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3章
11
しおりを挟む「そうか」
案の定ベアへの報告をとうに終えていたユーグレイと食堂で合流して。
のんびりと昼食をとりながら互いに情報を共有した後、ユーグレイは一言そう言った。
何か含みのある声音だ。
直感を裏付けるように、彼の視線はこちらと交わらない。
アトリは空になった皿を指先でテーブルの端に寄せた。
僅かにはっとして、ユーグレイはアトリを見る。
「今後は管理員の方で対策を考えるから聞き込みはこれで終いで良いそうだ。何かあれば教えて欲しいとは言っていたが、あまり期待は出来ないだろう」
「ま、なーんか怪しいってだけだからな。ご本人から決定的な話を聞けるんでもなければ、俺らにはどうしようもない」
「………………」
ユーグ、と呼びかけると相棒は静かに頷いた。
何か気になることでもあるのだろう。
けれどそれをアトリが問う前に、「それはそうと」と彼は常と変わらない表情を見せる。
「例の試行に関しては、医師の後押しを貰ったことになるな」
「聞き逃しとけよ、そこは」
不味い方に話題が逸れた。
馬鹿正直にセナの言葉をそのまま伝えるのではなかったと早々に後悔する。
悪い発想ではないから根気良く続けてみたらなんて。
一度体験したら決して出ては来ない言葉だろうに。
額を押さえたアトリに、ユーグレイは平然と「では君の負担にならない程度に続けよう」と宣言する。
「続けるって時点で負担だろーが」
「負担か? 君、一人で防衛反応に耐えていたんだろう? 大したことはないと思うが」
「……意地悪だな、ユーグ」
それはそう。
仰る通りである。
ただ、しおらしく項垂れるような可愛らしさは持ち合わせていなかった。
そもそも結構謝ったと思うんだけど。
アトリは苦笑して頬杖をつく。
「ちゃんと伝えて欲しいって言ったのはお前だろ。ユーグがちゃんと『寝かせて』くれるんなら、負担だとか言わないけど?」
「そうだな。それは、可能な限り善処しよう」
「可能な限りかよ」
駄目じゃない。
もちろん、嫌なはずもない。
けれど現場に出て魔術を行使した日は、防衛反応の対処のために必ずユーグレイに抱かれている。
それに重ねてあれは、流石に。
全て事情があるからしていることとは言え、どうしたって気持ち良いものは気持ち良い。
一杯一杯で溢れて溺れてしまう。
これ以上は、頭がおかしくなりそうで正直怖い。
「僕としても、ここまで自制が効かないとは思っていなかった。今後の課題だな」
「冷静に言ってるけど、いまいち期待出来ないとこが凄いな」
全く悪びれない様子のユーグレイは、アトリの苦言に微かに笑った。
その笑みに、何故か喉の奥の方がぎゅっと痛くなる。
最近のユーグレイは何と言うか、酷く艶やかだ。
それは雪に埋もれていた花がようやく芽吹いたように、苦しいほどに綺麗で切ない。
彼の容姿の良さは慣れたものだが、ここのところはどうしてもそれに気後れしてしまう。
身体を重ねるようになったからだろうか。
アトリが欲しいと言って、実際渇きを癒すように執拗に求められて。
その感情の何もかもが勘違いだと断じるほどには、アトリも鈍くはない。
あの時。
繋がった深いところから伝わって来た感情は、取り繕うことの出来ない真実であるとわかってもいる。
だから、でも。
勿体ないだろうと、どうしても思ってしまうのだ。
「ーーーーアトリ?」
「ん、いや」
一瞬、ぼうっとしていたらしい。
向けられる碧眼には窺うような気配があった。
その見透かすような瞳から逃れるように、アトリは食堂の壁に掛けられた大時計を見上げる。
昼時の混雑はこれからがピークだろう。
「一応一仕事終わったんだし、午後はゆっくりするか。明日は夜間哨戒だし」
そう多くはない皿をまとめて、「戻してくる」とアトリは腰を上げる。
まだ少し空席の目立つテーブルの合間を縫って、壁際の返却スペースに皿を戻した。
奥は広い厨房だ。
見知った顔のスタッフが、こちらに気付いて軽く手を振ってくれる。
ごちそーさま、と手を振り返すと「どういたしまして」と明るい声が返って来た。
いつものやり取りだが、少し気分が上向く。
色々考えなくてはいけないが、焦ることもないだろう。
そう自身に言い聞かせて、踵を返した。
「…………あれ」
はっとすると同時に、小さく声が出る。
ユーグレイは先程と同じ席で、けれどすぐ傍に立った女性を見上げていた。
緩くウェーブのかかったプラチナブロンドの髪は肩にかかるほど。
華奢なフレームの眼鏡とすらりとしたパンツスーツが似合う、凛とした雰囲気の女性だ。
少なくとも見覚えはない。
ただ、そうだろうと思った。
彼女が、イレーナ。
件のカウンセリングの担当者だろう。
近付くと、ユーグレイは当然アトリに視線を向ける。
対して彼女はアトリを振り返りもしなかった。
恐らくは気付いているだろうに、意図してその視界から排されている。
ただ彼女は、真っ直ぐにユーグレイを見下す。
赤い唇が綺麗な弧を描く。
空気が柔らかく擦れるような、小さな笑い声。
「ユーグレイ・フレンシッド。お会い出来て光栄だわ」
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