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2章
6
しおりを挟む第三区画に出る、という話になったのはそれからしばらくしてからだった。
第四区画での哨戒訓練も問題はなく、研修期間的にもそろそろと思ってはいた。
リンの希望を聞いてじゃあ明日と日程を決めたのだが、実際はベアからの情報で現場の哨戒人員をしっかり確認してもいた。
いつまでやってんだか。
そう頭を抱えたくなるのと同時に、でも仕方ないだろと自棄になって叫びたい気持ちでもあった。
結局いつまでだって気持ちの整理はつかないし、ペアではなくなったユーグレイと面と向かって話す覚悟もなかったのだ。
だから、まだアトリとしてきちんと逃げているつもりで。
こんなことは、想定していなかったのである。
「あの、もしかしてぇ、ユーグレイの元ペアさん?」
待ち合わせの時間より、少し早い。
第四防壁の門が見える壁際でぼんやりとしていたら、唐突にそう聞かれた。
軽い足取りで近付いて来たのは、シナモン色の長い髪を緩く三つ編みにした少女だ。
結び目のリボンは白いレース。
灰色のローブの下は、フリルのついたキャミソールと長い脚を惜しげもなく晒すショートパンツ。
華やかな印象の容貌に似合っていてとても可愛いが、若干寒そうだ。
彼女も少し前から門の側で一人誰かを待っている様子だったから、きっとアトリと同じで連れを待っているのだろうと思っていた。
だからそう話しかけられたのは全く予想外のことで、アトリは一瞬彼女の焦茶色の瞳を見たまま惚ける。
少女は答えを求めるように、こてんと首を傾けた。
「……あ、うん。そーだけど」
「やっぱり? じゃあアナタが『アトリさん』かぁ! 初めましてぇ、かな? ロッタ・カナルです」
値踏みをするような視線は一瞬だった。
淡く色の乗った唇に指を当てて、彼女は内緒話をするように顔を近付ける。
甘い匂い。
自然と身体を引くと、背中が防壁の壁にぶつかった。
「ロッタはねぇ、ユーグレイのペアなんだよ」
ユーグレイのペア。
細められた瞳の奥、彼女は挑発的な色を隠そうともしない。
けれど、そう聞いて思っていたほどの衝撃はなかった。
アトリがリンの研修に付き合っているように、ユーグレイだって色々変化はあっただろう。
ちゃんと、ペアと一緒に海に出てんだな。
少し寂しいけれど、それは当然元ペアとして祝うべきことだった。
まあ、つい先日ラルフに不意を突かれた反省もある。
アトリはきちんと笑顔を作った。
「へえ、そっか」
その返答に、ロッタは虚を突かれたように瞬いた。
それから唇を尖らせて、「つまんなーい」と本心を口にする。
彼女は跳ねるように一歩アトリから離れると、ブーツのつま先で防壁の床を軽く蹴った。
つまんない、とは。
アトリは思わず苦笑する。
「どんな反応期待してたんだよ。可愛い顔して、いい性格してんな」
「えぇ、そんなこと言っちゃう? ロッタ、エルは守備範囲外だけど、今のはちょっとぐっと来た」
「……楽しそーだな、お嬢さん」
随分と強かそうな子だ。
ロッタはくるりとローブを翻して、楽しいこと大好きだもんと微笑む。
リンはまだ、来ない。
「あいつと、どう? 上手くやってけそう?」
アトリの問いかけに、ロッタはとと、と駆け寄って来て並ぶように壁に背中をつける。
第三区画に出る門を見ながら、彼女はうーんと唸った。
ついさっき挑発をして来たとは思えないほど馴れ馴れしい様子は、いっそ無邪気でもある。
これくらいぐいぐい来る子の方が、案外ユーグレイもやりやすいのかもしれない。
「まだわかんないなぁ。ロッタも、三日前にやっとユーグレイのペアになったばっかりだから。前の子は一日で辞めちゃったって言うし? 理由は、わかんなくもないけどねぇ」
ロッタも結構ころころペア変えてたから別に良いんだけどぉ、と頬に指を当てて彼女は続ける。
「格好イイし魔力スゴイし、逃す手はないよねぇ。もうめちゃくちゃにしてってなるもん」
「…………言い方」
「だってぇ、抗えなくない? 優秀なセルを得たいって思うのはエルの本能だよ」
アナタだってそうでしょ、と言われて返答に困る。
ロッタはにこりと笑みを深めた。
「ペア辞めちゃったの、後悔してるんでしょぉ? だから追っかけて来たんじゃないの?」
「追っかけて来た?」
「違うの? わざわざ一人でこんなとこにいるから、ユーグレイに縋りに来たんだと思って、ロッタばっちり牽制しちゃったじゃん」
待て。
ロッタは、ユーグレイのペアで。
第四防壁の門で待ち合わせをして、きっとこれから現場に出るのだろう。
じゃあその待ち人が誰かなんて、聞くまでもない。
「今日、哨戒予定、ないんじゃ」
「うん。でも自主哨戒っていうの? 不真面目すぎるよりはいいけど、あんまり真面目なのはロッタちょっと肩凝っちゃうなぁ」
ふ、と彼女は視線を通路に投げかける。
いや、ちょっと待って欲しい。
自主哨戒?
そんなのは、反則だ。
「ユーグレイ!」
甘えを孕んだ可愛らしい声で、ロッタは彼の名を呼んだ。
いつも並んで歩いた廊下。
緩やかな曲がり角を越えて、その人影が見えた。
少し長めの銀髪に碧眼。
きっとどこにいても彼を見つけられる。
それくらいには、見慣れた姿だった。
隣にいたはずのロッタは、三つ編みを揺らして彼に駆け寄る。
ペアなのだから当然だ。
なのにユーグレイは真っ直ぐにこちらを見る。
彼もきっと驚いたのだろう。
僅かに見開かれた碧眼は、相変わらず綺麗だ。
色々、ごめん。
元気にしてたみたいで、良かった。
ずっと準備していた言葉が、喉の奥で止まる。
子猫のように戯れるロッタを、彼は一瞥もしなかった。
踏み出す足は、速い。
驚きで揺れていたその碧眼が、猟犬のように眇められる。
あ、やばいかも。
叩きつけるように怒りを向けられて、文字通り背筋が凍った。
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