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第一幕:違和感と記憶
第12話:文芸サロンの女主人
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都内の裏通り。
通り過ぎるだけなら見落としてしまいそうな、古いビルの二階に、その文芸サロンはあった。
階段を上がると、木製の扉があらわれる。
真鍮のプレートに「文舎(ぶんしゃ)」とだけ刻まれたその入り口を、あかりは少し緊張しながらノックした。
「いらっしゃい。どうぞ、お入りなさいな」
迎えてくれたのは、白髪のまとめ髪に、やわらかなリネンのワンピースを纏った年配の女性だった。
物腰にどこか“文章を選ぶ人”の気配がある。話すよりも“聞く”が上手そうな、静かな雰囲気。
「メールをいただいた方かしら。秋葉くんのことで」
あかりは軽く頭を下げ、奥へ案内される。
中は図書室のようだった。棚には無名作家の同人誌、手製のZINE、製本されていない原稿がぎっしりと並ぶ。
壁際の一角には、木の机と数脚の椅子。そこがかつての“講座スペース”なのだろう。
「秋葉翔吾くんは、静かな生徒だったわ。質問もしないし、誰かと話すわけでもない。でも、書くものは……印象的だった」
「彼の作品、どんな感じでしたか?」
女主人はふと笑った。
「未完ばかり。でも、美しかったわ。終わらない物語って、時に完成されたものより、読む人の中に残るのよ」
その言葉に、あかりは思わず息を飲む。
まさに、それが秋葉の作品に感じていた“温度”だった。
「彼は、ある日ふらりと来て、ひとつ原稿を置いていったの。それっきり、戻ってこなかった」
「原稿……?」
女主人は立ち上がり、奥の棚から薄い封筒を取り出した。
くすんだクリーム色の封筒。表には黒のボールペンで、簡潔にこう記されていた。
《風のあとで》/秋葉翔吾
その瞬間、あかりの胸が高鳴った。
AIによって再構成され、データの中に断片的に残っていた物語。
その“原点”が、今ここに存在していた。
「読んでみても?」
「……実はね、ちょっとだけ困っているの。彼、原稿を“手書き”で書いてきたの。ボールペンで。でも、ところどころ文字が滲んでいて……雨に濡れたような痕があるのよ」
あかりは封筒を受け取り、中身をそっと取り出した。
ページは十枚ほど。罫線のないA4用紙に、丁寧な文字が並んでいた。
けれど確かに、一部の行はにじみ、文字が流れている。
インクのしみ跡は、まるで誰かの涙のようだった。
「途中までは読める。でも、肝心なラストが、まるごと消えてしまっているの」
あかりは震える指で、そのにじんだ行をそっとなぞった。
そこにあったはずの言葉が、もう見えない。けれど、そこに**確かに“言葉があった痕跡”**が残っていた。
(彼は、ここに置いていったんだ。この物語を)
そして誰にも読まれぬまま、消えた。
だけど――そのあと、この物語はAIに“再構成”され、今、自分のもとに巡ってきた。
彼が何を意図していたのかは、まだわからない。
けれど、それでも言える。
彼は、《風のあとで》という物語を、残そうとした。
女主人は静かに、紅茶を注いでくれた。
その音が、あかりの中の緊張をほどいていく。
「読めないままでも、不思議と気にならなかったの。いつか、誰かが続きを書く気がしていたのよ。あの子の代わりにね」
あかりは、その言葉を胸の中で反芻した。
続きを書く――そんな大それたことができるとは思っていない。
けれど、今ならわかる。その続きを“探す”ことなら、自分にもできるかもしれないと。
彼がどこに行ったのか。
なぜ名前を消したのか。
そして、この物語の続きを、誰が書くべきなのか。
通り過ぎるだけなら見落としてしまいそうな、古いビルの二階に、その文芸サロンはあった。
階段を上がると、木製の扉があらわれる。
真鍮のプレートに「文舎(ぶんしゃ)」とだけ刻まれたその入り口を、あかりは少し緊張しながらノックした。
「いらっしゃい。どうぞ、お入りなさいな」
迎えてくれたのは、白髪のまとめ髪に、やわらかなリネンのワンピースを纏った年配の女性だった。
物腰にどこか“文章を選ぶ人”の気配がある。話すよりも“聞く”が上手そうな、静かな雰囲気。
「メールをいただいた方かしら。秋葉くんのことで」
あかりは軽く頭を下げ、奥へ案内される。
中は図書室のようだった。棚には無名作家の同人誌、手製のZINE、製本されていない原稿がぎっしりと並ぶ。
壁際の一角には、木の机と数脚の椅子。そこがかつての“講座スペース”なのだろう。
「秋葉翔吾くんは、静かな生徒だったわ。質問もしないし、誰かと話すわけでもない。でも、書くものは……印象的だった」
「彼の作品、どんな感じでしたか?」
女主人はふと笑った。
「未完ばかり。でも、美しかったわ。終わらない物語って、時に完成されたものより、読む人の中に残るのよ」
その言葉に、あかりは思わず息を飲む。
まさに、それが秋葉の作品に感じていた“温度”だった。
「彼は、ある日ふらりと来て、ひとつ原稿を置いていったの。それっきり、戻ってこなかった」
「原稿……?」
女主人は立ち上がり、奥の棚から薄い封筒を取り出した。
くすんだクリーム色の封筒。表には黒のボールペンで、簡潔にこう記されていた。
《風のあとで》/秋葉翔吾
その瞬間、あかりの胸が高鳴った。
AIによって再構成され、データの中に断片的に残っていた物語。
その“原点”が、今ここに存在していた。
「読んでみても?」
「……実はね、ちょっとだけ困っているの。彼、原稿を“手書き”で書いてきたの。ボールペンで。でも、ところどころ文字が滲んでいて……雨に濡れたような痕があるのよ」
あかりは封筒を受け取り、中身をそっと取り出した。
ページは十枚ほど。罫線のないA4用紙に、丁寧な文字が並んでいた。
けれど確かに、一部の行はにじみ、文字が流れている。
インクのしみ跡は、まるで誰かの涙のようだった。
「途中までは読める。でも、肝心なラストが、まるごと消えてしまっているの」
あかりは震える指で、そのにじんだ行をそっとなぞった。
そこにあったはずの言葉が、もう見えない。けれど、そこに**確かに“言葉があった痕跡”**が残っていた。
(彼は、ここに置いていったんだ。この物語を)
そして誰にも読まれぬまま、消えた。
だけど――そのあと、この物語はAIに“再構成”され、今、自分のもとに巡ってきた。
彼が何を意図していたのかは、まだわからない。
けれど、それでも言える。
彼は、《風のあとで》という物語を、残そうとした。
女主人は静かに、紅茶を注いでくれた。
その音が、あかりの中の緊張をほどいていく。
「読めないままでも、不思議と気にならなかったの。いつか、誰かが続きを書く気がしていたのよ。あの子の代わりにね」
あかりは、その言葉を胸の中で反芻した。
続きを書く――そんな大それたことができるとは思っていない。
けれど、今ならわかる。その続きを“探す”ことなら、自分にもできるかもしれないと。
彼がどこに行ったのか。
なぜ名前を消したのか。
そして、この物語の続きを、誰が書くべきなのか。
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