Arrive 0

黒文鳥

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間章

9

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「どうにかしなければ駄目、というのは何のことだ?」

 少し遅い朝食の後。
 眠気覚ましの熱いコーヒーに息を吹きかけていたアトリは、ユーグレイの問いかけに視線を上げて不思議そうな表情をした。
 どうやら覚えていないらしい。

「昨夜、やはりどうにかしなければと言っていただろう」

 気持ち良いと訴える言葉の合間、アトリは譫言のようにそう言った。
 本人も指摘されて思い至ることはあるようだ。
 アトリはカップを傾けたまま目を丸くして、「熱っづ!」と小さく悲鳴を上げた。
 落ち着いて飲めと言うと、口元を押さえて恨みがましい目をする。

「……んなこと言ったっけ?」

 なるほど、あくまで明かしたくはないことなのだろう。
 そもそもそれを口に出していたこと自体、アトリにとっては予想外のことらしい。
 動揺からか、常より誤魔化し方が雑である。

「覚えていないのであれば、状況から説明するが」

「お前……、慈悲とかねぇの?」

 呆れたようにそう言われて、ユーグレイは今更と小さく笑う。
 アトリもこうなると容赦はしてもらえないとわかっているはずだ。
 何より行為の最中の一言。
 聞き逃すという選択は、初めからない。
 往生際悪く、アトリはちびちびとコーヒーを飲みながら言い淀んでいる。
 これはまだ話す気がなさそうだ。

「アトリ」

 ユーグレイが名前を呼ぶと、近くの席から「手加減してやれー」と野次が飛んで来る。
 かつてもそうだったが、ペア解消騒動以降どうも注目を集めている気がしてならない。
 お前が目立つんだよ、とアトリは言うがそれだけが原因ではないだろう。
 何にせよ事情も知らない人間の言葉に耳を傾けるつもりはなかった。
 アトリは声をかけてきた彼らにひらひらと手を振って、「へーき」と軽く答える。
 それから肩を竦めて苦笑した。

「わかったから、んなに怖い顔すんな」 
 
「そうさせているのは君だが」

「そーですか」

 諦めて話す気になったのか。
 或いは上手いことはぐらかす算段がついたのか。
 アトリはちらと周囲を見てから、流石にここじゃ、と声を潜めた。
 それならば、とユーグレイは早々に席を立つ。
 午後はノティスの一件に関する聞き取りの予定があるが、それまでは別段急ぎの用事もない。
 無言でアトリを促すと、彼は慌ててコーヒーを飲み干して立ち上がった。
 食堂を出て、広い廊下を並んで歩く。
 どこならば良いのか判断がつかないが、少なくとも自室であれば文句はないだろう。
 
「わかったって言っただろ。もうちょっと、ゆっくり」

「時間の猶予を与えると碌なことにならない」

「いや、だから、そうじゃなくて」

 ユーグレイは、少しずつ遅れ出すアトリをようやく振り返った。
 石の壁に手をついて、アトリはほっとしたように足を止める。
 辛そうだ。
 何故、と答えを探すまでもない。

「すまない」

 極力配慮はしているつもりだが、行為に際して受け入れる側であるアトリの負担はやはり大きい。
 特に最近は自制が効かないことも多かった。
 ペアとして側にいながら、延々と我慢をしていた反動もある。
 何よりアトリがちゃんとユーグレイを求めて、感じてくれているという実感を得たからでもあった。
 唯一、欲しかった相手だ。
 いくらでも触れていたいし、抱きしめていたい。
 だから、気持ち良いなどと言われたら止まれるはずもないのだ。
 
「や、昨日のは俺も悪かったから、謝んなくて良いけど」

 ユーグレイが差し出した手を掴んで、アトリは気まずそうに視線を落とした。
 現場に出る仕事を減らしているため、現状少しばかり夢中になったところで問題にはなっていないが。
 そうか、とユーグレイは頷く。

「どうにかしなければ、というのはこのことか?」

 翌日に響くこと自体、あまり良いこととは言えない。
 何より有事の際は現場に駆り出されるのだから、アトリも気になって当然だろう。
 黒い瞳を瞬かせて、当人は何故か呆けたようにユーグレイを見返す。
 
「身体的な疲労が残るのだろう? 無理をさせたい訳じゃない。それほどに辛いのなら、そうと言えば良い」

「え、ああ、うん?」

 歯切れの悪い返答。
 ユーグレイはアトリの手を握ったまま、ゆっくりと歩き出す。
 談話室の前を通り過ぎると休憩していた誰かの目に留まったようで、また揶揄うような声が幾つか投げかけられた。
 アトリは反射的に手を解こうとしたが、ユーグレイはそれを遮って指先に力を込める。
 これくらいは、許して欲しい。
 
「少し、自重しよう」

 階段を上がりきってから、ユーグレイはそう言った。
 構成員たちの自室が集まるエリアは、幸いひっそりとして人気がない。
 
「自重」

「君も当初から、やり過ぎだと言っていただろう。防衛反応の対処としては譲れないが、今後は必要以上の行為は控えるよう努める」

 多少の疲労感なら別段問題ではないと思っていたが、実際それを抱えるのはアトリであってユーグレイではない。
 浮かれていたという自覚もあった。
 それは手放し難く堪らないほどの快感だが、流石に少し冷静になるべきだった。
 そもそも行為を強要して嫌悪されては、困る。

「そうして……、もらえると?」

 何故か疑問符がつくような言い方をして、アトリは首を傾げる。
 それから部屋に着くまで、沈黙が続いた。
 嫌だと言われた訳ではないし、重く捉える必要性はないだろう。
 そう思いはしても、気分が上向くはずもない。
 自室に着くと扉を閉めてから、ユーグレイは「すまない」と再度謝罪を口にした。
 アトリは息を詰めてから、深く溜息を吐く。
 彼はそのまま肩を落として、片手で額を押さえた。

「ごめん。控えなくて良い」

「…………アトリ、そういう無理はするなと」

「無理じゃ、なくって」

 あーもう、とアトリは顔を覆う。
 髪から露わになった耳が、赤い。

「お前とすんの、気持ち良いの! ここんとこ防衛反応がない時も凄くて、流石にちょっとって!」

「………………」

「ユーグがどうのって話じゃない。次の日ちょっとしんどいとかなくもないけど、お前随分気にかけてくれてるし。だから控えなくて、良い!」

「………………」

「何か言え、馬鹿!」

 そうか、と言ったような気はする。
 アトリの身体を少し乱暴に引き寄せて、後頭部を支えたまま唇を重ねる。
 予想はしていたのか。
 アトリは抵抗もせずに、ユーグレイの背中に手を回した。
 舌を絡ませると痺れるような快感に脳が震える。
 同じものを、アトリも味わっているのだろう。
 腕に力を込めると、答えるようにきつく抱きしめられる。
 
「ん、くっ……」

 息継ぎの合間、くぐもった声が微かに聞こえる。
 名前を呼ぶと閉じられていた瞳が僅かに開かれた。
 熱で蕩けたような黒。
 その奥に、隠し切れない熱が燻っている。
 それはきっとこの身を焦がすものと同じだと、ユーグレイは思った。
 
 


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