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1章
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しおりを挟むがらりと色を変えた熱に、身体が震えた。
咄嗟に跳ね起きようとしたアトリを、セナは両手で何なく押さえ込む。
魔力を直に受け取った下腹部が、重く痺れている。
歯を食いしばって、喘鳴を堰き止める。
それでも耐え切れなくて、アトリはセナの手首を掴んだ。
「辛いんだね。大丈夫、落ち着いて。もう魔力は送ってないから」
「ーーーーーー」
「声を出して、アトリ君。君は悪くないんだから、良いんだよ。その快感を受け入れた方が楽になる」
ここは防音がしっかりしてるからいくら叫んでも外には聞こえないよ、とセナは淡々と言った。
そういう問題ではない。
涼やかな顔をしたセナを睨むと、彼女は困ったように笑った。
「そうだね。君は、そういう子だよね。まあ、カーテンは閉めといてあげるから、落ち着くまでは横になってなさい。私がちゃんと責任取ってあげても良いけど、バレたら君の相棒に殺されそうだしな」
セナはようやくアトリの身体から手を離した。
ただそれで楽になるわけではない。
身体を抱え込むようにしてアトリはベッドの上で丸くなった。
吐き出した息に掠れた音が混じって、口元を押さえる。
悪夢に怯える子どものようで情けなかったが、それ以上の失態を晒すよりはマシだった。
セナは労わるようにアトリの額に触れようとして、思い至ったかのようにその手を引く。
「……ちょっと乱暴な診察になってしまったね。でも君の疑問の多くに答えられると思うから、許して欲しいな」
そういう意味では、無論信頼している。
若干のどうしようもなさは漂うが、それなりに長い付き合いだ。
そもそもこんな異常を診てもらおうと思えたのは、彼女相手だったからでもある。
ただ、今はそれを伝える術がなかった。
この状況で、口を開く無謀さは持ち合わせていない。
セナはその言葉通り、ベッドの周囲にカーテンを引いた。
一応隣の部屋にはいるからね、と言い残した彼女は、軽い足音と共に遠ざかる。
ぱたん、と扉が閉まる音が響く。
一秒、二秒。
アトリは慎重に息を吐き出して、後は残酷なほどに鮮烈な感覚に目を閉じた。
正確にどれくらいの時間が経過したかはわからない。
気怠い身体を起こして、アトリはベッドに腰掛けた。
そのまま額を押さえて、項垂れた。
何度味わってもあれに慣れることなど出来そうもなく、繰り返すたびに精神が削られるような苦痛があった。
気持ち良い、という感覚は感情が伴って初めて愉しめるものだ。
自身の意思とは関係なく与えられるだけのものは、恐怖でしかない。
「…………しんど」
ぽつりと呟く。
ぎ、と扉の軋む音がして、診察室の奥から「もう大丈夫そうかな?」と呑気な声が響いた。
全く、全然、大丈夫ではなかったが、ここまでされて何も得ることなく引き下がれない。
溜息混じりに「はい」と答えると、少ししてから足音が戻って来る。
カーテンを開けたセナはアトリを見ると「酷い顔だね」と、肩を竦めた。
「おかげさまで」
「ま、そう言わないでよ。ちゃんと説明はしてあげるから」
言いつつ、彼女は手に持っていたマグカップを差し出す。
湯気の立つ中身は、ホットミルクだろうか。
微かに甘い匂いがして、アトリは一先ず文句の代わりに礼を言ってそれを受け取った。
セナはキャスター付きの椅子をベッド脇に寄せると、「じゃあ」とカルテを広げる。
向けられたヘーゼル色の瞳は、険しい。
これはきっと良くない状況なんだろうなと、どこか他人事のように思った。
「アトリ君、君は脳の防衛反応に異常を来している。軽く診ただけでもわかるから、かなり重大な損傷だと言えるだろうね」
脳の防衛反応に異常。
重大な損傷。
意外にも冷静に、アトリはその診断を聞く。
突然その痛みを感じなくなったのだから、問題は何かしらあるだろうとは思っていた。
セナはカルテに何か書き込みながら続ける。
「脳の防衛反応っていうのは、それ以上魔力を受け取るとマズいぞとかそんなに魔術を行使するとヤバいぞとか知らせる機能ってのは知ってるよね?」
アトリはカップに口をつけて、頷く。
飲み込んだものは、甘く温かい。
セナはくるりと手元のカルテを開いて見せた。
専門用語で埋め尽くされたページに、川と水を止める堰のようなものが描かれている。
イメージだよ、と前置きをして彼女はペン先で川を示す。
「これ、水が魔力だと思ってね? この堰で魔力の勢いと量を管理してて、それが過剰になると痛みを発してるわけだ」
なるほど、そう捉えれば良いわけか。
この手の原理に関しては、研修でも教えられた記憶がない。
無理すると痛いからやめとけ、という単純な警告で事足りるからだろう。
セナの長閑な川のイラストを見ながら、アトリはふと気づく。
魔力の勢い、そして量の管理をしているもの。
それらは別々に存在しているわけではないようだ。
「ああ、そういう」
アトリの言葉に、セナは「そう、同じもの」と答える。
「魔術行使の際にその出力を調整する。受け取った魔力量を管理する。この二つの機能は、同じとこが担ってるんだよね」
ところ、と言っても頭の中のどこかはわかんないけど、とセナはあっけらかんと言い放つ。
「ほら、君ってそもそも防衛反応が鋭敏な方でしょう? 言い換えるとさ、だから魔術の出力が上がらなかったってことでもある。この機能が働きすぎてたってわけだね」
そして、とセナは絵の堰をペンで塗り潰す。
川の流れを止めるものは、何もなくなる。
「痛みを感じる機能がなくなった。同時に、魔力の出力調整も出来なくなった。そうなるのが当然ですね」
壊れたものは一つ。
それが、多くを担っていただけだ。
こうして説明をされれば、決して不思議な現象ではなかった。
薄桃色の髪を払って、セナは「そういう事」と笑う。
いや、けれど。
アトリは緩く頭を振った。
「じゃ、あれは、何なんですか?」
痛みがない。
魔術を行使するとどうもおかしい。
それくらいだったら、アトリは多分ここに来なかっただろう。
結局はあれが辛いから、どうにかしないと壊れそうだったから、恥も外聞も捨てて診察に臨んだのだ。
セナはすっと笑みを引っ込める。
「重大な損傷って言ったよね。君のこの機能は、無くなってしまったわけじゃない。何より防衛反応は生命に関わるものだから、どのような形であれ維持はしたんだろう。君の脳はね、本来感じるはずの痛みを性的な興奮に変換しているんだと思う」
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