Arrive 0

黒文鳥

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3章

12

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「ユーグレイ・フレンシッド。お会い出来て光栄だわ」

 ユーグレイは無表情のまま、微笑む彼女を見る。
 誰も何も言わないが、注目が集まっていることは肌で感じられた。
 けれどそんなことは気にも留めずに、彼女は平然と「貴方を探していたのよ」と続ける。
 目的のもの以外は、別段どうでも良いのだろう。

防壁ここは無駄に複雑な構造をしているものだから、使節団が帰るまでに貴方を見つけられなかったらどうしようかと思った。場合によっては管理員とやらに貴方を呼び出して貰おうと思っていたのだけれど、手間が省けたわ」

 随分と熱烈な台詞だ。
 流石にしれっとその場に座るのは憚られて、アトリはテーブルから少し離れたところで立ち止まった。
 口を挟めるぎりぎりの距離だ。
 ユーグレイは彼女にそう言われて、さして驚いた様子もなかった。
 
「用件は?」

 何の余分もなく端的に問いかけたユーグレイに、彼女は僅かに瞳を細める。
 初手がそれでは大多数が言葉に詰まるだろうに、寧ろ嬉しそうに見えたのは何故だろうか。
 ライトグレーのジャケットの前で、彼女は腕を組んだ。

「あら、気が合うわね。私も無駄は嫌いなの。早速だけれど、本題に入らせて貰うわ」

 鋭い印象に対して、良く通る声はどこか優しげで甘い。
 
「貴方に、カウンセリングを受けて欲しいの」

「何故?」

「何故って、貴方は皇国の人間でしょう? 自国の人材が不当な扱いを受けていないか確認することも、使節団の役割だもの」

 筋は通っているが、そもそもそのカウンセリングが怪しいからと調査を依頼された側である。
 気軽に受けてくればと言う気には到底ならない。
 割り込むか。
 けれど「皇国の人間」という言葉に、結局踏み出しかけた足は止まってしまった。
 そういえば、ユーグレイの故国がどこか聞いた覚えはない。
 人魚討伐に対する執着を思えば、カンディードに来る以前に何かしらあったのだろうと予想くらいはしていた。
 だからどこから来たとか家族はどうしてるとか、話したくはないだろうと思ったのだ。
 アトリ自身、それらを詳しくユーグレイに話している訳でもない。
 ふと珍しく夢に見た故郷を思い出す。
 何もかもが凍る、長い冬。
 鋭い痛みを伴う白い夜。
 幻覚を払うように、指先を握り込んだ。

「勿論、協力してくれるでしょう? ユーグレイ・フレンシッド」

「使節団のカウンセリングに強制力があるとは知らなかったが」

「強制ではないけれど、でもそれくらいの貢献があっても良いのではないかしら? ご家族も、貴方のことを心配されていると思うのだけれど」

 瞬間。
 ユーグレイが纏う空気が張り詰めた。
 綺麗な言の葉の裏。
 仕込まれた棘に気が付かないはずがない。
 真正面から睨まれても、彼女は平然と微笑んだままだった。
 ユーグレイがどう反応するか、わかっていたのだろう。
 流石に見ていられない。
 
「ユーグ」

 テーブルに歩み寄って声をかけると、彼は僅かに表情を緩める。
 彼女はここに至っても、アトリを見ない。
 きっと彼女の中で価値があるものとないものの線引きがされていて、アトリはすでに後者に分類されているのだろう。
 いや、そんなことはどうでも良い。
 
「もう良いから」

 行こう、とアトリが口にする前に、ユーグレイは立ち上がった。
 何か言いたげな碧眼に、アトリは反射的に口を噤む。
 彼は答えを待つ彼女に向き直ると、頷いた。

「構わない。出来ることであれば、協力しよう」

「そう言ってくれると助かるわ」

 それじゃあ行きましょうと促されて、ユーグレイはあっさりと彼女に続く。
 
「え? ちょい待て、ユーグ」

 出来ることであれば協力しようとか、本気か。
 例のカウンセリングに危険性があるか自分の身で確認する気なら、馬鹿も大概にして欲しい。
 そうじゃなくてアトリには思いも付かないような事情があるのだとしても、ふざけんな馬鹿としか言いようがない。
 だってお前、俺が同じことしたら怒るだろーが。

「先に戻っていてくれ」

「いや、だって」

「すぐ戻る」

 挙句、置いていく気なのか。
 さぁっと血の気が引くほどのそれは、どういう名前の感情だったのだろう。
 咄嗟に飲んだ言葉さえ、何だったのかわからない。
 立ち返って引き留める間もない。
 ユーグレイは彼女の後を追って、振り返りもせず食堂を出て行った。

 すぐ戻る、とか言ったくせに。
 結局、ユーグレイが部屋に戻って来たのは数時間後。
 夜になってからだった。 
 
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