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3章
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しおりを挟むさて、自身はどうも怒っているらしいと辛うじて自覚は出来ていた。
無理をするな無茶はするな、とあれほど過保護に言うくせに彼は好き勝手するのかと酷く納得がいかない。
けれど現実問題として不調を抱えるアトリとユーグレイとでは確かに話も違う。
人魚関連のことであるならいざ知らず、彼であれば危ういことになる前に退く判断が出来るだろうという信頼もあった。
いやでもそれなら、アトリが一緒に行ったって良かったはずだ。
ペアなのだから、それくらいの権利はあっても良いだろう。
わざわざ「先に戻っていてくれ」なんて、心配もしないと思われているのなら心外である。
ああ、でも。
ユーグレイがアトリに対してそう言うほどに、アトリは彼に同じ言葉を返していた訳でもない。
心配だからとか無理はしないで欲しいとか、言わなくてもわかるだろうと言うのは傲慢だ。
そのツケが回って来たと思えば、じわじわと身の内に燻る怒りは苦い諦観に色を変えた。
なるほど、こういう気分になるのか。
そんなことをつらつらと思考している内に、微睡んでいたらしい。
悔しいが言われた通り、一人きりで戻った自室。
帰って来たら一言文句を言ってやろうとソファで待ち構えていたはずだが、すぐ戻って来なかった相棒が悪い。
心地良く温くなった柔らかい背もたれ。
深い眠りに落ちる寸前、ふと遠慮がちな指先が頬を撫でた。
「……ユーグ」
重い瞼を持ち上げて、アトリは反射的に名前を呼ぶ。
照明を遮るようにこちらを覗き込んでいたユーグレイは、何故か言葉に詰まったようだった。
表情を窺う間もなく、彼は静かに身体を起こす。
「こんなところで寝ると風邪を引く。夕食は済ませたのか?」
「…………」
アトリはソファに座り直して、小さく頷いた。
嘘だ。
結局ユーグレイの帰りをずっと待っていて夕食を食べ損ねた。
ただそんなことを素直に口に出来るはずもない。
幸いユーグレイはアトリの嘘に気づいた様子もなかった。
羽織っていたローブをするりと脱ぐと、疲れの滲む顔で「そうか」と言う。
「……想定外に時間はかかったが、それなりに収穫はあった」
「ふぅん」
気のない返答をしても、ユーグレイは気に留めることなく続ける。
「だが些か疲れたな。報告は明日にしたいが、構わないか?」
アトリはじっと相棒を見上げるが、それほどまでに疲れているのか。
脱いだローブをソファにかけるユーグレイと視線は合わない。
「別に構わないけど」
こんなに時間をかけて何を話して来たんだ。
危険性があるかもしれないカウンセリングを受けて来たのか。
一人で?
何で勝手に危ないことしてんだ。
他にも色々。
胸倉を掴んで問い詰めたい気持ちがあったことは否定出来ない。
ただその衝動を何とか飲み下して、アトリは淡々と答えた。
「君も、眠いなら早くベッドに入った方が良い」
「……そーだな」
お前を待ってたんだって。
アトリはぐっと言葉を飲み込んで、立ち上がった。
ふいと顔を見ずにユーグレイの隣をすり抜ける。
おやすみ、と残した声は自分でもどうかと思うほど、温度がなかった。
最後まで気付かずにいてくれれば良いものを。
流石に疑問を抱いたのか、ユーグレイに手を取られた。
「何?」
「……どうした? 怒っているだろう。何故?」
何故、と来るか。
アトリはゆっくりと首を振る。
「寝起きでぼんやりしてるだけだろ。話なら明日すんじゃねぇの? 俺も、その方が良いな」
ちょっと冷静になりたい。
ユーグレイが悪いけどユーグレイだけが悪い訳じゃないから、ちゃんと言葉で伝えられるように時間が欲しかった。
感情的に苛立ちや不安をぶつけたくはない。
それはただの甘えだろう。
ユーグレイは眉を寄せて、鋭い瞳をした。
「何かあったら言えと言ったと思うが」
「……それはお前もだろ。俺ばっか言わなきゃなんない? お前はどーなの?」
握られた手を離すよう無言で促す。
アトリの言葉の意味を、理解しているだろうか。
何も言わないユーグレイに苦笑する。
ああ、なんかしんどいな。
「心配した。嫌がられてもついて行けば良かった。何でこんな遅くなってんだ、馬鹿」
「………………すまない」
驚いたように見開かれる碧眼。
恐らくは咄嗟に口をついて出た謝罪は、重さもなく霧散する。
「いーよ。俺もちゃんとお前に伝えてなかったの、悪かったし」
「アトリ」
自室ではなく廊下へと続く扉に向かおうとするアトリを、ユーグレイが咎めるように呼んだ。
もう良い。
言え、と言うのだから、言ってやろうとため息を吐く。
「頭冷やして来るだけだっての。ユーグだって疲れてんのに、理不尽に喚き散らされたくないだろ? ずーっとお前を待ってて飯食いそびれたから、食堂行ってくる」
「………………」
「何して来たのか知らないけど、ユーグこそさっさと休めよ」
すぐ戻るからと続けて、意図せず守られなかった約束を突きつけるような形になる。
そういうつもりではなかったが、そう言われてはユーグレイは止めようがないだろう。
「お前もちょっとは反省しろ。俺も、ちょっと反省して来るから」
彼はどんな表情をしたのだろう。
それを見届けず、アトリはさっさと部屋を出た。
ユーグレイがそう思ってくれるのと同じくらいには、彼のことが大切だ。
無理はして欲しくない。
傷付いては欲しくない。
頼って欲しいし、いつだって味方として側にいられる存在でありたい。
「あいつのことばっかじゃん」
ぽつりと小さく呟く。
こんがらがった感情は、結局どこを辿ってもユーグレイに行き着く。
これは本当にどうしようもないな、と逃げるように歩を進めながらアトリは思った。
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