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黒文鳥

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6章

6

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 背凭れに押し付けられて、アトリはユーグレイの肩を軽く掴む。
 首筋を撫でる指先は優しく、まだその先に踏み込む気配はなかった。
 どうやら今は触れるだけで良いらしい。
 何だ、と思ってしまう自分もどうかと思うが。
 
「……今、する流れだったか?」
 
「今しなかったら後悔すると思っただけだが」

 別に構わないが、存外真面目な話の最中だった気もする。
 即答した相棒に、アトリは肩を竦めた。
 ユーグレイの指先は鎖骨を辿って、名残惜しいと訴えるようにそこに留まる。
 
「何だ、案外元気じゃん」

「そうだな」

 あっさりと頷いたユーグレイが、「それで、君は?」と続けた。
 やめろとは言わなかったから、いつもならそのまま抱かれていただろう。
 そうしなかったのは、アトリの不調を察知してのことだったようだ。
 アトリはゆっくりと瞬いて、それから許される限り沈黙する。
 何でもない、と誤魔化すのは簡単だ。
 けれど、ユーグレイは話してくれた。
 恐らく彼も「何でもない」と口を閉ざしたかった話を、ちゃんと明かしてくれた。
 アトリ、と答えを催促されて小さく唾を飲み込んだ。
 
「…………ちょっと気持ち悪くて、寝てた」

 まあ嘘ではないな、と自分に言い訳をする。
 最初から事の次第を説明をすれば、ユーグレイは当然怒るだろう。
 アトリの認識の甘さを指摘して、無理をするな何故呼ばなかったとそう言って。
 けれど多分それだけで終わりだ。
 別に致命的なすれ違いにはならないはずである。
 だから、ちゃんと話してしまえば良いのにと思わなくもなかった。
 ユーグレイの言う通り、確かにこれは悪い癖だ。
 
「寝たら治ったから、平気」

「……そうか」

 体調が悪かったのだと素直に口にしたからだろうか。
 ユーグレイはそれ以上の事情があると思わなかったようだ。
 追求はないが、確かめるように彼はもう一度アトリの額に手を置いた。
 言った方が良い。
 実は、と切り出すだけで良いのに。
 それでも言葉は続かなかった。
 無論クレハには口外しないで欲しいと頼んであるが、ラルフは次会った時確実に今回のことに触れるだろう。
 だから遅かれ早かれバレる可能性の高い出来事だ。
 ただそうだとしても、ユーグレイには話したくない。

「熱もないって。心配しすぎ」

 罪悪感を飲み込んで、アトリは軽い口調で言った。
 事実防衛反応はとうに収まっているし、同様にあの耐え難い気分の悪さも消えている。
 少しの怠さはあったが、それもさして差し障りがあるほどではない。
 ユーグレイは一応納得したようではあった。
 額に触れていた手を下ろして、彼は頷く。
 
「確かに熱はないようだが、今日はもう休め」

「いや、もちろん早く寝るつもりだけど、まだ夕飯食ってないし」

「食欲はあるのか?」

「なかったら平気だって言わねぇよ」

 アトリの「食事をしたい」という発言に、彼は多少安堵してくれたようだ。
 良かった。
 何てことない顔をしていても、ユーグレイにとって皇国の問題は酷く気掛かりなことに違いない。
 余計な負担は増やしたくないな、とアトリは努めて明るくユーグレイを促した。
 ぽんぽんと腕を叩くと、彼は半ば乗り上げていたソファから膝を下ろして立ち上がる。
 飯行こ、とアトリも勢いをつけて腰を上げた。
 空腹なのは本当だし、美味しいものを食べれば彼も少しは元気が出るだろう。

「しっかりと夕食を摂ることに異論はないが、君はアルコールは口にしないように」

「『君は』って、お前だけ飲む気でいんの? それはちょっと酷いだろ!」

 自室の扉を開けるユーグレイの背中を軽く押すと、彼はいつものように涼やかな表情で笑った。
 こんなことよくあったら死んじゃうよ、とクレハに言われた言葉が唐突に脳裏を過ぎる。
 一瞬、目の前の光景から現実味が薄れた。
 まるで大切な記憶を脳が再生しているだけのようで、言いようのない不安が迫り上がってくる。
 いや、防衛反応がなくともいつ現場で命を落とすかわからないのだから今更だ。
 ついこの間見た夢のように、どういう形にせよ別れは来るのだから。

「どうした?」

 気付いたら、何故かユーグレイの袖口を引いていた。
 怪訝そうな表情の彼に、アトリ自身どういう顔をしていいかわからず「いや別に」とさっと手を離す。
 子どもじゃあるまいし何をやっているんだか。
 ユーグレイは無言のまま、アトリが引っ込めた手を取った。
 指先を絡めてから、手を繋ぐ。
 流石に誰かに見られたらまずそうだが、振り払いたいとは思わなかった。
 
「知らねぇよ? 俺相手にこんなんして。変な噂立っても責任取れないからな」

 躊躇わず廊下を歩き出したユーグレイに、アトリは苦し紛れに軽口を叩いた。
 ユーグレイは「別に構わない」とそれを一蹴する。
 
「今更隠す必要性もないだろう。気にする人間もそう多くないと思うが」

「ーーーーは? ちょっと待て、それどーいう意味だ」

 微妙に変化したアトリとユーグレイの関係を、同僚たちが察しているとでも言うのだろうか。
 それは、ちょっと聞き捨てならない。
 ユーグレイは「さてな」と意地悪く微笑んで、絡めた指先に少しだけ力を込めた。




 
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