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3章
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しおりを挟む「いや、お元気そうで良かったです。お久しぶりってほどではありませんが、あれからお顔を見る機会がなかったので」
ラルフは鳶色の瞳を穏やかに細めてそう言った。
言いながら、若干所在なさげに眼鏡を掛け直す。
アトリの僅かな逡巡さえ見抜いた彼だ。
何も言われなくても、良くは思われていないことを感じ取っているのだろう。
うん、だから無言で圧をかけるのはやめようか。
何故かあまり機嫌の良くない相棒の代わりに、アトリは努めて明るく「ラルフさんも元気そうで」と返した。
無茶を言ってついて来たという話ではあったが、それでもラルフ・ノーマンは皇国の使節団の一員である。
会いたいと言って会えるかは微妙なところだと思っていたが、駄目元で昨夜のうちにベアに連絡を取ってもらっていた。
そちらに反応がなくても、あの人なら第五防壁をうろうろしていれば会えそうだという気もしていたが。
早々に「では第五防壁の談話室で」と返事があって、午前の比較的早い時間にこうして会うことが出来たのだ。
相変わらず人気のない広い談話室。
分厚い本を読みながら待っていたラルフは、まるで親しい友人に対するように笑顔でアトリたちを迎えてくれた。
勿論ラルフと出会った経緯については、ユーグレイに説明済みだ。
別段警戒をするような相手ではない。
コーヒーと焼き菓子まで準備してくれたラルフは、お茶会の気分なのかとてもにこやかだ。
「今日は、リンさんとご一緒ではないんですね」
「もう研修が終わったんで、ペアも決まって無事に独り立ちしましたよ」
そうでしたか、とラルフは頷いてそっと視線をユーグレイに送った。
客観的に顔の良い奴が無表情でいると、怖い。
ご友人ですか、と聞かれてアトリは一瞬言葉に詰まった。
さて、思い返せば酷く不安定だったあの時。
名前までは言わなかったが、ユーグレイについて気恥ずかしいことを多々口走った記憶がある。
聡い彼のことだから、紹介した瞬間にバレそうだ。
「アトリ」
ほんの僅かな間だったはずなのに、隣に座ったユーグレイに低く名を呼ばれた。
その声には微かに責めるような気配がある。
何の罰ゲームなんだ、これは。
アトリはコーヒーで口を湿らせてから、諦めて「ペアです」とユーグレイを紹介する。
「アトリさんの、ペアですか。また研修とかではなく?」
「……元々、ペアだったんですが。改めて」
「ああ、そうでしたか!」
ラルフに嬉しそうな顔をされて、アトリは居た堪れない気分のまま項垂れた。
緊張の解けた表情で彼はユーグレイを見る。
うんうんと頷いて、「それは良かった」と保護者のような表情で微笑む。
「いやぁ、部外者がどうこう言うことではないでしょうが、あまりアトリさんをふらふらさせておくのはどうかと思いますよ。どこに悪い人がいるかわかりませんからね」
「ラルフさん……。俺、んなに子どもじゃねぇんですけど」
揶揄われているのか。
あの時の言葉をユーグレイにバラされるよりはマシだが。
ラルフの明るい声音に対して、どことなく空気は重い。
そろりと窺ったユーグレイは、静かに笑みを浮かべてはいた。
温度のないそれにアトリは息を呑む。
ラルフは向けられた敵意に気付いているだろうか。
すみませんつい、と言いつつ彼は呑気に焼き菓子を口に運ぶ。
「忠告痛み入る」
ユーグレイが口にした言葉は、たったそれだけだった。
ただそれだけなのに、怒ってんなこいつとわかってしまう。
何でだ。
口をつけたコーヒーを味わう余裕もない。
「今日はそれで、どうされたんですか?」
一方のラルフは朗らかな口調でそう問う。
鋭いのか鈍いのか、いまいちわからない人だ。
とはいえ助かった。
アトリは「実は」と本題を切り出す。
話しやすい相手ではあるが、ラルフも立場があるだろう。
完全にこちらの味方として情報を開示してくれるとは思っていない。
ただ同僚たちに聞き込むにしたって限度はあった。
多分、アトリたちが出来ることはここまでだろう。
後はベアに報告して、管理員たちに任せれば良い。
だから成果の有無はさして気にはしていなかった。
けれど事情を聞き終えたラルフは、予想に反して真剣な様子で考え込む。
ふう、と吐き出した息は重い。
「…………お気付きとは思いますが、まず前提として皇国の名を負って来ている以上、誰であれここで下手なことはしないと考えます」
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