Arrive 0

黒文鳥

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6章

9

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 予想通り、翌日の早朝から現場では臨時の警戒体制が取られることになった。
 未捕捉の大型個体が彷徨っているとなれば、組織としては当然捨て置けない。
 今後大規模な討伐が行われる可能性を考慮してか、それぞれの哨戒時間はそう長くなかったのは幸いだった。
 当然のように招集されて、影が目撃された第三区画に出たのが僅か三時間前。
 まもなく次のペアと交代予定だ。

「こんだけ探してて見つからないって、逆に怖いけどな」

 灰色の空を映す海面を軽く蹴って、アトリはユーグレイに手を差し出す。
 まだ昼前だが重く雲のかかった空は暗く、今日は日没後の哨戒が思いやられた。
 ユーグレイは求められるままアトリの手を握って魔力を渡してくれる。
 
「……昨夜の哨戒からそもそも人魚に遭遇していないらしいが」

「ってことは連中、半日以上大人しくしてんの? いや普通一体か二体くらい出て来るだろ」

 嵐の前の、と言うやつか。
 アトリは周囲の探知を済ませて、軽く頭を振った。
 大きな影とやらは未だ見つかっていない。
 もう第三区画にはいないのか。
 その辺りは管理員も可能性として考慮しているようで第二区画と第四区画にも人員を送っているらしいから、それが防壁を越えることはないと思いたいが。
 ふとありきたりな悪夢の断片が蘇る。
 人魚は時に探知をすり抜けて出現するなんて当たり前の知識が、離れて行くユーグレイの手を掴ませた。
 現状はどうあれ、本来のアトリの能力は決して優秀と言えるものではない。
 自身の力が及ばず大切な相手を失うかもしれないという恐怖は、多分ずっとあった。
 アトリは無意識に凪いだ海に視線を落とす。
 いや、もっとちゃんと視れば。
 
「アトリ」

 咎めるように名前を呼ばれて、アトリは半ば組み上がっていた魔術を解いた。
 怒られるかと思ったが、ユーグレイは繋いだままの手を握り直すようにして指先を軽く絡める。
 真っ直ぐにこちらに向けられる碧眼は酷く真摯だ。
 アトリが握っていたせいで彼の手は常よりずっとあたたかい。
 ちょっと冷静じゃなかったな、とアトリは息を吐いた。
 
「悪い、今のはちょっと無茶だった」

「自覚があるのなら良い。戻るぞ」

 アトリは促されて防壁を振り返った。
 目視でも銀色の大きな門が確認出来て、少し安心する。
 
「哨戒時間が短いのは良いけど、その分回数が回ってくんのが厄介だなー」

 丁度次の哨戒担当のペアが門から出て来るのが見えた。
 アトリは軽く手を上げてから、ぼやく。
 ユーグレイ自身は別段構わないのだろうが、「そうだな」と同意の言葉を返してくれる。
 
「次は夜間哨戒か。時間の余裕はあるが」

 彼は言いながらアトリに視線を送った。
 何か見定めるようにその瞳が細くなる。
 何、と先手を打って問いかけると、ユーグレイはゆるりと首を振った。

「一旦、部屋で休んだ方が良いだろう」

「別に良いけど、何で? 疲れた?」

 珍しい。
 アトリは手を伸ばして、ユーグレイの頬にかかった銀髪を払った。
 いや、顔色は悪くないしいつも通りに見えるが。
 ユーグレイは何とも言えない顔をして、静かに溜息を吐いた。
 ああ、なるほど。
 そうではなくてアトリの体調を慮って、と言うことか。
 ばしゃばしゃと足元の海水を割るようにして近付いて来たペアと情報共有を済ませて、ようやく門に続く数段の階段を上がる。
 そんなに気を遣わなくても、食事をして今夜の哨戒まで仮眠でも取れば全く問題はなさそうなのに。
 防壁に戻ると、背後で門を閉めた相棒を軽く振り返った。
 良い時間だし飯を食ってからと言おうとして、アトリは瞬間口を噤む。
 じわりと疼くような熱が唐突に背筋を走った。
 防衛反応だ。

「気付いていなかったのか? 君、かなりの回数探知をしていただろう」

 ユーグレイの手が肩を支えてくれて、アトリは僅かに力を抜いた。
 衝動を逃すように乱れる息を意識して吐くが、あまり楽にはならない。
 それでも絶望的な気分にはならないのだから不思議なものだ。
 目の前には、ユーグレイがいる。
 だからまあ、大丈夫だ。
 
「いつもより時間をかけて視ていたのも、相応の負荷だったはずだ。無意識だったのか、アトリ」

「無意識ってか、ちゃんと、集中してたって、言って欲しいけど?」

 いや、はい。
 ここまで全く気付いてはいなかったんだけど。
 一応反論はしたアトリに、ユーグレイは苦笑する。
 肩を支える手に徐に力が入るのがわかって、つい「まだ歩ける」と意地を張ってしまう。

「抱えた方が早く戻れるが」

「そーだけど。何から何まで、ユーグに面倒見てもらうの、俺の精神衛生上、よろしくないんだって……」

 ユーグレイは「そうか」と頷いて、あっさりとアトリを抱き上げた。
 おい、と訴えたものの、身体は抵抗なく彼の腕の中に収まる。
 慣れたもので、突然の浮遊感にも関わらず恐怖は一切なかった。

「……そうかっつったの、何だった訳? ユーグさん」

 アトリは諦めて彼の肩に頭を預ける。
 身体を満たした安堵と期待は、目を背けるのは大き過ぎた。
 こうなるとわかっていたから自分で歩きたかったのに。
 ユーグレイは何故か満足げに、アトリを見て微笑んだ。

「こうやって君を抱えるのも、これから君を抱くのも、僕が望んでしていることだ。君の遠慮は全く無意味だと、覚えておいた方が良い」

 
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