Arrive 0

黒文鳥

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2章

0.2


 ペアを解消してその後すぐに元の関係に戻り同じ部屋に移る、なんて面倒くさい経緯を何故か組織の同僚たちは大いに喜んだ。
 引越し祝いだとか賭けに勝ったからとかよくわからない理由で、まだ使えそうな家具を譲ってくれる人もいたほどである。
 その盛り上がりは理解できなかったが、ユーグレイもアトリも自身の私物はそう多くない。
 くれるのならありがたく、と別に拒否もせずに受け取っていたら殺風景だった部屋はあっという間に生活感に満ちた。
 別に日常に不便がないのならどうでも良いと思っていたが、それが、驚くほどに不快ではない。
 加えて、アトリが手の届くところにいるという圧倒的な安堵がある。
 居心地が良いという言葉だけでは言い表せない生活に、何よりユーグレイ自身が驚いていた。 
 
 ふわりとコーヒーの香りが漂う。
 アトリも飲むだろうか、とユーグレイは取り留めもない思考から立ち返る。
 いや、あの様子ではシャワーを浴びたら即寝たいだろう。
 カップに淹れたコーヒーを、調理スペースで立ったまま飲む。
 疲れたかと言われたら、確かに疲れてはいる。
 ただすぐにでもベッドに横になりたいほどではない。
 体力の差を考えろ、とアトリに何度も言われるのはこういうことか。
 ユーグレイはコーヒーを飲み終えて、背後を振り返る。
 薄い戸の向こうから、微かな水音が聞こえた。
 アトリが存外ゆっくりとシャワーを浴びるのだと知ったのは、こうして生活を共にするようになってからだ。
 性格的には鳥の水浴びのようにさっさと出てきそうだったから、意外ではあった。
 聞けば「贅沢してんなーって気分になるから、つい?」と本人もあまり自覚がないようで、ごめん気を付けると言われて別段気にする必要がないことをわからせるのに逆に苦労したのだ。
 たかだか温かい水くらいで、贅沢などと。
 寒いところの出身だとは知っている。
 恐らくはそう裕福な生まれでもないだろう。
 少なくとも、命を脅かす冬をアトリは知っている。
 
「……どこまで手に入れれば満足出来るんだろうな」

 思わず口をついて出た呟きはやはり自嘲気味に響く。
 その過程すら得たいと思うことの方が、遥かに贅沢だ。
 ユーグレイ自身も、かつてのことを話したことはないと言うのに。
 がこん、と何かが落ちるような鈍い音がして、ユーグレイは空のカップを置いた。
 
「アトリ」

 水音は聞こえるが、呼びかけに返答はない。
 息を吸う刹那でユーグレイは戸を押し開ける。
 洗面台の奥、白い浴室の床に座り込んでいたアトリがぱっと顔を上げた。
 濡れた黒髪からぽたぽたと雫が垂れる。
 音を立てたのは落ちたシャワーヘッドだろう。
 足元に湯を撒くそれを拾い上げると、アトリはばつが悪そうな表情をする。

「悪い、大丈夫。ちょっと手が滑った」

「そうか」

 無意識に詰めていた息を吐く。
 持ち上げたそれを渡そうとして、伸ばされたアトリの手が微かに震えていることに気付く。
 座り込んだまま、彼はまだ立ち上がろうともしない。
 手が滑った?
 
「……あ」

 ユーグレイの視線に、アトリは手を引っ込めた。
 明確に「ヤバい」という顔をする彼に、ユーグレイは低く笑う。
 なるほど。
 あれだけ必要なことは言うようにと伝えたが、まだ身に染みて理解してはいないらしい。
 
「君のその癖には、荒療治が要るな」

 手が滑ったなんて言うのは、咄嗟に出た嘘だろう。
 立っていられなくなったか、或いは意識が飛んだか。
 野生動物が自身の不調をひた隠すのと同じだ。
 ユーグレイはシャワーを壁にかけて、濡れた床に踏み込む。
 出しっ放しの湯が肩にかかった。

「ユーグ、濡れるって……!」

「構わない。どうせ洗う」

 アトリはずるずると壁際まで後退して、ユーグレイを見上げる。
 ごめんて、と力のない謝罪があるが一切無視をした。
 膝をついて剥き出しの腕にひたと触れる。
 濡れた肌はあたたかく、指を滑らせると酷く気持ちが良かった。
 ぐっと縮こまったアトリは、こうして見るとやはりユーグレイより細い。
 女性的ではない。
 もっと華奢な男性も組織にはいる。
 ただ、綺麗だとユーグレイは思う。
 生きるために飛び、糧を得るために駆ける。
 そういう生き物の気配が彼にはあった。
 
「お前、ちょっと待っ、触り方! やんないって言った!」

「先に言うことを聞かなかったのは君だろう」

 胸元を押し返そうとした手を掴む。
 反論出来なかったアトリが息を飲んだ。
 
「ッ! 本当に無理だって、ユーグ!」

「…………わかった」

 へ、と呆けたアトリは一瞬抵抗をやめる。
 この状況で油断をする方が悪い。
 ユーグレイは滑り込ませた掌で、その下腹部を摩った。
 
「ッ、う」

 アトリは咄嗟に口元を押さえる。
 ユーグレイの手首を掴んだ彼の手には、ほとんど力が入っていない。
 快感の滲む瞳。
 この触れ方をすると、アトリは容易く絶頂する。

「こうやっていつも触るんじゃないのか?」

 自慰の時はこうするのだろうと問うと、首筋までさっと赤くなる。
 けれど文句を言いたげに眉を寄せるアトリに、微かに疑問が浮かんだ。
 存外耐えるな、と指先で薄い腹を押した。
 突き入れた時に酷く善がるところを探るように、じわりと力を強めていく。
 
「ゆ、ぐ……っま、まだ、ぁ」

「まだ?」

「あ、あっ! あぅうッ!」

 びくん、と目の前の身体が跳ねる。
 浴室に響いた声に、喉が鳴るのがわかった。
 ひくひくと小刻みに震える脚を撫でると、アトリは肩で息をしながらユーグレイを睨んだ。

「無理って、わかってない、だろ……! もう、触るな!」

「………………」

 そもそも我慢をするつもりだったのに、アトリが下らない嘘など吐くからこうなる。
 どれほどその身を案じて様子を窺ったところで、正確にその苦しみを見抜くことは出来ない。
 ユーグレイがほんの少し何かを間違えれば、それだけで命の危険があるのだ。
 だから言葉にして欲しい。
 だから頼って欲しい。
 そう何度も言っているのが、どうしてわからない?
 凶暴な欲望が、切迫した願いを塗り潰した。
 
「だから挿れていない。どうせ一人でするのなら、僕がやっても良いだろう」



 

 
 
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