての役割はわかっていても、恐ろしいと思っていた。

 でも、この時は何故だか恐怖に混じって好奇心が出てきてしまった。

 見てはいけないとわかっていながら、薄暗い廊下の先にある拷問室の重い扉を、少しだけ開いてしまっていた。

 レイズが恐るおそる扉の隙間から中を覗くと、真っ暗な部屋の中に灯る蝋燭の明かりが迎え、せ返るような淀んだ空気がレイズを襲う。
 
 いくつもの拷問器具が禍々しい光を反射していて、ここだけ世界から切り離されたような異様な空間が広がっていた。

 暗闇に目が慣れた頃、男の引きつったような嗚咽が聞こえた。
 レイズが目を向けると、部屋の奥に先ほど連れて来られたばかりの男が椅子に座っていた。
 よく見えないが、椅子に座っているだけで何をされているのかはわからない。
 
 彼の両手は、固い皮の留め具で椅子の手すりに縛り付けられており、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべて見下ろすフラクタの隣には、何かの器具を持ったリズがいた。

 フラクタが何かを話せば、男は怯えたように大きく首を振る。
 すると、リズが持っていた器具で男の指を挟み――。

「うっ……!」

 レイズはその先を見ていられなくて顔を背けた。
 直後、男の口から発せられた断末魔の叫びが部屋に響く。この世のものとは思えない恐ろしい悲鳴のあと、フラクタの嗤い声が聞こえる。

『だめだ……これ以上は……』
 
 レイズはもうやめよう、と扉を閉めかけたところで
 
 痛みと恐怖で支配された男の、大きく見開かれた目がレイズを捉えていた。
 色のない真っ黒な瞳孔がジッとこちらを見つめ、助けを求めるように唇が開いた。

「たすけて」と口が動く。
 
「やっ、やめろ!」

 ――その瞬間、レイズは震えた声を上げてしまう。死者が手招きするかのような男の姿が怖い。
 とにかくその場から離れようとした所で、重い扉が開かれる。

 怯えるレイズの声に気付き、これから起こる事を見せようとするフラクタが立っていた。

「あぁ……」

 足が震えるのを堪え、レイズは言葉にならない声を出す。

 嗜虐的な笑みを浮かべるフラクタは、自身の口元に人差し指をあて、「静かに」と囁いた。
 扉の向こうでは、リズが男の胸に鈍色のナイフを突き立てたところだった。

 短く潰れたような声を上げたあと、男の体は静かに絶命していく。

 何でもないことのように無表情でナイフを引き抜いたリズは、いつも一緒に過ごしている姿とは違う。
 生気を失いくらく濁った深海色の瞳は無機質でいて、作業のように淡々と刑を執行していた。
 
 つい昨日まで笑いあっていたあの子が、今は別の世界にいるみたいに感じていた。
 両手で口を塞いだレイズは目を逸らし、逃げようと背を向ける。

「……おやぁ? こんなところにレイ? ここで何を? お迎えでしたかね?」
 
 そんな弟を見下ろすフラクタは、仕事を終えたばかりのリズへ、わざとらしくそう呼びかけた。

「……? れい……れい!」
 
 声に反応して振り返ったリズは、仕事の時とは変わり忙しくレイズを探す。見つけるといつものように顔を輝かせた。
 鉄鎖を鳴らしながら扉へ駆け寄ってきたリズだが、柱に繋がれた鎖の長さが足りず、前のめりに転んでしまう。

「れい!」
 
 あと一歩のところで届かない距離、無邪気なリズは起き上がってレイズを呼ぶ。
 会いに来てくれたことが嬉しいのだと伝えるように、頬を指で持ち上げている。

「……なんで、笑うんだ……?」

 レイズは、やっとのことで声を絞り出した。仕事とはいえ、人を手にかけておいて平然と笑うリズが怖い。
 それよりも、改めて自分の家の仕事がこんなに恐ろしいものだと知って怖気づいてしまった。

 リズのいる扉の内側は暗く、レイズのいる扉の外側は明るい。
 それが、二人の生きている世界を表しているかのようだった。

「……?」

 リズは、レイズの言っている言葉の意味がわからない。ただ、もっと近寄ろうとして刑を下す為に使ったナイフを手に取る。

 何をするのかとその場にいる誰もが思っただろう。
 リズはナイフの刃先をよく確認すると、枷がはめられている方の右足へと振り下ろした。

 そこから先は、レイズはよく覚えていない。
 
 フラクタに蹴られて我に返った時には、足から血を流して這いずるリズがいた。
 痛みを感じていないのか、変わらず無邪気にレイズを呼ぶ。
 
「れい!」
「……は? なんで……足……」

 おかしい、異常だ、とレイズは呟いていた。
 自ら傷を作って自由を手に入れたリズの右足を淡い緑色の炎が包む。
 失ったはずの足は、まるで最初からそうであったかのように再生を始めていた。

「はっ、化け物の本性を現しましたねぇ!」

 興奮したフラクタの上ずった声がして、レイズは顔を歪ませた。

「リズ……それ、お前……」
「れい!」
 
 ぴょん、と飛び跳ねたリズは幼い子供のようにレイズに抱き着く。
 純粋に喜んでいるのだとわかる。それなのに、レイズは受け入れられなかった。

「……ッ!」
 
 力尽くてリズを引きはがし、言葉を交わすことなく走り去って行く。
 背中越しに自分を呼ぶリズの声が聞こえる。

 レイズは込み上げてきた吐き気を堪えながら、一度も振り向かずに廊下を駆ける。

 少しずつ、平穏が崩れていく音がしていた。
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