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間章
6
しおりを挟む検査結果は概ね正常。
同年代と比べるとやや虚弱と言えるが、問題になるほどではないだろう。
対してそのエルとしての能力は、やはり群を抜いている。
数日かけて行われた測定において、平気な顔で少女が行使した魔術の殆どが想定される威力を軽く上回っていた。
カンディードとしては、喉から手が出るほどに欲しい人材である。
カルテを流し見ながら、セナは溜息を吐いた。
「それで、私にどうしろって言うのかな? 全く」
目の前の丸椅子には、件の少女がちょこんと腰掛けている。
クレハ・ヴェルテット。
アトリとユーグレイがわざわざノティスに出向いてその身柄を保護して来た、噂の「聖女様」である。
長い黒髪に、透けるように白い肌。
鑑賞対象としては百点満点の美少女だ。
能力の測定には素直に応じていたという彼女だが、話を詳しく聞くとどうも組織も未だ認知していないような知識を有しているらしいと判明。
それは彼女の母から口伝えに教授されたもののようだ。
魔術に関する多くは時の流れと共に失われる一方で、信頼の出来る資料も決して多くはない。
管理員たちが思わず彼女を質問責めにしたのも、無理はないのだが。
「………………」
結果として、クレハはその知識が一般的ではないことに気付いたようだ。
ぴたりと口を噤み、すっかり警戒モードに入ってしまったらしい。
慌てた管理員たちが宥めすかしたところで後の祭り。
同性同士だし、セナであれば医師らしからぬ気安さもあるだろう。
結局管理員にそう押し付けられて、検査を兼ねて診察室で彼女と面談などという事態になった訳である。
セナは指先で広げたカルテをとんとんと叩いた。
クレハは黙り込んだまま、その指をじっと見つめている。
目の間の相手に興味はあるが、同時に潜在的な怯えもあるのだろう。
この手を軽く振り上げた瞬間に、この少女は脇目も振らず逃げ出すだろうという予感があった。
同じ黒髪だからだろうか。
彼女はどこか、セナのお気に入りの患者を連想させた。
思えば雰囲気もどこか似ているが、彼であればもっと揶揄い甲斐もある。
「可愛い子は好きだけど、無反応っていうのは張り合いがないかな」
呟きながら、セナは足を組みかえて診察台に頬杖をつく。
まあ、結果として彼女が沈黙を選んだことは間違いではないだろう。
カンディードの管理員や医師なんかは、半分研究職に足を突っ込んでいるような人間も少なくない。
尋問や人体実験の何が問題なのか、と素で首を傾げるような輩だって数名くらいは名前を挙げられる。
かつてよりまともにはなったが、この組織はそもそも不完全な魔術師の集まり。
この手のことは、黙っているに限るのだ。
「良いけどね、別に。何聞き出せって言われてる訳じゃないし」
大体この少女の警戒を解くのであれば、彼女を連れ出した人間の方が適任である。
面倒事を押し付けてくれた管理員もさして期待はしていないだろう。
薄桃色の髪に指先を突っ込んで、セナは「でも世間話くらい付き合ってくれても良いと思うんだけど」とぼやいた。
予想通り、少女からの返答はない。
白い照明を見上げてセナは軽く首を振った。
「君たちは似ているようで随分違うね。いや、もしかしたら本質的にはアトリ君も君と同じなのかな」
聞かせようと意識はしていた訳ではなかった。
最早それは独り言に近い。
けれどセナの言葉に、少女はふっと表情を緩めて瞬いた。
小さな唇がようやく音を紡ぐ。
「アトリ?」
なるほど。
やはり彼らに対してはそれなりの信頼を置いているらしい。
いや、そうでなければこんなところに身を寄せたりはしないか。
セナは小さく笑って、少女を怯えさせないよう努めてゆっくりと頷いた。
「そう、アトリ君。彼は私の患者でね、よくおしゃべりをする仲なんだ」
「お姉さんは、アトリの主治医ってこと?」
お姉さんと来たか。
セナは口元を手で覆って、笑い声を殺した。
いや、悪くない。
クレハはセナの様子に注意を払うことなく、少し身を乗り出した。
丸椅子が軋み、長い黒髪がその薄い肩から滑り落ちる。
「アトリはどこか悪いの? 防衛反応?」
半ば確信を持ったような言い方だった。
防衛反応。
クレハの問いに、セナは指先を机に落とした。
開いたままだったカルテを閉じる一瞬で、思考する。
「ーーーーそれ、本人から聞いたのかな?」
全く。
何度も言っているのに、アトリ本人はどうにも危機感がない。
そもそもエルとしての自身は落ちこぼれだという認識故だろう。
彼の防衛反応を巡る異常は、軽々に口にするべきものではないのに。
それがどれほどの「価値」を有しているのか、理解していない。
他者に対しての警戒心はある癖に、「特別な自分が誰かの興味を引く」という状況は想像しないようだ。
危ない目に遭う前に、彼の相棒に念押しを頼むべきだろうか。
そうなるとアトリは恐らく大変なことになるだろうが、それはそれ。
セナ個人としては色々楽しめるから罪悪感は欠片もない。
けれど、クレハは不思議そうな顔で小首を傾げた。
小動物を思わせる仕草は、彼女を実年齢以上に幼く見せる。
「違うよ。アトリからは聞いてない」
でも、と少女は続ける。
「でもお母さんが、そうだったから」
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