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3章
0.3
しおりを挟む門に戻ると非番のはずの同僚数人がタオルを用意して待ち構えていた。
酷い荒天であることは、防壁内の人間にも知らされているようだ。
椅子を持ち寄り菓子やら飲み物も準備して談笑していた辺り、暇潰しを兼ねていそうだがありがたいことに変わりはない。
泳いで来たのかよとずぶ濡れのユーグレイとアトリを揶揄った後、重くなったローブを剥いでタオルを投げて寄越してくれる。
歩く度に水の染み出すブーツも脱がされて、適当なスリッパを勧められた。
はいじゃあ風呂直行で、と彼らはタオルを被った二人を押しやる。
自室でシャワーを浴びても良かったが、現場に出る人員のためにわざわざ薬湯を張ったらしいと聞いて共同の浴場に向かった。
ハーブのような香りのする湯に浸かって身体を温め、そのまま寝落ちそうなアトリを引きずるようにして食堂に足を運ぶ。
のんびりしていると色々とそれどころじゃなくなるだろう。
少なくとも消耗した分しっかりとした食事を、と思っていたのだが。
「ユーグレイさん、グラス空ですけど何か飲みます?」
いつの間にか左右に座った女性たちから、あれやこれやと勧められ会話を求められる。
ユーグレイは頷きもしなければ、返事もしなかった。
今日みたいな天気で現場に出るのは大変だっただろうからと食堂の担当者が飲み物一杯を無料で提供すると気を利かせた結果、早くも大規模な飲み会が始まったらしい。
テーブルには誰かが頼んだ大皿の料理がいくつもの並び、半分立食のような形で食堂に居合わせた多くの人間が思い思いに楽しんでいるようだった。
それは別に構わないのだが、お疲れと声をかけられて半強制的にその飲み会に巻き込まれたのは頂けない。
気が付いたらどうにも居心地の悪い視線を向ける女性たちに囲まれていた。
話を合わせる気はなくまともに返事もしない自身に構って、何が楽しいのか。
だがまたかと思うくらいで最早諦めてもいた。
少し離れた席まで押しやられたアトリはこういう時大変だなという視線を寄越すくらいで、よほどのことがない限り間には入らない。
空になったグラスに麦酒が注がれて、ユーグレイは無言のままそれに口をつけた。
視線を投げかけた先。
アトリはすぐ隣に座った少女と楽しそうに何か話している。
ふわりとした金髪。
柔らかく微笑む横顔には覚えがあった。
研修に付き合っていた新人だ。
「見過ぎだよぉ、ユーグレイってば。バレちゃわない?」
「………………」
すぐ傍でそう言われて、ユーグレイは視線を隣の席に向けた。
先程までやけに近い距離で何やら喋っていた女はどこに行ったのか。
テーブルに頬杖をついた少女が、意味深な表情で笑っている。
緩く三つ編みにされたシナモン色の髪。
「えへ、久しぶりー! この間はありがとね」
何がバレてしまうのかはわからないが、ひらひらと軽く手を振られてユーグレイは「ああ」とようやく答えた。
「……いや、礼ならアトリに言うと良い」
ロッタ、と言ったか。
先日魔術暴発を引き起こしてからゆっくりと話す機会もなかったが、以前と変わった様子はない。
管理員からの情報ではあるがすでに現場に復帰していることは知っていた。
何やら以前のペアとトラブルになっていたようだが、暴発を目の当たりにした相手は以降接触を避けるようになったらしい。
まあ良い脅しになったと思えば、とアトリが安堵していたので印象に残っている。
ロッタは「もちろんアトリさんにも声かけて来たよぉ」と胸を張った。
彼女は腰を上げて大皿から野菜のフライを摘む。
「何かみんなで飲み会みたいになってたからリンちゃんと顔出してみたけど、当たりだったなぁ。ていうかユーグレイ、アトリさんのこと気にしすぎじゃない? 心配しなくてもリンちゃんが側にいるから大丈夫だってばぁ」
気にし過ぎだと言われれば、確かにそうかもしれなかった。
同じテーブルではあるが、表情が辛うじて窺えるほどの距離。
常より賑やかな空間に飲まれてその声は聞き取れない。
ロッタにそうと悟られたのは、アトリに変調があればすぐにでも退席しようと構えていた所為だろう。
彼女はユーグレイの沈黙をどう捉えたのか。
フライを口に放り込んで、んふふと笑った。
「でも気になっちゃうの、わかるなぁ! ユーグレイってば余裕そうに見えて全然余裕ないじゃん。ええ、やだ、胸がきゅうってするー!」
「…………そうか」
「うそうそ、じょーだんだってばぁ」
ロッタは両手を軽く挙げて、ごめんごめんと適当に謝る。
その小さな手を見て、ふと彼女がごく短い期間ペアとして隣にいたことを思い出す。
案外音を上げないものだから自主的に哨戒に繰り出した記憶もあった。
彼女もエルだ。
「聞きたいことがある」
「え? 何、何?」
テーブルにグラスを置いて、ユーグレイは僅かに声を落とした。
その言葉を聞き逃すまいと、ロッタは首を傾ける。
「エルが探知を行う時、用いる魔術は視力強化が主だろう。それは一般的にどこまで視える?」
「えぇ、なーんだ。マジメな話ぃ?」
「魔術の威力さえ高ければ、広範囲を把握することは可能なのか?」
不満気な声を出したロッタは、けれどユーグレイが続けた言葉に眉を寄せた。
「何の話かちょっとわかんないけどぉ、視力強化はあくまで視力強化じゃない? 広範囲ってどーいうレベルで?」
「……区画の反対にいる人間を視る程度、だな」
「ね、ホント、何の話?」
ロッタは笑みを浮かべたまま、困惑したように言う。
「他人と比べたことないからロッタの感じになっちゃうけど、視力強化ってすごぉく高性能な双眼鏡を覗いてるみたいなの。区画の反対側なんて、どんなにがんばっても見れなくない? リンちゃんからどれだけ魔力もらっても出来る気がしないし、そもそもそれぇ、根本から違う魔術だと思うなー」
根本から違う魔術。
どこか予想していた気はした。
探知の折、アトリが縋るように手を握るようになったのはここ最近のことだ。
恐らくは防衛反応に異常を来してからだろう。
ユーグレイは「そうか」と言って、グラスに残っていた麦酒を飲み干す。
腰を上げたユーグレイを、ロッタは引き留めない。
声をかける前にこちらに気付いたアトリと目が合う。
どこかほっとしたような表情に、彼もこの場を抜ける機会を図っていたのだろうなと思った。
名残惜し気な後輩に一言二言言葉をかけて、アトリも立ち上がった。
ゆっくりしてけよと間延びした幾つかの声が聞こえたが、「予定がある」と返して食堂を出る。
「ユーグ?」
怪訝そうな声。
この形容し難い感情を気取られまいとユーグレイは息を吐く。
急ぎの予定があるだろう、と言ってやるとアトリは何とも言えない顔をして黙り込んだ。
食堂に人が集まっているからだろうか。
広い廊下は人気がなくやけに静かで、ならば構わないかとユーグレイはアトリの手を掴んで歩き出した。
握り込んだ指先は少し熱い。
何か言うだろうと思ったが、アトリは結局部屋に着くまで文句の一つも口にしなかった。
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