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黒文鳥

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2章

9


 第五防壁の談話室。
 各防壁のあちこちにあるそれは、要は空き部屋の有効利用である。
 そこそこの広さの空間に、テーブルやソファ。
 映画を観る用の小さなスクリーンまである。
 壁沿いの本棚には大陸から取り寄せた本や雑誌が並び、利用者が好きなように休憩出来るようコーヒーなどの飲み物も揃っていた。
 第四より利用者は少ない印象で現状ここも貸切状態だが、それでも常に開かれた場所だ。
 面を貸せと言われて連れて行かれるにしては、当然不向きな空間だった。

「アトリくん、ごめんね。吃驚したよね」

 ぺこりと頭を下げたのは、ニールだ。
 カグに声をかけられた時には普通に面倒なことになったと思ったが、真意は「ちょっと話せるか」くらいの声かけだったらしい。
 あの後すぐにニールもやって来て、至って友好的な理由で時間が貰えたら嬉しいと言われた。
 完全に喧嘩売ってる感じだったけど、とは思っても口にしないのが正しい。
 談話室の奥、小さめのテーブルを囲んで座って、ようやく本当に話すだけなのかと安堵したくらいだ。
 何というか、ニールも大変である。
 カグは人数分のコーヒーを淹れてテーブルに置くと、ペアの隣の席に腰を下ろす。
 鼻で笑ってアトリを見た彼は、それでも確かに敵意はなさそうだった。
 
「コイツ相手に気を遣えって? バカじゃねーの」

「カグくんてば」

 困ったような表情のニールに、以前のような萎縮した様子はない。
 顔色も悪くないし、至って元気そうだ。
 聞けばニールはあの夜の怪我の経過観察で、カグはその付き添いで病院に来ていたらしい。

「もう現場には復帰してんの?」

 あの夜の光景が一瞬脳裏に蘇る。
 色々あった相手ではあるけれど、彼らに悪いことが起これば良いなんて思っていた訳ではない。
 無事で良かった、とただそう思う。
 二人が変わらずペアとして続いているのなら、それは単純に嬉しいことだ。
 アトリの問いかけに、ニールは「完全に復帰ってわけじゃないけど」と答える。

「ちょっとずつ現場に出てるよ。カグくんには迷惑かけっぱなしだけどね」

「今更迷惑とか言ってんじゃねーよ」

 照れ隠しなのか、カグは湯気の立つコーヒーをぐいと呷ってから「あつ」と顔を顰めた。
 ニールはその様子を見て、苦笑する。
 それから彼は一瞬手元に視線を落として、真剣な表情をした。
 本題、だろうか。

「あのね、アトリくん。あの時のことで、ずっとお礼を言いたいねってカグくんと話してたんだ」

「おい、ニール」

「カグくんだって、食堂でアトリくんがいないかいつも気にかけてたんだよ?」

 お礼なんて。
 現場に出ている人間が、その時出来ることをするのは当然だ。
 アトリは首を振って、コーヒーの入った紙のコップを両手で包む。
 まだ飲むには少し熱そうだ。
 
「いや、俺も夢中だったから。今、仲良くやってんならそれで十分だよ。あんま堅苦しく考えなくても」

「……それでもアトリくんがいなかったら、ぼく、多分死んでた」

 目の前にいるニールを、アトリは見返す。
 死んでいたかもしれない。
 その言葉の重さを突きつけられたような気がした。
 彼は少しだけ苦しそうに微笑む。
 
「ありがとう。それと、ごめんね。良くなったらお礼に行こうなんて話をしてたら、ユーグレイくんとペアを解消したって聞いて。それどころじゃなくなっちゃって」

 ああ、確かに。
 あの時は色々慌ただしくて、アトリもニールたちのことは思い出しもしなかった。
 そんな風に気にかけていたのかと、逆に申し訳ない気分になる。
 話を聞きながらカップをゆらゆらと揺らしていたカグが、「で?」と強い調子で口を挟む。

