AIが書いたその物語は、かつて誰かの人生だった

るいす

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第一幕:違和感と記憶

第10話:わたしだけが覚えている

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 春の夕方、光がゆっくりと部屋の床を移動していく。
 あかりは机の上にノートを開き、《風のあとで》の再読を始めていた。
 何度も読み返してきたはずの文章なのに、不意に一文が目に留まる。

「この時間は、止まってるようで、実は音だけが先に進んでる気がする。」

 心臓がひとつ、静かに跳ねた。

 (この言葉……)

 それは記憶のどこかで、確かに聞いたことがあった。
 読んだのではなく、「聞いた」――誰かの声で、口調で、呼吸の合間に。

 あかりはそっと目を閉じる。
 浮かんできたのは、大学三年の春の風景。
 講義帰りのキャンパス、すでに閉まった図書館の脇にあるベンチ。
 薄くオレンジがかった空と、まだ肌寒い風。
 そのとき、彼――秋葉翔吾が隣で言ったのだ。

「この時間は、止まってるようで、実は音だけが先に進んでる気がする」

 唐突な言葉だった。
 意味もわからず、あかりはただ「詩人みたいなこと言うんだね」と笑った覚えがある。

 それは、二人だけの、何の記録にも残らない会話だった。
 文章として残したこともなければ、誰かに話したこともない。
 まるで消えてしまったような、けれど確かに“あった”一瞬。

 その記憶が、《風のあとで》の中に、ほぼそのまま描かれていた。

 ――AIは、どうしてそれを知っている?

 誰もいない場所で交わした、名前もつかないような会話。
 あかりの記憶にしか残っていないはずの言葉が、どうして、今、AIの文章として現れるのか。

 もう一度ログを見返す。原稿を生成したAIsisのプロンプトには、「感情記憶型モード」の試験運用と記されていた。
 通常の言語生成では使われない特殊パラメータ。
 AIが文章に「感情の軸」を持たせようとする、実験的な機能だった。

(でも、そんなもの……)

 彼女の記憶は、どこにも公開されていない。
 文章にも、写真にも、SNSにも残っていない。
 それでも、AIはその情景を再現した。

(じゃあ、誰かが……“それ”をAIに渡した?)

 疑問が、静かに胸を締めつける。
 あかりの記憶を、あかり以外の誰かが知っていたとすれば――それは、秋葉翔吾しかいない。
 彼がその会話を、どこかに記録し、ネットの片隅に残していたとすれば?

 あるいは。
 彼がその“断片”を、意図的にAIに学習させたとしたら?

 そんな仮説が脳裏をかすめた瞬間、背筋に冷たい感覚が走った。
 彼は消えたのではない。
 むしろ、“AIという場所”の中に、言葉の形で残ろうとしていたのではないか?

 けれど、なぜ――あのときの言葉を、再び。

(これは偶然なんかじゃない。意味がある)

 あかりの中で、ぼやけていた決意が輪郭を持ちはじめる。
 これは、彼が書こうとしていた物語。
 そして今、AIの中にばらばらに残された断片。

 拾い集めることはできる。
 それを、彼の“声”としてもう一度、誰かに届けることだって――。

 自分だけが覚えていた会話。
 けれどそれは、もう一人の誰かもまた“忘れずにいた”という証なのかもしれない。
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