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7章
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しおりを挟む皇国の首都から西、大海に注ぐ川と緩やかな山脈を有する西ナッシュ地方。
近代化の進む首都に比べ、古い建物の目立つ静かな街がユーグレイの故郷だった。
ノティスと比べても少し長閑で緑が多く感じられるが、郊外も含めればかなりの規模の地方都市だろう。
かつてほどの権力はないと言うが、「領主」という地位が未だ一帯を治めている皇国でも歴史のある地域である。
鉄道の駅を出るとすぐ目の前には大きな広場があった。
街を二つに分つ川には橋がかかっている。
観光地としても有名なようで、明らかに旅行者といった様子の人々がのんびりと歩いていた。
少なくとも治安的に大きな問題を抱えているようには見えない。
「いや、気になる記事はないな」
ユーグレイは首を振って、畳んだ新聞をテーブルを置いた。
川沿いのカフェ。
まだ昼前の店内にはゆったりとした空気が漂っている。
音のないテレビに映るニュースを確認していたアトリも、頬杖をついたまま首を横に振った。
「うちに依頼を寄越すほどの問題なら、それなりに騒いでると思ったけど」
「……報道規制をしているのか或いはまだ一般には認識されていない問題なのか、だが」
「でも素養持ちが徒党を組んでんなら何もしてなくても噂になるだろ」
駅の売店で購入した雑誌をぱらぱらと捲るが、関係のありそうな話はこれと言ってない。
どこぞの富豪が再婚相手に毒を盛られた話とか。
首都の若者たちの間で流行っている麻薬問題とか。
少し大袈裟に書かれたゴシップは、よくある類のものばかりだ。
この地方都市限定で見るのなら、旧市街の空き店舗問題が小さな記事になっていたくらいである。
それも出店を考えているのなら補助金が出るとかいう極めて平和的な話だ。
アトリは雑誌を閉じると、椅子の背もたれに寄りかかった。
カフェの大きな窓からは重苦しい曇天と緩やかに流れる川が見える。
焦っても仕方がないとわかってはいるが。
「何にも起こってない訳、ないんだけど」
ユーグレイは眉を顰めてただ頷いた。
カグとニールが滞在していたホテルには、荷物だけが残っていた。
何かトラブルがあったような形跡はなく、ホテルのスタッフも変わったことはなかったと証言している。
本当に、出かけたまま戻って来なかったのだろう。
現地調査員が拠点にしていたアパルトメントの一室も同様である。
ただ、彼らだけが忽然と姿を消している。
アトリは冷めてしまったコーヒーを飲み干した。
「駄目元で視てみる?」
探知の要領で街の一区画ごと視ていったら、案外手がかりが見つかったりはしないだろうか。
冗談半分最悪その手しかなさそうだな、とアトリは敢えて軽い調子で提案した。
定期連絡が途絶えて十日以上。
或いはこの一時間が、彼らの運命を決めるかもしれないのだ。
悠長にしてはいられない。
「それを僕が許可すると思うのか? アトリ」
「いや? ユーグは駄目って言うに決まってるけどさ」
カフェの扉が開いて、数組の客が入って来る。
もうそろそろ混んで来る時間だろうか。
未だ地方のニュースを伝えるテレビで時刻を確認すると、ユーグレイも「そろそろ出るか」と腰を上げた。
テーブルに広げた新聞と雑誌を適当にまとめて、アトリはコートを羽織る。
客の注文を受けた店員が、すれ違いざまに「ありがとうございました」と微笑んだ。
この人を含め、街中でそれとなく何かなかったか聞き込みをしたがそれも空振りに終わっている。
ごちそうさまでした、と手を振ってアトリとユーグレイはカフェを後にした。
「寒いなー。こっちの方は雪とか降んの?」
川沿いは整備された歩道になっており、洒落た街灯が等間隔に並んでいる。
散歩をするには丁度良さそうだが、ニュースでもやっていたようにここ数日は異様に冷え込んでいるらしく人通りはあまりない。
アトリはコートの袖口に指先を仕舞い込んで、空を見上げた。
暗い灰色の雲。
これくらい寒ければちらちらと雪が舞ってもおかしくはない。
ユーグレイは黙り込んだまま、川面に視線をやっていた。
故郷に戻って来てから、彼は時折こうして考え込む。
「ユーグ」
「……ああ、いや、雪は滅多に降らなかったはずだが」
ユーグレイの言葉は曖昧に途切れる。
冷たい風に乱れた銀髪を、彼は鬱陶しそうに手で直す。
カグたちのことは何とかしたい。
怪我一つなく無事に防壁に連れて帰ることが出来ればと、そう思う。
けれど。
ユーグレイが辛いのなら、やはり来るべきではなかったのだろう。
アトリたちではなく、別のペアにこの一件を託しても良かったはずだ。
「やっぱ試しに視るよ。そんくらいしとかないと、ちゃんと調べましたって言えねぇだろ?」
「………………」
「ほら、ユーグ。これだけ調べて手掛かり一つないんだし仕方ないって」
アトリは手を差し出して魔力を渡すように催促した。
ユーグレイはその手を見て、それから重く首を振る。
強情だな、とアトリはため息を吐いた。
「クレハの時みたいなヘマはしないように気を付けるから。ユーグ」
「いや……、いい。君にそれをさせるより先に出来ることがある」
勿論、わかってはいた。
アトリはただユーグレイを見返す。
こういうやつだよな、こいつは。
見慣れた碧眼には微かに躊躇いの色が窺えるが、彼は全く言い淀むことなく「会いに行こう」と口にした。
熱を奪うような鋭い風が、川を渡る音がする。
「カンディードに依頼をしたのは、僕の父だ。恐らくは彼らも真っ先にフレンシッドの邸を訪ねただろう。会いに行こう」
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