「何でアイツのペアやめてんだ?」

「…………お前もそんなこと気になんの? カグ」

 ここのところそんなことばかり聞かれているな、とアトリは肩を落とす。
 カグはテーブルに片肘をついて、笑った。
 
「オレらのことに首突っ込んどいて、自分らのことはだんまりか? てかアイツどうにかすんのは、テメェの仕事だろーが」

「どうにかって、何が」

 カグの口ぶりに、アトリは眉を顰める。
 どうにかするってユーグレイを、だろうか。
 アトリに対して怒っているとしても他人に当たり散らしたりはしないだろうし、そもそもあまり同僚たちと談笑することがない。
 機嫌が悪くて空気が悪いと言われることもないだろう。
 
「はぁ? あの野郎がペアになりたいって来た連中を徹底的に辞めさせてんの知らねーの?」

「辞めさせてる? いや、ユーグのあれは魔力が」

 アトリと組む以前、ユーグレイのペアが決まらなかったのは彼の魔力が特異なものだったからだ。
 彼もそれは承知していたし、実際現場に出たらそれが負担にならないようにと魔力の受け渡しを制限するほどに配慮をしてくれた。
 だからペアが数日で変わったりなんていうのは、ユーグレイの所為ではなくて。

「辞めさせてんだよ。ペアが一日も持たないなんてざらだぜ? 普通じゃねーだろ。ちょっとでも根性あるヤツがペアになると、自主哨戒つって負担増やしてんの。やることが半端じゃねーよ」

 自主哨戒。
 そういえば、ロッタもそんなことを言っていたか。
 いや、でも。
 アトリの困惑を察したように、穏やかなニールの声が後に続いた。

「そもそもね、ぼくらもだけどみんなアトリくんたちがペアを解消するなんて思ってなかったんだ。万が一そんなことがあるとしても、二人は結局仲良くしてるだろうみたいに思ってて。そうじゃないって気付いた時は、みんな驚いたんだよ? だからユーグレイくんが新しいペアに対してそういう対応をしてること、大体の人が仕方ないことだなって見守ってるっていうか」

 一度言葉を区切ったニールは少しだけ言いにくそうに、「むしろ」と申し訳なさそうに言った。

「むしろ、もっとやれ、みたいな」

「もっとやれ!?」

 そこは止めてくれ。
 やっと適温になったコーヒーを味わう様子もなく一気に飲み干して、カグが馬鹿にしたように笑った。
 
「あんな澄ました顔して必死なの、くそウケるぜ? 組織に対しても群がってくる連中に対しても、テメェ以外とペア組むつもりなんてないって行動で示してるつもりなんだろ。ま、一番はお前に対してのメッセージだろーけどな。そういうつもりだからさっさと戻って来いって」

「何か、ね。あのユーグレイくんがそこまでするって微笑ましいっていうか、でもして当然だろうなっていうか。だからその、いつ二人がペアに戻るかって賭けも始まってて」

「……面白がってんのかよー」

 よもや仲間内でそんな大事として捉えられているとは思ってもいなかった。
 ごめんね、とニールが謝る辺り、割と盛り上がっていると見た。
 わかっている。
 やはりきちんと話をしなくてはいけないだろう。
 アトリはこめかみを押さえて「あーあ」と視線を落とす。
  
「元々ペアとしては釣り合いが取れてなかったんだし、あいつがそんなに拘ってるとは思えないけど」

 どっちかと言えば、怒っているんだろう。
 見舞いも全部拒否して、顔も見ずにペア解消を突きつけた。
 あんなことまでさせて。
 その上まだ、アトリはあの時のことに縋っている。
 だから、そう。
 話をすると言うか、謝らなきゃいけない。
 カグはアトリの言葉に、呆れたように「はぁ?」と返した。

「マジで気付いてねーの? アイツ、テメェの前じゃなきゃ笑いもしねえだろうが。んなヤツがあっさり引き下がるか? 拘るとかいうレベルじゃねーの、わかっとけよ」

「そ、んなこと」

 そんなことない、と言い切れない。
 愛想笑いでもすれば良いのにと言って嫌な顔をされたのは、何時のことだったか。
 だから、いつだって向けられる彼の笑顔は作り物ではなくて。
 特別で大切なものだと、アトリ自身わかってはいなかっただろうか。
 心配そうな表情をしていたニールが、何故か「良かった」と微笑んだ。

