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黒文鳥

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1章

14

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「重大な損傷って言ったよね。君のこの機能は、無くなってしまったわけじゃない。何より防衛反応は生命に関わるものだから、どのような形であれ維持はしたんだろう。君の脳はね、本来感じるはずの痛みを性的な興奮に変換しているんだと思う」

「…………は?」

「いや、そもそも『壊れてしまう』時に、それを痛みとして捉えたら危険だと判断したのかもしれないね。その辺りはもう検証のしようがないけれど」

「じゃ、何ですか。俺自身が痛みをそっちの感覚に切り替えて、そんで一人でヤバいくらいに気持ち良くなってたと。とんだ変態ですね、俺!」

 もうどっかに埋めて下さい、とアトリは自棄になって吐き捨てる。
 欲求不満だったとは思わない。
 元々、その方面にあまり熱意を傾けない性質だ。
 可愛い女の子は好きだし、気持ちの良いことだってもちろん嫌いではない。
 けれどそれは別段必要不可欠なものではなかった。
 人恋しい時があったとしても、ユーグレイと馬鹿な話をしながら酒を飲んでちょっとゲームでもして過ごせばそれで十分事足りた。
 そのはずなのに、痛みを快感に変えて受け取ることを選んだのか。
 セナは「まあまあ」とアトリを宥める。

「痛みではなく快感に切り替えたのは確かに君だろうけど、多分それも理由があるからそう落ち込むことはない。君は、セルとエルの関係が概念的に男女の関係だと言われているのは知ってるかな?」

 セルとエルが、男女の関係。
 情報が渋滞している。
 アトリは呆気に取られたまま、セナを見た。
 彼女はカルテを閉じて小脇に挟むと、両手の人差し指を立てた。
 丁度、人が二人いるように見える。

「セルは体内で生成した魔力をエルに渡す。エルは受け取った魔力で魔術を行使する」

「………………セルが男性で、エルが女性ってことですか」

 含みを持たせて言われれば、流石に理解が出来た。
 セナは「そう言うことだね」と、立てた人差し指同士をくっつける。
 寄り添い、絡み合う指。
 
男性セルは体内で生成したものを女性エルに渡す。女性エルは受け取ったもので、違うものを作り出す。つまりぶっちゃけると性行為ーー」

「先生、先生。わかりましたから」

「そ? まあ概念的な話だけど、実際セルは男性が多くて、エルは女性が多い。だから、君は無意識にセルとエルの本質に引き摺られて痛みを変換しただけ。快感を得ても男性として反応しないのは、当然だよね。君はこの概念においては『女性』だから、女性として気持ち良くならないとおかしいでしょう」

 女性として、気持ちよく。
 こめかみを押さえて、アトリは呻く。
 痛みが快感に変換されているのは自身の性癖が所以ではないと安堵したはずなのに、追い討ちで別問題が襲って来てそれどころではない。

「物凄いこと、言われてる気がするんですが。気のせいですか?」

 セナは平然と「そう?」と首を傾げる。
 意外と初心だね、なんて返答をされて最早返す言葉もない。
 彼女はそれで、とアトリの腹部を指差す。

「続けるけど、君さっきの診察では早々に例の反応が出たよね」

「そう、ですけど」

「過剰な魔力量に対する反応は、多分これまでと変わらない速度で身体に伝達されてるんだろう。まあ、受け取り過ぎると器である君は壊れちゃうし生命維持のためにはこっちが優先だ。でも不適切な魔術行使に関しては、相当の無茶をしない限りすぐには命に関わらない。だから優先順位が下がって機能がおかしいんだろう。時間差で反応が出るんじゃないかな」

 だからその場ではあまり身体の異常を感じず、後々になってあの感覚に襲われていた。
 彼女は言葉を区切ると、にやりと笑って指先でアトリの肩を突いた。
 
「良かったね、アトリ君。君の相棒がうっかり魔力を多く渡すようなことがあったら、君は現場でああなっちゃってたわけだ。なかなか、大変なことになるとこだったね」
 
「ああ、なっちゃってたって」

 現場で?
 それは、想像だけで冷や汗が出る展開である。
 だがユーグレイに限って、アトリが受け取れないほどの魔力を渡してくることはないだろうという確信もあった。
 セルの魔力受け渡しに関する失敗は、エルに痛みとして襲いかかる。
 それはペアの関係上避けられない、仕方のないことではあるのだが。
 ユーグレイは、それを酷く厭う。
 ともすればアトリ以上に、彼はアトリが受け取れる魔力量を正確に把握している。
 その彼が失敗するとしたら、それなりのやむを得ない状況下に限るだろう。
 だから、現場でアトリが醜態を晒す可能性はやはり極めて低かったのだと言える。
 セナも「ま、君の相棒はやんないだろうけど」とつまらなそうに言って、それから改めてアトリの顔を見る。

「さて、これで君の変調に関しての私の見解は説明し終えたわけだけど」

 納得はいったかな、と問われて、アトリは頷いた。
 冷めかけのミルクを、ぐいと飲み干す。
 異常の正体を把握して、それで終わりではない。
 ここからが本題である。
 セナはヘーゼル色の瞳を猫のように細める。

「さてさて、先手を打って悪いけれど、現状根本的な治療法はないと言っておかないとね」

「容赦ないですね」

「期待はさせない主義なんだ」

「……じゃあ、緩和も出来ないですか?」

 アトリの問いに、セナはすっと眉を寄せる。 
 彼女は無言でアトリから空になったカップを受け取り、カルテと一緒にデスクに置きに行く。
 ゆっくりと戻って来たセナは、立ったままアトリを見下ろした。
 宣告をするように、その視線は哀れみを孕んでいる。

「あのね、医者として言うけど正直君は人魚狩りの前線を今すぐ退くべきだよ。魔力の調節が出来ない今の君は、毎回身体に途轍もない負担をかけて魔術を行使してる。わかるでしょう? 冗談じゃなくて、死にたいの?」

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