「アトリくん、ユーグレイくんのこと嫌いになった訳じゃないんだね。ぼくらも二人が仲直りしてくれれば良いとは思ってたけど、もしもアトリくんが本当にペアを辞めたくて辞めたんだとしたら味方をしようって決めてたんだ」

「ま、テメェにだけは一応借りがあるからな」

 強調するように、カグは「一応」と繰り返す。
 アトリは呆気に取られて、瞬く。
 彼らがそういう風に考えてくれていたとは思わなかった。
 ちょっと前まで、話すらまともに出来ないような関係だったのに。
 
「でもその様子じゃ、いらないお世話だったみたいだね。ね、アトリくん。だってユーグレイくんに会いたいって思ってるでしょう」

 まるで兄弟か親しい友人のように、ニールの声は一際優しい。
 アトリはまだ温かいコーヒーを口に含んだ。
 砂糖もミルクも入っていないブラックコーヒーは、苦くて少し酸っぱい。
 ユーグレイに会うのは怖い。 
 正確に言うのなら、会いたいけれど会って話をして、嫌われるのが怖い。
 だから逃げられるうちは逃げていたいと思っていたのに、当のユーグレイではなく周りの人間に外堀埋められるとか想定外だ。
 何かもう笑えて来た。
 
「もう、会って謝るよ。どいつもこいつも揃って気にし過ぎだろ。ちょっとはぐだぐだ悩ませてくれたって良いんじゃねぇの?」

 溜息と文句を一つ。
 けれど他人事だと放っておかれないのは、ありがたいことだと知っている。
 明日は哨戒訓練だから、とアトリは呟いて今後の予定を思い返した。
 意外とリンの研修も佳境で、そろそろ独り立ちの時期だ。
 さてそんな精神的に負荷がかかりまくりそうな私用を入れる余裕はあるのか。

「いや、近いうちに必ず」

「テメェ、それ行かねーヤツのセリフだろうが」

 カグにそう言われて、アトリはその通りだなと笑う。
 もちろん決意が鈍らないうちには、会いに行く。
 
「じゃあ、またペアに戻るつもりってことで良いんだよね?」

 ニールの声は、明るく弾む。
 当然だと言い切れないことは申し訳ないが、嘘をついても仕方がない。
 アトリは流石にわからないと首を振った。

「そもそもあいつに許してもらえなかったら、ここにいんのちょっと辛いしな」

「辛いって、でも」

 リンの研修でさえ、付き合うのは少々荷が重かったのだ。
 今更研究職や医療職には回るのは難しいだろうし、かといって現場と直に関わるオペレーターなんて尚更である。
 防壁の外に帰るところはないけれど、アトリ一人くらいふらふらと国を巡ってどうにかして生きていけるだろう。 

「なあ、言っても構わねぇよな?」

 唐突にそう問われて、アトリはカグを見た。
 不機嫌そうではない。
 どちらかと言えば少し楽しそうに目を細めたカグに、首を傾げる。

「言うって、何を」

「だからアイツに、今日ここでテメェと会って話したって言っても構わねーんだよな?」

 それこそ意図がわからない。
 別段特別なことは話していないし、第五防壁に移ったのだって今更バレたところでどうということもない。
 
「別に、良いけど。ケンカふっかけんのはやめろよ?」

 危機感のねぇヤツ、とカグはにやりと笑った。
 ニールが若干慌てたような顔をして、アトリは眉を寄せる。
 空のコップを指先で摘んで、カグは立ち上がった。
 彼に促されて、ニールも飲みかけのそれを手に腰を上げる。

「え、カグくん? えとごめんね、またゆっくり話しよう。ユーグレイくんに変に絡まないように気を付けておくから、そこは安心してね」
 
 ニールは去り際「ありがとう」とまた礼を言って、さっさと先に行ってしまった相棒を追いかけていった。

 


 
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